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第54話 死の領域と、点と軌道の極致

 群馬県・赤城山ダンジョン。


 中層の手前に構築された前線基地ベースキャンプに、決戦の朝が訪れた。


 プレハブ施設のシャワールームや休憩スペースは綺麗に片付けられ、これから死地へと向かう探索者特有の、ピンと張り詰めた空気が漂っている。


 出撃準備を整える四人の中心で、ふゆは白衣ではなく機能的な防護エプロンを身につけ、徹夜の作業で仕上げたばかりの『石化毒・防護融解液』のスプレーボトルを手にしていた。


 シュッ、シュッ、と細かなミストが、結羽と彩斗美の装備や肌に直接吹き付けられ、淡い緑色の魔力皮膜となって定着していく。


「効果の持続時間はわたしと黄龍さんで、しっかり管理しておくから安心して! 安全マージンは長めにとるからね!」


 ふゆが頼もしく胸を張ると、傍らのスマートフォンから黄龍の落ち着いた合成音声が響く。


『はい、お任せください。ふゆ殿の調合した防護液の定着率は完璧です。魔力残量と持続時間は、常に皆様のインカムへ共有いたします』


「うん、ありがとう黄龍さん! それとね……」


 ふゆはスプレーボトルをテーブルに置き、代わりにミスリル合金で補強された大型の『魔導シリンジガン・改』をポンと叩いた。


「戦闘中とか、スプレーできないタイミングの時は、このシリンジガンで直接撃っちゃうね。なるべく痛くないところにあてるから!」


 その少し物騒な後方支援の宣言に、結羽と彩斗美は顔を見合わせて吹き出した。


「あはは……お手柔らかにね、ふゆ」


「ええ。ふゆちゃんの注射なら、喜んで受けるわ」


 姉妹とコマンダーの微笑ましいやり取りが、これから地獄へと向かう重い空気を良い意味で中和し、よろず屋パーティーらしい強者の余裕を生み出していた。


「よし。道具の準備は完璧だな。……行くぞ」


 ドレイクが首のタオルを締め直し、重低音の声を響かせる。


 プレハブ施設のエントランスには、燕尾服姿の黒田をはじめ、佐修院家の使用人たちと一流の魔導医師たちがズラリと整列していた。


 かつてのド派手な出陣式のようなお祭り騒ぎは、そこにはない。


 いざアタックに向かう直前の、プロフェッショナルとしての静かで、しかし狂気的なほど熱い忠誠心に満ちた見送りだ。


「皆様。……ベースキャンプは我々が死守いたします。どうか御武運を。いってらっしゃいませ」


 黒田の短くも絶対の覚悟が込められた言葉。


 彩斗美は無言で深く頷き、結羽、ふゆ、そしてドレイクと共に、背中でそれに応えながら歩みを進めた。


 防護結界のゲートを抜け、彼らはついに、神話級の猛毒が支配する真の死地――『死の領域』へと足を踏み入れた。



 ◆◆◆



 安全地帯セーフゾーンの境界線を一歩越えた瞬間、そこは全くの別世界だった。


「……これが、死の領域」


 結羽が息を呑む。


 薄暗い洞窟の通路は、壁も床も天井も、すべてが禍々しくも美しい『淡く発光する毒の結晶』でビッシリと覆い尽くされていた。


 ヒュドラをはじめとした、毒性を持つモンスター達の体液や呼気が結晶化し、長年の歳月をかけてダンジョンそのものを侵食した結果生まれた、致死のクリスタル群。


 衝撃を与えれば、あっさりと砕け散り、粉塵と化す。


 少しでも結晶の粉塵を吸い込めば肺が石化し、肌に触れれば血液が結晶化して即死に至る。


 ふゆの防護コーティングがなければ、わずかな時間でも命を落とす極限環境だ。


 結羽と彩斗美は、それぞれのスキルや仙術による『暗視』の能力で、薄暗い結晶の通路を難なく見通していた。


 一方、後衛のふゆの瞳には、ドレイクが用意した『黄龍アプリ搭載のUIゴーグル』が装着されている。


 ゴーグルのレンズには緑色のデータが絶え間なくスクロールし、周囲の毒素濃度、結晶の強度、魔力の波長といったあらゆる情報がリアルタイムで可視化されていた。


 サイバーパンクのハッカーのようなその出で立ちで、ふゆは黄龍の演算と共にパーティーの『絶対の眼』として完全に機能している。


「結界の外は、本当に結晶だらけだね……でも、大丈夫。コーティングは正常に機能してる。ふゆ、今のところは大丈夫だよ。動きにくさも感じない!」


「ええ。ふゆちゃんのおかげで、毒の息苦しさは全く感じないわ」


 彩斗美が腰の蛇腹剣の柄に手をかけながら、油断なく周囲を警戒する。


 だが、その時だった。


『お姉ちゃん、ストップ!!』


 ふゆの切羽詰まった声がインカムに響く。


 彼女のUIゴーグルに、レッドアラートの警告が激しく点滅していた。


「どうしたの、ふゆ!?」


『右の壁面、熱源ゼロ……でも、魔力波形に微かな乱れがある! 結晶に擬態してる!』


