第56話 工房の深淵と、機甲化のからくり
「――もらったぁッ!」
ふゆの『魔導シリンジガン・改』から放たれた極大腐食弾が、ヒュドラの大きく開かれた口腔の奥――超高圧の魔導ポンプとして改造された咽頭めがけて、寸分の狂いもなく吸い込まれた。
着弾と同時。
ヒュドラの口内で、信じられない化学反応が引き起こされた。
「ギィガァァァァァァァァッ!!?」
腐食弾の成分と、ポンプに圧縮されていたヒュドラ自身の超高圧の強酸が混ざり合い、致死の猛毒が『暴発』したのだ。
ヒュドラの一つの首が、内側から風船のように膨れ上がり、ドス黒い体液を撒き散らしながら倒れ込む。
結羽は即座に如意棍棒を拾い上げると、膨れ上がった首に向けて斬撃を繰り出した。
先ほどの硬さが嘘のように牛刀の刃が入り込み、首が一本切り落とされた。
「彩斗美さん! ふゆ! いけます! この作戦なら斬れる!!」
「ふゆ! 結羽! もう一本!」
「「はいッ!」」
彩斗美が近場にいる結羽を狙って噛みつこうとしていた別の上顎に蛇腹剣を巻きつけ数秒固定する。
そのタイミングを逃さず、ふゆと結羽が鋭い指示に呼応し、ふゆは魔導シリンジガン・改から同じ毒弾を発射。
結羽は毒弾を受けて暴れる頭に怯むことなく、滑るように『面』の歩法で前進。
仙気を両手から如意棍棒に流し込み、如意棍棒の魔術回路によって増幅された仙気を吸収し、身体強化の仙術をさらに強化する。
最下段から、如意棍棒に接続された牛刀を切り上げる。
ズパァァァァンッ!!
魔法金属の合金装甲フレームごと、二本目の首が鮮やかに切り飛ばされ、ドス黒い泥沼へと沈んでいく。
「ギ、ガ、アァァァァァ……ッ!!」
九つの首のうち、二つを完全に失ったヒュドラが、これまで見せたことのない狂乱の咆哮を上げた。
神話級の生体兵器にとって、それは想定外のダメージだったのだろう。
ヒュドラは巨大な尾と残った首を鞭のように振り回し、地下空洞の天井や壁に群生していた『猛毒の結晶』を粉々に粉砕し始めた。
「きゃあっ!?」
「結界展開! 最大出力!!」
彩斗美が即座に魔導キューブを起動し、三人の周囲に強固な防護結界を張る。
粉砕された毒結晶が、視界を完全に奪うほどの『高濃度の猛毒の濃霧(粉塵)』となって空間全体を覆い尽くした。
ふゆの防護コーティングと彩斗美の結界がなければ、呼吸した瞬間に肺が石化し、一瞬で絶命しているであろう死の空間。
「……逃げた!?」
濃霧の向こう側。
結羽が驚きの声を上げる。
凄まじい地鳴りと共に、ヒュドラの超質量が、空洞のさらに奥――深層の入り口へと向かって後退していく気配がしたからだ。
神話級の魔獣が、明確に『逃走』を選んだ。
「追うわよ!!」
彩斗美が大剣を構え直し、濃霧の中を迷いなく踏み出そうとする。
結羽が慌ててその背中を追う。
「さ、彩斗美先輩! 待ってください、相手は手負いとはいえ神話級です! 罠の可能性も……!」
「いいえ。ここで逃がせば、私たちのこれまでの苦労が全て水の泡になるわ」
彩斗美の瞳には、かつてのトラウマに怯えていた頃の迷いは一切なかった。
そこにあるのは、絶対的な状況把握能力を持つコマンダーとしての冷徹な判断力だ。
「結羽、ふゆ。よく聞いて。……昔、私があいつとやり合った時、あの箱根の九頭竜みたいに、斬り落としたその場で首が生え替わるようなことはなかったわ。だから私たちは、確実にこいつを追い詰めていると思っていた」
彩斗美の言葉に、結羽とふゆが息を呑む。
「でも、首を落としたはずなのに、移動で姿を消されて、次に遭遇した時には……落としたはずの首の数が、完全に元に戻っていたのよ」
「……えっ?」
「どういうからくりかは分からないけれど、こいつには何らかの『再生能力』、あるいは『修復する手段』があることは確かよ。ここで逃がして時間を稼がれれば、また元の九つの首に戻ってしまう。……絶対に、逃がさない!」
過去の絶望を完全に乗り越えた、力強い足取り。
その背中の頼もしさに、結羽とふゆも力強く頷いた。
