第81話 次元の大掃除と、黒鋼のインゴット
「やったぁ! アストライアのシステム、完全掌握だよ!」
コントロールセンターの無機質な空間に、ふゆの突き抜けるように明るい歓声が響き渡った。
彼女が両手を天に向かって高く突き上げると同時に、それまで不気味な不協和音を奏でながら赤黒い凶兆の光を放ち続けていた巨大なメインコンソールが、一瞬だけ激しく明滅した。
直後、張り巡らされていた無数の魔力回路が、濁った赤から清浄でするりと透き通るような青白い光へと一斉に反転し、静かで穏やかな明滅を開始した。
右半分に刻まれたスヴァトゴーラ王朝の神聖なる天使の彫像群からは、強引に突き刺されていた無骨な魔力パイプを通じて汚濁した魔力がシュウシュウと音を立てて抜け落ち、本来の白磁のような輝きを取り戻していく。
左半分に配置された光華王朝の巨大な風水盤と八極図は、カチ、カチと正確な音を立てて正しい真円を描きながら回転を始め、幾何学的な光華文字の暗号群が次々と緑色の安定シグナルへと書き換えられていった。
二大国が泥沼の大戦の末に、互いの罪と扱いきれなくなった最悪の汚物を隠蔽するために作り上げた、狂気のパッチワークシステム。
その数千年に及ぶ逃亡の歴史は、今この瞬間、天才的な魔力視を持つ幼きオペレーターと、アストライアの古代知性体である黄龍の多次元的な逆ハッキングによって完全に沈黙し、新生よろず屋パーティーの絶対的な管理下へと置かれたのだ。
「おう。本当によくやったな、ふゆ、黄龍。大金星だぜ」
ドレイクはのっそりと前に進み出ると、満足げに獰猛な牙を剥き出しにして笑った。
口にくわえたタバコの先から、細く白い煙が天井に向けてゆったりと立ち上っていく。
彼はシステムが完全に上書きされ、大人しく命令を待つ状態になったキメラコンソールの前へと歩み出た。
中央のメインモニターには、光華文字でまばゆいばかりの文字列が表示されている。
『Master Registration(新たな管理者権限の登録をおこなってください)』――と。
「さてと。それじゃあ、この星の未来を担保にするような真似をしやがった過去の亡霊どもに、きっちりとお払い箱の引導を渡してやるとするか。この最悪の『ゴミ箱』を、俺の直轄の『絶対焼却炉』に繋ぎ変えてやる」
ドレイクは太い指をコンソールのホログラムキーボードへと滑らせた。
カチャカチャと無造作な音を立ててコマンドが打ち込まれていく。
画面の文字が激しく流動し、やがて中央に『Joshua . A . Drake』という、彼の魂に刻まれた真名が厳格な文字列として刻み込まれた。
システム承認の重々しい電子音が響き渡り、野田ダンジョンの最奥に眠るすべてのシステム権限が、火龍の手へと渡った。
だが、真の『大掃除』はここからだった。
ドレイクはキーボードを叩き終えると、自らの太い人差し指の先へと濃密な仙気を集中させた。
「このダンジョンの深層で、あっちとこっちの位相がもっとも重なりあっているのが、ここだ。ここなら今の俺の魔力でも、あっちとこっちを繋げられるってもんよ。だが、確実な座標指定が必要になるがな」
赤熱するような凄まじい熱量を帯びた金のオーラが指先から立ち上り、彼はそれをコントロールセンターの真っ白な大理石の床へと容赦なく突き立てた。
キィィィィン、と空間を切り裂くような鋭い音が響く。
ドレイクは床の表面に、アストライアの高度な術式と自らの火龍の仙術を融合させた、極めて複雑な魔法陣の幾何学模様を直接描き始めた。
彼が指を動かすたびに、床の石材が溶解し、内側からまばゆい金色の光波が溢れ出して大気を激しく振動させていく。
やがて、完璧な対称性を持つ巨大な二重魔方陣が床一面に完成したその瞬間。
ドレイクの目の前の空間が、まるで熱されたビニールのようにぐにゃりと陽炎を描いて歪み、大人が一人ようやく通れる程度の『極小のゲート』がポッカリと暗黒の空間に口を開けた。
途端に、応接室の冷房など一瞬で無意味にするほどの、うだるような凄まじい熱気と、鼻腔を激しく刺す濃密な硫黄の匂いが、コントロールセンターの室内へと津波のように流れ込んできた。
あまりの熱風に、結羽と彩斗美は思わず腕で顔を覆って一歩後ずさる。
