第98話 星の巡りと、闘魂の血脈(後編)
結羽が明るく同意すると、ふゆも大きく欠伸をして伸びをした。
「ふわぁ……なんだか、安心したらいきなり眠くなってきちゃった」
「それじゃあ、今日はもう解散だ。とっとと寝ろ」
ドレイクが手をヒラヒラと振って二人を追い払おうとした、その時だった。
「……そういえば」
結羽が、ふと立ち止まり、少しだけもじもじとしながら振り返った。
「おやっさん。召喚されたばかりの時に、『元・日本人だ』って言ってましたよね? あっちの世界での名前が『ヨシュア・A・ドレイク』で、前世の名前が『ヨシアキ』だっていうのはわかりましたけど……日本で生きていた頃のフルネームって、まだ覚えているんですか?」
「あん? 当たり前だろ。数千年生きた程度じゃ、自分の名前は忘れねえよ」
ドレイクは不思議そうに眉をひそめながらも、記憶の引き出しをあっさりと開けた。
「俺の名前は、『義昭』だ。富士川義昭。……俺がいた日本と、ダンジョンなんてもんが生えている今のこの日本とが、時間や歴史でどう繋がっているのか、そもそも地続きかどうかもわからねえがな。俺は1949年、昭和でいやあ24年の生まれだ」
「……フジカワ? ですか?」
結羽の目が、パチリと大きく瞬きをした。
隣にいたふゆの眠気も吹き飛んだように、目を丸くしている。
「富士山のフジに、江戸川の川ですか?」
「ああ、そうだ。だが、フジカワじゃなくて、フジガワな。濁るんだ」
ドレイクが面倒くさそうに訂正すると、結羽とふゆは、弾かれたように顔を見合わせた。
「……えっと。おやっさん、あの……」
結羽が、信じられないものを見るような目で、ドレイクの顔をマジマジと見つめる。
「確か、お母さんのお母さん……わたしたちの、母方のおばあちゃんの旧姓が、同じ字を書いて『フジカワ』なんですが……」
「……ほう?」
「おばあちゃんも、本当は濁って『フジガワ』って読むのが正しいんだけど、みんなフジカワって呼ぶから面倒くさくなってそのままにしていたって、昔言ってたような……」
今度は、ドレイクの黄金の瞳がわずかに見開かれた。
彼の視線が、結羽とふゆの顔を交互に射抜く。
静まり返った工房の中に、チクタクという時計の音だけが異様に大きく響いた。
「……へっ」
やがて、ドレイクがフッと息を漏らした。
「それほど多い苗字じゃあねえとは思うが……。面白い繋がりもあったもんだな」
「そ、そうですね! 偶然ってすごいですね!」
結羽が慌てて笑って誤魔化すように同意し、ふゆも「おやっさんとわたし達、親戚だったりして!」と無邪気に笑い声を上げた。
ドレイクもまた、「カッカッカ! 俺みたいな強面がお前さんたちの血筋にいるわけがねえだろ! だいたい、時代がどれだけ離れてると思ってんだ!」と豪快に笑い飛ばした。
だが。
(まさか、ね……)
結羽は、心の中でそっと呟いた。
自分が、なぜ神話級の火龍なんていう、世界を滅ぼしかねない規格外の存在を召喚できたのか。
URスキル『巨壁の導き手』という器の大きさだけではない。
もっと深く、魂の根源に近い何か――『縁』。
あの日、野田ダンジョンの第六階層で、自分を見捨てずに絶対の力で守り抜いてくれた、この不器用で温かいおっさんの姿。
彼が作る、どこか懐かしく、細胞の隅々まで染み渡る極上の飯の味。
初めて会った時から感じていた、理屈ではない絶対的な安心感。
(まさか、な……)
ドレイクもまた、手元の空の缶ビールを見つめながら、内心、驚きを隠せないでいた。
ただの偶然だ。
