第72話 星の巡りと、闘魂の血脈
「……まあ、そんなこんなでな」
ドレイクは手元の缶ビールに残っていた最後の一口を飲み干し、トン、と作業用テーブルに空き缶を置いた。
静かな工房の中に、彼の低く嗄れた声の余韻が溶けていく。
「ヴィータヴェンの初代国王となった、あのバカみたいに明るくてお人好しなダチが、寿命を迎えて死の床についた時。俺はそいつの枕元で、極上のウイスキーを傾けながら見送った。……『国なんざ気にせず、好きに生きてくれ』って笑うそいつに、俺は最後にこう声をかけたんだ。『――星の巡りの果てで、いつかまた一杯やろうや』ってな」
ドレイクの黄金の瞳が、ふと遠い過去の情景を映すように細められた。
「それから何代もの王を見送りながら、俺はヴィータヴェンの片隅で、ただの『よろず屋のおっさん』として、ガラクタの修理と美味い酒を楽しむだけの隠居生活を送っていた。もちろん、世界のどこかでバカな人間どもが『大断裂前後の遺物』を掘り起こして戦争を始めようとするのを察知しちゃあ、こっそり没収して俺の"巣"に封印するっていう、門番としての裏稼業は続けていたがな。……そうやってのんびり余生を過ごしていたところを、この世界の、野田ダンジョンの底で、突然お前さんに呼び出されたってわけだ」
マグマの産湯から始まり、月酔仙との酒造りと宇宙へのロマン、狂気の大分断、ヴィータヴェンでの隠遁生活、そして現在に至るまでの召喚の経緯。
数千年にも及ぶ、一人の男――いや、一匹の火龍の、あまりにも壮大で、そして人間臭い歴史。
それを聞き終えた結羽とふゆは、しばらくの間、言葉を発することも忘れてただ呆然としていた。
「……おやっさん、本当に、すっごく、すっごく長い時間を生きてきたんだね」
やがて、ふゆがポツリと呟き、ドレイクの大きなジャージの袖を小さな手でギュッと握りしめた。
その温かい感触に、ドレイクは短く鼻を鳴らす。
「へっ。長けりゃいいってもんじゃねえさ。長く生きた分だけ、見送りたくねえもんを見送らなきゃならねえ。月酔仙も、弟子達も、ヴィータヴェンのダチもな。……だがまぁ、こうしてお前さんたちみたいな騒がしいちびっ子と出会えたんだから、長生きも悪くねえなって、最近は思ってるよ」
ドレイクは、大きな手でふゆの頭をガシガシと乱暴に、けれどどこまでも優しく撫で回した。
「……おやっさん」
結羽は、自らの膝の上でギュッと両手を握りしめ、真っ直ぐにドレイクの黄金の瞳を見つめた。
「おやっさんが、あっちの世界でどれだけ悲しい思いをしたのか、わたしには全部はわかりません。親友を喪って、世界が引き裂かれるのを一人で見届けるなんて、想像もつかないくらい重くて、辛いことだと思います。でも……」
結羽の瞳に、強い光が宿る。
「今度は、わたしとふゆがいます。彩斗美先輩も、黒田さんもいます。おやっさんは、もう一人で世界の重さを背負わなくてもいいんです。……わたしたち、『よろず屋パーティー』なんですから!」
結羽の力強く、澄み切った言葉。
それは、かつて大分断の嵐の中で、何も守れずに絶望していたドレイクの心の奥底に、温かい光となって差し込んだ。
「……カッカッカ! 違いねえ。俺の背中を任せられる、とびきり頑丈で生意気な弟子っこたちがいるんだったな」
ドレイクは豪快に笑い、結羽の頭もポンと叩いた。
「よし、過去の感傷はここまでだ。ここからは、これからの話をするぞ」
ドレイクは表情を引き締め、身を乗り出した。
