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第47話 箱根の温泉旅館と、黒髪のコマンダー

 硫黄と火山ガスの地獄から生還した四人を乗せた大型SUVは、黒田のスムーズな運転により、芦ノ湖の畔に佇む最高級の温泉旅館へと滑り込んだ。


 純和風の豪奢な門構えと、打ち水がされた美しい石畳。


 出迎えた仲居たちは、ジャージ姿の巨漢と、硫黄の匂いと強烈なスパイスの香りを漂わせる一行に一瞬だけ目を丸くしたが、そこはプロである。


 佐修院家という絶対的なVIPの威光もあり、すぐさま極上の笑顔で最高級の特別室へと案内してくれた。


 通されたのは、芦ノ湖と箱根の外輪山を一望できる、広々とした和洋室だった。


 部屋の奥には内風呂まで完備されている。


「うわぁぁっ! すっごく広い! 綺麗なお部屋!」


 ふゆが歓声を上げて畳の上を駆け回り、結羽も「こんな豪華なところ、泊まったことないよ……」と目を輝かせていた。


「さあ、みんな。火鍋でかいた汗とダンジョンの汚れを、さっぱり洗い流してきましょうか。大浴場の露天風呂、貸し切りにしてあるから」


 彩斗美が、浴衣とタオルを手に微笑む。


「あ、おやっさんも一緒に行きますか? 男湯と女湯で分かれてますけど」


 結羽が振り返って尋ねると、ドレイクは首のタオルを外し、すでに備え付けの浴衣を持ってドカッと座椅子に腰を下ろしていた。


「いや、俺はここでいい。せっかく内風呂付きの豪華な部屋にしてくれたんだ。大浴場じゃできねぇ贅沢をさせてもらうぜ」


 ドレイクはニヤリと、最高に悪い大人の笑みを浮かべた。


「彩斗美嬢ちゃん。悪いが、ルームサービスで瓶ビールを10本ばかり頼んどいてくれるか?」


「ええ、構わないわよ。……でも、10本も一人で飲めるの?」


「カッカッカ! 湯に浸かりながら煽る麦酒は、水みたいなもんだ。スポンサー様の奢り、たっぷり堪能させてもらうぜ」


 女性陣三人が笑いながら部屋を出ていくのを見送ると、ドレイクは内風呂へと向かった。


 彼は湯船に手を入れ、わずかに眉をひそめる。


「……ぬるいな。今時の温泉はどこもこんな温度なのかね。やっぱり風呂ってのは、昭和の銭湯みてえなビリビリくる熱湯じゃねえと温まった気がしねえ」


 ドレイクは湯船の底に手を当て、ほんのわずかに『火龍の仙気』を流し込んだ。


 ボコボコッと湯が沸き、あっという間に人間では即火傷するような温度の風呂になる。


 昭和の銭湯でも、こんな熱さの湯船は存在しない。


「よし、これくらいでいい」


 ドレイクは文字通りの熱湯風呂に肩までどっぷりと浸かり、大きな息を吐き出した。


「くぅぅぅぅ……ッ! 沁みるぜ」


 そこに、仲居が氷水でキンキンに冷やした瓶ビールを10本、木桶に入れて運んできた。


 ドレイクは湯船の中から手だけを出して瓶を受け取ると、栓を親指で弾き飛ばし、そのまま瓶ごとラッパ飲みで一気に煽った。


