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第73話 コマンダーの即断と、深淵の真実

 群馬県・赤城山ダンジョンにおける、神話級魔獣『九頭猛毒龍(ヒュドラ)』との苛烈な死闘。


 かつてSSランクパーティーによるアタック失敗から『監視・封印級』となっていた赤城山ダンジョンが、たった一つの規格外パーティーによって人知れず踏破されてから、数日の時間が経過していた。


 千葉県野田市の一等地に広大な敷地を構える、佐修院家の本邸。


 美しく手入れされた日本庭園には初夏の陽光が降り注ぎ、鹿威しの澄んだ音が時折、静寂の中に響き渡っている。


 その庭園を一望できる瀟洒な応接室の、ふかふかとした最高級の革張りソファに深く腰を下ろし、結羽とふゆの姉妹は、佐修院家お抱えの専属料理人が腕を振るった特級の紅茶と焼き菓子を堪能していた。


「んん〜っ! お姉ちゃん、このマカロンすっごく美味しい! 外はサクサクなのに、中はふわふわで、噛むとイチゴとピスタチオの香りがお口の中で大爆発するよ!」


 ふゆが、宝石のように美しいピンク色のマカロンを両手で大切そうに持ち、頬をリスのように膨らませて満面の笑みを浮かべる。


「ふゆ、あんまりお行儀悪くしちゃダメだよ。……でも、本当に美味しいね。こんな高級なお菓子、テレビのグルメ番組でしか見たことなかったよ……」


 結羽もまた、繊細な意匠が施されたマイセンのティーカップを落とさないようにおっかなびっくり両手で持ちながら、ほうっと至福の溜め息をついた。


 数ヶ月前まで、その日暮らしの探索者として割引の弁当で食いつないでいた結羽と、三年間病院のベッドで昏睡していたふゆにとって、ここはまさに別世界のような空間だった。


 そして、その姉妹の向かいの席には、すっかり健康的な顔色を取り戻した佐修院彩斗美と、その背後に影のように一切の気配を消して控える、完璧な執事・黒田の姿があった。


 過剰適応の呪いと、心臓に食い込んでいたヒュドラの猛毒を完全に克服した彩斗美の纏う空気は、以前の病的で危ういそれとは全く異なっている。


 呪いを受け、虎柄のようになっていた髪は、艷やかな漆黒を完全に取り戻したが、「これは戒めの記憶よ」と、サイドに流れる一房を豪華な金色に染めていた。


 かつて『日本の頂点』に立ったSSランク探索者としての気高き威厳と、研ぎ澄まされた名刀のような覇気。


 それでいて、孤高のコマンダーだった頃には決して見せなかった、穏やかで人間らしい温もりを帯びた微笑みが、彼女の美しさをより一層際立たせていた。


「遠慮しないで、好きなだけ食べてちょうだいね。ふゆちゃんは育ち盛りなんだし、結羽さんはあれだけの死闘を乗り越えた身体なのだから、栄養と糖分をしっかり補給しなきゃダメよ」


 彩斗美が優雅な手付きでティーカップを傾け、姉妹に優しく語りかける。


「ありがとうございます、彩斗美先輩! でも、こんなに良くしてもらって、なんだか申し訳なくて……」


「何を言っているの。私にとって、あなたたちは命の恩人であり、背中を預けられる最高の仲間よ。これくらい、『よろず屋ドレイク』のコマンダー兼スポンサーとして当然の歓待だわ」


 ふふっ、と彩斗美が微笑んだその時、応接室の重厚な扉が開き、長身の男がのっそりと姿を現した。


 首に使い古されたタオルを巻き、上下お揃いの安物のジャージを羽織った、どこからどう見ても『その辺にいる休日のおっさん』。


 だが、その瞳の奥には、数千年の時を生きる神話の火龍としての、絶対的な質量の光が宿っている。


 ヨシュア・A・ドレイクだった。


「――それで、赤城山の後始末はどうなったんだ? 協会やトップギルドの連中、ここ数日随分と騒がしかったようだが」


 ドレイクはどっかりと彩斗美の隣のソファに腰を下ろすと、ローテーブルの上の木箱から、佐修院家が彼への歓待として特別に用意した最高級の葉巻を一本抜き取った。


 シガーカッターで先を器用に切り落とし、マッチで火をつけると、紫煙を吸い込んで、極上の香りをゆったりと楽しむように吐き出した。


 その堂に入った振る舞いは、安物のジャージ姿と絶妙なアンバランスさを醸し出しているが、不思議とこの高級な空間に馴染んでいた。


「ええ、もう大騒ぎよ」


 彩斗美は、面白くもなさそうにフッと鼻で笑い、ティーカップをソーサーにコトリと置いた。


「なんせ、何年も放置されていた監視・封印級の赤城山深層が、たった一晩で完全に攻略された挙句、死に体だったはずの元SSランクの私が、呪いを克服して完全な健康体となって生還したのだから。……ここ数日、各国のトップギルドやダンジョン協会の上層部から、私の元へ山のようにお誘いや復帰のオファーが舞い込んできているわ。結界キューブや古代遺物をちらつかせてくる連中もいたわね」


