第211話 留守番の決意と、地球の裏側の拠点(後編)
彼らは、ドレイクが放つ、頭を下げてなお隠しきれない「神話級火龍としての絶対的な覇気」を、本能的に理解していた。
もし、この男がここで暴れようとすれば、この集落など、ものの数秒で極炎のブレスによって灰塵に帰すであろうことも。
それを理解しているからこそ、その圧倒的な強者が、一切の敵意を見せず、プライドをゴミのように投げ捨てて頭を垂れている姿に、ドラゴノイドの戦士たちは、戦慄と、深い敬意を抱かざるを得なかった。
「……よしてくれ。火の王よ。お主ほどの存在が、我らの前でそのような姿を晒すのは、あまりにも『理』に適わぬ」
集落の奥から、白い神官の衣を纏った、年老いたドラゴノイドの長老が、ゆっくりと歩み寄ってきた。
長老は、ドレイクの深く頭を垂れた姿を見つめ、静かに、けれど深い感慨を込めて語りかけた。
「愛弟子を救いたいというその意思、および、我らに対して一切の敵意を持たぬその覚悟……。同じ龍の血脈として、その理、確かに受け取った。……お主の弟子が、お主の過保護な熱に焼き焦がされているというのは、いかにもお主らしい不器用な過ちではあるがな」
「へっ……。違いねえ。返す言葉もねえよ」
ドレイクは頭を上げ、自嘲気味にフッと笑ってみせた。
「お主を侵入者として扱うことはせぬ。だが、水龍の雫は、万病を癒やす奇跡の薬であると同時に、世界中の生死のバランスを狂わせる劇薬でもある。それを分け与えるか否かは、この集落で最も強く水龍の加護を受ける、今代の『水龍の巫女』の判断に委ねられる」
長老は静かに道を空け、最奥に佇む、美しくも厳かな大理石の神殿を指差した。
「さあ、案内しよう。……あの神殿の奥、今代の巫女『ルアナ』が、お主のその不器用ながら熱い『理合い』を、判断してくれるだろう」
「ありがてえ。恩にきるぜ、長老」
ドレイクは首のタオルを締め直すと、曾孫を救うための絶対の不退転の覚悟をその胸に、神聖なる水龍の神殿へと向けて、「大人としてのスジ」を携え、一歩、一歩、力強く進むのだった。
◆◆◆
地脈の奥深く、大河の泥濁りの気配を完全に払拭するほどに澄み切った、美しい白い大理石の神殿。
壁や床、太い円柱のすべてが、青白く澄んだ水の気のベールによって幾何学的にコーティングされ、空間全体を底冷えするような絶対零度の静寂で満たしている。
その白く輝く神殿の広場、冷たい水の気が揺らめく拝殿の真ん中に、一人の少女が、静かに端座していた。
今代の『水龍の巫女』――ルアナ。
年齢は二十歳前後。
引き締まった褐色のしなやかな四肢を白い神官の衣から剥き出しにし、その手首と足首には、ミスリル銀で打ち出された無数の細い鎖の装飾が、風に揺れる鈴のような澄んだ音を立てて絡みついていた。
ルアナの切れ長の大きな瞳の奥に宿るのは、絶対的な水の冷徹さと、それから、侵入者たる火の王に対する、一切の容赦のない獰猛な武人の光であった。
ドレイクは、ルアナの数歩手前で足を止め、自身の黄金の龍眼を細めて彼女を見据えた。
ルアナは、静かに立ち上がり、白い大理石の床を踏みしめてドレイクと対峙した。
「……火の王よ。愛弟子を救いたいというその意思、その不器用な覚悟、確かに同じ龍の血脈として、その理合いは受け取りました。……しかし、長老も言ったとおり、水龍様の雫は、万病を癒やす奇跡の薬であると同時に、生死のバランスを狂わせる劇薬。……それを得る者には、相応の『責任』が必要です。あなたは、その薬を手にするに値するだけの、どのような責任を背負うおつもりですか?」
ルアナの静かな問い。