 ゴクッ、ゴクッ、ゴクッ……。


「ぷはぁぁぁぁッ!!……最高の贅沢だぜ」


 かなり熱めの温泉と、キンキンに冷えた日本のビール。


 異世界(アストライア)から召喚された神話の火龍にして、その魂の根源に昭和の日本人を宿す男は、母国の温泉文化という極上の幸せに、一人静かに酔いしれていた。



◆◆◆



 一方、大浴場の貸し切り露天風呂。


 豊かな自然に囲まれた広い岩風呂では、女性陣三人の賑やかな声が響いていた。


「彩斗美先輩、お背中お流ししますね!」


 結羽がタオルを泡立てて、彩斗美の白く美しい背中を丁寧に擦る。


「ありがとう、結羽さん。……ふふっ、人に背中を流してもらうなんて、いつ以来かしら」


 彩斗美が心地よさそうに目を閉じる。


「じゃあ、わたしはお姉ちゃんの背中洗ってあげる!」


 ふゆが結羽の背後に回り込み、小さな手で一生懸命に泡を伸ばしていく。


「あははっ、くすぐったいよふゆ!」


「ふふっ、終わったら全員交代でいきましょうか」


 彩斗美が優しく笑う。


 命を懸けた死線をくぐり抜け、共に極上の火鍋をつついた仲だ。


 そこには、年齢や立場の壁を越えた、確かな絆が生まれていた。


 だが、ふゆが結羽の背中を流していたその手が、ふと止まった。


「……お姉ちゃん。ここ、ミノタウロスにやられた時の傷だよね」


 ふゆの指先がなぞったのは、結羽の背中から肩にかけて残る、かすかな白い傷痕だった。


 彼女の『魔力視』は、その傷がどれほど深く、結羽の身体を破壊したかを正確に読み取っていた。


 さらに、ふゆの視線は彩斗美の身体にも向けられる。


 過剰適応の呪いからは解放されたものの、彩斗美の白い肌にも、かつての死闘で刻まれた無数の小さな傷痕が、消えずに残っていた。


「……仙気の回復も、ポーションも、完全に『新品の細胞』に再生するとまではいかないんだね」


 ふゆが、少しだけ悔しそうに唇を噛む。


「私がもっと早く、もっと完璧な処方を出せていれば、こんな傷……」


「ふゆちゃん」


 彩斗美が、静かに、けれど優しい声でふゆの言葉を遮った。


「傷痕は残っても、これも私たちが積み上げてきた、戦闘の勲章みたいなものよ。だから、そんな悲しい顔をしないで」


「そうですね!」


 結羽も力強く頷いて、振り返ってふゆに笑いかけた。


「わたし、この傷を見るたびに思い出すんだ。おやっさんの教えと、ふゆが目覚めてくれたあの朝のことを。だから、この傷はわたしにとって大切なお守りみたいなものだよ」


 二人の前向きな言葉に、ふゆは少しだけホッとしながらも、さらにポツリと呟いた。


「協会のデータベースにあったんだけど、ダンジョン深層のアーティファクトの中には、欠損した部位すら元通りにする蘇生レベルのエリクサーみたいなものもあるんだって……とんでもなく希少で、まだ世界で数例しか確認されてないんだけど……」


