表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
62/85

第62話 産湯はマグマと、極上のすれ違い

 目を閉じると、今でも鮮明に思い出すことができる。


 前世の俺は、ただひたすらに闘いの技術と人体の理を追求し続けた、ひどく不器用な男だった。


 華やかな表舞台で歓声を浴びるような器ではない。


 道場で血気盛んな若手を手厳しく鍛え上げ、人体の関節の可動域を極めることに執念を燃やすような、泥臭い裏方の人生だ。


 骨の髄まで軋むような痛みを伴う鍛錬を重ね、相手の力を利用して制圧する術を磨き続けた。


 俺自身、厳しい指導をしてくれた師に恵まれ、共に汗を流した仲間に恵まれ、育っていく弟子たちに恵まれた。


 そして何より、何度でも立ち上がり、本気でぶつかり合える骨のある敵にも恵まれた。


 頑丈な身体に産んでもらえたおかげで、無茶な闘いを何十年も続けることができたし、闘いを終えた後に飲むキンキンに冷えた酒も、腹の底から楽しむことができた。


 だからこそ、己の肉体が限界を迎え、死の淵に立たされた時も、不思議と恐怖や後悔はなかった。


(まぁ、悪くない人生だった)


 薄れゆく意識の中で、病床に横たわる俺はそんなふうに達観していた。


 人間に生まれた修羅であり、畜生のような生き方だったかもしれない。


 地獄のような苦しみも、血を吐くような悲しみも、これでもかというほど味わい尽くした。


 死後の世界で地獄に落ちようが、極楽に行こうが、今さらどうでもいい。


 ただ、欲を言えば、最期に熱い湯にゆだるほど浸かって、その後に冷えた酒をぐいっと煽りたかった。


 もし次があるなら、どこかの世界でやり直しができるってんなら。


 生涯現役を貫き、不屈の闘志で『闘龍』の異名を取ったあの男のような、タフで頑丈な身体になりたいものだ。


 いや、俺にゃあんな華はねぇから、やり直したって無理か。


 そんなくだらないことを考えながら、俺の意識は深い闇へと、静かに沈んでいったはずだった。



 ◆◆◆



 ……熱いな。


 どれくらいの時間が経ったのか。


 まどろみの中で、俺は全身を包み込む異常な熱気に気がついた。


 なんだ、これは。


 いくら死ぬ間際に熱い湯に浸かりたいと願ったからって、こりゃさすがに熱すぎる。


 肌が焼けるどころか、骨の髄まで沸騰し、細胞の欠片までがドロドロに溶かされそうなほどの灼熱だ。


(あちぃって……)


 もしかして、火葬の最中に意識が戻っちまったのか。


 だとしたら最悪の冗談だ。


 だが、息はできる。


 肺に吸い込まれるのは、空気を通り越して燃え盛る炎そのもののような、重く濃密な熱気だった。


(あちぃ……!)


 苦痛というより、苛立ちが先に立った。


 生前、どれほどの関節技を極められようが、骨が軋むほどの打撃を受けようが、これほどの苛立ちを覚えたことはない。


 俺は全身の力を振り絞り、その理不尽な熱の源から抜け出そうと、もがきながら大きく口を開けた。


『――あちぃっつってんだろッッ!!』


 俺の口から飛び出したのは、人間の声帯から発せられるような音ではなかった。


 大気を激しく震わせ、岩盤を粉々に砕き、天を揺るがすような、途方もない咆哮。


 永遠なる熱を持つ星の血流、地殻の下を巡る莫大な力の奔流である『龍脈』。


 俺を包み込んでいたのはただの熱湯などではなく、その龍脈から溢れ出した純度百パーセントのマグマだったのだ。


 ゴゴゴゴゴォォォォッ!!


