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第36話 解体の理と、新たな武器

 さいたまダンジョンでの「同位同食」による肉体改造と歩法の修行は、さらに熱を帯びていた。


 泥の歩法――『点』と『面』のスイッチを身体に叩き込んだ結羽は、もはや最悪の泥沼を苦にすることなく、次々と襲い来る水棲魔獣を危なげなく狩り続けていた。


 泥の表面張力を利用してスケートのように滑り、反撃の瞬間にだけ足裏の三点で強烈なスパイクを打ち込む。


 そのシームレスな重心移動は、傍から見ればまるで泥の上で踊っているかのような軽快さだった。


 ザバァッ!


 突如、結羽のすぐ真横の泥水が爆発するように弾け、丸太のように太く長い身体を持つ魔獣が飛び出してきた。


 泥と同化する見事な迷彩柄の鱗を持ち、微弱な麻痺毒を牙に宿す巨大な泥蛇――『スラッジスネーク』だ。


 音もなく接近してきた大蛇は、鎌首をもたげ、結羽の首筋めがけて鋭い牙を突き立てようと迫る。


「はぁッ!」


 結羽は瞬時に『点』の歩法で踏ん張り、古代樫の闘魂棒を大蛇の頭部めがけてフルスイングで振り下ろした。


 だが。


 ドスッ、という鈍い、まるで分厚いゴムタイヤを叩いたかのような嫌な音が響いた。


「……えっ?」


 蛇の柔軟な筋肉と分厚い鱗が打撃の威力をぐにゃりと吸収し、ダメージを完全に逃してしまったのだ。


 骨格に隙間のある蟹や、骨の太い獣とは全く違う感触。


 逆に、大蛇は闘魂棒の衝撃を利用するように身体をくねらせ、結羽の腕から胴体へ向けて、太い身体を巻き付けようと絡みついてきた。


「カニはともかく、蛇だのワニだのは、打撃とはちぃとばっか相性が悪い」


 泥に足を取られることなく、安全な岩の上からその様子を眺めていたドレイクが、呆れたように鼻を鳴らした。


 彼の手から、一本の重厚な刃物が放物線を描いて、結羽の足元の泥へとズブッと突き刺さる。


「俺のナイフを貸してやる。『あっち(アストライア)』でドワーフの親父に打ってもらった特注品だ。壊すなよ? まぁ壊れるこたぁないと思うがな」


 その言葉にハッとした結羽は、瞬時に戦術を切り替えた。


 闘魂棒を両手で押し込み、大蛇の胴体を泥にピン留めするように強引に縫い留める。


 蛇がもがき苦しむ隙に、空いた右手で泥からそのナイフを引き抜いた。


「うわっ……重い……!」


 ずしりとした、見た目からは想像もつかない異常な重み。


 普段、彼女が魔獣の解体で愛用している現代製のタングステンナイフとは全く違う。


 どんな金属で作られているのか見当もつかない。


 それは鈍く黒光りする『黒鋼(クロムアダマン)』の重厚な刃。


 持ち手に巻かれた極北の巨大鹿(ムース)の鞣し革が、結羽の小さな掌にピタリと吸い付くように馴染んだ。


「軽功の仙気を流し込め。武器の重さに振られるんじゃねえ、お前が重量を支配するんだ」


 ドレイクの言葉に従い、丹田から気を流し込むと、先ほどまで鉛のように重かった剣鉈が仙気と共鳴して微かに脈動し、まるで身体の一部のように軽く感じられた。


「よし、それでいい。棍で動きを封じて、急所を突き刺すか切り裂く。……だが、仕留めたと思っても油断するなよ」


 ドレイクは腕を組み、獰猛な笑みを浮かべて忠告した。


「奴ら、筋肉だけでも執念深く絞め上げてくるからな。首を完全に断ち切っちまっても、だ。……だからこそ、古来より精力増強、生命力の象徴とされてきたわけだ」


「はいッ!!」


 相手の『(スジ)』を断ち切る感覚は、自前のナイフでの地道な解体作業で、嫌というほど身体に染み付いている。


 武器が変わろうと、相手が暴れる蛇であろうが、やることは同じだ。


 結羽は油断なく身を沈め、闘魂棒で大蛇の胴体を泥に抑え込むと同時に、のたうつ大蛇の急所――鱗の隙間めがけて、ドワーフ特注の刃を冷徹に振り下ろした。


 ズパァァンッ!