「赤城山ダンジョンの最下層、あのヒュドラがいた工房の先は、俺の権限でシステムにロックをかけておいた。だが、あそこをこじ開けて進むのは今は得策じゃねえ。……俺がこの世界からアストライアへ帰還するためのヒント、そして、お前さんたちの両親を探すためのルートとして、もっと身近で、もっと確実な場所がある」
「身近な場所……まさか」
結羽がハッとして息を呑むと、ドレイクは深く頷いた。
「そうだ。俺たちが最初に顔を合わせた場所。野田ダンジョンだ」
「野田ダンジョン……でも、あそこは自然発生型の迷宮じゃ……?」
「俺も最初はそう思ってた。だが、川崎の遺跡型や、赤城山の機甲化されたヒュドラを見て確信した。あの野田ダンジョンもまた、表面上は自然の洞窟を装っているだけで、根幹は『遺跡・機械化型』の可能性がある」
ドレイクは、テーブルの上に指でダンジョンの構造を描くようにして説明を続けた。
「思い出してみろ。上層、中層と下って、お前さんたちが『深層』と呼んでいた第六階層のさらに奥、ミノタウロスがいたボス部屋だ。あいつを倒した後、お前さんは罠に引っかかって別の空間に強制転移させられただろう?」
「孵化室……! 無数の繭があって、ミノタウロスがたくさん生まれてきた場所!」
「そうだ。あんな不自然な生体工場が、自然発生の迷宮にあるわけがねえ。つまり、野田ダンジョンもまた、深い層ではアストライアの遺物と直結している可能性があるってことだ」
ドレイクの瞳が鋭く光る。
「上層、中層、深層……そしてあの孵化室の向こう側。そこから先は、ギルドも協会も把握していない真の『下層』、そして『深淵層』へと続いているはずだ。さらにその奥にこそ、二つの世界が繋がる『砂時計のくびれ』――超深淵層が口を開けている。俺はそう睨んでいる」
「お父さんたちは……野田ダンジョンのスタンピードに巻き込まれて、その『くびれ』の奥へ吸い込まれた……?」
結羽とふゆの両手が、ギュッと強く握りしめられる。
長年行方不明だった両親の足跡が、ついに具体的な道筋として目の前に提示されたのだ。
「ああ、その可能性は高い。黄龍が協会のデータを調査した上での仮説だが、ダンジョンの『溢れ出し』は、ただの魔獣の流出じゃねえ。『中』と『外』の座標やらが狂って起こる現象だ。だからお前さん方の両親が地上の『溢れ出し』に巻き込まれて、『ダンジョンに吸い込まれた』んなら、野田ダンジョンの上っ面をどれだけ探しても見つかるわけがねえんだ」
「ふゆが霊穴塞ぎで倒れた原因はミノタウロスだった……ということは少なくとも深層の魔獣が地上に出てきていたってことですもんね……!」
「そうだ。だから俺たちの次の大仕事は、野田ダンジョンの『孵化室の向こう側』を徹底的に探索し、超深淵層の底をぶち抜くことだ。……覚悟はいいか?」
「はいッ! もちろんです! やってやります!!」
「わたしも! 完璧なマッピングと魔力視で、どんな隠し通路も見つけ出してみせるからね!」
結羽とふゆが、迷いのない声で即答する。
その頼もしい姿に、ドレイクは満足げに頷いた。
「よし、気合は十分だな。……だが、今すぐ特攻をかけるわけじゃねえ。休養も必要な修行のうちだ。赤城山の激戦で、お前さんたちも疲労が溜まってるはずだからな」
ドレイクは、新しく取り出したタバコに火をつけ、紫煙を吐き出した。
「それに、彩斗美嬢ちゃんの体調もしっかり確認してからだな! 呪いの大元が抜けたとはいえ、あの嬢ちゃんも全開の戦闘をした直後だ。しばらくは慣らしも必要になるし、そもそも事後処理の政治劇にも専念してもらわなきゃならん」
