第55話 Unknownの脅威と、点と軌道の極致
群馬県・赤城山ダンジョン下層。
禍々しく発光する毒結晶の通路を抜けた先に広がっていたのは、複雑に入り組んだ巨大な地下空洞だった。
空間の底にはドス黒い猛毒の沼が点在し、天井からは鋭い結晶の刃が無数に垂れ下がっている。
だが、そこに『主』の姿はなかった。
「……いないわね。ここが最深部だと思ったのだけれど」
彩斗美が蛇腹剣を構えたまま、油断なく周囲を警戒する。
最後尾でUIゴーグルにデータを走らせていたふゆが、岩壁や足元の泥沼に残された痕跡を分析し、ハッと息を呑んだ。
「お姉ちゃん、彩斗美さん! この削れた岩肌と、毒結晶が押し潰された跡……古いものじゃない。さっきまでここに巨大な質量が通っていた痕跡だよ!」
『左様。残された魔力の残滓も極めて濃密ですな』
黄龍の念話に同調し、ふゆが緊迫した声を上げる。
「あいつ、最深部で待ってるんじゃなくて、この下層全体を自分の縄張りとして徘徊移動してるんだ!」
その直後だった。
「……ッ! 来るわ!」
「右の壁!!」
コマンダーとしての彩斗美の『気配察知』と、前衛としての結羽の超感覚が、同時に異常な殺気の接近を捉える。
ふゆの魔力視もまた、分厚い岩壁の向こう側から迫り来る、規格外の超質量の移動を可視化していた。
ズガァァァァァァンッ!!!!
ダンジョンの岩壁が、内側から爆発したように粉々に吹き飛んだ。
もうもうと舞い上がる土煙と、高濃度の猛毒の瘴気を引き裂いて現れたのは、九つの首を持つ巨大な多頭竜――神話級魔獣『ヒュドラ』だった。
かつて芦ノ湖で相対した九頭竜とは、その威圧感も、巨体のサイズも次元が違う。
壁をぶち破って現れた巨獣は、九つの頭部をそれぞれ異なる意志を持つように鎌首をもたげ、空気を震わせるほどの咆哮を上げた。
「ギガァァァァァァァァッ!!!」
咆哮と共に、強烈な瘴気が衝撃波となってよろず屋パーティーを襲う。
「……久しぶりね……!」
彩斗美は、かつて自身の部下たちを全滅へと追いやったその姿を前に、自然と自身のスキルである『鑑定』を発動させていた。
視界の端に展開されたステータスボード。
そこに表示されたヒュドラの脅威度は――【Unknown】。
システムによる計測不能のエラー表示。
それは、相手が既存の生命の枠組みを逸脱した、絶対的な絶望であることを意味していた。
かつて、部下やパーティーメンバーを逃がそうと、彼女は自ら盾となってヒュドラの前に立った。
液状の強酸の猛毒を結界で防いだ直後、それが気化して目に見えない神経毒のガスとなり、結界をすり抜けて空間全体を満たした。
防ぎようのない広域の猛毒攻撃という理不尽。
それが、彩斗美を長年苦しめてきたトラウマの正体だ。
だが、今の彼女は、未知の数字に絶望し、ただ死を待つだけの少女ではない。
身体の奥底から湧き上がるのは、恐怖ではなく、強敵を前にした戦士としての強烈な『武者震い』だった。
「忘れ物……いいえ、落とし物を返してもらいにきたわよ。利息つきでね!」
彩斗美の口元に、凄絶にして気高い笑みが浮かぶ。
かつてSSランクとして日本の頂点に立ったコマンダーの瞳に、強烈な闘志の炎が燃え上がった。
彩斗美は大剣を引き抜き、自ら前線に立つ形で動作を開始した。
「結羽! あいつの毒液は、着弾したそばから揮発性の神経毒となって空気に混ざるわ! ふゆ! 防毒を切らさないように秒単位でカウントして!」
「はいッ! 防護コーティング、あと百二十秒は最高出力を維持できるよ!」
過去の失敗を完璧な『現在の戦術』へと昇華させた彩斗美の指示が、よろず屋パーティーの陣形を瞬時に構築する。
「いきますッ!」
結羽が『点』の歩法で大地を蹴り、弾丸のような速度でヒュドラの懐へと肉薄した。
◆◆◆
最後尾から戦況を俯瞰していたふゆの『魔力視』が、ヒュドラの巨体を取り巻く異様な魔力波形を捉えていた。
(なに、これ……? 箱根の九頭竜とは違う……?)
ふゆの瞳には、ヒュドラの分厚い鱗の下で脈打つ、生物にはあり得ない直線的で幾何学的な『流れ』が視えていた。
「ただの生物じゃない……?! お姉ちゃん! 彩斗美さん! 気をつけて!!」
ふゆの警告と同時。
結羽が跳躍し、牛刀のアタッチメントをジョイントした如意棍棒を、最も手前にいたヒュドラの首めがけて全力で振り下ろした。
仙気を纏った絶対の斬撃。
だが、牛刀の刃がヒュドラの鱗に触れた瞬間――。
ガキィィィィンッ!!!
