第60話 凱旋と完全復活、新生よろず屋パーティー
ヒュドラの兵装修復の工房跡――今や、ドレイクの権限によって防衛システムが停止し、完全に安全が確保されたそのセーフゾーンには、柔らかな満腹感と休息の空気が漂っていた。
極上のヒュドラのハツ尽くしフルコースを平らげた結羽とふゆは、壁際で寄り添うようにして満足そうに寝息を立てている。
死闘の疲労と、同位同食による莫大な生命力の取り込み。
少女たちの身体は今この眠りの中で、次の次元へと己を最適化させている最中だ。
その傍らで、佐修院彩斗美は自身の身体に起きている『奇跡』の余韻を、ただ静かに、五感のすべてを使って確かめていた。
「……夢じゃ、ないのよね」
彩斗美は、そっと自身の胸に手を当てた。
規則正しく、力強く脈打つ心臓。
そこにはもう、長年彼女の命を蝕み続けていた氷のような冷たさも、鉛のような重苦しさも存在しない。
酸素マスクも、魔導生命維持装置も必要ない。
ただ大きく息を吸い込むだけで、清浄な空気が肺の隅々にまで行き渡り、生きているという実感が細胞から湧き上がってくる。
視線を落とせば、艶やかな鴉の濡れ羽色の髪が肩にかかっている。
過剰適応の呪いの象徴であった不気味な虎柄の変色は完全に消え去り、前髪に一筋の美しい金色のメッシュを残すのみとなっていた。
それは、彼女が一度は死の淵を彷徨い、そして自らの手で理不尽を叩き割って帰還したという、何よりの強者の証明だ。
「おい、彩斗美嬢ちゃん。あんまり自分の身体ばっかり触ってると、変な趣味があるのかと勘違いされるぜ」
少し離れた岩の上で、胡坐をかいてタバコを吹かしていたドレイクが、ニヤリと笑いながらからかってきた。
「……ふふっ、ドレイク殿は少しデリカシーがないわね。でも、今日はなにを言われても許したい気分だわ」
彩斗美は優雅に微笑み返し、立ち上がった。
足取りは羽のように軽い。
全盛期、SSランクとして日本の頂点に君臨していたあの頃の――いや、それを遥かに凌駕するほどの力が、彼女の身体に満ち溢れていた。
「さて、極上の食事と休息で体力も全回復したことだし……そろそろ、地上で心配している黒田たちのところへ帰ってあげましょうか」
「おう。結羽、ふゆ! 起きろ! 遠足は家に帰るまでが遠足だぞ!」
ドレイクの大声に、姉妹が「んあぁ……」「お肉、もう食べられないよぅ……」と目をこすりながら起き上がる。
結羽はヒュドラの討伐証明である巨大な魔石や、料理に使わなかった極上の素材(猛毒の毒袋や強靭な鱗など)を次々とマジックバッグに収納し、愛用の如意棍棒を背負い直した。
「準備完了です、おやっさん! 帰りましょう!」
◆◆◆
赤城山ダンジョンの中層・安全地帯に構築された、佐修院家の前線ベースキャンプ。
そこでは、数十人の使用人たちと一流の魔導医師たちが、張り詰めた空気の中で待機を続けていた。
「黒田様。……中層以降の瘴気濃度に、急激な低下が見られます。それに、先ほどから地下の魔力波形が信じられないほど安定しています」
モニターを監視していたオペレーターの報告に、黒田はスッと目を細めた。
「……ヒュドラが、討伐されたということか」
黒田の呟きに、周囲のスタッフたちが息を呑む。
神話級の猛毒龍の討伐。
それは、日本のトップギルドが総力を挙げて何年もかかって成し遂げるかどうかの、国家規模の偉業だ。
それを、たった四人のパーティーがやってのけたというのか。
「ゲートの空間歪曲、反応あり! 誰か、帰ってきます!」
オペレーターの叫びと同時に、ベースキャンプの防護結界の奥、暗く沈んだ通路の先から、足音が響いてきた。
ザッ、ザッ、ザッ……。
迷いのない、しっかりとした足取り。
やがて、ベースキャンプの魔導灯の光の中に、四つのシルエットが浮かび上がった。
先頭を歩くのは、漆黒の棍を肩に担ぎ、泥と血にまみれながらも誇らしげな笑顔を浮かべる前山田結羽。
その後ろには、銀色の魔導シリンジガンを抱え、疲れを見せずに元気に手を振るふゆ。
そして最後尾には、巨大な麻袋を担ぎ、面倒くさそうに首のタオルを引っ張るジャージ姿の巨漢、ドレイク。
だが、黒田の視線は、その中央を歩く一人の女性に釘付けになっていた。
車椅子に乗ることもなく。
誰の肩を借りることもなく。
真っ直ぐに背筋を伸ばし、堂々とした足取りで歩を進める、気高く美しい黒髪の女性。
「……お、お嬢、様……」
黒田の唇が震え、手からタブレットが滑り落ちた。
足がもつれるようにして前へと進み出た老執事は、そのまま膝から崩れ落ち、ボロボロと大粒の涙をこぼした。
「お嬢様……! おおお……神よ……!」
寝たきりの状態から、いつか奇跡が起きることを信じ、日本中のダンジョン素材を買い集め、希望を繋ぎ続けてきた数年間。
