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第43話 バグだらけのボードと、火龍の串焼き

 箱根・芦ノ湖ダンジョン中層。


 そこには赤茶けた岩肌が剥き出しになった地獄のような空間がどこまでも広がっていた。


 ひび割れた大地からは絶え間なく高熱の火山ガスが噴き出し、ツンと鼻を突く硫黄の毒が濃密な霧となって視界を遮っている。


 通常の探索者であれば、高価な防毒マスクと耐熱・耐酸装備に身を包み、それでもジリジリと削られるHPとスタミナに怯えながら、慎重に一歩ずつ進まなければならない過酷な環境だ。


 だが、新生『よろず屋パーティー』の歩みは、そんな常識を嘲笑うかのように軽快にして苛烈を極めていた。


「お姉ちゃん、右前方から火吹き岩蛇3体! 踏み出したら同時に、足元のガス溜まりが爆発するよ! 毒性高い! 気をつけて!」


「了解ッ! ふゆ! ガスの防護お願い!」


「うんっ! 『解毒・防護のシリンジ魔弾』、射出展開!」


 最後尾でドレイクの肩に担がれたふゆが、手にした魔導シリンジガンから淡い緑色の魔力弾を撃ち出す。


 弾頭が空中で弾けると、清涼な空気を伴ったドーム状の結界がパーティーを包み込み、猛毒の火山ガスと熱波を中和・遮断した。


 その結界を突き抜けるように、結羽が飛び出す。


「シャァァァァッ!!」


 燃え盛る岩の鱗を持つ三匹の巨蛇が、硫黄の混じった致死の火炎ブレスを吐き出しながら結羽へと襲いかかる。


 通常、巨大な魔獣を相手にする際、探索者の基本セオリーは『いかに被弾を避け、また回復のリソースを管理するか』に尽きる。


 アウトレンジから魔法や遠距離攻撃で削るか、武器の間合いを最大限に活かして攻撃し、安全が確保できてから接近しとどめを刺す。


 それが、トップギルドを率いていた佐修院彩斗美の常識であり、現代ダンジョン攻略の絶対の正解だった。


 だが、結羽はその火炎ブレスを『面』の歩法で滑るように躱すものの、避けきれない余波の熱をあえて身体で受け止めながら、躊躇なく蛇の懐へと飛び込んだ。


(……被弾を恐れない!? いくら仙術で守りを固めているとはいえ、あんなインファイトを続ければ身体が……っ!)