「そうですね! まずはしっかり休んで、彩斗美先輩とも打ち合わせをしてからですね!」
結羽が明るく同意すると、ふゆも大きく欠伸をして伸びをした。
「ふわぁ……なんだか、安心したらいきなり眠くなってきちゃった」
「それじゃあ、今日はもう解散だ。とっとと寝ろ」
ドレイクが手をヒラヒラと振って二人を追い払おうとした、その時だった。
「……そういえば」
結羽が、ふと立ち止まり、少しだけもじもじとしながら振り返った。
「おやっさん。召喚されたばかりの時に、『元・日本人だ』って言ってましたよね? あっちの世界での名前が『ヨシュア・A・ドレイク』で、前世の名前が『ヨシアキ』だっていうのはわかりましたけど……日本で生きていた頃のフルネームって、まだ覚えているんですか?」
「あん? 当たり前だろ。数千年生きた程度じゃ、自分の名前は忘れねえよ」
ドレイクは不思議そうに眉をひそめながらも、記憶の引き出しをあっさりと開けた。
「俺の名前は、『義昭』だ。富士川義昭。……俺がいた日本と、ダンジョンなんてもんが生えている今のこの日本とが、時間や歴史でどう繋がっているのか、そもそも地続きかどうかもわからねえがな。俺は1949年、昭和でいやあ24年の生まれだ」
「……フジカワ? ですか?」
結羽の目が、パチリと大きく瞬きをした。
隣にいたふゆの眠気も吹き飛んだように、目を丸くしている。
「富士山のフジに、江戸川の川ですか?」
「ああ、そうだ。だが、フジカワじゃなくて、フジガワな。濁るんだ」
ドレイクが面倒くさそうに訂正すると、結羽とふゆは、弾かれたように顔を見合わせた。
「……えっと。おやっさん、あの……」
結羽が、信じられないものを見るような目で、ドレイクの顔をマジマジと見つめる。
「確か、お母さんのお母さん……わたしたちの、母方のおばあちゃんの旧姓が、同じ字を書いて『フジカワ』なんですが……」
「……ほう?」
「おばあちゃんも、本当は濁って『フジガワ』って読むのが正しいんだけど、みんなフジカワって呼ぶから面倒くさくなってそのままにしていたって、昔言ってたような……」
今度は、ドレイクの黄金の瞳がわずかに見開かれた。
彼の視線が、結羽とふゆの顔を交互に射抜く。
静まり返った工房の中に、チクタクという時計の音だけが異様に大きく響いた。
「……へっ」
やがて、ドレイクがフッと息を漏らした。
「それほど多い苗字じゃあねえとは思うが……。面白い繋がりもあったもんだな」
「そ、そうですね! 偶然ってすごいですね!」
結羽が慌てて笑って誤魔化すように同意し、ふゆも「おやっさんとわたし達、親戚だったりして!」と無邪気に笑い声を上げた。
ドレイクもまた、「カッカッカ! 俺みたいな強面がお前さんたちの血筋にいるわけがねえだろ! だいたい、時代がどれだけ離れてると思ってんだ!」と豪快に笑い飛ばした。
だが。
(まさか、ね……)
結羽は、心の中でそっと呟いた。
自分が、なぜ神話級の火龍なんていう、世界を滅ぼしかねない規格外の存在を召喚できたのか。
URスキル『巨壁の導き手』という器の大きさだけではない。
もっと深く、魂の根源に近い何か――『縁』。
あの日、野田ダンジョンの第六階層で、自分を見捨てずに絶対の力で守り抜いてくれた、この不器用で温かいおっさんの姿。
彼が作る、どこか懐かしく、細胞の隅々まで染み渡る極上の飯の味。
初めて会った時から感じていた、理屈ではない絶対的な安心感。
(まさか、な……)
ドレイクもまた、手元の空の缶ビールを見つめながら、内心、驚きを隠せないでいた。
ただの偶然だ。
