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屋台の歓談


 

 

「——いかがでしたか?」

 

 テーブルに戻ると、リヴェータさんがニコニコと出迎えてくれた。

 

 はちみつの壺が明らかに軽くなっている。何杯入れたんだろうか。

 

「おお、大婆様。素晴らしかったよ。湖の下を冷アナゴが泳いでいた。あれほど光るものだとは知らなかった」

 

 クロが、何事もなかったように椅子に腰を下ろした。さっき展望スペースで見せた顔は、どこにもない。

 いつもの、少し偉そうで、少し抜けた貴公子の顔だった。

 

「まあ。冷アナゴ。運がよかったですわね。あれは春先でしか浮かんできません。一見すると冬でしかない景色ですが、すでに春の季節ですのよ?」

「エディンも喜んでいた。なあ?」

「う、うん。すごく光っていた」

 

 僕も、なんとか笑って頷いた。

 

 ……考えるな。思い出すな。冷アナゴのことだけ考えるんだ。にょろにょろしてて、なんか鱗のないぬめぬめした光るやつ。

 ……煮凝り、いや串焼きか? いいや、燻製と言う手もある。

 

「それはよかった」

 

 リヴェータさんは、満足そうに微笑んだ。

 

「ドネル。お口直しに【聖都】のものを。エディンさんは、まだ足りていらっしゃらない様子。まだまだ召し上がれるでしょう?」

 

 にっこり、と僕を見る。

 ……完全に見抜かれている。今僕の腹の空き具合は、腹三分目と言ったところだ。

 

「……はい! いけます!」

 

 答えはもちろん喜んでだ。

 ただで食べられるならそれに越したことはない。どんな食事も大歓迎。【星輝戴星】のおかげで、致死性の毒だって平らげられるようになった今の僕は無敵だ。

 

 ふんす、と鼻息を荒くしていると、壁際に控えていた執事服の男性——ドネルさんが、深々と一礼した。

 

 アルターとリリアは、深デカのため息を吐いていた。

 

 

 

 ※※※

 

 

 

 ワゴンが、もう一度テーブルの脇に並んだ。

 

 鉄鍋にかけられた銀の蓋が外れされていく。

 立ち上る湯気の香りが、北部高原の料理とはまるで違う。

 最初にスパイシーな香り、そこからおこげのような香ばしい香り、ほんのわずかに甘い香りが来て、最後にすっきりした香りが前の匂いのすべてを拭い去った。

 

「【聖都】の料理は、辛いだけでは成り立ちません。

 旨味も、匂いも、見た目も。すべての要素が入り、調和していることを良しとします」

 

 リヴェータさんが楽しそうに教えてくれた。

 

 湯気が晴れて、中から見えたのは黄金色の米。

 小高い山のように盛られている。その上に、骨ごと煮込まれた羊の肉がごろりと入っていた。

 米の間に、干した葡萄と、炒った木の実と、刻んだ緑の香草が散らされている。

 

「アパルトンでございます。

 米はグランアルメ流域のセメフェ地方のものを。羊はローガス農園の特級品を厳選し、その日のうちに〆られたものしか用いていません」

 

 ドメルさんが、静かに料理の中身を紹介していく。

 紹介するたびに、アルターの顔色が青くなっていった。

 

 ドメルさんが言っていることがなんのことやらさっぱりわからないが、うちの財政担当があんな顔をするってことは、相当高価なものだというのがわかる。

 

 鉄鍋からドネルさんが皿へよそい、僕、リリア、アルターログマ、リヴェータさん、クロの順で並べられる。

 僕だけ顔に届く量を盛られている。恐らく僕は腹ペコ怪獣か何かだと思われているんだろう。正解だから何も言い返せないけど。

 

 しかし、リヴェータさんはまだ手をつけず、待っている。

 

 向こうから、ワゴンが運ばれてくる。

 

 平焼きのパンが、籠に積まれてて、小皿がいくつも添えられている。

 一つは白くてとろりとしたペースト。もう一つは、緑色のペースト。

 

「白いものがウェンプ。凍蜀黍と胡麻と油を練り合わせたもの。

 緑色のものが、焼いた緑茄子を潰し、オリーブを和えたものです」

 

