第44話 九頭竜の自己再生と、五行の理
火吹き岩蛇の串焼きによる『同位同食』を終え、セーフエリアを出発したよろず屋パーティーの足取りは、先ほどまでとは比べ物にならないほど力強く、そして軽やかだった。
特に変化が顕著だったのは、中衛で指揮を執る佐修院彩斗美である。
ステータスボードという「システムが定めた数字」に囚われ、自身の衰えや呪いの赤いエラー表示に怯えていた彼女の迷いは、完全に消え去っていた。
未知の神話級のバケモノであるドレイクが後ろ盾におり、ダンジョンのシステムが翻訳を放棄するほどに『最適化』された結羽が前衛を張っている。
彼らの圧倒的な『理』と、命の格を合わせる極上のダンジョン飯の前では、数字の絶対性など些末な誤差に過ぎない。
(……ええ。もう、余計な数値やデータに振り回されたりはしない。私のこの目と、培ってきた経験。そして、何よりこの仲間たちを信じて、最高の指揮を執る!)
彩斗美の瞳には、かつて第一世代の若き天才として日本のトップを駆け抜けていた頃の、鋭くも澄み切った光が完全に戻っていた。
「ふゆ、前方百メートルの地点で硫黄ガスの濃度が跳ね上がるわ! 結界の出力を二十パーセント上げてちょうだい!」
『はいっ! 『防毒・浄化のシリンジ魔弾』、追加装填! 2発射出!!』
彩斗美の的確な事前指示に合わせ、最後尾のふゆがシリンジガンから淡い緑色の魔力弾を天井に向けて撃ち放つ。
ドーム状の防護結界がさらに厚みを増し、一行を猛毒の環境から完全に隔離した。
「右手の岩壁の裏、伏兵の反応! 結羽! 回り込まれる前に壁ごと叩き潰して!」
「了解ッ! はぁぁぁッ!!」
結羽は『点』の歩法で火山礫の斜面を力強く蹴り出し、漆黒の乳切木を岩壁めがけてフルスイングした。
轟音と共に分厚い岩盤が粉々に吹き飛び、隠れていたオークの群れが、悲鳴を上げる間もなく岩の破片と共に圧殺される。
「素晴らしいわ、その調子よ!」
前衛の圧倒的な突破力、後衛の完璧な環境支援、そしてそれらを最適のタイミングでつなぎ合わせる中衛の指揮官。
彼らはもはや、ただの強者の寄り合い所ではない。
一つの巨大な生き物のように連動する、完璧な『パーティー』へと仕上がっていた。
やがて、迷宮の岩肌がひときわ赤黒く変色し、通路の幅が大きく広がった先に、天井まで届くほどに巨大で重厚な石の扉が姿を現した。
芦ノ湖ダンジョン最深部、ボス部屋の入り口だ。
「……結羽、ふゆ、彩斗美。準備はいいな」
扉の前で、ドレイクがジャージの首に巻いたタオルをグイッと締め直して問う。
結羽は乳切木と牛刀の柄を確かめ、ふゆはシリンジガンをブレイクさせてシリンジ魔弾の装填を確認する。
彩斗美は三つの結界キューブを自らの周囲に展開させた。
「はいッ! いつでもいけます!」
結羽が力強く頷き、巨大な石の扉に両手をかけて一気に押し開いた。
ゴゴゴゴォォォォン……!
扉が開いた瞬間、尋常ではない熱波と、視界を黄色く染め上げるほどの濃密な硫黄ガスが押し寄せてきた。
そこは、広大なカルデラ湖のようなすり鉢状の空間だった。
しかし、底に溜まっているのは澄んだ水ではない。
グツグツと煮えたぎり、有毒な火山ガスを絶え間なく噴き出し続ける、文字通りの『死の泥沼』である。
そして、その煮えたぎる硫黄の沼の中心が、地鳴りのような重低音と共に大きく隆起した。
「シャァァァァァァァッ!!!」
沼の泥を滝のように払い落として姿を現したのは、巨大な多頭の魔獣だった。
首の数は、全部で九つ。
かつて結羽が江の島で屠った五頭竜よりも遥かに巨大であり、彩斗美から見れば、群馬・赤城山のヒュドラの半分ほどのサイズを誇る、神話級の亜種。
芦ノ湖ダンジョンの主、『九頭竜』である。
九つの首がそれぞれ別々の意志を持っているかのように蠢き、黄色く濁った瞳で結羽たちを睨みつける。
その全身からは、高熱の蒸気と猛烈な硫黄の毒素が絶え間なく放たれていた。
(ヒュドラの、同位体……!)
