第76話 無手の演武と、深淵のファーミング
野田ダンジョンの最下層――そのさらに奥底に口を開けた、人類未踏の領域『深淵層』。
先ほどの武装ワーウルフとの激戦と、命への敬意を込めた厳粛な解体作業を終えたよろず屋パーティーは、魔素重量の歪みがのしかかる螺旋の足場をさらに一つ下へと降りていった。
内臓が下へと引っ張られるような異常な重圧の中、最後尾を歩いていたふゆがUIゴーグルと魔力視で周囲の空間をスキャンし、小さく息を吐き出して立ち止まった。
「お姉ちゃん、おやっさん。ここの空間、アストライアの防衛システムの巡回ルートから完全に外れてるみたい。魔力波形もすごく安定してるよ」
『ふゆ殿の仰る通りです。ここならば、生体兵器に奇襲される危険性は極めて低いでしょう。いわゆる安全地帯として機能するかと』
ふゆと黄龍の言葉に促され、ドレイクが視線を向けた先には、青白い魔力回路が這う無機質な防衛ラインの通路からわずかに外れた、広大な窪地のような空間があった。
ドレイクは首に巻いたタオルで汗を拭いながら、どっかりとその窪地の金属床に腰を下ろした。
「よし。なら、まずは一旦ここでベースキャンプを張るぞ」
その言葉に、極度の緊張状態から解放された結羽と彩斗美も、深く息を吐き出してその場に座り込んだ。
ドレイクは空間収納袋から、折りたたみ式のテーブルと椅子、第三世代魔導コンロを取り出し、手際よく設置していく。
さらにその上に、分厚く重厚な鉄板をどっかりと乗せた。
「さて、やり合った後はすぐに飯だ。戦って血肉を削り、仙気を回して回復しながら、魔力をたっぷり含んだ飯を喰らう、そうしてより大きなエネルギーを身体の隅々まで送り込む。ここはアストライアのゴミ捨て場へ向かう順路だが、地球のダンジョンでもある。ダンジョンという特殊環境下でこの循環を繰り返すことで、お前さんの細胞はさらに強く磨かれていく。それはどこに行こうが変わらねぇ、よろず屋の『理』だ」
ドレイクの言葉は、ただの食事の号令ではない。
過酷な深淵を生き抜くための、絶対的な真理だった。
「肉も生薬も他の食材も、マジックバッグに大量にストックしてあるからな。牛肉も猪肉も亀肉も蛇肉各種も、なんでもござれだ。今日は極上のミックス焼肉にするぞ」
ドレイクが巨大なタッパーの蓋を開けると、そこにはよろず屋パーティーがこれまで文字通り命懸けで集めてきた、極上のストック肉が色とりどりに輝いていた。
美しいサシの入った極上の牛肉。
上層で仕留めたビッグボアの肉厚な猪肉。
さいたまダンジョンで狩ったジャイアントマッドスナッパーの弾力ある亀肉。
そして赤城山ダンジョンで手に入れた、ヒュドラの巨大な心臓の極厚ステーキ肉だ。
ジュジュウゥゥゥッ……!!
ドレイクが熱した鉄板に牛脂を引き、次々と肉を乗せていくと、鼓膜を心地よく刺激する爆ぜるような音と共に、暴力的なまでに食欲をそそる香ばしい匂いが一気に立ち昇った。
「ほれ結羽、ネギ焼けたぞ。肉ばっかりじゃなく野菜もちゃんと食え。黒田に買い出し頼んだんだが、野菜も一級品だなこりゃ。肉の脂をたっぷり吸った椎茸の極厚っぷりがたまんねえ。ふゆ、キャベツ食べるか?」
「食べるー! お肉と一緒にバリバリ食べる!」
そんな賑やかな調理の傍らで、結羽は愛用の『如意棍棒』の手入れをしていた。
鈍い銀光を放つその棍は、川崎ダンジョンで採掘した魔法金属の合金で打たれた、彼女の最強の相棒だ。
布で丁寧に汚れを拭き取りながら、結羽はふと顔を上げ、鉄板の前で肉をひっくり返しているドレイクを見つめた。
「おやっさん。さっきみたいな武器を持った人型の相手と戦う時、もしわたしが武器を落とされちゃったり、手放して無手になっちゃった場合の立ち回りもやっておきたいです!」
さいたまダンジョンでのアームドベア戦で、自ら武器を捨ててグラップリングに持ち込んだ経験が活きているのだろう。
絶対的な武器を手に入れてなお、現状に甘んじることなく最悪の事態を想定する。
サバイバリストとしての、素晴らしいハングリー精神だった。
「ほう?」
ドレイクは鉄板の火加減を調整する手を止めず、ニヤリと獰猛な牙を剥いて笑った。
ちょうどその時だった。
防衛ラインの通路の奥から、無機質な足音と共に新たな魔獣がリポップして現れた。
今度は、長剣と円盾を持った重装ワーウルフが三体。
いずれも、濁った銀色の未知の合金装甲に身を包んだ、アストライアの生体兵器だ。
「いいタイミングだ。結羽、よく見とけ。相手が武器を持っていようが関係ねえ。武器ってのは、ただ相手のリーチが伸びただけのことだ。踏み込んで空間と距離を潰して、選択肢を奪っちまえ」
ドレイクはトングを皿に置くと、タバコを咥えたまま、のっそりとセーフエリアの境界へと歩み出た。
侵入者を検知したワーウルフたちが、一斉に陣形を組んで斬りかかってくる。
だが、ドレイクは一切の力みを見せなかった。
上段から振り下ろされる長剣の剣閃に対し、彼はただ半歩だけ斜め前に踏み込んだ。
剣の軌道の外側――最も威力の乗る円周のさらに内側へと潜り込み、柳のように柔らかい手つきでワーウルフの手首に触れる。
「シィッ!」
盾で押し込もうとしてくる別のワーウルフの踏み込みに対しても、ドレイクは自らの足裏を軽く踏み落とし、相手の重心のベクトルをわずかにズラす。
途端に、ワーウルフたちの攻撃軌道が完全に潰れ、お互いの武器と盾が邪魔になって身動きが取れなくなった。
次の瞬間、巨漢の火龍は踊るような軽やかなステップで敵の懐の中心でコマのように回転し、三匹まとめて流麗な関節技と投げの連撃を叩き込んだ。
バキィィッ! ゴガンッ!