 一切の抵抗なく、黒鋼の刃がスラッジスネークの太い首を完全に切断する。


 首を落とされてもなお、胴体がビクビクと結羽の足に絡みつこうとしたが、彼女は冷静に『面』の歩法で後退し、その死の抱擁を完全に躱した。


「やりました!」


「おう。見事な手際だ。……さて、お前さんが前衛で稼いでくれてる間に、こっちも裏方の仕事を終わらせとくかね」


 ドレイクは岩の上で、彼自身の巨大なリュックから「あるもの」を取り出していた。


 それは、以前の野田ダンジョンの深層で仕留めた、あの因縁の『ミノタウロスの大腿骨と脛骨』だった。


ヤサ(マンション)の工房じゃあ、さすがにこの火力は出せねえからな。おあつらえ向きに火事の心配がねえ湿地だ。一丁、極上の刃物を仕上げてやる」


 ドレイクは空間収納の袋から取り出した分厚い鋼の金床を岩の上にドンと置いた。


 そして、同じく取り出したミノタウロスの極太の骨――大腿骨と脛骨を素手で掴み、口から極小の超高温ブレスを直接吹きかけた。


 ゴォォォォッ!!


 神話級の火炎を浴びて、周囲の泥が一瞬で干からびてひび割れる。


 絶対的な強度を誇る魔獣の骨が、まるで熱せられた飴細工のように赤熱し、柔らかくなっていく。


「ふんッ!」


 ドレイクはもう片方の手に持ったハンマーで、金床にあてがった赤熱した骨をカンカンカンッ! とリズミカルに叩き、板材へと鮮やかに成形していく。


 骨が叩かれるたびに、火花と魔力の粒子が飛び散る。


「骨から武器を打っているんですか……?」


 結羽が驚愕の声を上げる。


 現代のダンジョン探索において、素材は企業に持ち込んで専用の機械で加工するのが常識だ。


 現場で、しかも己の火と力だけで武器を錬成する鍛冶など、見たことも聞いたこともない。


「よろず屋の基本だ。魔力で整形し、望む形に変える……よし、焼き入れと研ぎはこんなもんか。あとはグリップを巻いて……完成だ」


 ジュゥゥゥッ! と足元の泥水で冷却されたそれは、凄まじい殺気と魔力を放つ『二振りの骨の牛刀(解体包丁)』へと生まれ変わっていた。


 小太刀ほどの長さを持つ、狂気的な切れ味を秘めた双刃。


「お前さんの新しい相棒だ。……多頭の化け物(ヒュドラ)を捌くには、手数がいるからな」


「ありがとうございます、おやっさん!」


 結羽は受け取った双刃の牛刀を両手に握り締め、その感触を確かめた。


 白く美しい骨の刀身だが、仙気を流し込むと刃が微かに紅く赤熱する。


「斬るだけじゃねえぜ。仙気を流し込めば切断面を焼いちまえる業物だ。……きっとこの先必要になる。しっかり使いこなしな」


「はいっ!!」


 泥の歩法、ドワーフの剣鉈による斬撃の理、そして因縁の魔獣から生まれた新たな双刃。


 結羽の戦力は、ここさいたまダンジョンで飛躍的な進化を遂げていた。


 牛刀という新たな戦力を歩法と共に確かめるように、結羽はさらに泥沼の奥へと進み、蟹や蛇、ワニといった水棲の魔獣を突き、叩き、切り伏せ、そして素早く解体していく。


「さあ、前菜は片付いた。……いよいよメインディッシュ、泥沼の主のお出ましだぜ」


 ドレイクが楽しげに視線を向けた先。


 広大な泥沼の中心が、地鳴りのような重低音を立てて大きく隆起し始めていた。


