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第41話 ささやかな晩餐会と、手合わせ

 千葉県野田市にある佐修院家の広大な本邸。


 その歴史を感じさせる重厚なダイニングルームでは、彩斗美の奇跡的な回復を祝うための、ささやかながら、息を呑むほど贅沢な晩餐会が開かれていた。


 招待されたのは、結羽とふゆ、そしてドレイクの三人のみ。


 身内での祝宴という体裁ではあったが、並べられた料理ともてなしは、佐修院家の総力を挙げた一級品ばかりだった。


 前菜には新鮮な海の幸と特級の薬草をあしらった気付けのオードブル、メインにはじっくりと火を通した極上和牛のロースト。


 さらに、彩斗美の回復したばかりの胃腸を気遣い、すっぽんや五頭竜のスープとはまた異なる、洗練された滋味深いコンソメスープが銀の器で供されている。


「さあ、皆さん。今日は本当にありがとう。不肖の身ながら、私がホストを務めさせていただきます。遠慮せずにたくさん召し上がってちょうだい」


 上品なミッドナイトブルーのイブニングドレスを纏った彩斗美は、少し前まで酸素マスクに繋がれていたとは到底思えないほど、溌剌とした笑顔を見せていた。


 その背筋は美しく伸び、テーブルの間を歩く足取りには、かつてトップ探索者として世界に名を轟かせた女傑の優雅な威風が満ち満ちている。


「お嬢様……私、黒田は……こうして再びお嬢様がご自身の足で立ち、皆様を饗応される姿を拝見できるとは……うう、感無量でございます……ッ!」


 部屋の隅に控えていた老執事の黒田は、高級なハンカチで何度も目元を拭い、嗚咽を堪えるように肩を震わせていた。


 他の給仕をする使用人たちも、まるで我がことのように目を潤ませ、信じられない奇跡を噛み締めるように恭しく一礼を繰り返している。


「ふふっ、黒田は少し大げさね。ドレイク殿、お口に合いますか? 貴方の作ってくれる、あの野趣に満ちた豪快な『ダンジョン飯』とは随分と毛色が違いますけれど」


「おう。こいつはこいつで、職人の手加減と気の配り方が細部まで行き届いた、文句のつけようがねえ特級品だ。ありがたく突つかせてもらってるぜ」


 ドレイクは、黒田から無理やり着せられた、どう見てもサイズがパツパツで肩が凝りそうな特注のジャケットに文句を垂れつつも、目の前のローストビーフの塊を次々と口へ運び、美味そうにビールを煽っていた。


「ふゆちゃんも、たくさん食べてね。特待生として『覚醒者特別育成学園』に編入したばかりでしょう? 寮の生活はどうかしら」


 彩斗美が優しく微笑みかけると、ふゆは贅沢なデザートのフォンダンショコラに目を輝かせながら、無邪気にスプーンを動かした。


「はいっ、ありがとうございます! 学園の生活はすっごく楽しいですよ! 座学の授業は内容が簡単すぎたので、先生にお願いしてテストだけ受けて全部満点にして、スキップさせてもらいました! 実技の時間は、ふゆのスマートフォンに入ってる黄龍さんが、学園の訓練用システムをハッキングして『特級相当の仮想シミュレーションを全てノーミスクリア』っていう公認ログを勝手に作ってくれたので、もう実質卒業扱いでフリーパスなんです!」


「……え?」


 彩斗美が、高級な赤ワインの注がれたクリスタルグラスを口元へ運んだまま、彫像のように凝固した。


 隣の席にいた結羽も、手にしていたフォークを危うく皿の上に落としそうになる。


「ちょっと、ふゆ……! それって完全に、協会や学園に対する不正アクセスじゃないの……!?」


『ふゆ殿の脳が秘める桁外れの演算能力を、あの前時代的な教育機関に無駄に消費させるわけにはいきませんからね。あそこのセキュリティが、私に言わせれば赤子の手をひねるより脆弱だったのが悪いのです』


 ふゆのスマートフォンから、黄龍のジェントルな合成音声が、事も無げにスピーカーを通じて響き渡る。


「お、おやっさん! 身内の不祥事ですよ! 何か言ってやってください!」


「カッカッカ! 結果が全ての世界だ、使える手札も素材も余さず全部使うのがよろず屋の鉄則だ。これでふゆもちび助のくせに、堂々とダンジョンへ潜る時間が作れるってわけだ。上等じゃねえか」


