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第21話 過剰適応の呪いと、極上の同位同食(後編)

◆◆◆



 佐修院家での重苦しくも決意に満ちた契約を終え、結羽とドレイクは野田市内のマンションへと帰還した。


 窓の外にはすでに夜の帳が下り、街の明かりが遠くに見えている。


 リビングに足を踏み入れるなり、ドレイクはアストライアから持ち込んだ修理中の第三世代魔導コンロを引っ張り出し、大きな土鍋をどっかりと乗せた。


「さあ、まずは腹ごしらえだ。今日は昨日狩ったウルフの肉と骨を限界まで煮込んだ、スタミナ味噌ちゃんこ鍋だぞ」


 ドレイクが手際よく野菜と肉を切り分け、鍋に放り込んでいく。


 すぐに、暴力的なまでに食欲をそそる味噌と肉の香りが部屋中に充満し始めた。


 だが、結羽はソファに座ったまま、自分の両手をじっと見つめていた。


 脳裏に焼き付いているのは、魔導生命維持装置に囲まれ、虎柄に変色した髪を力なくベッドに散らしていた彩斗美の姿だ。


「おやっさん……わたしもダンジョンに潜り続けたら、彩斗美先輩みたいに人間じゃなくなっちゃうんですか……?」


 自分がこれから進もうとしている道も、一歩間違えればあんな風に壊れてしまうのではないかという恐怖。


 結羽が震える声で問いかけると、ドレイクのポケットからふわりと浮かび上がった黄龍の宝珠が、静かに明滅しながら答えた。


『結羽殿。そもそも「レベルアップ」とは何か、理解していますか? あれは単なる数字の上昇ではなく、「ダンジョンという環境に適応するための、肉体の強制的な構造変化」なのです。急激な変化に対し、栄養や魔力という「土壌」が足りないから、人間の身体はエラーを起こして「魔力酔い」や「成長痛」に苦しむのです』


 黄龍の言葉に、結羽はハッとして顔を上げた。


佐修院(さじゅういん)殿は、極限の瘴気の中で無理やりレベルアップを繰り返しすぎました。結果、リソース不足のままダンジョンの魔素で身体を補ってしまい、「過剰適応バグ」を起こしたのです』


「要するに、ガス欠のまま無理やりエンジンを回し続けたからぶっ壊れたんだ」


 湯気を立てる椀を両手に持ったドレイクが、結羽の前にドンとそれを置いた。


「なら、どうすればいいか? 簡単だ。あらかじめ肉体をダンジョン仕様に耐えられるように、土壌を作ってやればいい。その最強の最短ルートが、その土地のモノを喰らう『同位同食』だ。魔獣の肉を血肉に変えて、細胞の隅々までダンジョンに最適化させるんだよ」


 ドレイクの力強い言葉に、結羽は椀の中の肉を見つめた。


「魔獣のお肉を食べる……。でも、おやっさん。どうして現代の探索者は誰もそれをやらないんですか? お肉なら、現代でも協会に買い取られたものが浄化されて、高級食肉として流通したりしてますよね?」


 当然の疑問だった。もしそれが最も正しく強くなる方法なら、もっと広まっているはずだ。


『ネットワークの記録によると、ダンジョン発生初期の第一世代や第二世代の探索者の中には、現地で魔獣を食べる者もいました』


 黄龍が、現代の知識の海から引き上げた情報を語る。


『しかし、未浄化の肉は「魔力酔い」などの身体への悪影響が強く、現場での食用には不向きとされたのです』


「……だったら、確保した魔獣のお肉や植生を、その場で浄化して食べればよかったんじゃ……?」


『おっしゃる通りです。しかし、現代において「浄化」の魔法を使える者は極めて稀です。また、魔獣肉を安全に浄化・調理できるような大掛かりな魔導設備を迷宮に持ち込む労力に比べ、安価で高カロリーなダンジョンアタック用の携帯食(ゼリーや栄養ブロック)が誕生し、普及してしまった』


 黄龍の宝珠が、少しだけ残念そうに光を揺らした。


『結果として、コストに見合わない「現地での調理」は完全に廃れ……同時に、ダンジョンに適応するための「同位同食」という真の理も、現代の探索者たちから見過ごされてしまったのです』


 便利さと効率を追い求めた結果、人間は最も大切な『命のやり取りとしての食』を失ってしまった。


 それが、現代のダンジョン探索者が陥っている見えない罠だったのだ。


「安っぽいゼリー飲料ばっかり啜ってるから、身体の基礎がスカスカになるんだよ。……だがな、結羽。お前さんには俺がいるだろ」


 ドレイクはニヤリと笑い、鍋に向かってかざした掌から、青白い仙気をスッと放った。


 仙気が肉にこびりついた魔獣特有の荒々しい匂いを優しく包み込み、消し飛ばしていく。


「俺の『浄化の仙術』で、肉にこびりついた余計な魔素(毒)は完全に濾し取ってある。お前さんが食うのは、純粋な生命力(最適化の力)だけだ。こんな極上の飯、ゼリー啜ってる連中には絶対に味わえねえぞ」


『ええ。師父の「医食」があれば、人間としての形を保ったまま、完璧な最適化が可能です。少なくとも結羽殿がバケモノになることはありませんよ。保証します』


「そうだ。だがそれでも、人間という枠組みから外れ、迷宮を曝く者へと自らを近づけていく過程でもある。……食う覚悟はできてるな?」


 それは、ただの食事の誘いではない。


 システムという補助輪を捨て、自らの肉体を魔獣と同じ次元の怪物へと最適化させるという、究極のサバイバルへの入り口だった。


「そんな覚悟、いまさらだよ、おやっさん!」


 結羽は力強く言い切り、立ち上がって真っ直ぐにドレイクの目を見返した。


 黄龍とドレイクの言葉が、結羽の心に巣食っていた恐怖と迷いを、完全に消し去ってくれた。


 自分はただ魔獣を食わされているのではない。


 誰も知らない理に基づいて、最も正しく、そして安全に強くなっているのだ。


「……いただきます!」


 色々な覚悟を一緒に飲み下すつもりで、結羽は意を決してその肉を口に運んだ。


 目を固く閉じ、思い切り咀嚼する。


「……っ」


 瞬間。


 結羽の閉じていた目が、パッと見開かれた。


「うっわ……なにこれ、めちゃくちゃ美味しい……!!」


 覚悟の悲壮感など、一瞬で吹き飛んだ。


 獣臭さなど微塵もない。


 噛み締めるたびに溢れ出す強烈な肉の旨味と、味噌の深いコク。


 そして何より、身体の芯からカッと熱くなるような生命力の奔流。


 それは、結羽の限界まで疲労した身体が、細胞の隅々までが本能で欲していた、完璧な味だった。


 魔力酔いも成長痛もない、健やかなる最適化が細胞レベルで進行していくのがわかる。


「バカヤロウ。だから言っただろ。そんな毒になるようなもん、弟子に食わすかってんだ」


 目を丸くする結羽を見て、ドレイクは豪快に笑う。


 過剰適応の恐怖すらも、この師匠が作る極上のダンジョン飯の前では、ただの健やかな成長の糧でしかなかった。


「はいッ! おかわりいいですか!?」


「おう、いくらでも食え」


 こうして腹を満たし、確かな活力を得た後、二人は今後の具体的な行動方針について話し合った。


 ステータスという枠を外れた少女の、理を極める『地獄の周回(同位同食)』が、いよいよ本格的に幕を開けたのだった。

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