 後衛からその様子を見ていた彩斗美が息を呑む。


 だが、結羽の動きに鈍りはない。


 火傷を負った肌の表面から淡い蒸気が上がり、仙気の循環によって瞬時に細胞が修復されていく。


 被弾上等。


 超回復を前提とした、理外のインファイト。


「はぁぁッ!」


 『点』の歩法で岩場を強烈に噛み、急制動をかけた結羽は、腰の『骨の牛刀』を抜き放ち、すれ違いざまに一匹目の岩蛇の顎の関節の隙間へ刃を滑り込ませた。


 骨を断ち切るのではなく、関節の『(スジ)』を外す一撃。


 首の自由を奪われた岩蛇が崩れ落ちる。


「結羽、そのまま下がって! 残りは私がやる!」


 彩斗美は指揮官としての冷静さを取り戻し、自身の周囲に浮遊する三つの『魔導キューブ』に魔力を流し込んだ。


 キューブから青白い閃光が放たれ、残る二匹の岩蛇の頭部を正確に撃ち抜く。


 断末魔を上げる間もなく、魔獣たちは受肉体の一匹のみが死骸となり、残りは光の粒子となって消え去り、後には魔石と岩のような鱗だけが残された。


「ふぅ……よし。素材回収しますね!」


 結羽は額の汗を拭うと、すぐさま魔石とドロップ品を拾い集め始めた。



◆◆◆



 中層からさらに奥へと進む前の、モンスターが侵入できない『セーフエリア』。


 そこに到着した途端、彩斗美はさらなるカルチャーショックを受けることになった。


「さて、休む前に下処理しちゃいますね!」


 息を整える間もなく、結羽がマジックバッグから取り出した受肉体の岩蛇の死骸を平らな岩場に広げ、慣れた手つきでナイフを滑らせ始めたのだ。


 ふゆがシリンジガンから清浄な水を生成し、血抜きと浄化をサポートする。


 そうして浄化され切り出された蛇肉を、ドレイクが慣れた手つきで太い鉄串に刺していく。


 現代のトップ探索者にとって、セーフエリアとは「ポーションを飲み、栄養ゼリーや栄養バーでカロリーを補給し、あとは静かに瞑想してリソースを回復させる休憩所」である。


 魔獣の肉をその場で解体し、あまつさえ即座に調理して実食するなど――結羽と黒田から話には聞いていたが、いざ目の前で見せつけられるとギャップに頭がクラクラした。


「……ねえ、結羽さん」


 耐えきれず、彩斗美は声をかけた。


「はい? なんですか、彩斗美先輩」


 結羽はナイフの動きを止めず、笑顔を向ける。


「結羽さんの今の動き……全盛期の私に迫る、いえ、一部の出力では間違いなく超えているわ。純粋な疑問なのだけれど、今の結羽さんの『ステータス』は、一体どれほどの数値になっているのかしら?」


 彩斗美ほどのベテラン探索者にとっても、ステータスは絶対の指標だ。


 彼女の問いは、純粋な知的好奇心と、目の前の理不尽な強さに対する「納得できる理由(数字)」を求めるものだった。


「え? わたしのステータス、ですか?」


 結羽はきょとんとした顔をした。


 黄龍にステータスボードのパッシブ表示をオフにしてもらってからというもの、彼女は一度も自分のレベルを確認していなかったのだ。


「そういえば、ずっと見てないな……。先輩はどうなんですか?」


「私? 私は……そうね」


 彩斗美はふぅと息を吐き、空中に半透明の『ステータスボード』を呼び出した。


【Name】佐修院 彩斗美


【Level】92(※上限突破・魔力回路エラー検知)


【Rank】SS(※現在休眠扱い)


【Class】魔導重剣将 / 戦術統制官タクティカル・コマンダー


【Status】

・HP: 12,500 / 18,500(▼ Error:神話級神経毒による上限低下)

・MP: 45,000 / 45,000(▲ ブースト:魔素同調により全盛期値に回復)

・STR: A+

・VIT: A

・AGI: S

・INT: SS+

・MND: SS


【Title】

・迷宮第一世代の英雄

・頂に立つ者

九頭猛毒龍(ヒュドラ)からの帰還者


【Active Skill】

・重剣魔術 Lv.Max

・蛇腹剣術 Lv.4

・広域戦術指揮 Lv.Max

・空間結界魔術 Lv.9

・魔力循環 Lv.Max


【Passive Skill】

・全属性耐性 Lv.8

・不屈の闘魂

・魔素同調


【Bad Status / 呪い】

・【Error:過剰適応(変異中)】

・【Error:神話級神経毒の残滓】


 彩斗美は自身のステータスボードを見つめ、小さく自嘲するように笑った。


「すっぽん鍋と五頭竜の料理のおかげで、ダンジョン内の濃密な魔素があれば、やっぱり予想以上に動けるわね。筋力や体力こそ療養のせいでAランク程度に落ちているけれど、魔力はSS級の全盛期の数値を保っているわ。総合すれば、A級以上……S級にはタッチするくらいかしら。……ただ、ヒュドラの呪いを示す赤いエラー表示は、まだ痛々しく残っているけれど」


 それは、かつて日本の頂点に立ったSS級探索者としての「圧倒的な格」と、猛毒に蝕まれた「生々しい傷跡」が同居する、システムの中で美しく極められた究極のデータだった。