ゲートの向こう側を覗き込むと、そこには地球のどこを探しても存在し得ない、狂気的な光景が広がっていた。
赤々と煮えたぎり、時折ボコッと巨大な泡を立てて爆ぜるマグマの地底湖。
その圧倒的な熱量に耐えうる漆黒の頑強な岩盤が孤島のように浮かんでおり、その上には無造作に積み上げられた巨大な酒樽の山と、光を浴びて怪しく輝く圧倒的な金銀財宝の山が、天井に届かんばかりにうず高く積まれていた。
「ここは……おやっさんの、元いた世界のヤサですか?」
結羽が、吹き付けてくる熱風に衣服を激しくなびかせながら、信じられないものを見るように目を丸くした。
「俺の"巣"であり、個人用の宝物庫だ」
ドレイクは、ゲートから吹き出す懐かしい大気の匂いを胸いっぱいに吸い込むと、ふぅ、と深く息を吐き出した。
「……へっ。相変わらず、ろくでもねえ酷い熱気と匂いだが、馴染み深い我が家の匂いだ。正確に言えば、俺の巣のさらに地下深く、龍脈と呼ばれる星の血流に直結する位置に、俺にしか解けない八百八十八層の拒絶封印を施した、星一番の『絶対焼却炉』だ」
ドレイクは不敵にニヤリと牙を剥くと、ゆっくりと振り返り、廃棄サイロの底に文字通り山のようにうず高く積まれていた『アストライアの呪いの兵器群』へと、その炎金の龍眼を向けた。
心臓のように脈動する悪意のミアズマシリンダー、刀身に静脈の如く呪殺回路が彫り込まれた大量の大剣や魔導銃。
かつて無辜の民を民族浄化するために作られた怨念のガラクタどもが、死の大地の上で毒々しい光を放っている。
「さあて、それじゃあお待ちかねの大掃除の時間だ。結羽、ふゆ、彩斗美嬢ちゃん。お前らは危ねえから、その結界の枠から一歩も外に出るんじゃねえぞ」
ドレイクは短く告げると、首のタオルをグッと締め直し、両腕を大きく左右へと広げた。
彼の内包する数百万トンの超質量が、仙術の解放によって周囲の大気を物理的に押し潰していく。
ドレイクの身体から発せられた莫大な金の仙気が、目に見えない巨大な嵐となってサイロ全体の空間へと行き渡り、底に積まれていた無数の呪殺兵器の山を包み込んだ。
ズォォォォォォ……ッ!!!
凄まじい風圧と共に、サイロの底に眠っていた何千、何万もの魔導兵器の残骸が、まるで意思を持ったかのように一斉に宙へと浮かび上がった。
見えない巨大な『火龍の手』がそれらを鷲掴みにし、コントロールセンターの中央に開かれた極小のゲートへと向かって、容赦なく誘導していく。
ドボンッ! ジュワァァァァッ!!!
ゲートの向こう側のマグマ湖へと、呪いのガラクタどもが次から次へと無造作に放り落とされていく。
アストライアの魔法文明が誇る強固な未知の合金で作られた刀身も、致死性の怨念を湛えたガラス管のシリンダーも、神話級の火龍が産湯として浸かってきた龍脈の超高熱の前には、単なるプラスチックのゴミも同然だった。
接触した瞬間にドロドロと跡形もなく融解し、数千年間世界を脅かし続けてきた最悪の悪意が、小気味良い音を立てて完全に消滅していく。
みるみるうちに、サイロの底を埋め尽くしていたおぞましい核のゴミの山が綺麗に削り取られ、元の無機質な金属の岩盤へと戻っていく。
それは、世界の裏側を修復する「配管修理」などという言葉では生温い、神話の火龍による痛快で圧倒的な次元の『大掃除』そのものであった。
「過去の亡霊どもが残した負の遺産は、俺のこの命があるうちに、龍脈の炎でまとめて塵一つ残さず燃やし尽くしてやる。……これで少しは、てめぇの夢を穢されて死んでいった、月酔仙の爺さんも浮かばれるってもんだろ」
最後の巨大な魔導要塞の主砲パーツをマグマへと放り込みながら、ドレイクはぽつりと、誰に聞かせるでもなく呟いた。
友を喪い、それでもこの星の行く末を見守り続けてきた彼の、静かなる弔いの儀式だった。
「さて、と。片付けはこれで終わりだが……ゲートを閉じる前に、俺の巣から少しばかり土産を持ってこにゃならねえな」
ドレイクはそう言うと、開いたゲートの向こう側、自らの金銀財宝の山のさらに奥深くへと太い腕を強引に突き入れた。
空間の位相を無視して、彼の巨大な手が宝物庫の底から「ある物」を鷲掴みにし、こちらの世界へと引きずり出す。
ドスンッ!!!