 山そのものを吹き飛ばすような大噴火と共に、俺の意識は完全に覚醒した。


 マグマの柱を突き破り、天を衝くほどの巨体が宙へと舞い上がる。


 分厚い赤銅色の鱗に覆われた長い首、城壁のように強固な胴体、そして大空を覆い隠すほどの巨大な翼。


 ここは、アストライア大陸の中央より東。


 後に『東原』と呼ばれることになる広大な大地に、不機嫌を極めたような産声が響き渡った。



 ◆◆◆



 その瞬間だった。


 俺の脳髄に、膨大な情報が濁流のように流れ込んできた。


 ただの知識ではない。


 星の記憶そのものが、直接魂に刻み込まれるような感覚だ。


 ここは俺の知る世界ではないこと。


 アストライア大陸という名の、多種族が生きる広大な星であること。


 星の歴史、複雑な生態系、古き神話、そして遥か高みから監視を続ける創造神の存在。


 さらに、今の自分が何者であるかという絶対的な事実が、否応なく理解させられる。


 俺は、この惑星の生命に連なる者であり、自然の理を体現する生態系の頂点の一つ。


 星の寿命に寄り添い、途方もない年月を生きる神話の『古代竜』として新生したのだ。


 あらゆる野生の獣や知性ある者から畏怖と崇敬を集める、絶対的な力を持つ存在。


 それが、俺という『火龍』の定義だった。


 押し寄せる星の記憶のダウンロードが終わり、視界が鮮明になる。


 眼下には、自らが吹き飛ばした火山の火口で、煮えたぎるマグマの海が広がっていた。


 俺は、自分が置かれた状況を完全に理解した。


 前世の死の淵で、俺は確かに願った。


 頑丈な身体が欲しいと願った。


 いつまでも闘い続けられる『龍』のような男になりたいと願った。


 だが、いくらなんでもこれは極端すぎる。


 俺が求めていたのは、あくまで不屈の精神とタフな肉体を持つ人間の闘技者としての生き様であって、文字通り空を飛び火を吹く神話の化け物になることでは決してない。


 俺は大きく息を吸い込み、天を仰いだ。


 マグマの産湯から身を乗り出し、果てしなく広がるアストライアの大空に向かって、誰にともなく絶叫する。


『そういう意味のドラゴンじゃねェって!!』


 咆哮と共に口から漏れ出た特大の炎が、上空の雲をあっという間に蒸発させた。


 こうして、前世の人間の記憶と、理不尽極まりない超質量を抱えた俺の、あまりにも長すぎる第二の人生が幕を開けたのである。



◆◆◆



 大噴火と共に火龍としてこの世界に誕生してから、どれほどの月日が流れただろうか。


 俺は東の原野にそびえる巨大な火山の山頂をねぐらにして、ただひたすらに退屈を持て余していた。


 分厚い赤銅色の鱗に覆われた長い首、城壁のように強固な胴体、そして大空を覆い隠すほどの巨大な翼。


 人間だった前世の感覚からすれば、自分の身体を動かすだけでも一苦労の巨大さだ。


 龍という生き物は、大地の奥深くを流れるエネルギーの奔流、いわゆる龍脈と繋がっている限り、腹が減ることはない。


 何もしなくても勝手に魔力を吸収し、勝手に育っていくという、とんでもなく燃費の良い、あるいは自己完結した生態をしていた。


 だが、腹が減らないからといって、口の寂しさが消えるわけではない。


 この山の主として君臨して以来、麓の森に住む獣や化け物たちが、俺の威容に恐れをなして、せっせと供物を運んでくるようになったのだ。


 うず高く積まれた木の実や、狩ってきたばかりの動物の生肉。


 前世の俺なら絶対に生肉など口にしなかっただろうが、置いていかれた供物をそのまま腐らせるのも無下にしているようで気分が悪い。


 義理堅いというか、貧乏性というか、俺は気遣いでそれらをボリボリと食べてやっていた。


(……まぁ、意外とイケるな?)


 龍の味覚というものは便利なもので、血の滴る生肉でもそれなりに美味く感じるようにはできていた。


 だが、それでも限界はある。


 食べれば食べるほど、前世の記憶にある『美味いもの』への未練が募っていくのだ。


 絶妙な塩加減で焼かれた肉。


 鼻腔をくすぐる香辛料の香り。


 そして何より、キンキンに冷えた麦酒や、熱く身体を温めてくれる極上の酒の味が恋しくてたまらない。


 俺は山頂の岩肌に寝そべりながら、前足で顔を掻き、深いため息を吐いた。


 鼻から漏れ出た熱い息が、周囲の岩を赤熱させる。


(あーあ、どこかに美味い酒が湧いてる泉でもねぇかなぁ……)



◆◆◆



 そんなくだらない妄想を抱いていた、ある日のことだった。


 山の麓から、やけに賑やかな気配が近づいてくるのを感じた。


 獣や魔物たちのそれとは違う、規則正しく整然とした、人間の大群の足音だ。


 ドンドンと腹に響く太鼓の音や、甲高く空を裂く笛の音が、風に乗って山頂まで届いてくる。


 俺はゆっくりと長い首を持ち上げ、火口の縁から下界を見下ろした。


 そこには、眼が眩むような極彩色の旗を掲げた、何千人もの大行列が連なっていた。


 こいつらは大陸東部を支配する光華王朝の人間たちで、どうやら皇帝には「龍の末裔」という建国神話があるらしい。


 そのため、この東原の地に新たな火龍が誕生したという噂を聞きつけ、自らの権力を盤石にするための巨大な政治的パフォーマンスとして、直々に大行列を率いて参詣にやってきたのだ。