多頭の毒蛇の姿を見た瞬間、彩斗美の脳裏に、かつて自分を絶望の淵に叩き落とした赤城山での惨劇がフラッシュバックしかけた。
仲間が次々と毒に倒れ、自分一人で七日七晩を戦い抜いた、あの暗黒の記憶。
――だが。
「先輩! 指示を!」
前衛で低く身構えた結羽の、澄み切った声が、彩斗美の意識を瞬時に現在へと引き戻した。
そうだ。
今の自分は、孤独に大剣を振り回すだけの前衛ではない。
彼女たちを導く、指揮官なのだ。
「……行くわよ! 結羽、まずは一番右と右から二番目の首! 軌道を制限してから叩き斬って!」
「はいッ!!」
彩斗美の号令と共に、結羽が弾かれたように飛び出した。
『面』の歩法で煮えたぎる沼の表面の熱気を利用し、スケートのように滑るように九頭竜の懐へと肉薄する。
「シャァァァッ!」
九頭竜の右側の二つの首が、結羽を噛み砕こうと猛烈な速度で襲いかかる。
だが、結羽はそれを間一髪で躱すと、腰から『鎖分銅付きの乳切木』を抜き放ち、一方の首に分銅を巻き付けた。
「ふんッ!!」
テコの原理と仙気を最大限に利用し、強引にその首を地面の岩角にピン留めする。
もう一つの首が体勢を崩したその瞬間、結羽は空いた手で牛刀を抜き放ち、無防備になった首目掛けて一閃した。
爆発しそうなほどの仙気を流された牛刀は紅く赤熱し、九頭竜の強靱な鱗も、鋼の如き筋肉も、その先にある骨をも断ち切った。
ズパァァァァンッ!!
完璧な理を乗せた斬撃が、九頭竜の分厚い鱗と筋肉を容易く両断し、巨大な首がゴトリと硫黄の沼へと転がり落ちる。
「やりました!」
結羽が快哉を叫んだ、次の瞬間だった。
「……ッ!? 結羽! 下がって!!」
彩斗美の強い声が響く。
斬り落とされた九頭竜の首の断面から、ドス黒い火山ガスが間欠泉のように噴き出したのだ。
そして、そのガスの中でグチュグチュと不気味な肉音が鳴り響き、ボコボコと巨大な肉芽が一瞬にして膨れ上がった。
――わずか数秒。
それだけの時間で、九頭竜の首は完全に元の姿へと『自己再生』を果たしてしまったのである。
「シャァァァァッ!!」
「うそっ……再生した!?」
再生した首が、無防備な結羽めがけて再び牙を剥く。
ガキィィィンッ!
彩斗美が即座に結界キューブを射出し、結羽の前に物理障壁を展開して間一髪で牙を防いだ。
結界がミシミシと音を立てて削られる中、結羽は大きく後方へとバックステップで離脱した。
「そんな……あれほどの太い首を、たった数秒で元通りにするなんて……!」
彩斗美は奥歯を噛み締めた。
これが、神話級の多頭竜の持つ最悪のギミック。
理不尽なまでの『自己再生能力』だ。
斬っても斬ってもキリがない。
これでは、いずれこちらのリソースが底を突き、毒の海に沈むのを待つしかない。
「どうすれば……!」
彩斗美が打開策を求めて思考をフル回転させようとした、その時だった。
『彩斗美さん、お姉ちゃん! 慌てないで! 解決策はあります!』
インカムから、ふゆの冷静で、頼もしい声が響き渡った。
後方で魔導シリンジガンを構えるふゆの視界には、自身の『魔力視』を黄龍の補正によって展開された、複雑なUIが浮かび上がっていた。
九頭竜の体内を巡る魔力の流れ、温度、そして細胞が再生する際に行われている元素の変換プロセス。
それらの膨大なデータが、ふゆの天才的な頭脳の中で、即座に一つの「答え」へと収束していく。
「九頭竜のあの異常な再生力と猛毒は、火山特有の『火の毒気』と『土の毒気』が影響している!」
『左様。ならば、それを止めるための理は、古代の叡智がすでに示しておりますな、ふゆ殿』
ふゆの言葉に、スマホの中の黄龍の分体が肯定した。
「硫黄の再生力には、冷却と銀の相剋だよ! 傷口を塞いで、魔力の循環を物理的にぶっ壊せば、再生は絶対に止まる!」