そのすべての苦労と忠義が、今、最高の形で報われたのだ。
「黒田。……心配をかけたわね。ただいま」
彩斗美は、泣き崩れる黒田の前に膝をつき、その震える肩を優しく抱きしめた。
「ああ……おぉぉ……! 彩斗美お嬢様……! よくぞ、よくぞご無事で……!!」
普段は冷静沈着な完璧なる執事が、子供のように声を上げて号泣する。
周囲の佐修院家の使用人たちも、次々と顔を覆い、歓喜の涙を流していた。
その感動的な光景を、ドレイクは少し離れた場所から腕を組んで見守っていた。
結羽とふゆも、もらい泣きをして互いの手をギュッと握りしめている。
「……カッカッカ。どうやら、俺たちの出番はここで一旦終了のようだな。見事な大団円じゃねえか」
ドレイクが満足げに鼻を鳴らす。
理不尽な呪いとトラウマは、完全な形で打ち砕かれたのだ。
◆◆◆
赤城山から東京の佐修院家本邸へと帰還する、大型の高級SUVの車中。
後部座席の向かい合わせのシートで、結羽とふゆはすっかり安心しきって眠りに落ちていた。
ドレイクは窓の外を流れる夜景を眺めながら、缶ビールを傾けている。
「……これで、日本のトップギルドどもが大騒ぎになるわね」
向かいの席で、彩斗美が優雅に足を組みながら口を開いた。
「あの赤城山のヒュドラが討伐された。しかも、私が完全な健康体となって生還した。……明日の朝には、ダンジョン協会や各国のトップギルドから、私の元へ山のようにお誘いや復帰のオファーが舞い込んでくるはずよ」
SSランク探索者の完全復活。
それは、世界のダンジョン勢力図を大きく塗り替えるほどの特大ニュースだ。
「へっ。で、どうするんだ? お姫様に戻って、またトップギルドの玉座にでもふんぞり返るか?」
ドレイクが意地悪く笑って尋ねると、彩斗美はフッと鼻で笑い、美しい黒髪をかき上げた。
「冗談でしょう。あんな数字や権力に縛られた鳥籠の中に、また自分から戻る気なんて微塵もないわ。そんな窮屈な場所で、私はもう息をしたくないの」
彩斗美の漆黒の瞳が、真っ直ぐにドレイクを射抜く。
「トップギルドからのオファーなんて、全部鼻で笑って蹴り飛ばしてやるわ。……私は正式に、『よろず屋ドレイク』のコマンダー兼スポンサーとして、あなた達と探索者を続ける。ダンジョンの謎を解き、結羽とふゆのご両親の行方を捜す。これは決定事項よ。拒否権はないわ」
それは、かつての日本の頂点に立った女傑からの、最高のプロポーズにも似た加入宣言だった。
「カッカッカ! こいつは恐れ入った。最高に頭が良くて、最高に頼もしいスポンサー兼コマンダーだぜ!」
ドレイクが豪快に笑い声を上げると、寝たふりをしていた結羽とふゆが、パッと目を開けて歓声を上げた。
「やったー!! 彩斗美先輩が、ずっと私たちと一緒にいてくれる!」
「やったぁ! これで最強のパーティーだね!」
「ちょっと、あなたたち起きてたの!?」
彩斗美が珍しく顔を赤くして慌てるが、結羽とふゆは嬉しそうに彩斗美に抱きついた。
前衛・前山田結羽。
後衛オペレーター・ふゆ。
中衛指揮・佐修院彩斗美。
そして、規格外の保護者・ドレイク。
それぞれの欠けた部分を補い合い、理不尽を物理で叩き割る『新生よろず屋パーティー』が、ここに真の意味で完成したのだ。
「……さぁて」
ドレイクは、空になったビール缶を握り潰し、窓の外に広がる、彼にとっての『異世界』――そして、そのさらに奥にある見えない世界の深淵へと視線を向けた。
赤城山の奥底で防衛システムをハッキングした黄龍の調査によれば、ヒュドラが守っていたあの施設は、|大断裂前後の遺物《アストライアの兵器最終処分場》へと繋がる巨大な施設のほんの入り口に過ぎない。
どういうわけだか、この世界のダンジョンの深淵は、あちらの世界のろくでもないものを地下深くに封印した、ろくでもない施設に繋がっているようだ。
魔石エネルギーや魔物素材によるエネルギー革命、そしてダンジョンとの共生。
だが、世界の上層部とダンジョン、そして高位探索者との関係性は、どうやらそれだけではないようだ。
ダンジョンを探索し、その謎を解こうとすることは、この世界にもろくでもない危機をもたらすことに繋がりかねない。
この世界のどこかに、破滅の爆弾のピンを抜こうとしている馬鹿どもがいる。
「結羽を育ててあっちへ還るってわけにゃ、どうやらいかねえな。黄龍、こりゃ本腰を入れて謎解きをしなきゃならんようだぜ」
『ええ、勿論お付き合いいたしますとも、師父』
ドレイクの不敵な笑みと共に、車は夜の街を力強く駆け抜けていく。
世界のバグを修理するよろず屋の、次なる壮大な仕事が、今まさに始まろうとしていた。