 丸い揚げ物もあった。

 拳くらいの大きさで、表面がこんがりと黄金色に揚がっている。

 いつの間にか大きくなっていたテーブルに、所狭しと料理が並んでいく。

 

「どうぞ、遠慮なさらずに」

 

 リヴェータさんの小さな手が、僕らの皿に添えられる。

 

「いただきます」

 

 匙を入れると、米がほろりと崩れた。羊の肉も、スプーンの縁で簡単にほぐれる。

 米と肉を一緒にすくって、口に運ぶ。

 

 ——うお。

 

 甘く、すっきりした香りが最初に来た。でも、舌の上に載せるとわずかに辛くて、その奥に肉や骨、脂の旨味。

 ……ん、ん。舌にかすかに乗るねっとりとしたコク。これは……魚介?

 

 米を噛んだ時の柔らかい甘さと、たまに混ざる木の実のごろっとした食感のハーモニーが楽しい。

 

「……美味しい」

 

 思わず、声が漏れた。

 

「辛くないでしょう?」

  

 リヴェータさんが、少しだけ得意げに言った。

 

「アパルトンは【聖都】の貴族の方々がよく召し上がる料理なのですけれど、本来はもう少し辛い実を刻んで入れています。

 これは、辛い実を抜いて、香りと食感に傾けたものです」

 

「申し上げますと」

 

 ドネルさんが、静かに口をはさんだ。

 

「【聖都】では、こちらの辛くない調理法を『【枢機卿】風』、あるいは『リヴェータ風』と呼んでおります」

「……ドネル」

 

 リヴェータさんの頬が、ほんのりと赤くなった。

 

「それは、言わなくてよろしいの」

「これは、失礼いたしました」

 

 ドネルさんは、全く失礼とは思ってなさそうな顔で一礼した。

 

 ……リヴェータさん、辛いもの苦手なんだ。

 

 薄焼のパンをちぎって、白いコーンのペーストをたっぷりとすくう。うーん、甘くておいしい。こっちは香りが薄めなんだ。

 焼き茄子の方は、ほんの少し甘じょっぱい感じ。なんだか、心温まる味だ。

 

 丸い揚げ物を、ひとくち齧る。

 

 ざくっ、と衣が弾ける。

 中から熱々の米と、肉を煮詰めた肉汁のソースと、とろけたチーズが舌の上に溶ける。

 

 熱々だ。隣でリリアが口をはふはふしている。僕はこういうのは割と慣れているから平気。

 ちょっと涙目になってはふはふするくらい。たいしたことはない。

 

 でも、うまいなあ。何皿でもおかわりできる。おかわりのたびに盛られる量が大きくなって、今じゃ塔くらいの大きさになった。

 

 ——それでもやっぱり、皿の塔ができていた。

 

「ふふっ」

 

 リヴェータさんが、心底から楽しそうに笑っている。

 

「本当に、気持ちのいい食べっぷり。見ているだけで、わたしまでお腹いっぱいになりそうです」

 

 そう言いながら、彼女は小皿に取り分けられた焼き菓子を、小さな口で齧っていた。

 筒状に揚げた生地の中に、白くて甘そうなクリームがたっぷり詰まっている。

 

 それとハチミツとミルクの紅茶風味の液体で流し込んで、頬を緩めながらため息をついている。

 

 ……本当に甘いもの好きなんだな。

 

「エディン。辛いものが好きだったな。この乾燥したキゲラの実をたっぷりとかけるといいじゃあないか」

 

 クロはそう言うと、赤い実の入った瓶を手渡してくる。

 

「え、いいの? どれくらい入れればいいのさ」

「山盛りだ」

「そうなんだ。それがクロのおすすめなんだね」

「ああ」

 

 クロが口の端を変な形にしながらすまし顔で言った。

 

 僕は迷わず、アパルトンの上に山盛りにキゲラを振りかける。

 リヴェータさんが初めて、正気を疑うような目で僕を見てきた。クロと僕の顔を見回し、少し心配そうな顔でキゲラの瓶を見つめている。

 

 ははーん。クロめ、適当こいたな?