「で? どうあしらったんだ?」


 ドレイクが、ニヤリと牙を剥いて問う。


「もちろん、全部まとめて鼻で笑って蹴り飛ばしてやったわ」


 彩斗美の漆黒の瞳に、鋭く冷徹なコマンダーとしての光が宿る。


「『私はすでに、よろず屋ドレイクという規格外のパーティーのコマンダー兼スポンサーとして専属契約を結んでいる。あんな数字や権力、政治的な駆け引きに縛られた鳥籠の中に、今さら戻る気は一切ない』とね。……黒田が各方面に強烈な牽制と情報統制をかけてくれたおかげで、今のところ表立った干渉はないわ。事後処理としては完璧よ」


「恐れ入ります、お嬢様。……当家の情報網と財力を以てすれば、よろず屋パーティーの皆様の平穏を守るための防壁を築くことなど、容易い仕事にございます」


 背後に控えていた黒田が、恭しく一礼する。


 佐修院家の莫大な資本と、黒田という万能執事による徹底した情報統制力は、結羽たちよろず屋パーティーにとって、これ以上なく頼もしい『兵站』であり『盾』であった。


「事後処理はありがてえ。お前さんたちのその手腕は、俺も全面的に信頼してる」


 ドレイクが葉巻を灰皿に置き、スッと表情を引き締めた。


 先ほどまでの緩んだ空気が一変し、室内の温度が数度上がったかのような錯覚を覚える。


 数千年の時を生きる火龍の瞳に浮かんだのは、ただの探索や冒険を語る熱ではない。


 星の歴史と世界の根幹に関わる、重く、そして冷たい色だった。


「だが、今日はもう一つ、あんたらにしっかりと共有しとかなきゃならねえ話があってな」


「共有しておきたい話……?」


 結羽が背筋を伸ばし、傍らに置いた鈍い銀光を放つ『如意棍棒』を見つめながら息を呑む。


「ああ。……黄龍、説明してやれ」


『承知いたしました、師父』


 ふゆのスマートフォンから、黄龍の風雅で知的な音声が響き、応接室のローテーブルの上に、青白い立体ホログラムが投影された。


 映し出されたのは、結羽たちが住む地球と、もう一つの巨大な惑星――かつてドレイクと黄龍がいた異世界『アストライア』が、漏斗のように一点で繋がっている、巨大な『砂時計』の図だった。


『彩斗美殿、黒田殿。我々が赤城山の最深部で遭遇した、あの機甲化されたヒュドラが守護していた施設についてです。あれはただの遺跡などではなく、大断裂という我々の世界が一度迎えた世界崩壊……その事件以前にアストライア大陸で作られた、大量破壊兵器の最終処分場への入り口でした』


「……処分場。つまり、日本のダンジョンの底に、世界を崩壊させるような異世界の兵器が、文字通りゴミのように埋まっていると?」


 彩斗美の表情が、一気に険しいものへと変わる。


『その認識でほぼ間違いないかと。ただし大断裂は、そんな兵器を使った大戦を起こした"世界"への"創造神"からの天罰でしたが……』


「天罰……そちらの世界の神様は随分……なんというか、そう、直接的なのね」


『左様です。ですが、こちらの世界の歴史や神話にも、似たような文明洗浄が行われた記述がありますので、箱庭の管理者たる神の在り方は、そう大きくは変わらないかと』


「文明洗浄……?」


『地上を洗い流すほどの大洪水の記録が、世界各地の神話に散見されますが?』


「ちょっと待って、あれはそれこそ宗教的な比喩の話ではないの?」


『それは――』


「まぁその手の話は後回しだ。とにかく、トップギルドの連中が各地の遺跡型ダンジョンや機械化ダンジョンで発掘して、やれ神の遺物だの奇跡の力だのとありがたがってる『オーパーツ』やら『アーティファクト』ってのは、大半がその手の厄ダネってわけよ」


 ドレイクが忌々しげに紫煙を吐き出し、重々しい声で告げる。


「現代社会は、核兵器のような環境を破壊する大質量兵器を『使わない』ことで、ギリギリの平和のバランスを保ってきた。だが、ダンジョンというエネルギー革命が起き、迷宮の保持数とそこから得られる未知の力がそのまま国力に通じる今の時代……黄龍の分析じゃあ、一部の馬鹿どもが、単独でも軍隊レベルの暴力を持った『神話級の兵器』を発掘し、世界支配を目論もうとしている」


 ドレイクの重い宣告に、歴戦の黒田も思わず息を呑み、彩斗美も無言で拳を握りしめた。


 使えば確実に大規模な環境汚染を引き起こし、周囲一帯を死の大地へと変える呪われた兵器群。


 それを、安全装置の扱い方も、その兵器が作られた真の恐ろしい目的も知らぬまま、現代の人間たちは下手に弄り回そうとしているのだ。


 もしそれが暴発すれば、またいたずらに使用すれば――魔素の暴走によって、地球という星のシステムそのものが破壊される。


 そしてその時、この世界の箱庭の管理者たる神もまた、アストライアの創造神と同じ選択をしないとは限らない。


 地球の各地に残る神話や「大洪水伝説」――それは、かつてアストライアで起きた大断裂という文明洗浄と同じく、人類文明の暴走と暴発を許さないシステムリセットの歴史の残骸なのだ。


