第78話 情報統制の魔眼と、多次元の逆ハッキング
隊長格の重装ミノタウロスが遺した、濁った銀色の魔法金属製の大剣。
その戦利品の回収を手早く済ませた新生よろず屋パーティーの一行は、魔素重量の歪みが強まる廃棄サイロの螺旋の足場を、さらに下へ、下へと降りていった。
すらすらと滑るように降りられた上層や中層の迷宮とは異なり、この人類未踏の領域『深淵層』の底へと近づくにつれ、周囲の環境は劣悪さを極めていく。
一歩を踏み出すたびに、長年の瘴気によってドロドロに変質した足元の金属板が、底なしの沼のようにぐちゃぐちゃと音を立てて結羽たちの足を絡め取る。
だが、反復稽古によって『理』を身体の髄まで染み込ませた今の結羽の足取りは、魔素の重圧を仙気でねじ伏せ、驚くほど自然で滑らかなものへと仕上がっていた。
やがて、果てしなく続いた螺旋の足場が途切れ、サイロの底付近に位置する、少し開けた広場のような区画へと差し掛かった。
眼下には、脈動するミアズマのシリンダーが組み込まれた『アストライアの大戦の遺物』――おぞましい呪殺兵器の山が、毒々しい光を放って広がっている。
そこから絶え間なく立ち上る生々しい精神汚染の瘴気が、無性に何かに斬りかかりたくなるような不自然な闘争衝動を強制的に煽ってくるのだ。
結羽が銀光を放つ如意棍棒を握り直し、その不快な吐き気と衝動を仙気で押さえ込んでいた、その瞬間だった。
『お姉ちゃん、彩斗美さん、気をつけて! 前方から多数の熱源波形! それに、上空の位相にも……通常とは違う、異質なシステム反応が来るよ!』
ふゆの緊迫した警告が、インカムを通じて全員の鼓膜を叩いた。
ズズズンッ、ズズズンッ……!
通路の奥の暗がりから、地響きを立てて現れたのは、機甲化されたワーウルフの部隊だった。
だが、その装備はこれまでのものとは違う。
彼らは全員、濁った銀色の魔法金属で作られた円盾と短槍を構え、一糸乱れぬ歩調で進軍してくるのだ。
単体戦、ツーマンセルと経て、いよいよ本格的な小隊規模の軍隊の出現。
だが、真の脅威は彼らだけではなかった。
「あれは……」
彩斗美が、鋭い視線を上空へと向ける。
ワーウルフ部隊のさらに後方、高い宙空にフワリと浮遊して現れたのは、巨大で生々しい眼球に無数の触手を生やした異形の生体兵器――『魔導眼球』であった。
触手の先についた無数の小さな眼球が、ギョロギョロと不気味に動き回りながら幾何学的な魔力ラインを展開し、結羽たちの位置を完全に捕捉していた。
「ガアァアァッ!!」
統制された機甲化ワーウルフ部隊が、規律正しい動きで突撃してくる。
結羽は『面』の歩法で泥濘の床を滑るように間合いを詰めて一撃を見舞おうとした。
だが、結羽が銀色の如意棍棒を振り抜くよりもコンマ数秒早く、ワーウルフの一体が大盾の角度を絶妙に傾けて待ち構えていた。
ガキィィィンッ!