 そして、ふゆの瞳の奥に、天才特有の探求心の炎がパッと灯る。


「……わたしはそういう効果のポーションを、自分で作れるように研究する!」


「えっ? 今日の九頭竜戦での回復弾だってすごかったのに、まだ上を目指すの?」


 結羽が驚いて目を丸くする。


「わたしは前線で戦えないもん。できることの『上』を目指すのは当然でしょ? わたしだって、よろず屋パーティーなんだから!」


 ふゆは胸を張り、得意げに笑った。


「お風呂から上がったら、さっそく黄龍先生に成分の組み合わせの演算を手伝ってもらおうっと!」


「ふふっ……頼もしいわね、本当に」


 彩斗美は、底知れないポテンシャルを秘めた少女の笑顔に、心からの安堵と頼もしさを感じていた。


 やがて三人は、温かい湯船に肩までしっかりと浸かり、箱根の澄んだ星空を見上げた。


「……ねえ、結羽さん、ふゆちゃん」


 静寂の中、彩斗美がポツリと口を開いた。


「はい、なんですか先輩?」


 彩斗美は、自らの濡れた髪をかき上げた。


 九頭竜火鍋の究極の解毒効果により、彼女の髪は本来の艶やかな黒髪を取り戻していた。


 しかし、その前髪の一筋にだけ、過酷な呪いを自らの足で乗り越え、克服した(名残)としてか、美しい金色のメッシュが残っている。


 それは今の彼女の、新たな魅力と力強い凄みを感じさせる美しさだった。


「私ね。赤城山のヒュドラに部下を殺されてからずっと……自分が生き残ってしまったことに、後ろめたさを感じていたの」


 彩斗美の告白に、結羽とふゆは静かに耳を傾けた。


「システムが定めた『SSランク』という数字。その補助輪に寄りかかって、自分は絶対だと過信していた。だから部下を死なせ、自分も過剰適応という呪いに飲まれて壊れてしまった。あの時の絶望と、喪った彼らの顔は、一生私の心から消えることはないわ」


 彩斗美は、自身の手のひらを見つめた。


 そこにはもう、死を待つだけの冷たさはない。ドレイクの飯と、結羽たちの背中が、彼女の身体に再び命の熱を灯してくれたのだ。


「……私は、部下を喪ったことを決して忘れはしない。けれど、それと爪先を前に向けて歩くことは別なのよ」


 彩斗美は顔を上げ、結羽とふゆを真っ直ぐに見つめた。


 その瞳には、かつての日本の頂点に立った探索者としての、揺るぎない覚悟と誇りが静かに燃え上がっていた。


「今日、あなたたちと一緒に戦って、完璧に理不尽を叩き潰した時……ようやく分かったの。過去の罪に縛られて立ち止まるのではなく、彼らの無念ごと背負って、この狂った世界に立ち向かわなければならないって」


 彩斗美は、湯船の中で深く頭を下げた。


「結羽さん、ふゆちゃん。私を呪いから、そして過去の絶望から救い出してくれて、本当にありがとう」


「そ、そんな! 頭上げてください先輩!」


 結羽が慌てて手を振る。


「……これからも、『よろず屋パーティー』の指揮官(コマンダー)として、あなたたちと共に戦わせてちょうだい。あの忌まわしい赤城山の元凶を絶ち切り、この狂った世界を、一緒に修理するために」


「はいっ!」


「よろしくお願いします、彩斗美さん!」


 結羽とふゆが、力強く頷く。


 湯けむりの中で、世代を超えた三人の女性の間に、言葉よりも強固で美しい絆が、強く強く結ばれた瞬間だった。



◆◆◆



 一時間後。


 すっかり温まって髪も乾かした女性陣三人が部屋に戻ると、そこには既に追加のビールの空き瓶を転がし、浴衣姿で豪快に寝転ぶドレイクの姿があった。


「おう、遅かったな。湯冷めすんじゃねえぞ」


 ドレイクが欠伸をしながら起き上がる。


「おやっさん、一人でこんなに飲んじゃったんですか……。それに、なんかお部屋、すっごく暑くないですか?」


 結羽が手でパタパタと顔を仰ぐ。ドレイクが内風呂を熱くした熱気が、まだ部屋にこもっていたのだ。


「カッカッカ! 細かいことは気にすんな。それより彩斗美嬢ちゃん、髪の色、見事に戻ったじゃねえか」


 ドレイクが彩斗美の黒髪と、その一筋の金色のメッシュを見てニヤリと笑う。


「ええ。おかげさまで、身体も魔力回路も絶好調よ。いつでも赤城山にカチ込めるわ」


 彩斗美も、不敵な笑みを返した。


「やる気は上等だが、そう慌てるな。まずは飯を食いながら次の算段を立てるぞ。彩斗美嬢ちゃんの『魔導キューブ』の解析もしなきゃなんねえしな。芦ノ湖の蛇公とやりあった上での武装の見直しもしなきゃならん」


「ええ、楽しみにしてるわ」


 冷蔵庫から冷えたコーヒー牛乳を取り出しながら、ふゆが「あー、お風呂上がりはこれだよねー!」と背伸びをする。


 極上の癒やしと絆を深めた慰労会の夜。


 よろず屋パーティーの四人は、激闘の疲れを温泉と美味い酒、そして穏やかな語らいで癒やしながら、箱根の夜を静かに過ごしていくのだった。

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