 俺はただぼーっと彼らの行列を見つめていた。


 行列の中央には、ひときわ豪華な装飾が施された巨大な輿があり、そこに偉そうな服を着た男が乗っている。


 彼らは俺の姿を認めるなり、一斉にその場に平伏し、祈りの言葉を叫び始めた。


(なんか、すげぇのが来たな……)


 俺は内心で戸惑いながらも、舐められないようにと、とりあえず威厳たっぷりに鼻から太い煙を噴き出してみせた。


 皇帝の合図と共に、行列の後方から次々と豪華な供物が運び出されてくる。


 眩いばかりに輝く金銀財宝、美しい絹の織物、精緻な細工が施された宝飾品の数々。


 だが、そんなものは石ころを食わないドラゴンにとっては、文字通りのガラクタでしかない。


(なんだよ、食えねえもんばかりじゃねえか)


 俺がひどく落胆しかけたその時だった。


 ふわりと、風に乗って信じられないほど良い匂いが漂ってきた。


 鼻腔の奥を突き抜け、前世の記憶を激しく揺さぶる、甘く、そして芳醇な香り。


 宝物の山の後ろに運ばれてきたのは、大量の粗塩や香辛料の入った壺、そして何より、巨大な樽に並々と注がれた『酒』だったのだ。


(……酒だ! 酒じゃねえか!!)


 俺の心臓が、歓喜で大きく跳ね上がった。


 巨大な尻尾が、無意識のうちに嬉しさでバタンバタンと背後の岩盤を叩き砕いてしまう。


 皇帝たちは、龍が怒って尻尾を打ち付けていると勘違いしたのか、さらに深く地面に額を擦り付けて震え上がった。


 俺はハッと我に返り、慌てて威厳を取り繕う。


 こんなところでヨダレを垂らしては、神話の化け物としてのメンツが丸潰れだ。


 俺は喉の奥を鳴らし、彼らの脳髄に直接語りかける神聖なコミュニケーション手段、念話の術を使った。


『……うむ。苦しゅうない』


 地の底から響くような低く荘厳な声を意識して、俺は皇帝に向かって言葉を紡ぐ。


『これらの供物、確かに受け取った。……して、そこの壺に入っている『酒』なる水は、もう少し無いのか?』


 威厳をたっぷり漂わせながら、静かに、しかしたっぷりと欲望を込めておかわりを要求した。


 その瞬間、平伏していた皇帝の顔がパッと輝いたのが見えた。


「おおっ! 偉大なる始祖たる火龍様が、我らの捧げた酒をお気に召されたぞ!!」


 皇帝が歓喜の声を上げると、大行列全体がどよめき、喜びに沸き返った。


 彼らにしてみれば、神話の龍に供物を受け取られ、あまつさえ好みを直接伝えられたのだから、これ以上の名誉はない。


 皇帝の威信は、この一言で完全に盤石なものとなったのだろう。


 俺はただ美味い酒がもっと飲みたかっただけなのだが、見事なまでの極上のすれ違いが成立していた。


 だが、歓喜に包まれる行列の最後尾を見た時、俺の内心の浮かれ気分はスッと冷や水を浴びせられた。


 そこには、数百人規模の、粗末な服を着た人間たちの集団がいたのだ。


 老若男女が入り混じった彼らは、手足を縛られているわけではないが、その顔には死人のような絶望と、どこか狂信的な覚悟が張り付いていた。


(……おいおい、まさかとは思うが)


 嫌な予感がして、俺は念話で皇帝に問いかけた。


『後ろの者たちは何だ?』


「はっ! 偉大なる火龍様にお仕えするための、我が国より選ばれし名誉ある『生贄』にございます!」


 皇帝が誇らしげに胸を張って答える。


(やっぱりかよ!)