如意棍棒の凄まじい打撃の軌道は、その盾の傾斜によってスルリと横へと逸らされ、破壊力を完全に殺されてしまう。
「くっ……!」
体勢がわずかに流れたその一瞬の隙を突き、死角となっていた隣のワーウルフから、心臓を正確に穿つ鋭い短槍の刺突が放たれた。
盾と小槍を巧みに操り、互いの死角を完璧に補い合う、合理的で洗練され尽くした攻防一体の陣形。
琉球古武術のティンペーとローチンにも似た、隙のない武術の理だ。
結羽は咄嗟に身を捻り、如意棍棒の石突きで槍を弾き飛ばしたが、すぐさま別の個体が円盾で強引に押し込みをかけて戦線を圧迫してくる。
おかしい。
彼らの動きは個人の武術の域を超え、部隊全体が一つの生き物のように完璧に連動している。
こちらの攻撃の起こりを、完全に先読みしているかのような動きだった。
「下がりなさい結羽!」
彩斗美が鋭いステップで前に躍り出ると、自身の重量可変の大剣を巨大な防盾のように構えて敵の槍衾を正面から受け止めた。
同時に、右手で振るう蛇腹剣を全方位へと展開し、上空の魔導眼球から断続的に降り注ぐ赤い破壊光線を次々と空間で打ち消していく。
激しい火花と金属音がサイロ全体に鳴り響く。
「こいつら感覚を共有でもしているの!?」
彩斗美が激しい攻防の中で舌打ちをした。
彼女のコマンダーとしての戦術眼によるフェイントも、結羽の変幻自在の歩法も、敵はあらかじめすべてを予測していたかのように完璧に対応し、先回りで盾の壁を厚くしていたのだ。
それもそのはずだった。
後方に浮遊する魔導眼球が、その無数の血走った眼球で戦場全体を多角的に俯瞰し、そこから得られる膨大な視覚情報と戦術予測のデータを、魔力回線を通じてリアルタイムで前衛のワーウルフ部隊へと共有させているのだ。
完全なる情報統制下における近代的な軍隊戦。
個人の卓越した武の理や身体能力だけでは、決して突破できない絶対的な情報網の壁だった。
「彩斗美先輩! 一旦退いて陣形を立て直します! 後方のふゆを守らないと!」
「了解!! 結界展開!!」
彩斗美が魔導キューブを起動し、青白い斥力結界の壁を展開しながら、じりじりと前線を後退させる。
防戦一方の状況に、異常な魔素の重圧がさらにのしかかり、二人の体力を著しく削っていった。
その光景を最後尾から見つめていたふゆは、自身のUIゴーグルをぐっと深く被り直し、杖を両手で固く握りしめた。
「彩斗美さん、お姉ちゃん、少しだけ持ちこたえて! 時間を稼いでね!」
「ふゆ、やる気か?」
ドレイクがタバコを咥えたまま、静かに声をかける。
ふゆは前を見据えたまま、力強く頷いた。
「うん。……システムを駆使した情報戦なら、わたしの土俵だもん! お姉ちゃんたちをこれ以上、苦しめさせない!」
ふゆは自身の意識を極限まで集中させ、ポケットにあるスマホ内の黄龍と同調した。
彼女の脳細胞と古代の知性体が仙気を通じた一本の回線で繋がり、天才的な演算能力と魔力視が覚醒する。
ふゆは魔導眼球が展開している軍事ネットワークの複雑怪奇な魔力波形を正確に捉えると、その深淵たるインナースペースへと、自身の意識のすべてを投げ出すように直接侵入を仕掛けた。
キィィィィィン――ッ!
視界が反転し、現実の光景が消え去る。
ふゆの意識が飛び込んだ先は、無数の血走った赤い眼球が虚空に蠢き、数千年前の大戦で死んでいった兵士たちの怨念が、耳障りな電子ノイズとなって絶叫し続ける、おぞましいデータ空間であった。
侵入者であるふゆの意識を検知したアストライアのシステムが、即座に排除プログラムを起動する。
空間を埋め尽くす眼球が一斉にふゆを睨みつけ、彼女の精神を直接焼き切り、狂気へと突き落とそうと、致死量に達する情報量の奔流を呪詛としてぶつけてきたのだ。
「くっ……あ、あぁ……っ!!」
あまりの悍ましさと精神汚染の重圧に、一瞬で自我が弾け飛びそうになる。