力任せではない。
相手の筋肉の収縮と骨格の『理』を突き、自重と遠心力を利用した完璧な制圧。
三体のワーウルフたちは一瞬にして四肢を折られ、光の粒子となって深淵の底へと消滅した。
「――とまぁ、こんな感じだ。わかったか、結羽」
「……はいッ! 空間と距離を潰して、選択肢を奪う……おやっさんの動き、完璧に視えました!」
結羽の目に、インファイトにおける対武器戦の『空間支配の理』が完全に焼き付いた。
「よし、じゃあ早速実戦だ。ここからは歩いてくるサンドバッグでビシバシ修行していくぞ」
ドレイクは再び鉄板の前に戻り、肉を焼きながら豪快に笑う。
ふゆがUIゴーグルを展開し、「お姉ちゃん、次来るよ! 右から――」とナビゲートの声を上げようとした。
だが、ドレイクがそれを鋭い声で制止した。
「ふゆ。お前さんのナビゲートは、今はなしだ」
「えっ……」
「これはお前の姉ちゃんが、自らの眼と肌と、身体の髄に覚えこまなきゃならない修行だからな。お前さんの優秀過ぎる先読みは、今ばっかりは手出し無用だ。わかるな?」
突き放すようなスパルタな言葉。
ふゆは一瞬ショックを受けたように目を瞬かせたが、すぐに顔を上げて力強く食い下がった。
「応援はしていいよね? 戻ってきた時にお薬をあげるのは、いいよね?」
「カッカッカ! ああ、もちろんだ。極上の飯と特効薬を用意して、特等席で待っててやれ」
そこから、よろず屋パーティー特有の狂気の『反復狩り』が始まった。
セーフエリアのすぐ外で、リポップしてくる様々な武器持ち生体兵器を片っ端から単騎で迎撃していくのだ。
「お、今度は棍棒もちのオークか。汚染されてて食肉にゃならんが、動きの練習にはなる。結羽、片付けられるな?」
「はいッ!」
結羽は武器を持たず、泥の歩法と理を駆使してオークの懐に飛び込み、重心を崩して膝を打ち砕き、仕留める。
彩斗美が傍らで、コマンダーとしての鋭い視点でアドバイスを飛ばす。
「結羽、相手の肩の筋肉の収縮を見て動きを予測しなさい! 踏み込むときは、もっと円の軌道を意識して!」
「はいっ、彩斗美先輩!」
「槍持ちのワーウルフか。結羽、一旦見ておけ。見取り稽古も大事な修行だからな」
時にドレイクがタバコを咥えたまま実演し、時に彩斗美が座学としての戦術を叩き込む。
歩いてくるサンドバッグを相手に、結羽はスポンジのように貪欲に『対武器戦闘の理』を吸収していった。
だが、いくら成長したとはいえ、相手は文明の武術をインストールされた古代の生体兵器だ。
何度目かのリポップを倒した時、結羽は激しく息を荒げ、細かな切り傷や打撲を全身に負ってよろよろと戻ってきた。
「お姉ちゃん!」
ふゆが駆け寄り、結羽をセーフエリアの中へと引き込む。
そして、黄龍のサポートを受けながら調合した特製の仙薬スープを素早く飲ませた。
「お姉ちゃん、背中貸して」
ふゆが結羽の背中に、小さな両手をそっと当てる。
ふゆの瞳の奥で『魔力視』の光が瞬いた。
彼女の眼は、結羽の体内の複雑な経絡と、負荷によって滞っている『仙気の理』を正確に捉え、読み解いていく。
そして、自身の清浄な仙気を、結羽の仙気と同調させ、循環させるように流し込んだ。
――『巡気』による回復の仙術。
誰に教えられたわけでもない回復術を、ふゆは急速に会得しつつあった。
姉妹の波長が完全に一致し、結羽の経絡に滞っていた疲労物質と痛みが、爆発的な超回復と共に嘘のように消え去っていく。
『……絆というものは、どの時代どの世界でも驚くべき奇跡を見せてくれるものですな、師父』
黄龍が、ふゆの才能の開花と姉妹の絆に感嘆の念話を漏らす。
「ふぅ……すっごくポカポカして気持ちいいよ。温泉につかっているみたい……。ありがとう、ふゆ」
「えへへ、どういたしまして!」
ふゆは結羽の背中に手を当てたまま、ふと顔を上げ、きょろきょろと視線を行き来させ始めた。
手を当てている姉の結羽と、鉄板の前で肉を焼いているドレイク。
その二人の姿を、不思議そうな瞳で何度も見比べている。