世界を跨ぎ、宇宙の理すら越えた途方もない時間の果てで、自分の血を引く末裔に召喚されるなどという、そんな三文芝居のような奇跡があるはずがない。
だが、結羽の決して折れないド根性と、ふゆの真っ直ぐな瞳の奥に、かつて自分が持っていた愚直なまでの『闘魂』の欠片を見てしまうのは、果たして気のせいなのだろうか。
血は争えない、とはよく言ったものだ。
「よし、今日の話はここまでだ! とっとと寝ろ! 休養中もロードワークとスパーは欠かさねえぞ!」
「はいッ! おやすみなさい、おやっさん!」
「おやすみー!」
結羽とふゆが、パタパタと足音を立てて工房を出ていく。
バタン、と重厚な防音扉が閉まり、部屋の中には再び深い静寂が降りてきた。
一人残されたドレイクは、灰皿にタバコを押し当て、静かに新しい一本に火をつけた。
紫煙がゆっくりと天井へ向かって立ち昇っていく。
「……へっ」
ドレイクは、誰もいなくなった扉を見つめたまま、自嘲気味に、けれどどこまでも優しい声で呟いた。
「『もう一人で世界の重さを背負わなくてもいい』、か。……まだまだ駆け出しの弟子っこが、いっちょ前に泣かせてくれるじゃねえか」
数千年の孤独を生き抜いてきた火龍の心に、温かい雫が落ちたような感覚。
すると、卓上に置かれていた黄龍の宝珠が、淡い金色の光をチカチカと明滅させ、静かな念話を飛ばしてきた。
『かつてのヴィータヴェンの血脈達も、同じようなことを言ってくれましたね。師父。……少しばかり、懐かしくなりました』
黄龍の言葉に、ドレイクはふっと目を細めた。
そうだ。
あの時もそうだった。
『星の巡りの果てで、いつかまた一杯やろうや』と見送った、あのヴィータヴェンの初代国王。
そして、その意志を継いだ歴代の王たちもまた、隠遁生活を送るドレイクを友として遇し、「世界を守る重荷を、どうか我らにも分け与えてほしい」と、愚直に手を差し伸べてくれたのだ。
人間という生き物は、恐ろしい兵器を作り、世界を分断するほどの業の深さを持つ。
だが同時に、絶望的なほどの重圧を前にしても、決して一人を見捨てず、共に背負おうとする馬鹿げたほどの強さを持っている。
「……ああ」
ドレイクは、紫煙を深く吸い込み、ゆっくりと吐き出した。
「火龍に生まれ変わって数千年……。突然喚ばれた先の、見知らぬ日本のダンジョンの底で、同じ言葉を聞くとはな」
『それが縁というものなのでしょう。あるいは、師父が蒔いた種が、星の巡りを経て、再び師父の元へと還ってきたのかもしれません』
「へっ。ロマンチストなジジイの真似事かよ、黄龍」
ドレイクは悪態をつきながらも、その口元には隠しきれない柔らかな笑みが浮かんでいた。
星の巡り。
魂の因果。
砂時計のくびれが引き寄せた、奇跡のような再会。
答えはまだ、誰にもわからない。
だが、この狭い工房の中で、言葉には出さずとも、彼らの間には「ただの師弟」や「ただのパーティー」を超えた、深く、温かい血の通った絆が確かに結ばれていた。
「……やれやれ。世界を修理する前に、まずは腹ごしらえと、俺の家系図の修理が必要になるかもしれねえな」
ドレイクが冗談めかして呟くと、黄龍が肯定するように優しく、淡い光を放った。
第一世代のトップ探索者の復活と、神話級魔獣ヒュドラの討伐。
そして、過去から現在へと繋がる、奇跡のような血脈の交差。
すべての準備を終え、真の絆で結ばれた『よろず屋パーティー』は、いよいよ世界の真実が眠る、砂時計のくびれ――ダンジョンの超深淵層へと、その一歩を踏み出そうとしていた。
(第4章:完)