「うう、おやっさんまで甘やかす……」


 結羽はこめかみを指で押さえながら、我が家の「規格外」たちの行動に深いため息を吐き出した。


 そんな賑やかで、どこか世間の常識から大きく逸脱した晩餐会が、食後のデザートと香り高い挽きたてのコーヒーまで含めて、ひと通り終わろうとした頃。


 コーヒーカップをソーサーに戻した彩斗美の瞳に、探索者としての鋭い「光」が戻った。


「……さて。招待しておいて無粋かもしれないけれど。結羽さん、ドレイク殿」


 彩斗美は静かに立ち上がり、漆黒の髪をかき上げた。


「食後の運動に、少しだけ付き合ってもらえないかしら。前山田結羽という戦士の実力を、私のこの目で、直接確かめておきたいの」



◆◆◆



 佐修院家の広大な地下敷地に建設された、最新の魔力吸収障壁で覆われた私設演習場。


 明るい水銀灯の光が降り注ぐ人工石の床の上で、結羽と彩斗美が、一定の間合いを置いて対峙していた。


 結羽の手には、さいたまの泥沼を共に駆け抜け、先端にハイテン鋼製の鎖と重厚な分銅をドレイクの手で組み込まれた『鎖分銅付きの乳切木(ちぎりぎ)』。


 対する彩斗美は、かつて彼女が日本の最前線で命を懸けて戦っていた現役時代、文字通りバディとして振るっていた長大な大剣を背中から引き抜いていた。


 それはダンジョン産の、この地球上には存在しない驚異的な「粘り」と「硬度」を両立させた、鈍い銀光を放つ名剣だった。


「行くわよ、結羽さん。……っ!」


 彩斗美が大剣を上段に構え、鋭く地を蹴ろうとした、その瞬間だった。


 彼女の美しい顔が、一瞬だけ苦痛と焦燥に歪み、その突進の軌道がわずかにブレた。


 魔力回路を激しく駆動させ、身体強化の術式を全開にしているにもかかわらず、その刀身の重量に肉体がついていかないのだ。


 数年間もの間、病床で呪いに蝕まれ、完全に衰えきってしまった筋力と骨格は、かつて羽毛のように軽く振り回していたはずの相棒の重さを、今の彼女に容赦なく突きつけていた。


「はぁッ!」


 彩斗美の虚勢を察した結羽は、踏み込むことなく、古代樫の棍の先端をスッと滑らせ、大剣の平へと優しく添えた。


 ガキィィンッ!


 それだけの最低限の接触だった。


 だが、刀身の重さに振り回されていた彩斗美の手元から、大剣は無残にも弾かれ、彼女は人工石の床に力なく膝をついてしまった。


「彩斗美先輩! 大丈夫ですかっ!?」


 結羽は慌てて棍を収め、膝をつく先輩の元へと駆け寄り、その細い肩を支えた。


「……ええ、大丈夫よ。心配させてごめんなさい」


 彩斗美は大剣を床に転がしたまま、肩を激しく上下させ、額から流れる大粒の汗を拭った。


 悔しさに唇を噛み締めながらも、その表情には、自らの足で武器を取り、戦うことができたという純粋な喜びの苦笑が混ざり合っている。


「さすがに、ベッドから起きてすぐに全盛期のように大剣を振り回せるわけはないわよね。……でも、ダンジョンの中の濃い魔素の環境であれば、魔力の循環を外気と同調させて、もっと自由に動ける確信があるわ。だから……」


「そんなデカブツをそんな調子で無理に振り回されちゃあ、かなわねえな。前衛を張る結羽の邪魔になるだけだ」


 演習場の壁際にどっかと腰掛け、腕を組んで手合わせを見ていたドレイクが、呆れたように鼻を鳴らしながら歩み寄ってきた。


「……あら、これでも私は元SS級の探索者よ。戦術の組み立てと身の守り方くらい、全盛期には及ばずとも足手まといにはならないわよ」


 彩斗美が強気に睨み返すが、ドレイクは大きな手を振って彼女の言葉を遮った。


「そうじゃねえ。彩斗美嬢ちゃん、そう事を急くんじゃねえよ。赤城山の蛇公(ヒュドラ)の首をねじ切りに行く前には、あんたの身体をきっちり元の戦線で暴れ回れるレベルまで上書きしてやるさ。だが、今回の箱根はダメだ。今のあんたの実力がどうこうでダメって話じゃねえ」


 ドレイクは、演習場の入り口で心配そうに見守っているふゆと、目の前の結羽を指差した。


「ただでさえ結羽とふゆにとっては、これが初めてのパーティー戦だ。そんな経験の乏しいうちのちびどもの前に、万全じゃねえあんたが無理して大剣振り回して前衛に並んでみろ。陣形が崩れて手数が濁る。たとえあんたが万全だったとしても、そんなやり方はさせられねえ」


 ドレイクの言葉は、ただただ静かだった。


 彩斗美は、結羽とふゆ、それぞれと目を合わせ、そして言葉なく頷いて続きを促した。


「俺があんたに求めるのは、かつてトップギルドを率いたあんたの優秀な頭脳――戦場全体を俯瞰し、結羽の死角を補う『中衛指揮官(コマンダー)』の役割だ。それに見合った戦術と、そのポジションに適した武器で、うちのちびどもを支援して欲しいってこった。今回はリベンジマッチの本戦どころかテストマッチみてぇなもんだからな。彩斗美嬢ちゃん、あんたが本気を出すのは赤城山の蛇公戦――そうだろう?」