 彩斗美はボードを閉じ、改めて結羽を見つめた。


「私のデータはこんなところよ。……結羽さんの実力は、ここまでのアタックで十分にわかっているつもりだけれど、今後の戦術を考える上で確認しておきたいの。見せてもらえないかしら?」


「あ、はい。黄龍さん、ちょっとだけわたしのステータスボード表示って戻せますか?」


『容易いことです。ですが結羽殿、あまり驚かないように。そうですね、私の方で少し注釈をつけるとしましょう。さて……』


 ふゆのスマートフォンに入っている黄龍の分体(アプリ)から、風雅な響きを持つ男性の合成音声が響く。


「驚く……? もう呼び出せますか?」


『ええ、どうぞ』


「ふぅ……ステータス、オープン」


 随分と久しぶりのように感じる言葉を口にする。


 それと同時に、結羽の視界、そしてパーティーメンバーに共有されたステータスボードが空間に展開された。


 そこに並んでいたのは、目を疑うような光景だった。


【Name】前山田 結羽


【Level】■■■(※計測不能・オーバーフロー)


【Rank】特級(※協会付与) / システム上はUnknown


【Class】テイマ――■■■■■(※クラス定義不能)


【Status】

・HP: ■■,■■■ / Unknown(▲ Warning:生命力過剰・仙気循環)

・MP: Error / Error(※外部放出なし・体内圧縮率異常のため計測不可)

・STR: Unknown(※物理法則の逸脱・『理』の体得)

・VIT: ■■■(※同位同食による細胞の完全最適化)

・AGI: Error(※『点』と『面』の重心移動により軌道予測不能)

・INT: ■■■

・MND: Unknown(※恐怖耐性・明鏡止水の体得)


【Title】

・モンスターパレード撃破者

・■■■■を穿つ者

理合い(スジ)を歩む者


【Active / Passive Skill】

・URスキル『巨壁の導き手』稼働中(※神話級・過剰出力)

・【Skill:Error(環境最適化過剰)】

・【Skill:Unknown(理の体得)】

※以下、■■■■■■■■■■■■……


【使い魔】

・ヨシュア・A・ドレイク(火龍)


「な、なにこれ……」


 彩斗美は、文字化けとエラー表示で埋め尽くされたその画面を見て、絶句した。


 急激な成長と最適化に、システムが完全に翻訳を放棄し、処理落ちを起こしているのだ。


「お、おお、おおおやっさん! なんかわたしのステータスボード、文字化けだらけなんですけど?!」


 結羽が素っ頓狂な声を上げて、隣で火吹き岩蛇の肉を串に刺しているドレイクを振り返った。


「あーん? ほうほう。こりゃ大したぶっ壊れっぷりだな。黄龍、どう見る?」


 ドレイクは肉の焼け具合を確認しながら、横目で結羽のステータスボードを見て、面白そうに鼻を鳴らす。


 ふゆが手に持っていたスマートフォンの画面がチカチカと明滅し、黄龍の風雅な合成音声が空間に響き渡った。


『「この世界」のやり方と我々の作法は大きく異なりますからね。システムにとっては、結羽殿の「同位同食」による細胞レベルの最適化と、師父直伝の「理合い(仙術)」の成長を、既存のスキル枠に当てはめて計算しきれないのでしょう。システムから見れば、結羽殿はとっくの昔に理外の存在です。さもありなんといったところでしょう』


「まぁそういうこったな。不要な数字だ。気にするこたぁねぇよ」


『気になるようであれば、適当に清書して上書き(ハッキング)しましょうか? 結羽殿』


「うーん……協会とかに開示しなきゃいけない時にはお願いします! わたしは、おやっさんとの繋がりを久しぶりに確認できただけで十分です!」


 結羽は自分のステータスボードの一番下――ノイズにまみれた中で唯一はっきりと読み取れる【使い魔】の欄を指で撫でながら、嬉しそうに笑った。


(えっ……えっ? 何、なんなのこの人たちは……)


