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第33話 過保護な門出と、理の系譜

 ふゆが学園へ旅立つ前日。


 前山田家のリビングから続く、よろず屋『ドレイク』の工房では、少しばかり――いや、現代の常識からすればあまりにも異常な「門出の準備」が行われていた。


 作業台の前に胡坐をかき、無造作にスパナを放り投げたドレイクが、炎金の龍眼を細めて妹のほうを向いた。


「ふゆ、こっちへ来い。……右の手を出せ」


 ドレイクが呼ぶと、真新しい制服をハンガーにかけたばかりのふゆが、大人しく小さな手を差し出した。


 ドレイクはその中指に、一つの指輪を嵌めた。


 鈍い銀色をした、石も彫刻もない、飾り気の一切ない無骨な指輪だ。


「おやっさん、これなに?」


「俺が工房で作った。俺の仙気や龍気を無理やり練り込んである。万が一、お前さんの身に不測の事態が起きた時、その指輪が勝手にお前さんの身を護る『結界』を張るようになってる。……それとな、こっちは左の足首だ」


 ドレイクはさらに、使い込まれた革に見えるが、その実、ミノタウロスの腱を仙術で加工した細いアンクレットを取り出し、ふゆの足首に巻き付けた。


「これは『方位の理』を刻んである。お前さんがこの世界のどこにいても、俺と結羽が迷わず辿り着けるための目印だ。……いいか、外すんじゃねえぞ」


「わぁ……お守りだね! ありがとう、おやっさん!」


 無邪気に喜ぶふゆ。


 3年前のあの日、冷たい地面で動かなくなった妹の姿を嫌というほど脳裏に焼き付けている結羽にとって、その指輪とアンクレットは、どんな高級ブランドのジュエリーよりも美しく、頼もしく見えた。


 だが、準備はそれだけでは終わらなかった。


 ドレイクは、作業台の上に置かれた水晶玉――黄龍と、学園への編入祝いに結羽がふゆに買い与えたばかりのスマートフォンへと視線を向けた。


「黄龍、準備はいいか」


『ええ。この世界のネットワーク基盤を少しばかり拝借いたしました。不完全な術理とはいえ、それなりに有用ですな』


 黄龍の宝珠が、深い知性を湛えた淡い金色の光をチカチカと明滅させる。


「おう。こっちの世界にもいくつも監視衛星が飛んでいる。中には役目を終えたヤツもあるだろうよ。適当にお前が見繕って、ふゆがどこにいるか、常にわかるようにしてくれや」


『了解いたしました、師父。……ふむ、デブリになりかけていた位置観測衛星を四つ、そして他国の高解像度軍事衛星のバックアップ回線を支配下に置きま(ハッキングしま)した。ふゆ殿のスマートフォンに私の『分体(アプリ)』を登録し、専用の秘匿回線で二十四時間、センチメートル単位での測位を開始します。誤差はコンマ数ミリ以内。髪の毛一本分も逃しませんよ』