 持ち上げることも、かといって決して見下すこともない、武人としての冷徹で的確な評価。


 彩斗美はドレイクの言葉にハッしたように目を見開き、やがて肩の力を抜くと大剣を鞘へと納めた。


「……そうね。料理人に、素材に合わせた調理器具が必要なように、今の私には『中衛の指揮官』としての得物が必要ということね」


「話が早くて助かるぜ。ちょうど、さいたまと江の島で、面白い『素材』を手に入れたからな。そうだな……三日だ。きっかり三日、時間をくれりゃあ、仕上げてやるよ。よろず屋ドレイク特製の、今のあんたの戦い方にぴったりな武装をな」


 ドレイクは不敵に牙を剥いて笑うと、今度は演習場の隅にいたふゆを呼び寄せた。


「おい、ふゆ。お前さんが学園で作ってきたっていう、そのおもちゃ、ちっと俺に見せてみろ」


「おもちゃじゃないよ! はい、おやっさん!」


 ふゆがリュックから取り出したのは、プラスチック樹脂のパーツと複数のシリンダーが組み合わさった、未来的なデザインの射出装置だった。


「なるほどな……。3Dプリンターってのはてぇしたもんだ、設計図通りの寸法がピタリと出てやがる。炸薬を使わずに、自分の仙気(魔力)を圧縮して、その圧力の解放でシリンジ(注射器)の魔弾を弾き飛ばす構造か」


『私とふゆ殿と、この世界のテクノロジーの賜物です。なかなかの物でしょう、師父』


「ああ、工夫としちゃあ合格点だ。仙気の伝達回路も魔法陣の精度も問題ねえ」


 ドレイクは大きな掌でシリンジガンを弄び、ふむ、と顎を撫でた。


「だが、樹脂のフレームじゃあ現場の激しい魔力干渉や衝撃に耐えきれねえ。衝撃吸収機構の設計も悪かねえんだがな。こりゃ素材の問題よ。下手すりゃあ箱根の毒ガスの熱気だけで歪みやがる。現場に持っていくにはちょいと頑丈さが足りねぇな。ふゆ、こいつを俺が少しばかりいじくりまわして、魔獣素材と組み合わせて作り直してもかまわねえか?」


「うん! おやっさんの大改造、おねがいします!」


 ドレイクは満足げに頷き、ふゆのプロトタイプをポケットに放り込んだ。


 その様子を横でじっと見ていた結羽が、もじもじと落ち着かない様子で、ドレイクのジャージの袖を遠慮がちに引っ張った。


「あの……おやっさん、その……わたしの武器も、何かこう、箱根に向けて新しい調整とか、そういうのは……ない、でしょうか?」


 彩斗美やふゆの武器が新しく錬成されるのを見て、結羽はほんの少しだけ、羨ましくなってしまったのだ。


「あん? 何言ってんだ。お前さんの乳切木は、昨夜のうちに、牛っころ(ミノタウロス)の良質な角の粉剤で、表面をバッチリ再コーティングしたばっかりだぞ。今日の素振りで、なんか重さのバランスとかおかしかったか?」


「えっ……? あ、ううん! なんでもないです!」


 昨夜、自分が眠っている間に、ドレイクがわざわざ自分の武器を最高の状態にメンテナンスしてくれていたという事実を知り、結羽は一気に顔を真っ赤にした。


(そうだった……! おやっさんは、いつもわたしの武器を一番に見てくれてるのに……! ただ羨ましくなって言ってみただけなんて、絶対に言えない……!)


「は、走り込み! 戦術の確認の前に、演習場をちょっと走り込みに行ってきますッ!!」


 恥ずかしさに耐えきれなくなった結羽は、古代樫の棍を抱えたまま、脱兎のごとく演習場の外周へと走り去っていった。


「ふふっ……可愛いわね」


 その様子を微笑ましそうに眺めていた彩斗美が、ドレイクの横顔を見上げた。


「ドレイク殿、貴方は結羽さんのことを、本当に大切に育てているのね」


「へっ。……弟子っ子がかわいくねぇわけがあるかよ」


 ドレイクは首のタオルで乱暴に顔を拭うと、走り去る弟子の背中を見つめ、静かに、けれど絶対の確信を込めて呟いた。


「あいつは、粗削りの『(たま)』だからな。磨けば磨くほど、とんでもねえ光を放ちやがる。その仕上げを他人の手に委ねるなんざ、もったいなくてよろず屋の名が廃るぜ」


 それは()を集め、愛でる習性を持った龍としての本能であり、どのような因果かはわからねども、縁が繋がった召喚者と使い魔、そして師と弟子の確かな絆であった。

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