世界を跨ぎ、宇宙の理すら越えた途方もない時間の果てで、自分の血を引く末裔に召喚されるなどという、そんな三文芝居のような奇跡があるはずがない。
だが、結羽の決して折れないド根性と、ふゆの真っ直ぐな瞳の奥に、かつて自分が持っていた愚直なまでの『闘魂』の欠片を見てしまうのは、果たして気のせいなのだろうか。
血は争えない、とはよく言ったものだ。
「よし、今日の話はここまでだ! とっとと寝ろ! 休養中もロードワークとスパーは欠かさねえぞ!」
「はいッ! おやすみなさい、おやっさん!」
「おやすみー!」
結羽とふゆが、パタパタと足音を立てて工房を出ていく。
バタン、と重厚な防音扉が閉まり、部屋の中には再び深い静寂が降りてきた。
一人残されたドレイクは、灰皿にタバコを押し当て、静かに新しい一本に火をつけた。
紫煙がゆっくりと天井へ向かって立ち昇っていく。
「……へっ」
ドレイクは、誰もいなくなった扉を見つめたまま、自嘲気味に、けれどどこまでも優しい声で呟いた。
「『もう一人で世界の重さを背負わなくてもいい』、か。……まだまだ駆け出しの弟子っこが、いっちょ前に泣かせてくれるじゃねえか」
数千年の孤独を生き抜いてきた火龍の心に、温かい雫が落ちたような感覚。
すると、卓上に置かれていた黄龍の宝珠が、淡い金色の光をチカチカと明滅させ、静かな念話を飛ばしてきた。
『かつてのヴィータヴェンの血脈達も、同じようなことを言ってくれましたね。師父。……少しばかり、懐かしくなりました』
黄龍の言葉に、ドレイクはふっと目を細めた。
そうだ。
あの時もそうだった。
『星の巡りの果てで、いつかまた一杯やろうや』と見送った、あのヴィータヴェンの初代国王。
そして、その意志を継いだ歴代の王たちもまた、隠遁生活を送るドレイクを友として遇し、「世界を守る重荷を、どうか我らにも分け与えてほしい」と、愚直に手を差し伸べてくれたのだ。
人間という生き物は、恐ろしい兵器を作り、世界を分断するほどの業の深さを持つ。
だが同時に、絶望的なほどの重圧を前にしても、決して一人を見捨てず、共に背負おうとする馬鹿げたほどの強さを持っている。
「……ああ」
ドレイクは、紫煙を深く吸い込み、ゆっくりと吐き出した。
「火龍に生まれ変わって数千年……。突然喚ばれた先の、見知らぬ日本のダンジョンの底で、同じ言葉を聞くとはな」
『それが縁というものなのでしょう。あるいは、師父が蒔いた種が、星の巡りを経て、再び師父の元へと還ってきたのかもしれません』
「へっ。ロマンチストなジジイの真似事かよ、黄龍」
ドレイクは悪態をつきながらも、その口元には隠しきれない柔らかな笑みが浮かんでいた。
星の巡り。
魂の因果。
砂時計のくびれが引き寄せた、奇跡のような再会。
答えはまだ、誰にもわからない。
だが、この狭い工房の中で、言葉には出さずとも、彼らの間には「ただの師弟」や「ただのパーティー」を超えた、深く、温かい血の通った絆が確かに結ばれていた。
「……やれやれ。世界を修理する前に、まずは腹ごしらえと、俺の家系図の修理が必要になるかもしれねえな」
ドレイクが冗談めかして呟くと、黄龍が肯定するように優しく、淡い光を放った。
第一世代のトップ探索者の復活と、神話級魔獣ヒュドラの討伐。
そして、過去から現在へと繋がる、奇跡のような血脈の交差。
すべての準備を終え、真の絆で結ばれた『よろず屋パーティー』は、いよいよ世界の真実が眠る、砂時計のくびれ――ダンジョンの超深淵層へと、その一歩を踏み出そうとしていた。
(第4章:完)