「衛星四つとは豪気じゃねえか。お前さんもすっかり過保護になったもんだな」


『……師父に言われるほどではありませんよ。予備を含めれば、あと二つほど増やしておきましょうか? いっそ、この学園の上空に固定軌道をとらせることも可能ですが』


「カッカッカ! それが一番間違いねえな、頼んだぜ」


 神話級の火龍と、古代文明の超高度人工知能による、あまりにもスケールが違いすぎる『迷子対策』。


 その光景を横で見ていた結羽とふゆの姉妹は、顔を見合わせ、若干引きつった笑いを浮かべた。


「……あはは」


「……あはは」


 指輪、アンクレット、スマホのアプリ、そして宇宙から自分を凝視する四つの軍事衛星。


 これでは、ふゆが学園の売店でお菓子を買う瞬間すら、宇宙から筒抜けではないだろうか。


 そのあまりの過保護さに、姉妹がこっそり、少しだけ引いたことを、一龍と一玉が知ることはなかった。



◆◆◆



 佐修院家が用意した車に乗り込んだふゆを見送った後のよろず屋。


 少しだけ静かになった工房へ、黒田が訪ねてきた。


 主である佐修院彩斗美の執事として、彼はこれまで、結羽たちのために素材の買い取り、マンションの確保、妹の家庭教師から編入先の用意まで、完璧な仕事をこなしてきた。


「すっかり世話になっちまったな、黒田。だが、これで本腰を入れてお前さんとこのお嬢ちゃんの治療にかかれるぜ」


 ドレイクが作業台の上で煙草を吹かしながら言うと、黒田は恭しく頭を下げた。


「恐縮でございます。ドレイク様。……お嬢様も、前山田結羽様の特級ライセンス取得、そしてふゆ様の快復を、心より喜んでおいででした」


「本題に入ろう。……彩斗美嬢ちゃんが『過剰適応』になった元凶、そいつはダンジョンでぶち当たったヒュドラだったな? 場所はどこだ?」


「はい、群馬にある赤城山ダンジョンでのことになります」


 ドレイクの言葉に、結羽が身を乗り出した。


 佐修院彩斗美。


 かつて日本のトップを走ったSSランク探索者。


 彼女を寝たきりの状態にまで追い込んだのは、群馬県は赤城山にあるダンジョン、その最深部で七日七晩、たった一人で戦い抜いたという神話級魔獣――『ヒュドラ』の毒と、その戦闘過程での強引なレベルアップだった。


「なるほどな。多頭の蛇公か。毒に侵されただけならまだしも、肉体がその猛毒とダンジョンの魔素濃度に適応しようとして、地上という薄い魔素の環境じゃあ息もできねえ状態になった……。典型的な最適化のエラーだな」


「……ドレイク様、お嬢様を救う手立ては、やはりそのヒュドラを討つしかございませんか?」


 黒田の必死の問いに、ドレイクは冷静に首を横に振った。


「一番の薬は、そいつの心臓の血肉を食っちまうことだ。だが、群馬くんだりまで行ったとしても、今の結羽じゃあ、そいつの相手をするのはまだ厳しい。……機人化した程度のミノタウロス一匹で腕を折ってりゃ、多頭の大蛇になんざ3秒で丸呑みにされるのが関の山だ」


 結羽は悔しそうに唇を噛んだ。


 特級になったとはいえ、神話の存在であるドレイクから見れば、自分はまだあまりにも未熟。


「ドレイク様ではいかがですか?」


 黒田が食い下がると、ドレイクはさらに深く煙を吐き出した。


「俺が行きゃあ、そりゃあ灰にして根絶やしにするくらいできるさ。だがな、黒田。呪いの解除ってのは、理屈以上に『縁』が重要なんだよ。お前さんとこのお嬢ちゃんにしても、ふゆと同じだ。あてられた魔力の持ち主に最も近い『縁』を持つ者が、その因縁を清算しなきゃならねえ」


 ドレイクは、自分の大きな掌を見つめた。


「お前さん方と結羽との関係は、今はまだ金で雇われたスポンサーと探索者の関係だ。さらにいえば、俺は結羽の師匠であり、召喚された従魔でしかねえ。……ちいとばっか、『縁』が遠すぎるんだよ。俺が横から首を刎ねても、お嬢ちゃんの呪いは完全にゃあ解けねえ。……だから、結羽自身がそいつを食えるレベルまで『格』を上げなきゃならん」


 結羽はドレイクの言葉を、静かに、けれど重く受け止めた。


 自分が強くならなければ、彩斗美先輩は救えない。それはドレイクの無双で解決していい問題ではないのだ。


「……じゃあ、どうすればいいんですか? ヒュドラを倒さなきゃ、お肉は獲ってこれないし……」


「カッカッカ! 慌てんじゃねえよ結羽。……黒田、お前さん、この辺で『すっぽん』の美味い店、知らねえか? 近場なら県外でもいい」


 ドレイクのあまりにも脈絡のない質問に、黒田は一瞬だけ呆然とした。


「す、すっぽん……でございますか?」


「ああ。それも、ただの店じゃねえ。できるなら『亀型の魔獣』が生息しているエリアのな。まぁ爬虫類(おなじ仲間)なら何でもいいんだが、亀のほうが身は詰まってやがるからな」


 有能な執事は、数秒でその意図の半分を汲み取った。


「……埼玉県の湿地帯エリアに、中規模な『さいたまダンジョン』がございます。あそこには、亀型の魔獣や、最深部には古株の巨大亀が生息しているという記録がございますが……」