凄まじい重量感がコントロールセンターの床全体を激しく揺らした。
結羽たちの視線は、床に置かれた「それ」に完全に釘付けになる。
それは、周囲の光のすべてを歪めて吸い込んでしまうかのような、深く、どこまでも暗い漆黒の輝きを放つ、レンガブロック程度の大きさのインゴットだった。
大きさ自体は片手で持てる程度のものであるにも関わらず、それが床に置かれた瞬間、未知の合金で作られたコントロールセンターの頑強な床板が、その自重に耐えかねてメキメキと鈍い悲鳴を上げ、数センチほど大きくひしゃげたのだ。
「ドレイク殿、それは……? いったい何なの? 物質としてのスケールが、この地球の理を完全に超越しているのだけれど……とんでもない魔力密度ね」
彩斗美が、その漆黒のインゴットから発せられる尋常ではないプレッシャーと魔力密度に本能的な戦慄を覚え、息を呑んで一歩後ずさった。
元SSランク探索者としての彼女の研ぎ澄まされた直感が、その金属に触れることすら拒絶していた。
「ああ、俺がいつも解体で使っているナイフの合金と同じブツだ。黒鋼……あっちの世界じゃあ、最高級・最稀少・最高硬度・最重量の四拍子が揃った、正真正銘の神話級魔法金属さ」
ドレイクは事も無げに言ってのけると、咥えていたタバコを携帯灰皿で消し、その鋭い視線を持参した銀色の如意棍棒を抱えたままの結羽へと向けた。
「結羽。お前さん、自分のその如意棍棒を、よくあらためて見てみろ」
「え? あ、はい!」
急に話を振られた結羽は慌てて、背中から鈍い銀光を放つお気に入りの『如意棍棒』を抜き放ち、両手で掲げてしげしげと観察し始めた。
川崎の遺跡型ダンジョンで命がけで採掘したミスリルとアダマンタイトの合金をベースに、ドレイクが夜なべして最高位の彫金を施してくれた、世界にたった一本の万能武器。
その美しい銀色の刀身も、手になじむ重厚なグリップも、昨日までと何一つ変わっていないように見える。
「あの……特に異常はないと思います! 今日も銀色に輝いていて、すっごく最高にかっこいいです!」
結羽が自信満々に胸を張って答えると、ドレイクはやれやれと不機嫌そうにため息をつき、今度は後方にいるふゆを見た。
「ふゆ、お前さんのその『魔力視』なら、何が起きているか正確に判別できるだろ。説明してやれ」
「えーっとね、ちょっと待って……」
ふゆは頭のUIゴーグルを指先で押し上げると、自身の裸眼にじわじわと仙気を集中させ、オパールの色を湛えた『魔力視』を発動した。
彼女の視線が、結羽の掲げる如意棍棒の表面を、じっと舐めるように凝視していく。
数秒の後、ふゆは「あーっ、なるほどね!」と納得したようにポンと小さな手を叩いた。
「お姉ちゃん、これ、おやっさんが夜なべして棍の表面に彫り込んでくれた、五行の魔術回路とか光華文字のエッジの溝……そこが、目視じゃほとんどわからないくらいだけど、内側からわずかに歪んで『溶けちゃって』いるよ」
「えええっ!?」
結羽は素っ頓狂な声を上げ、如意棍棒を顔の数センチ手前まで近づけて、食い入るように見つめ直した。
「そんな! わたしの如意棍棒、壊れちゃうんですか!? これ、川崎のすっごい硬い魔法金属で作られているのに!?」
「安心しな。俺が打った武器だ、すぐすぐに叩き壊れるようなヤワな構造にしちゃあいねえよ」
慌てふためく弟子を前に、ドレイクがカッカッカと豪快に笑う。