ふゆはマジックバッグから数種類のポーションを取り出し、黄龍の演算サポートを受けながら、一瞬の迷いもなく特製のシリンジ弾を調合し始めた。
「水」の気を持つ極低温の氷晶液に、「金」の気を持つ純銀の粉末を極限まで圧縮してブレンドする。
ガチャッと重厚な音を立て、完成した『水と金のシリンジ魔弾』が銃身に装填される。
『準備完了! 彩斗美さん、指揮をお願い!』
ふゆからの力強い言葉を受け、彩斗美の表情に浮かんでいた焦燥は完全に消え去っていた。
「……ええ! 任せて頂戴!」
彩斗美の脳内で、結羽の斬撃速度と、ふゆの弾丸の弾速、そして九頭竜の肉芽が再生を開始するまでのタイムラグが、瞬時に計算され、完璧な戦術が組み上げられていく。
「結羽! もう一度、先ほどと同じ軌道で右から二番目の首を斬り落としなさい!」
「はいッ!」
結羽が再び、煮えたぎる沼の表面を蹴って駆け出す。
「ふゆ! 結羽の斬撃の『0.5秒後』に着弾するよう射撃準備! 首が落ちて断面が露出した瞬間に、その中心へ魔弾を撃ち込みなさい!」
「はい!」
九頭竜が、再び結羽めがけて巨大な顎を開いて襲いかかる。
だが、その動きは完全に彩斗美のコントロール下にあった。
結羽が乳切木の鎖を利用して敵の牙を逸らし、懐に潜り込む。
下から上へとすくい上げるような、骨の牛刀による会心の一撃。
ズパァァァンッ!!
再び、九頭竜の巨大な首が宙を舞い、硫黄の沼へと落ちていく。
「今ッ!!」
「いっけえぇぇぇッ!!」
切断面から、ドス黒い火山ガスが噴き出そうと隆起を始めるその直前。
彩斗美の叫びと同時に、ふゆがシリンジガンの引き金を引いた。
パシュゥゥゥゥッ!!
放たれた『水と金の気をもつシリンジ魔弾』が、空中で真っ直ぐな軌道を描き、結羽が斬り飛ばしたばかりの九頭竜の切断面のど真ん中へと、寸分の狂いもなく突き刺さった。
パキィィィィィンッ!!!
硬質なガラスが弾けるような音と共に、切断面を中心に青白い氷晶が爆発的に広がり、傷口全体を分厚く凍結させる。
さらに、弾頭に仕込まれた純銀の成分が、再生を促そうとしていた硫黄の毒素(土の濁り)を急速に吸着・分解していく。
「ギ、ギギギ……シャァァァァァッ!?」
九頭竜の胴体が、己の再生機能が完全に麻痺したことに気づき、激しい苦痛とパニックに陥ってのたうち回った。
凍りついた切断面からは、もはや肉芽一つ、ドス黒いガスの一筋すらも噴き出してはこない。
『五行相克』による、完璧な再生封じの成功だった。
「ふふん! 黄龍先生に教わった『五行の理』の応用だよ! どんなバケモノの再生だって、理屈がわかればただの化学反応だもん!」
『お見事です、ふゆ殿。まさに天才的な処方箋ですな』
ふゆがシリンジガンを片手に得意げに胸を張り、黄龍が称賛の声を送る。
「……本当に、やってのけた……」
彩斗美は、完全に再生を封じられて狂乱する九頭竜の姿を見て、震える息を吐き出した。
絶対に倒せないと思われた、理不尽なまでの絶望のギミック。
それを、魔法の威力でもステータスの数字でもなく、知識と理、そして仲間の完璧な連携によって物理的に打ち砕いたのだ。
「カッカッカ! いいコンビネーションじゃねえか、お前ら!」
ふゆを肩に乗せたドレイクの豪快な笑い声が響き渡った。
「さあ、種も仕掛けも割れた手品にビビる必要はねえ! あの蛇公の首を、残らず解体して極上の火鍋にしてやるぞ!!」
「「「はいッ!!!」」」
三人の声が、地獄の迷宮に力強く重なり合った。
ステータスを否定する物理の前衛、五行の理を操る天才の後衛、そしてそれらを完璧に統率する最高の指揮官。
『よろず屋パーティー』の圧倒的な反撃が、ここから怒涛の勢いで幕を開ける。