だが、ふゆは奥歯をガチガチと震わせながら耐え、己の展開する独自の演算ロジックで、その赤い眼球の群れを包み込むように逆ハッキングを仕掛けた。
アストライアの古代システムが提示する強固な防壁の数々を、ふゆの魔力視が『欠陥』として三次元的に見抜き、その隙間に黄龍の圧倒的なハッキングプログラムを強引に流し込んでいく。
徐々に、敵のシステムがふゆの清浄な青白い魔力によって上書きされていく。
そのハッキングの進捗に伴い、ふゆの意識はネットワーク全体を掌握するように、果てしなく拡大していった。
「――『捕まえた』」
空間のすべてを見通し、敵の視覚、聴覚、戦術予測、そのすべてが自らの掌の上にあるかのような、恐ろしいほどの全能感。
自と他の境界線が曖昧になり、このまま世界のシステムそのものと繋がり、同化してしまえば、どんなに楽だろうかという甘美な誘惑が、ふゆの幼い精神を優しく包み込もうとする。
「逃がさないよ。『お前が見ている全てのものから、わたしはお前達の全てを見ているのだから』……あはは、全部、視えるよ……」
ふゆの口から、彼女自身の意志ではない、無機質なシステムとしての言霊が漏れ出しかけた、その時だった。
『――ふゆ殿』
無限の情報の海に溺れ、自己を失いかけていたふゆの意識の核を、温かく、そして絶対に揺らぐことのない確固たる力で引き戻す声が響いた。
黄龍だった。
『素晴らしい才ですが、その深淵に自ら溺れてはなりませんよ。急ぎすぎず、一歩ずつ伸びていきましょう。あなたはシステムの一部ではない。前山田ふゆという、魂を持った一人の人間です。……さあ、現世へお戻りなさい』
黄龍の優しくも力強い念話が、無限の虚空に漂っていたふゆの意識の『錨』となった。
ハッとして、ふゆは急激に自身の明確な自我を取り戻す。
「……うん、わたしは、みんなのオペレーターだもん! ……アクセス権の書き換え、完了! 魔導眼球のシステムを強制終了するッ!」
ふゆは叫ぶと同時に、敵の防衛システムの中枢へ、致命的な矛盾を孕んだデータを一気に流し込み、ワーウルフ達と魔導眼球の接続を強制的に切断した。
「はぁっ……! はぁっ……!」
現実世界へと意識が戻ったふゆが、膝に手をついて激しく息をつく。
その直後だった。
完全に情報処理をジャックされ、許容量を超える矛盾データを脳内に直接流し込まれた上空の魔導眼球が、内部からの高圧に耐えかねて、その巨大な身体をグロテスクに異常膨張させ始めた。
「ボシュゥゥゥゥッ!!」
おぞましい破裂音と共に、空中を飛び回っていた巨大な魔導眼球が、自壊して濁った粘液の粒子となって霧散していく。
戦場を俯瞰し、統制していたシステムである『目』を完全に失った瞬間。
それまで完璧な連携を誇っていた前衛の機甲化ワーウルフ部隊の陣形に、致命的なまでの動揺と綻びが生じた。
彼らは一瞬にして視界を奪われたかのように、その場に立ちすくむ。
「今よ結羽! 一気に叩き潰すわよ!」
「はいッ!」
彩斗美が即座に斥力結界を解除し、前に躍り出る。
右手で振るう蛇腹剣を全方位へと鋭く展開し、ワーウルフたちが構えていた円盾の隙間へと滑り込ませて、それらを強引に外側へと弾き飛ばした。
完全に死角と無防備な肉体を晒したワーウルフ部隊の中央へ。
結羽が、一条の流星となって飛び込んだ。
彼女の手にある如意棍棒が、丹田から引き上げられた極大の仙気によって眩いばかりの光を放つ。
情報リンクを失い、ただの個のバケモノへと成り下がった生体兵器たちの関節と頭蓋めがけて、結羽の如意棍棒が容赦のない蹂躙の嵐となって叩き込まれた。
バキィィッ! ズガァァァンッ!
骨が砕け、装甲が弾ける鈍い音が通路に響き渡り、生体兵器たちは反撃の機会すら与えられないまま、次々と光の粒子へと還っていく。
自らのシステムによって自壊していく上空の魔導兵器と、圧倒的な理を以て前線を解体していく姉妹の連携劇。
それは、情報戦を完全に裏から支配した、ふゆと黄龍の『裏バディ』による、鮮やかな大逆転の証明であった。