「わかりました! 一気に追いついて、残りの首も全部落とします!」
『お姉ちゃん、彩斗美さん! あいつの魔力波形、奥の通路を抜けてさらに地下へ向かってる! ナビゲートするね!』
ふゆの完璧な誘導に従い、結羽と彩斗美は猛毒の濃霧を駆け抜ける。
やがて、視界を覆っていた粉塵が晴れ、彼女たちは『その場所』へと辿り着いた。
「……なに、ここ……」
結羽は、骨の牛刀を握る手に思わず力を込めた。
そこは、自然の洞窟には酷く不釣り合いな設備が並ぶ、異様な空間だった。
床にも壁にも天井にも、巨大な毒結晶に満たされた広い空洞。
そこには血管のように脈打つ極太のケーブルが何本も這い回り、青白い魔力の光を明滅させている。
さらに彼女たちを戦慄させたのは、部屋の隅に立ち並ぶ、透明な液体で満たされた巨大な『繭』の存在だった。
繭の中には、金属の装甲と生々しい肉が混ざり合った『素体の首』と思われるパーツが、いくつも不気味にストックされていたのだ。
「……まるで、工場ね」
彩斗美が顔をしかめる。
そして、その部屋の中央。
床一面に描かれた複雑で幾何学的な魔法陣の上に、逃げ込んだヒュドラが陣取っていた。
魔法陣が眩い光を放ち、先ほど結羽とふゆが破壊したばかりのヒュドラの首の切断面に、青白い魔力のパスが繋がる。
失われた金属フレームと肉芽が、魔法陣の力によって急速に編み上げられ、新たな首を構築しようとしていた。
『……信じられません。ここは、異世界の軍事施設なみです。生体兵器を修理するための『兵装修復の工房』ですな』
ふゆのスマートフォンから、黄龍の驚愕の言葉が響く。
「工房……。じゃあ、彩斗美さんの時に首が戻ってたのは、自己再生じゃなくて……!」
「ええ。こいつはダメージを負うたびにこの工房へ逃げ込み、用意された『替えのパーツ』を魔法陣で接合して修復していたのよ。……えげつないからくりね」
謎はすべて解けた。
自然の魔獣にはあり得ない、異世界の狂った軍事技術の残滓。
「修復なんて……させるもんか! やってやりますッ!!」
結羽が牛刀をジョイントした如意棍棒を構え直し、魔法陣の中のヒュドラへと飛び出そうとした、その時だった。
「――ッ! お姉ちゃん、ストップ!!」
ふゆの悲鳴のような警告。
結羽が咄嗟に『点』の歩法で急ブレーキをかけた直後、彼女の目の前の金属の床が、凄まじい衝撃と共にクレーターのように爆散した。
「なっ……!?」
土煙を切り裂いて、ヒュドラの残った七本の首が鎌首をもたげる。
その中で、中央に位置する少し大ぶりな『二本の首』。
これまでの本能のままに暴れ回っていた他の首とは明らかに違う、知性と冷酷さを宿した冷たい瞳が、結羽たちを見下ろしていた。
そして、その二本の首の周囲に、空間を歪めるほどの明確な『魔法陣』が展開されたのだ。
「……嘘でしょ。魔獣が、魔法を……!?」
ふゆが絶望的な声を上げる。
『……いいえ、ふゆ殿。あちらの二本が、この生体兵器全体を統括する『メイン頭脳』です。あちらの首こそが、この兵装の真の脅威……!』
黄龍の警告が終わるよりも早く、二本の指令脳が同時に高度な詠唱を完了させた。
一本の首の魔法陣から、無数の巨大な岩の弾丸――『ストーンバレット』が出現する。
そしてもう一本の首が、強烈な『風魔法』を展開し、そのストーンバレットを暴風のレールに乗せて、鋭い石の弾丸を超高速で撃ち出してきたのだ。
「彩斗美先輩!!」
「キューブ展開!!」
彩斗美が即座に結界の壁を構築するが、風魔法で加速された超質量のストーンバレットの連射は、強固な防護壁を凄まじい勢いで軋ませ、ヒビを入れていく。
さらに、結界の防御に釘付けにされている結羽たちに対し、ヒュドラの残り五本の『自律首』が、猛毒のブレスと巨大な質量による噛みつきの雨霰を降らせてきた。
敵のホームグラウンド。
魔法による制圧射撃を行う「双頭の司令塔」と、本能で襲い来る「五本の兵装」。
アストライアの狂気が生み出した完璧な防衛システムを前に、よろず屋パーティーの過酷な継続戦が、今、絶望的な幕を開けた。