 完全に置いてけぼりにされた彩斗美は、一人で混乱の極みに達していた。


 自分のステータスが崩壊しているという探索者にとっての異常事態を、「不要な数字」の一言で笑い飛ばす師匠と、それに納得して「繋がりが確認できただけで十分」と自己完結する弟子。


 さらにシステム自体をハッキングして書き換えると言い放つ謎のインテリジェンス・アーティファクト。


 彩斗美は震える視線を、結羽が愛おしそうに撫でているステータスボードの【使い魔】欄へと移した。


 そこには、はっきりとこう記されていた。


【使い魔】ヨシュア・A・ドレイク(火龍)


「……か、火龍……?」


 彩斗美の口から、掠れた声が漏れた。


 彼女は、魔導コンロの前で胡座をかき、岩蛇の串焼きをひっくり返しているジャージ姿の巨漢を、ギョッと見上げた。


「ドレイク殿は、知性あるドラゴノイド(龍人)ではないの……!?」


 その言葉に、ドレイクは串から滴る脂が炭火に落ちてジュッと音を立てるのを見つめたまま応えた。


「あ? ああ、彩斗美嬢ちゃんには言ってなかったか。人化の術でこんなナリに収まっちゃいるが、俺の本来の姿は火龍そのものだ」


(火龍そのもの……!)


 彩斗美は絶句した。


 結羽の持つ『巨壁の導き手』という、スライムすらテイムできないと嘲笑われたハズレ枠のスキル。


 それが、文字通り規格外の神話級のバケモノを喚び出し、使役するためだけに全リソースを食っていた、まさに神話級のスキルであったという事実に。


あっち(異世界)じゃ、サイズがサイズなもんで『巨壁』なんて呼ばれていたな。まぁ、どうでもいい昔話だ」


 ドレイクは、自分の正体が世界を滅ぼしかねない神話のバケモノであることがバレたというのに、まるで「昔、町内でちょっとワルだった」とでも語るようなあっけらかんとしたトーンで言い放った。


「ほら彩斗美嬢ちゃん。ちょうどいい焼き加減だ。焼きたてが一番だぜ。がぶっといきな」


 ドレイクは、こんがりと焼け焦げがつき、濃厚な脂の匂いを放つ火吹き岩蛇の串焼きを、彩斗美の目の前へと突き出した。


「この火吹き岩蛇の肉は、火山ガスを吸い込んだ身体の毒素を中和する働きがある。同じ釜の飯を食って、命の格を合わせる。ウチの『同位同食』の流儀だ。しっかり食わねえと、この先の地獄は乗り越えられねぇぞ」


 ドレイクはニカッと、巨大な龍のような獰猛で、けれどどこまでも温かい笑みを浮かべた。


 彼にとっては、自分の正体が火龍であるということを明かしたことよりも、目の前の家族(パーティー)に美味い飯を食わせることの方が、何万倍も重要なのだ。


 そのスケールのバグった強者の哲学に触れ、彩斗美の中で張り詰めていた糸が、ぷつりと切れた。


「……ふふっ、あははははっ!」


 彼女は堪えきれなくなったように大笑いし始めた。


 馬鹿馬鹿しい。


 システムで測れないバケモノとその弟子を相手に、ステータスの数値を気にして、自分の衰えや呪いの赤いエラー表示に悩んでいた自分が、酷くちっぽけで滑稽に思えた。


「そう、そうなのね。……ええ、わかったわ。システムや数値なんて、あなた達には最初から関係なかったのね。ええ、私ももう数字は信じない。あなた達の理不尽な強さも、この美味しい匂いも……私の『目』と培った『経験』で、完璧に咀嚼して、そして導いてみせるわ!」


 彩斗美は憑き物が落ちたような晴れやかな笑顔で、ドレイクから串焼きを受け取った。


 かぶり、と噛み付いた肉からは、強烈な生命力とスパイシーな旨味が溢れ出し、彼女の疲労を細胞の奥底から吹き飛ばしていく。


 システムという補助輪の檻から解放された最強の指揮官が、規格外のバディと真の意味で一つになった瞬間だった。

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