 ふゆのいち早い検知からコンマ数秒。


 通路の右壁にビッシリと群生していた美しい毒結晶の一部が、突如としてカシャリと不気味な音を立てて剥がれ落ちた。


 結晶と完全に同化していた巨大な蛇――『クリスタルポイズン・スネーク』が、擬態を解いて襲いかかってきたのだ。


 熱源を持たない無機物のようなその魔獣は、通常の探索者の気配察知を完全にすり抜ける。


 だが、ふゆと黄龍の『魔力波形の乱れ』を読み取るテクノロジーの前では、その完璧な奇襲もすでに看破されていた。


「シャァァァァッ!!」


 鋭い結晶の牙が、最後尾にいるふゆめがけて射出されるように飛びかかってくる。


「させないッ!!」


 前衛の結羽が、弾かれたように床を蹴った。



 ◆◆◆



(……この結晶蛇、ただ力任せに斬るだけじゃダメだ!)


 結羽の動体視力が、敵の全身を覆う猛毒の結晶を正確に捉える。


 普通の刃物で斬りつければ、破片となった毒結晶が散弾のように周囲に飛び散り、ふゆや彩斗美を危険に晒してしまう。


 結羽は『点』の歩法で急制動をかけ、素早く右手で如意棍棒の機構をガチャリと操作した。


 強固なジョイントに接続されていた牛刀のアタッチメントを外し、瞬時に『槍』のアタッチメントへと手作業で換装する。


 無骨でアナログな、しかし絶対に壊れない質実剛健なギミック。


「一点集中……貫くッ!」


 結羽は棍を鋭く突き出し、跳躍してきた結晶蛇の開いた口の中――唯一結晶に覆われていない口腔の奥へと、槍の穂先を正確に突き刺した。


 ズシャアッッ!!


 仙気を纏った刺突が、結晶蛇の体内を一直線に貫通し、魔石コアを粉砕する。


 毒結晶を一切撒き散らすことなく、見事な一点突破で魔獣を沈黙させた。


「見事よ、結羽さん! 左前方からもさらに二匹来るわ!」


 彩斗美の鋭い声が響く。


 結羽の刺突で討ち漏らした二匹の結晶蛇が、今度は彩斗美めがけて牙を剥いていた。


(……この景色。この状況)


 彩斗美の脳裏に、かつてこの赤城山で部下たちを全滅させてしまったトラウマがフラッシュバックしかける。


 大規模なスキル攻撃を放てば、毒結晶を広範囲に撒き散らし、仲間を危険に巻き込んでしまうという恐怖。


 大剣の力任せの斬撃では、被害を拡大させるだけだ。


「……っ!」


 一瞬の躊躇い。


 だが、その時、背後からドレイクの低く落ち着いた声が聞こえた。


「戦闘中につまんねぇ考え事してんじゃねえぞ。第一今更言ってもしょうがねえだろ。……てめぇの今の得物はなんだ?」


 その言葉に、彩斗美はハッと息を呑んだ。


 ――そうだ。


 今の自分は、ただ力任せに大剣を振り回すだけの未熟な前衛ではない。


 よろず屋パーティーの頭脳であり、中衛を担う『指揮官』なのだ。


「ふゆ、右の蛇の軌道を予測して!」


『任せて! 右の個体、三秒後に下段から来る! 左は壁を伝って上から!』


 ふゆの完璧なナビゲートが、彩斗美の思考をクリアにする。


 過去のトラウマを完全に振り払い、彩斗美は手にした『蛇腹剣』に仙気と魔力を一気に流し込んだ。


 ガシャ、ガシャシャシャッ!!


 刀身が魔力によって連結を解かれ、鋭い刃を持つ一本の鞭となって解放される。


「はぁッ!」


 彩斗美の卓越した剣術と魔力操作によって振るわれた刃が、空中で複雑かつ精密な軌道を描く。


 大規模な破壊ではなく、必要な箇所だけを的確に削り取る『点と軌道の極致』。


 蛇腹剣の刃が、迫り来る二匹の結晶蛇の関節の隙間、魔力回路の接合部のみを正確に切り裂いた。


 シャァァ……ッ!


 毒結晶を撒き散らすことなく、二匹の結晶蛇は音もなく崩れ落ち、光の粒子となって消え去っていく。


「……ふぅ。完璧な連携ね」


 彩斗美が蛇腹剣をカシャンと元の直剣へと戻し、美しく微笑んだ。


「カッカッカ! 上等だ。これなら毒の粉を被る心配もねえな」


 ドレイクが満足げに鼻を鳴らす。


 結羽の鋭い槍による一点集中の刺突。


 彩斗美の蛇腹剣による精密な軌道制御。


 そして、ふゆのUIゴーグルによる絶対の情報支援。


 死の領域という最悪の環境下において、新生よろず屋パーティーは、かつてのトラウマを完全に払拭し、圧倒的な完成度を見せつけていた。


「さあ、このまま一気に深淵まで突き進むわよ!」


「はいッ!」


 結羽が槍の穂先を構え直し、力強く頷く。


 禍々しく発光する毒結晶の通路の奥、因縁の神話級魔獣が潜む最深部へと向けて、最強のバディたちは迷いのない足取りで進撃していくのだった。

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