「? どうしたのふゆ?」
結羽が振り返って小首を傾げると、ふゆは少し戸惑ったように眉を寄せた。
「なんか……お姉ちゃんのカタチが……変わってきているっていうか……」
「ええっ!? わたし、なんかおかしくなってる!?」
結羽が慌てて自分の両手を見つめる。
「ちがうちがう! そうじゃなくって、なんていえばいいんだろう。お姉ちゃんの仙気というか、魂……の、カタチ、かな。上手く言えないんだけど、それがおやっさんにすごくよく似てきているの」
ふゆの『魔力視』には、生命の持つ魔力や仙気が、それぞれ固有の色や形を持ったオーラとして視覚化されている。
「二人とも炎の形なんだけど、おやっさんがこう、ぐおおおー、ごおおおお!! っていう感じだとすると、お姉ちゃんは今まで、ぱちぱちぼぉおーって感じだったの。だけど今はなんだか『ちっちゃいおやっさん』みたいになってる……」
「ちっ、ちっちゃいおやっさん……!?」
結羽は自分の魂が『ちっちゃいおっさん』の形になっていると想像し、なんとも言えない複雑な表情を浮かべた。
「わかるようなわからないような……でも、弟子としては師匠に似てきているのは喜ぶべきことなのかな?」
「うん! それは絶対そうだよ!」
ふゆは力強く頷き、さらに視線を横で優雅に微笑んでいる彩斗美へと向けた。
「それにここにきてからだけど、彩斗美さんも変わってきているの」
「私、かしら?」
彩斗美が目を瞬かせる。
「うん。剣の形の光だったのが、剣自体がすっごく大きくなって、そのまわりに炎がぼうぼう渦巻いてまとわりついてるの。すっごく強そうでかっこいい!」
ふゆの無邪気な言葉に、彩斗美は一瞬だけ驚いたように目を見開き、やがて優しく、誇り高く微笑んだ。
「私もなの……? でも、強そうっていうのは悪くないわね。ふふっ」
それは、彼女が「トップギルドの孤独な頂点」としての冷たい剣であることをやめ、よろず屋パーティーという温かくも規格外の居場所を得て、仲間と共に戦う「炎を纏う大剣」へと進化した証左だった。
ドレイクの途方もない『理』と『熱』が、確実に弟子と仲間の魂を鍛え上げ、変容させているのだ。
「カッカッカ! そいつは重畳だ」
ドレイクが、豪快に笑いながら鉄板の上の肉を皿に取り分けた。
「魂のカタチが変わるってのは、てめぇの中に『理』が細胞の奥底まで染み込んで、盤石になったって証拠だ。立派なよろず屋の面構えになったじゃねえか。……さあ、飯だ。腹がはち切れるまで食え!」
四人は鉄板を囲み、焼きたてのヒュドラのハツステーキや、九頭竜の首肉のスライス、さいたまの骨付き亀肉、極厚の椎茸や深谷ネギをハフハフと頬張った。
強烈な旨味と、仙気で浄化された圧倒的な生命力が、細胞を芯から歓喜させる。
「さて、結羽。ふゆが回復させてくれるとあっちゃあ、もう遠慮はいらねえな。死なねえ程度に、何度でもボロボロになってこい!」
「はいッ! ふゆ、ありがとう! 行ってきます!!」
絶対的な「帰る場所」を得た結羽は、弾かれたように立ち上がり、再び満面の笑顔で次なる試練へと飛び出していった。
様々な武器持ちとの単体戦によるファーミングを延々と繰り返し、対人戦闘の経験値を極限までカンストさせた結羽。
もはや彼女の足取りは、魔素重量の歪みなど全く感じさせないほど、自然で滑らかなものへと仕上がっていた。
「おやっさん、彩斗美先輩! もう単体なら、どんな武器持ちが来ても遅れは取りません!」
「おう。なら、いよいよ本格的に降りるぞ」
螺旋の足場をさらに下へ。
深淵の底へと近づくにつれ、アストライアの狂った防衛システムは、いよいよその真の牙を剥き始めた。
『お姉ちゃん、気をつけて! 前方、リポップの波形が違う! 今度は……単体じゃないよ! 『ツーマンセル』の波形が複数来る!』
インカムから飛んできたふゆの警告。
単体戦から、連携を前提とした複数戦へ。
廃棄サイロの底へ向けて、理不尽な戦闘のインフレが、いま静かに幕を開けようとしていた。




