第38話 乳切木(ちぎりぎ)の魔改造と、潮満ちる海蝕迷宮
翌朝。
千葉県野田市にあるマンションの一室――『よろず屋ドレイク』の工房は、朝からむせ返るような熱気と、金属の焦げるような特有の匂いに包まれていた。
「……五頭竜、か」
結羽は、リビングのテーブルに広げられたタブレットの画面を見つめながら、ゴクリと生唾を飲み込んだ。
画面には、昨夜ふゆと黄龍がギルドの極秘データベースから引き出してきた、禍々しい魔獣のシルエットが映し出されている。
群馬のヒュドラと同じ『多頭』の骨格を持ちながら、猛毒に加えて強力な水流をも操るという極めて危険な水棲魔獣。
「えっと、おやっさん。わたし、刃物は昨日打ってもらった『骨の牛刀』があるからいいとしても……あのデカい多頭蛇の動きを、『棍』一本で止められるんでしょうか? すっぽんの時は一対一の真っ向勝負でしたけど、今度は首が五つもあるんですよ?」
結羽は不安げに首を傾げた。
さいたまでジャイアントマッドスナッパーを仕留めた時は、相手が一本の太い首を伸ばしてきたところを棍で咥えさせ、それを支点にしてひっくり返した。
だが、相手は五つの頭がそれぞれ独立して動く大蛇だ。
一つを棍で封じても、残り四つから一斉に死角を突いて噛み付かれたら、防ぎようがない。
「カッカッカ! よく気づいたな結羽。確かに、ただの棒っ切れ一本じゃあ多頭の相手にゃ手数が足りねえ」
リビングから続く工房スペースで、朝からけたたましい金属音を響かせていたドレイクが、作業台から振り返った。
彼は分厚い耐熱グローブを外し、黒い布に包まれた長い棒状のものを、ドンッと結羽の目の前のテーブルに置いた。
「開けてみな」
促されるまま、結羽が布を解く。
「これって……わたしの『古代樫の闘魂棒』……?」
それは間違いなく、結羽がこれまで幾度となく死線を共にし、ミノタウロスの角のペーストと星屑の砂で強化され続けてきた漆黒の棍だった。
だが、その形状が、昨日までとは大きく変わっていた。
棍の先端に頑強な金属製のリングが埋め込まれている。
そして、そのリングからおよそ二メートルほどの太く強靭な『鎖』が伸びており、鎖の先端には、大人の拳ほどもある重々しく無骨な『分銅』が取り付けられていたのだ。
「おやっさん、これ……」
「『鎖分銅付きの乳切木』だ。……多頭の相手を封じるには、点や直線ではなく『円』の遠心力で絡め取るのが一番理にかなっているからな」
ドレイクは得意げに鼻を鳴らし、説明を続けた。
「相手の首に分銅をブン投げ、鎖で幾重にも巻き付けて絡め取る。そして、棍の長さをテコにして地面や岩に押さえつければ、強固な『支点』の完成だ。……首が一つでも地面に縫い留められりゃ、残りの首の可動域も自ずと制限されて、連携が崩れるって寸法よ」
「なるほど……! これなら、一本の棍で複数の動きを同時に封じられます!」
結羽は真新しい乳切木を両手で握りしめ、ゆっくりと持ち上げてみた。
先端の分銅のずしりとした重みが、腕にズンとくる。だが、ただ重いだけではない。
「すごい……重いのに、振り回される感じが全くしません。鎖の部分にも、仙気が通るように調整してあるんですね」
「おう。俺が夜なべして、鎖の一節一節に極小の魔力回路を刻んでおいた。お前さんの仙気を流し込めば、鎖は鋼鉄の蛇のようにしなり、先端の分銅は隕石のような重さになるぜ。位の高い金属が『こっち』じゃ心当たりがねぇんで高張力鋼の合金製だが、牛っころの骨を粉にして練りこんでおいた。仙気の通りも頑丈さもただの合金よりゃマシなはずだ」
ドレイクの言葉に、結羽は震えるほどの高揚感を感じていた。
自身の解体技術から生まれた『骨の牛刀』の流麗な斬撃。
そして、多頭を封じるための『乳切木』による力強い捕縛と打撃。
この二つの武器を切り替えることで、彼女の戦闘スタイルは、より変幻自在で実戦的なものへと進化を遂げるのだ。
「よし、武器の準備は完璧だ。……行くぞ結羽。今日の夕飯は、神奈川の海で極上の浜焼きだぞ」
「はいッ!」
◆◆◆
数時間後。
神奈川県・湘南海岸に浮かぶ風光明媚な観光地、江の島。
平日にもかかわらず、多くの観光客で賑わう参道や展望台の喧騒から遠く離れた、島の裏側。
切り立った断崖絶壁の下にひっそりと口を開ける海蝕洞窟の奥深く――一般の観光客が立ち入れない岩礁の先が、次なる狩場『江の島ダンジョン』の入り口だった。
潮の香りと共に、洞窟の奥から生臭く濃密な魔素の匂いが漂ってくる。
結羽は動きやすい黒のアンダーウェアの上に、撥水性の高い軽量の防具を着込み、右腰には骨の牛刀、背中には鎖分銅付きの乳切木を背負っていた。
そして、彼女の右耳には、小型の通信インカムがしっかりと装着されている。
『お姉ちゃん、通信感度良好だよ! 黄龍さんのハッキング経由だから、どんなに深く潜ってもノイズ一つ入らないから安心してね!』
インカムの奥から、ふゆの元気な声が聞こえてくる。
ドレイクはいつものように隠形と隠蔽の仙術を展開し、結羽の背後で完全に気配を消していた。
「了解、ふゆ。黄龍さんもよろしくね」
『承りましたとも』
「ふー……っ。じゃあ、潜ります!」
結羽は一つ息を吐くと、短く言い切り、薄暗い洞窟の中へと足を踏み入れた。
江の島ダンジョンの内部は、さいたまの泥沼とはまた違う、自然の猛威をそのまま体現したような恐ろしい迷宮だった。
天井からは鋭い氷柱のような鍾乳石が幾重にも垂れ下がり、足元の岩場は、滑りやすい深緑色の苔と海藻でびっしりと覆われている。
少しでも油断すれば、岩肌でスネを大きく削ることになるだろう。
そして何より厄介なのが、この迷宮が『潮の満ち引き』に完全に連動していることだった。
ゴォォォォォ……ッ!