「そこで俺たち『よろず屋』が先回りして、その危険なガラクタを物理的にスクラップにしに行く。星をぶっ壊される前に、大掃除をしてやらなきゃならねえ。……そしてここからが、お前らにとっての本題だ」


 ドレイクは、真っ直ぐに彩斗美と、そして結羽とふゆの姉妹を見据えた。


「そのアストライアからの不法投棄ライン、最も確実な次元の入り口が、俺と結羽が最初に顔を合わせた場所……野田ダンジョンの最下層の、さらに奥底に隠されている可能性が高い。……そしてそこには、三年前にスタンピードに巻き込まれた、結羽とふゆの両親の行方、その手がかりがあるかもしれねえんだ」


 ダンジョンの発掘兵器による国力の増加と世界支配の野望。


 アストライアからの不法投棄という世界規模の危機。


 そして、三年間ずっと探し求めていた、前山田家の失われた家族の行方。


 あまりにも巨大で、スケールが大きすぎる事実の連続。


 普通の人間であれば、どう処理していいか分からず頭を抱えてしまうだろう。


 だが、佐修院彩斗美は違った。


 彼女は、かつて日本の頂点に立ち、数多の絶望的な戦況をその頭脳で覆してきた、最高のコマンダーなのだ。


「……なら、仮説をこねくりまわしている時間はないわね。早速、現地調査と行きましょう」


 彩斗美はスッと立ち上がり、艶やかな漆黒の髪をかき上げた。


 その瞳には、かつての虚ろな色はなく、圧倒的な知性と闘志の炎が燃え上がっている。


「佐修院の管轄下にあるダンジョンに、そんな物騒な兵器や、大切な仲間のご両親へと繋がるヒントが隠されているのなら、なおさら先に動かないと」


「えっ……彩斗美先輩、もう行くんですか!?」


 結羽が、あまりの展開と決断の早さに目を丸くする。


「ええ。私の現役時代にも、野田ダンジョンの深層にそんな『孵化室』や『深淵』へと続く道があるなんて話は聞いていないし、トップ探索者同士のネットワークにも一切共有されていないわ。……誰かが意図的に隠蔽しているのか、それとも本当にシステムによって誰も気づけないように偽装されているのか。どちらにせよ、私たちの目で直接確かめる必要があるわ」


 彩斗美は振り返り、背後に控えていた執事へ鋭い視線を向けた。


「黒田。協会に、野田ダンジョンの一時的な独占アタックの手続きを。未踏破領域における環境変動の確認調査という名目だけで抑えられるはずよ。ギルドの介入は一切許さないわ」


「畏まりました、お嬢様。……即座に手配いたします」


 黒田は深く一礼すると、すぐさま手元の端末を取り出し、猛烈な速度でタイピングと通信を開始した。


 佐修院家の莫大な権力とコネクション、そして何より、結羽がさいたまダンジョンで実力を示してもぎ取った『特級ライセンス』。


 それらをフル活用すれば、ギルドの煩雑な手続きや順番待ちなどあってないようなものだ。


 わずか数分後。


「手続き、完了いたしました。現在より四十八時間、野田ダンジョンは我々『よろず屋パーティー』の独占アタック権下に置かれます。協会への通達も済んでおり、他パーティーの入場は完全にシャットアウトいたしました」


 黒田の有能すぎる、そして早すぎる報告に、ドレイクが満足げに腹を揺らして鼻を鳴らす。


「カッカッカ! さすがは元トップのコマンダーと万能執事だ。話が早くて最高だぜ! これなら、連中の目を気にせず派手に暴れられそうだ」


「当然よ。私たちは、よろず屋のスポンサーなのだから。これくらいの前立てもできなくてどうするの」


 彩斗美は優雅に微笑み、そして結羽とふゆへ向き直った。


 その瞳には、姉妹への深い愛情と、戦友としての強い信頼が込められていた。


「さあ、行くわよ結羽さん、ふゆちゃん! すべての始まりの場所の底を、私たちがぶち抜いてやるのよ! そして、必ずご両親の手がかりを掴んで帰りましょう!」


「はいっ!!」


「うんっ!!」


 結羽とふゆの元気で力強い声が、応接室に響き渡った。


 世界の真実という重い説明で立ち止まることも、絶望することもない。


 即座に刃を抜き、理を以て世界を修理するために走り出す。


 これぞまさに、ステータスという補助輪を捨てた規格外のバディと、完全復活を果たした最強のコマンダーが集った『新生よろず屋パーティー』の、痛快にして無双のスピード感だった。


 結羽は鈍い銀光を放つ如意棍棒をしっかりと背負い直し、ふゆの手を強く握る。


 目指すは、かつて絶望と死の淵を彷徨った場所。


 だが今の彼女たちにとって、そこは恐怖の象徴などではなく、希望へと続く道への扉に過ぎないのだった。

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