火花が散り、甲高い金属音が地下空洞に響き渡った。
凄まじい反発力に、結羽の身体が空中で大きく弾き返される。
「くっ……斬れない!?」
「お姉ちゃん、ダメ! ただの魔獣じゃない! 鱗の下……地球上の合金じゃない! 未知の魔法金属でガチガチに覆われてる!!」
ふゆがインカム越しに絶望的な解析結果を叫ぶ。
「芦ノ湖の九頭竜とは強度が全然違う! 機甲化された魔獣だよ!! 外側からじゃ絶対に斬れない!」
その言葉を裏付けるように、ヒュドラの切り裂かれた表皮の奥から、鈍く光る魔法金属の合金、その装甲フレームが覗いていた。
それは、自然発生した魔獣の姿ではない。
かつての機人ミノタウロスと同じ、あるいはそれ以上に恐ろしい、異世界の軍事技術によって改造された『生体兵器』の姿だった。
「ギガァァァァッ!!」
外装の絶望に戦慄する隙を与えず、ヒュドラの中央の三つの首が、大きく顎を開いてブレスの構えに入った。
ヒュドラの胸奥、巨大な心臓部から、尋常ではない量の魔力が口腔に向けて一気に押し上げられていく。
『ふゆ殿、心臓部から口腔へ繋がる魔力回路の異常な膨張を確認! これは……!』
ふゆのスマートフォンから、黄龍の緊迫した警告が飛ぶ。
ふゆの魔力視が、その機構の『最悪の正体』を瞬時に看破した。
「毒腺が、心臓からのパイプと直結した『超高圧の魔導ポンプ』になってる! ブレスが来る! しかも芦ノ湖の時とは比べ物にならない水圧で!」
ふゆの顔が青ざめる。
自身の調合した防護コーティングは完璧だ。
だが、それはあくまで空気中に漂う毒ガスや、通常の飛沫を防ぐためのもの。
「わたしの防護コーティングも、あの圧力を直接浴びたら数秒で剥がされちゃう!」
タイムリミットと即死の提示。
強酸の濁流をまともに浴びれば、コーティングごと肉体を溶かされ、揮発した神経毒で一瞬にして命を刈り取られる。
回避するにも、ヒュドラの三つの首が放つブレスの範囲はあまりにも広大だった。
(どうする……どうすれば……!)
極限の思考加速の中、ふゆの天才的な頭脳と『毒学』の知識が、一つの真理へと到達する。
外側が未知の魔法金属で覆われ、内側からは超高圧の猛毒が噴き出してくる。
だが、それが『ポンプ』という物理的な機構であるならば、必ず構造上の弱点が存在するはずだ。
「……待って。ポンプで押し出してるなら、その分『吸い込む力(逆流)』の反動があるはず! 外がダメなら、中から金属を腐食させて壊すしかない!」
ふゆは魔導シリンジガンに、赤黒く変色した『極大腐食弾』を装填した。
「お姉ちゃん! ヒュドラの口を二秒開けさせて! わたしがポンプの奥に腐食弾を撃ち込む!」
天才オペレーターからの、決死の無茶振り。
その意図を瞬時に理解した結羽は、一切の躊躇なく、ただの一言でそれに応えた。
「任せてッ!!」
結羽は丹田から引き上げた仙気を極大まで練り上げ、掌から漆黒の『如意棍棒』へと一気に流し込んだ。
瞬間、棍に刻まれた光華文字が黄金に発光し、魔術回路が増幅した仙気を結羽の肉体へと強烈にフィードバックさせる。
身体全体を目に見えない強固な結界で覆い尽くすほどの『硬化』、そして細胞が千切れては再生を繰り返す『超回復』の超循環。
ステータスの数値を完全に無視した、理の極致。
強酸の雨が降り注ぐ死地へ、被弾上等の覚悟で彼女は踏み込んだ。
「シィィィィッ!!」
『面』の歩法で滑るように毒の沼を蹴り、最も低い位置へと鎌首をもたげていた首めがけて、結羽は地を這うような極限の低い姿勢で潜り込む。
それはまるで、落下してくる巨大な机の下を滑りくぐるかのような、常人離れした体捌きだった。
「シャァァァァッ!!」
獲物が自ら飛び込んできたと判断し、ヒュドラの一つの首が巨大な顎を大きく開いて待ち構え、結羽を噛み砕こうとした、その刹那。
結羽は下から跳ね上げるようにして、牛刀をジョイントした如意棍棒を、ヒュドラの上顎と下顎の間に『つっかえ棒』のように縦にして叩き込み、強引に固定した。
ガァンッ!!
凄まじい咬合力が如意棍棒を軋ませるが、魔法金属の塊は決して砕けない。
ヒュドラの顎が、完全に固定された。
「――そこッ!」
結羽は棍を噛ませた瞬間に手を放し、そのままの勢いで流れるようにヒュドラの首の側面へと回り込んだ。
ふゆが狙撃するための正面の射線を完全にクリアにしつつ、残る首からの追撃に自らが盾となって即座に対応できる、完璧なポジショニングだった。
大きく開かれた、ヒュドラの口腔。
その奥深くで脈打つ、超高圧の魔導ポンプの喉仏。
「――もらったぁッ!」
ふゆはシリンジガンの照準をピタリと合わせ、迷いなく引き金を引いた。