 泥の海を真っ二つに割って、六畳間ほどもある巨大な深緑色の甲羅が現れる。


 さいたまダンジョン中層と深層を繋ぐ主、ジャイアントマッドスナッパー。


 大岩のような頭部が泥の中から弾丸のような速度で射出され、結羽めがけて凶悪な顎を大きく開いた。


(……スナッパー。噛みついたら、雷が鳴っても絶対に離さない。だったら!)


 結羽は逃げなかった。


 迫り来る巨大な顎へ向けて、仙術で極限まで硬化させた古代樫の闘魂棒を、自ら躊躇なく突き出した。


「ガァァッ!!」


 化け亀が、罠とも知らずに棍を深く咥え込み、ガッチリと鋭い牙を食い込ませる。


 凄まじい咬合力。だが、星屑の砂とミノタウロスの角でコーティングされた闘魂棒は決して砕けない。


 首が甲羅の外へと完全に引き出され、牙が食い込んで強固に固定されたその瞬間――。


「……そこッ!」


 結羽は棍を両手で強く握りしめたまま、自らの身体を宙へと投げ出した。


 足元の泥をスケートリンクのように滑る『面』の歩法から、瞬時に『点』へとスイッチし、棍を絶対の支点にして、自身の身体を独楽のように激しく回転させる。


 プロレス技の『ドラゴンスクリュー』の要領。


 だが、乗っているのは少女の軽い体重だけではない。


 遠心力、そして丹田から生み出された仙気の爆発的なエネルギーが、すべてその一点に収束する。


 ミチミチミチィッ!!!


 強固に固定された首を軸に、ねじり切らんばかりの強烈な回転のトルクが、ジャイアントマッドスナッパーの巨体に伝わっていく。


 亀の身体構造上、首を限界まで捻られれば、身体もそれに追従せざるを得ない。


「ひっくり返れぇぇぇッ!!」


 結羽の裂帛の気合と共に、数トンはある巨大な甲羅が、泥を激しく巻き上げながらゴロンッ! と無様にひっくり返った。


 柔らかい腹部を完全に上に向け、短い四肢をジタバタと藻掻かせる巨大亀。


「これで……終わりッ!!」


 結羽は回転の勢いのまま泥の上に着地すると、腰から真新しい『骨の牛刀』を抜き放った。


 そして、ピンと張り詰めた巨大な喉元めがけて地を蹴り、一閃。


 ズパァァァンッ!


 異常な切れ味を誇るミノタウロスの刃が、分厚い皮膚を容易く裂き、大動脈と頸椎を完全に断ち切った。


 地響きを立てて巨体が泥に沈み、さいたまダンジョンの主が完全に沈黙する。


「カッカッカ! 見事なドラゴンスクリューだぜ結羽! 亀の習性と関節の理、完璧にモノにしやがったな!」


 岩の上から、ドレイクの豪快な笑い声と拍手が響き渡った。


「……はぁっ、はぁっ。やりました、おやっさん……!」


 泥だらけの顔を腕で拭い、結羽は会心の笑顔で応えた。


「さて、極上の出汁が出る部位をしっかり捌いて、彩斗美嬢ちゃんへの極上のお土産にするぞ。蟹も蛇も、当分は湧かねえくらいお持ち帰りだ」


 泥沼での過酷な修行を越え、確かな成長と新しい武器を手にした結羽。


 だが、この時彼女はまだ知らなかった。


 この勝利が、次に待ち受ける場所でのさらなる死闘への、ほんの序章に過ぎないということを。

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