「だがな、結羽。そいつはお前さんがリザードマンの盾の壁に突いた物理的な衝撃のせいでそうなったわけじゃねえ。……お前さんがさっき、あの斥力結界を一点突破するために込めた『仙気の総出力』に、如意棍棒に刻まれた陣の許容量の方が、内側から耐えられなくなりつつあるのさ」
ドレイクの言葉を聞いた瞬間、今度は彩斗美が、信じられないものを見る目で結羽を凝視した。
「なんてこと……。ドレイク殿や結羽さんの言う『仙気』は、私たちの魔力出力と同じようなものよね? 魔法金属の最高峰であるミスリルやアダマンタイトの合金に刻まれた魔術回路を、自身の魔力の内圧だけで焼き切る寸前まで追い込むだなんて、そんなの、人間業じゃないわよ。結羽さん、あなた自身の器の成長速度が、地球のシステムの想定上限を遥かに突破してバグり始めているわ」
彩斗美の戦慄混じりの驚愕の声に、結羽は自分の両手をまじまじと見つめ、なんとも言えない複雑な表情を浮かべた。
「まるで実感がないんですけど、彩斗美さんがそこまで言うってことは、結構な出来事なんですね……なんか複雑です……」
「まぁ、高位の魔法金属には自己修復の性質もあるんだが、ここ最近の激戦で短期間に酷使しすぎたのは事実だ。何より、結羽の仙気の伸びが俺の予想を上回ってやがる。そこで、黒鋼の出番ってわけだ」
ドレイクは、自重で床をひしゃげさせている漆黒のインゴットを顎でしゃくった。
「それで、如意棍棒をこの黒鋼で打ち直すんですか!?」
結羽が期待に目を輝かせると、ドレイクはすぐに首を横に振った。
「そりゃあ無理だ。全面黒鋼で作ってみろ、重すぎてな、いくらお前さんの身体能力でも、今の人の身じゃあ格が合わねえ。なにしろコイツで作ったパイプ椅子は、俺の本来の火龍としての全重量を受け止めても、ビクともしねえ最強のブツだからな……。あっちのドワーフの親方を本気でドン引きさせた代物だ」
ドレイクは遠い昔の職人としての昔話をどこか楽しそうに語ると、不敵にニヤリと笑った。
「如意棍棒のすべての意匠の溝と、芯材の補強としてこの黒鋼を溶かし込み、アップデートしてやる。お前さんの限界突破した仙気を受け止める『真の相棒』に仕上げる。だが、今度は神話級金属の位と格にお前さんの身体に合わせにゃ使いこなせん。一手間もふた手間もかかるからな。結羽、覚悟しておけよ?」
神話級の最高魔法金属と、火龍による打ち直し。
だが、その言葉を聞いた万能戦士の少女の瞳には、怯えなど微塵も存在しなかった。
あるのは、さらなる高みへと上り詰めるための、底抜けにハングリーな闘志だけだ。
「はいっ!! すっごく楽しみにしてます、おやっさん!!」
どこまでも貪欲で真っ直ぐな少女の返答に、ドレイクは嬉しそうに腹を揺らして笑った。
「カッカッカ! 頼もしい弟子っこだぜ。なあ、黄龍?」
『故事に曰く――「欲伐天軍、須求黒鋼之長矛、與能揮之猛士(天からの軍を討つつもりならば、黒鋼の矛とそれを振るえる強者を用意せよ)」と。不可能の代名詞として使われるものを楽しみだと笑って言い放ち、自らの器に収めてしまおうとするとは。……いやはや、我が師父の弟子は、とんでもない傑物ですな』
ふゆのスマートフォンから、黄龍の風雅で心からの感服に満ちた念話が響き渡る。
アストライアの最高金属と、それを笑って手なずけようとする少女。
大掃除は完全に終わり、キメラコンソールを完全に手中に収めたコントロールセンターの中で、次なる刃に向けて、よろず屋パーティーの絆はより一層、強固に結ばれていくのだった。