洞窟の奥深くから、反響した波の音が地鳴りのように響く。
ザッバァァァンッ!
「うわっ!」
突然、通路の奥から白い泡を立てて激しい波が押し寄せ、結羽の膝下まで一気に冷たい海水が飲み込んだ。
潮が満ちる時間帯になると、迷宮のいくつかの通路が完全に水没し、複雑で暴力的な海流が行く手を阻むのだ。
水中の見えない穴に引きずり込まれれば、そのまま溺死する危険すらある。
『お姉ちゃん、ストップ! その先の十字路、右から強い水流が来るから、三秒待ってから左の岩場に飛び移って!』
「わかった!」
結羽はふゆの指示通りに足を止め、激しい波が通り過ぎた瞬間に、左の少し高い岩場へと跳躍した。
『そのまま真っ直ぐ進んで! 天井の鍾乳石に擬態した「キラーオクトパス」が三匹隠れてる。上から来るよ!』
「了解ッ!」
結羽は立ち止まることなく、背中の乳切木を抜き放った。
インカムからの情報通り、天井の岩肌から三匹の巨大なタコ型の魔獣が、鋭い嘴を剥き出しにして頭上から降ってくる。
通常の探索者であれば、薄暗い洞窟内で上からの奇襲に気づくのは困難だろう。
だが、結羽は既に待ち構えていた。彼女は『面』の歩法で濡れた岩場をスケートのように滑りながら、乳切木の鎖を解放した。
「はぁッ!」
丹田から仙気を流し込まれた鎖が、まるで意思を持つ銀色の蛇のように空中でしなる。
分銅が、落下してくる三匹の魔獣の触手を一瞬にして円の軌道で絡め取った。
ギュルンッ!
そのまま遠心力を利用して、棍を力強く引き戻す。
三匹まとめて引き寄せられたキラーオクトパスたちは、逃げる間もなく岩壁へと激しく叩きつけられた。
ベチャァッ! という不快な破裂音と共に、魔獣たちが光の粒子となって魔石を残して消滅する。
「すごい……ふゆの言う通りに動けば、敵の死角も罠も全部丸わかりだよ!」
結羽は、濡れた岩場に着地しながら感嘆の声を漏らした。
これまでは自身の『気配察知』や『空間把握』のスキルと目視に頼るしかなかったが、今は違う。
ふゆの天才的な演算能力と、黄龍の広域スキャン能力が完全にリンクし、結羽の視界の遥か先、壁の向こう側の情報までをリアルタイムで脳内に届けてくれるのだ。
『えへへ、黄龍さんの魔力視データ、すっごく分かりやすいの! 右から二番目のルートが一番早く最深部に着くよ。水流も弱いから、今のうちに駆け抜けちゃおう!』
「うん、行くね!」
天才オペレーターの完璧なナビゲートにより、結羽は複雑な海蝕迷宮をまるで勝手知ったる我が家のように最短ルートで突き進んでいく。
かつては病室のベッドの上で、霊穴塞ぎで眠り続けていたふゆ。
結羽がミノタウロスを倒し、目を覚ましてからも姉がダンジョンから帰ってくるのをただ祈りながら待つことしかできなかった妹。
それが今は、現代のネットワークと異世界の知識を統べ、結羽の最高の「目」となり「耳」となって、共に戦場を駆け抜けているのだ。
姉妹の共闘という事実に、結羽の足取りは羽が生えたように軽かった。
背後で隠形しているドレイクも、念話で黄龍に向かって呆れたようにこぼした。
『……こりゃあすげえな。迷宮のギミックもクソもあったもんじゃねえ。あのちび助、マジで何者なんだ?』
『ふゆ殿の脳は、魔力の波長を三次元の立体マップとして処理する能力に極めて長けておられます。おそらく、三年間の昏睡状態の間に、無意識下で世界の魔力構造とアクセスし続けていたのでしょう。……まさに、至高の神童ですな』
『カッカッカ! 頼もしい限りだぜ。これなら、俺の出る幕は本当にねえかもしれんな』
ドレイクの満足げな笑い声と共に、結羽はいくつもの海流と魔獣を難なく突破し、ついに江の島ダンジョンの最深部――重厚な石の扉の前へと辿り着いた。
ゴォォォォ……ッ!
扉の向こう側から、通常の波の音とは違う、何十トンもの水がうねるような重低音が響いてくる。
『お姉ちゃん。……この奥に、ターゲットがいるよ』
「うん。……行ってくるね、ふゆ」
結羽は乳切木を握り直し、ゆっくりと、五頭竜の待つボス部屋の扉を押し開けた。