「よし、決まりだ。そこへ行くぞ」


「あの、おやっさん。ヒュドラの治療に、なんでカメなんですか?」


 結羽の素朴な疑問に、ドレイクはニヤリと凶悪に笑った。


「『同位同食』だよ。蛇も亀も、根っこを辿りゃあ同じ『爬虫類』だ。含まれる魔素の属性も、養気のベクトルも、そう大きな違いはねえ。ヒュドラという劇薬にいきなり突っ込む前に、まずは同じ系統の濃縮された生命力――巨大亀の血肉を結羽の仙術で浄化して食わせる。そうやって、まずは彩斗美嬢ちゃんのガス欠を少しずつ埋めていくって寸法だ」


 呪いという不条理な概念を、生物学的なカテゴリと「食養生」の理屈で解体し、最適化のステップへと組み込んでいく。


 そのドレイクらしい、あまりにも合理的で豪快な解答に、黒田は感嘆の溜息を漏らし、深く、深く頭を下げた。


「……承知いたしました。すぐにさいたまダンジョンへの遠征手配、および特級ライセンスを活用したゲートの優先使用申請を進めます」



◆◆◆



 黒田が去り、遠征までの中二日。


 ドレイクは工房に籠り、結羽が野田ダンジョンの周回で集めた大量の魔石を前に腕を組んでいた。


「いい加減、俺の空間収納袋(マジックバッグ)も直したいんでな。こんだけ魔石がありゃあ、基礎の回路くらいは作れる」


 ドレイクは魔石を一つずつ手に取り、その中身を透かして見る。


 マジックバッグ。アストライアでは一般的な冒険者の装備だが、この世界では一国の軍事予算にも匹敵する『億』を超える国宝級の魔導具だ。


「おやっさん、本当に作れるんですか?」


「魔石と触媒、精密な魔力と、それを繋ぐ設計図(陣と術理)がありゃあ簡単だ。……よし、始めるぞ」


 ドレイクの指先から、目に見えないほど細く鋭い仙気の糸が伸びる。


 それが魔石の内部へと潜り込み、空間を拡張するための幾何学模様――魔力回路を編み上げていく。


 小一時間の格闘。


 だが、最後にドレイクが苦々しげに顔を歪めた。


「……チッ。やっぱ位相が違うか」


「失敗……ですか?」


「いや、袋としての機能は完成した。これに放り込めば、ミノタウロス三頭分くらいは余裕で入る。……だが、俺の『巣』には繋がらねえ。アストライア(あっち)で使ってたマジックバッグの保管庫とは、どうしても座標が合わねえんだ」


 ドレイクは舌打ちをして、完成したばかりの小さな麻袋を放り投げた。


「術式にゃあ同じ座標を刻んだんだがな……。砂時計の『上』と『下』じゃ、同じ住所に手紙を出しても届かねえってことか。位相が違うってのは、こういうことかよ。厄介な話だぜ」


「……」


 結羽は、ドレイクがさらりと「ミノタウロス三頭分が入る袋」を作り上げたことに、恐怖すら感じていた。


 現代の日本の探索者が見れば、文字通り椅子から転げ落ちるような快挙を、彼は「昔の財布と繋がらない」という一点だけで失敗扱いしている。


「いいか結羽、今後は素材の持ち運びはこれを使え。……そのうちお前さんの分も作ってやるから、魔石はしばらく卸さずにおきな」


「おやっさん……その、マジックバッグって、この世界じゃ本当に何億円とか、その、とんでもないお値段なんですけど……」


「随分とたけぇな。ただの袋だろうに。……まぁいい。なにしろ俺は『よろず屋』だからな。……不便な世界を直して回るのが、俺の仕事よ」


 ドレイクは、まるで近所のホームセンターで買ってきたガラクタを直したかのような気軽さで、もう煙草に火をつけた。


「さあ、準備は整った。……行くぞ結羽。埼玉の泥沼へ」


「はいっ! お肉、……じゃなかった、治療の素材、絶対獲りましょうね!」


 ふゆの巣立ち、そして新たなる深淵。


 師弟の進撃は、さいたまの泥濘の中から、さらに激しく加速していく。

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