 俺は内心で盛大に頭を抱え、絶叫した。


 昭和の職人肌のプロレスラーだった前世の魂を持つ俺が、人間の生贄など食べるはずがない。


 だが、ここで「いらねえよ」と突き返せばどうなるか。


 皇帝のメンツは完全に潰れ、国にとって「龍に拒否された不吉な不名誉」という烙印を押されることになる。


 そして何より、行き場を失い、国の恥となったあの村人たちは、国に帰ることもできず、その場で自害を選ぶか、野垂れ死ぬ運命しか残されていないのだ。


(どうすんだよこれ。食うわけにはいかねえし、追い返すこともできねえぞ……)


 威厳たっぷりに黙り込んだまま、俺の脳内では冷や汗が滝のように流れていた。


 どうやってこの最悪の状況を丸く収めるべきか、全く打開策が思い浮かばない。


 そんな絶体絶命のピンチを救ったのは、皇帝のすぐ斜め後ろに控えていた、一人の小柄な老人の声だった。


『……お困りですかな。お若い龍よ』


 涼やかな、しかしどこか飄々とした念話が、俺の脳内に直接響いた。


 見下ろせば、長く白い顎鬚を蓄え、風流な衣をまとった老人が、周囲に気づかれないように薄く笑みを浮かべてこちらを見上げている。


 彼が何者かはわからないが、少なくともこの馬鹿げた行列の中で、唯一まともな知性を持っていることだけは確かのようだ。


『お前、誰だ?』


『私は皇帝陛下の側近として仕える、しがない仙術使いにございます。……あの者たちを受け取らねば、彼らは名誉を汚されたとして、間違いなく自害を選ぶでしょうな』


 老人は、俺の内心の焦りを完全に見透かしたように語りかけてくる。


『わかってるよ。だが、俺は人間を食う趣味はねえんだ』


『ええ、存じております。ですから、抱えておしまいなさいませ』


『抱える?』


『左様でございます。あなた様の領域に彼らを置き、庇護を与え、村を作らせ、田畑を持たせるのです。そして……』


 老人はそこで言葉を区切り、ひときわ楽しそうな念波を飛ばしてきた。


『……まぁ、火龍殿が最もお喜びになるのは、やはりあの『酒』ですかな? ならば、彼らに極上の酒を作らせればよろしい。そうすれば、どこにも角は立ちませぬ』


(……!)


 俺は目から鱗が落ちる思いだった。


『皇帝も、龍の民の村作りとなれば、自らの威光を示すために莫大な富を用いて支援するでしょう。生贄の彼らも、龍に直接仕えるという最高の栄誉を賜れます。火龍殿には尽きることのない美味い酒が入り、誰も損をしない。……いかがですかな?』


 完璧だった。


 皇帝のメンツ、生贄の命、そして俺の酒への尽きせぬ欲望。


 そのすべてを丸く収め、全員が勝者となる究極の妥協点だ。


 この老賢者、ただの付き人ではない。


 とんでもない政治手腕と大人の交渉力を持った、恐るべき食わせ者だ。


(……ナイスアシストだ、爺さん。酒を造らせるなんて、最高じゃねえか!)


 俺は内心で狂喜乱舞しつつも、決して表面には出さず、再び極上の威厳を纏って低い念話を放った。


『……よかろう』


 俺の地を這うような声に、皇帝たちが再び平伏する。


『その者たちの命、我が預かろう。彼らを我が庇護下に置き、これより『龍の民』としてこの地に住まうことを許す。……そして、我のために、極上の酒を造り続けよ』


「おおおっ……! ありがたき幸せ!!」


 皇帝が感涙に咽び泣き、生贄として死を覚悟していた村人たちも、龍に直接仕える民として救われた喜びに、互いに抱き合って涙を流している。


「直ちに! 直ちにこの地に村を開くための資材と職人を手配いたしましょう! 我が光華王朝の威信にかけて、火龍様の御心に叶う最高の郷を築き上げてご覧に入れます!」


 皇帝の気前の良い宣言に、俺は満足げに頷いてみせた。


 こうして、ただの荒れ地だった東の原野に、ただの生贄だった人間たちが開拓する特区、『紅泉郷』が誕生することになったのだ。


 行列が去った後、あの老賢者だけが、村の建設を指揮するスーパーバイザー兼、皇帝の全権大使としてこの地に残ることになった。


『いやはや、見事な立ち回りでしたな、火龍殿』


 老人が、仙術でふわりと宙に浮き上がり、俺の巨大な顔の高さまで昇ってきて笑いかける。


『お前さんの入れ知恵のおかげだよ。助かったぜ』


『お気になさらず。私も、息の詰まる宮廷の政争には少々辟易しておりましたのでな。こうして雄大な火龍殿の話し相手になれるのなら、願ってもない余生というものです』


 後に『月酔仙』と呼ばれることになるこの老仙人との出会いが、俺のこの長すぎる第二の人生において、どれほど大きな意味を持つことになるか。


 この時の俺は、まだ知る由もなかった。


 ただ、とてつもなく美味い酒が飲める日が来るという期待だけで、俺の胸は高鳴っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ツギクルバナー
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