それは、ドレイクが曾孫を、弟子を、どのような覚悟で背負って立つのかという、治療師としての、そして番人としての本質的な問いかけであった。
ドレイクは、その黄金の龍眼の奥底に、消えることのない不滅の闘魂の炎を宿して、静かに語り始めた。
「あいつは、俺の可愛い弟子っこだ。……毎日、早朝から泥にまみれて、血の滲むような努力で、俺の叩き込んだ『理』を全部自分の身体に叩き込んできた、自慢の弟子っこなんだよ。……だが、そんなあいつの成長を見誤り、過保護な加護の火で焼き焦がしちまったのは、他でもねえ、俺の甘さだ」
そこまで言ってドレイクは唇を噛みしめた。
「……だから、あいつの火を消して、あいつの器を無事に完成させてやるのは、他でもねえ、俺の責任だ。あいつを救うためなら、俺はどんな世界のルールだって、へし折って、お前さんたちの前に何度だって頭を下げてやるさ」
ドレイクの不器用で、熱すぎる覚悟。
その言葉は、ルアナの胸の奥底に、確かな重みとなって響き渡った。
「……その上で、だ。あいつの器が完成した先に、この世界にとって大きすぎる力をあいつが持って……世界を壊すような真似をするなら――そのケジメは、俺自身の手でつける。それが俺の責任であり、俺の覚悟だ」
ルアナは、ドレイクの否定しようのない真っ直ぐな瞳を見つめ、フッとその口元に、丁寧な巫女本来のものとは違う、獰猛でどこか懐かしい笑みを浮かべた。
「……あなたの、その不器用な『理合い』、確かに聞き届けました。……本来なら、あなたほどの存在がここまで頭を下げて対話に臨んだ時点で、水龍様の雫を与えるに十分なのですが。……どうやら、水龍様は違うようでして……。その、『試し』を受けていただくよう、思し召しがございました……」
ルアナがその言葉を口にした、まさにその瞬間だった。
彼女の澄み切った水色の瞳が、突如として妖しく、かつ底知れない神話の輝きを放ち始めた。
全身から発せられる魔力の密度が急激に跳ね上がり、ルアナの手首と足首に絡みついたミスリル銀の鎖が、ジャラジャラと激しく明滅し始める。
ドーム状の神殿空間全体に、キィィィン、と本物の絶対零度の冷気が張り詰めた。
神殿や、周囲に暮らすドラゴノイドたちの集落を物理的に破壊しないよう、ルアナが手を振るうと同時に、神殿全体を包み込むような、巨大なドーム状の『水の結界』が瞬時に展開され、空間を完全に隔離した。
逃げ場のない、絶対的なタイマンの檻。
「水龍様の思し召しですので――今代の『水龍の巫女』、ルアナ、推して参ります。……火の王よ、あなたのその不器用な覚悟が本物かどうか、この『試し』を以て示していただきます!」
ルアナは、大河のうねりと同調するように、その場で静かに、しかし滑らかに身体を左右へと揺らし始めた。
南米発祥の格闘技であり、変幻自在の舞闘――「カポエイラ」。
独特な基本ステップである「ジンガ」の足運びが、濡れた大理石の床に規則的なリズムを刻む。
ドレイクは、ジャージの袖をゆっくりと捲り上げ、丸太のように太い両腕をだらりと下げて、不敵に笑ってみせた。
魔力による大質量の攻撃や、広域を灰塵に帰す極炎のブレスは、ここでは一切使用しない。
己の肉体と、前世から培ってきた『関節の理』だけで迎え撃つ、泥臭い大人のステゴロ勝負。
流と撃のスタイルである、カポエイラ。
剛と柔のスタイルである、ランカシャースタイル。
相反する二つの戦闘の理合いが、愛弟子の命を救うための不退転の覚悟を乗せて。
地球の裏側、南米アマゾンの神殿結界内にて、今まさに、激しくぶつかり合おうとしていた。