 

 僕はすまし顔を浮かべたクロのアパルトンの上に、同量のキゲラを盛った。

 

「………………んん?」

 

 クロのすまし顔が、初めて崩れた。

 

「どうしたの? クロのおすすめなんだ。当然、クロもこの食べ方が好きだからおすすめしてきたんだよね?」

 

 にっこりと笑い、口をへの字に結んで腕組みし始めた阿呆に圧をかける。

 

「まさか、僕が物を知らないからって適当なことぬかしたんじゃないだろうね?」

「も……もちろんだとも」

 

 クロは若干カタコトになりながら、アパルトンにスプーンを入れる。

 やたらゆっくりとスプーンを持ち上げ、スローな動きで口へ運ぶ。

 

 ……《蒼眼》で視てみたら、クロの舌が高速で回転し、幾何学模様を描いていた。【天素宣言】だ。

 こいつ、口と胃を防御する特殊防壁を展開してやがる。

 

「ねえ、クロ。食べないの?」

 

 こっそいと指に魔力を纏わせ、クロの口元に照準を定めながらじっと見つめる。

 術式で辛さを防ごうったってそうはさせないぞ。口開いた瞬間にそのきれいな術式吹っ飛ばしてやる。

 

「少し待て。今公は食材への感謝と神への祈りをしているんだ」

「ふーーん」

 

 僕も口の中に魔力を薄くて展開し、舌と胃に強化を施す。

 

 僕が口を開け、クロも同じくしてスプーンを口に運んだ瞬間。

 

 僕とクロの指先から、魔力弾が相手の口元めがけてかっ飛んだ。

 

「「~~~~~~~~ッッ!!!???」」

 

 互いの顔から、火が噴き出てた。

 

 かっっっっっっら!!!! なあにこれ、辛いというか痛い! 死ぬ死ぬ死ぬ!! 口が燃える!!

 

 のたうち回りながら卓上にあった水を呷るも、辛さが引いてくれない。

 向こうを見たら、クロは地面に倒れていた。すかした顔が真っ赤に染まり、身体が若干痙攣していた。

 

「……はあ。何をしているんですか、エレクロス」

 

 リヴェータさんは大きくため息をつき、治癒術式を僕とクロに飛ばした。でも、口元には我慢したような笑みが浮かんでいる。

 

 ドネルさんがそっと、冷たく甘いミルクを僕に手渡し、口を開けたまま仰向けに倒れているクロの口に流し込んだ。

 

 扱い雑すぎないか。

 

 よろよろとクロが起き上がり、冷や汗を拭いながら席に着いた。

 

 それから、クロの頭にリヴェータさんのげんこつが落ちた。

 がつん、と鈍い音がして、金髪の下にたんこぶができていた。

 

 それから、僕とクロを交互に見て、本当にうれしそうに微笑んだ。

 

「それにしても、エレクロスとこんなに仲良くしていただけるなんて。普段はすました顔なのに。外でこんなに楽しそうにしているところ、初めて見ましたわ」

「……大婆様」

「だって、本当なんですもの」

 

 リヴェータさんは、頬に手を当てた。

 

「この子が誰かとこんなに打ち解けているところ、わたし、本当に見たことがないんです。まさか——」

 

 ふわりと、柔らかな笑みが浮かぶ。

 

「内緒話をするほど、親密になるなんて」

 

 ——っ。

 

 背中に、激辛で得たものとは別の冷たいものが走った。

 

 見られていた。

 

 いや、そりゃそうか。同じ車両の中で、二人で展望スペースに行ったんだ。見えていて当然だ。

 ただ、クロは防音の障壁を張っていた。読唇術もできないように位置も調整していた。何を話していたかまでは、聞こえていないはず。

 

 ……はずだよな?

 

 僕は、匙を持ったまま固まりかけていた。

 

 考えるな。アナゴだアナゴ。たぶん串焼き。

 

「——大婆様」

 

 クロが、紅茶のカップを置いた。

 

「友の間のことだ。詮索はよしてもらいたい」

 

 落ち着いた声だった。少しだけ、拗ねたような響きすらある。

 

「ええ」

 

 リヴェータさんは、微笑んだまま頷いた。

 

「もちろんですわ。殿方同士の友情ですもの。しかも、エレクロスに初めてできた同性のお友達。

 その内緒話を詮索するほど、わたしは無粋でもありません」

 

 そう言って、また紅茶に口をつける。

 

 ……よかった。

 

 ほっと息をつきかけた、その時。

 

「それにしても」

 

 リヴェータさんが、こてん、と小首を傾げた。

 

「アシュドットに、エディンさんとエレクロスが仲良くするような出会いの場所なんて、ありましたかしら」

 

 ……ん?

 

 僕のうなじに、嫌な予感が走った。

 

 さっきのとは違う。命がどうこうとかじゃなくて、もっこう、身近で、生々しい感じ。

 うまく表現できないけど、あれだ。悪戯がばれそうになった時特有の感覚、ってやつに近いのだろう。

 叱ってくれる人も今まであんまりいなかったけど。

 

 僕は、口をつぐんだ。

 

 余計なことを言わない方がいい。なんとなく、そんな直感があった。

 

「おお。それなら屋台だよ、大婆様」

 

 なのに、目の前の金髪の阿呆は胸を張って言った。

 

「……へぇ。それで?」

 

「アシュドットの屋台通りに、的当ての屋台があるだろう? 珠の魔力だけで最上段の的を三つ落とせば一等という、あれだ。

 そこにエディンが挑んでいてね。公も同時に挑んだ」

 

 ちょ、クロ。

 

「最初の一発で、エディンは珠の魔力をほとんど使わずに的を落とした。信じられるか? 珠の属性を一発で見抜いて、しかも燃費が13とは思えないほど優れているのだぞ。

 公も負けてられないと【天素宣言】で応じたのだが、エディンはそれを一目で見抜いてきてな——」

 

 クロ。

 

「最後には、公の渾身の一射を利用して、回転をかけた弾で跳弾させて的を落としたのだ! あの瞬間の衝撃といったらたとえようがない。

 クラシカで応援していた魔法チームが勝った時でも、あのような気持ちにはならなかったよ。

 公の完敗だった。あれほど晴れやか負かされたのは、生まれて初めてだ!」

 

 クロ……!

 

 クロの声と顔は、本当に生き生きとしていた。目がきらきらしていた。本当に、心の底からリヴェータさんに僕のことを自慢したくて仕方ない、と言う顔をしていた。

 

 リヴェータさんは、聖女のような優しい笑顔で頷きながら聞いていた。

 

 でも、なんでだろうか。僕は彼女の背後で、鬼か蛇が全力で威嚇している姿を幻視していた。

 

 何かに気づいたように、クロの顔が僅かに青ざめる。

 

「いやあ、あれは本当に見事だった。周りに人垣もできていてね。屋台の店主も腰を抜かしていた。最後には天幕も一枚、公の弾で穴が開いてね——」

 

 しかし、止まらない。

 むしろさらに声を張り上げて、話を続けていた。

 

 最初はうっかり。でも、自分のミスに気づいても、そのまま話し続けていた。

 結果、リヴェータさんの視線はクロひとりに向き、貼り付けたような笑みが浮かんでいる。

 

 ……僕を、護ってくれているんだ。

 

 ……クロ。

 ありがとう。

 

 そして、ごめん。

 

 僕が、膝の上で拳を握る。

 

 

 しん、と。

 

 

 

 列車の中が、静まり返った。

 

 クロの声が、とうとう途切れた。

 

 リヴェータさんの笑みが、固まっていた。

 

 さっきと同じ、貼り付けた笑みのまま、ぴたりと止まっていた。口元も、目元も、さっきと同じ形を維持している。

 

 ただ、持ち上げていたティーカップの持ちてが、ぴし、と小さな音を立てた。

 

 陶器に、細かいひびが一本、走っていた。

 

 

「——エレクロス」

 

 

 リヴェータさんの声は、穏やかだった。

 穏やかで、やわかく、丁寧。

 

 そのまま、ゆっっくりと首を傾げて、言った。

 

 

「あとで、お話があります。執務室に来なさい」

 

 

 クロは、今にも死にそうな顔で白目を剥きながら、天を仰いでいた。

 

 

 

 


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