第201話 結羽の隔離療養と、ふゆの焦燥(後編)
スプーンで一口すくい、ふー、ふー、と息を吹きかけて冷ます。
「え、ええっ!? ふ、ふゆ、わたし、自分で食べられるよ! そこまでお熱はないし、手だって動くし……」
結羽は、離乳食を食べさせられる赤ん坊のようなシチュエーションに、一瞬にして顔を真っ赤に染め上げ、手をバタつかせて拒絶しようとした。
だが、その右手が少しでも器に触れれば、今度はそのお粥の器が木端微塵に粉砕されることは、火を見るより明らかだった。
「だーめ! お姉ちゃんが触ったら、このお皿もスプーンもぐにゃぐにゃに壊れちゃうでしょ! いいから、大人しくあーんしなさい!」
ふゆは、お姉ちゃんとしての威厳を完全に放棄して真っ赤になっている結羽に向かって、スプーンをぐいと突き出した。
「う、うぅ……ふゆの、いじわる……」
結羽は、真っ赤になった顔をさらに下へと向けながら、観念したように小さく口を開けた。
「……あ、あーん……」
ぱくり。
優しいお米の甘みと、温かな出汁の風味が、結羽の渇ききった喉を優しく潤していく。
それは、ただの食事ではなかった。
黄龍の指示で作られた、さまざまな漢方を使った薬膳粥。
そしてふゆの優しい想いと健気な気遣いが、結羽の沈んでいた心に、ぽっと温かい火を灯していくような、切実で温かい時間だった。
「美味しい……。ふゆが食べさせてくれるから、からだの中のチリチリした痛みが、少しだけマシになった気がするよ」
「でしょ? 佐修院家のお抱えのシェフが、お姉ちゃんのために一生懸命作ってくれたんだから。……でも、お姉ちゃん。これだけじゃダメなんだ」
ふゆは、お粥の器をテーブルに戻すと、スッと表情を真剣なものへと切り替えた。
彼女は、おでこに跳ね上げていた『UIゴーグル』をカシャリと下に下ろし、そのレンズの奥で『魔力視』の淡い光を灯した。
「お姉ちゃん、お熱がまた上がってないか、ちゃんと視るからね。……じっとしてて」
「うん……」
結羽は布団を握る手を少しだけ緩めて、ふゆの真剣なまなざしを受け止めた。
ふゆの魔力視の視界。
それは結羽の体内の『真の理』を捉えていた。
ふゆの眼に映る、結羽の体内の光景。
それは、言葉を失うほどに壮絶で、そして残酷なまでに美しい、炎と魔力のせめぎ合いだった。
結羽の全身を巡る、経絡と呼ばれる魔力や仙気の通り道。
そこには、彼女がこれまでに『同位同食』によって取り込んできた魔獣たちの強大な生命力と、ドレイクから無意識のうちに注がれ続けていた、神話級火龍の圧倒的な『加護の熱量』が、まるで巨大な活火山のマグマの如く、赤黒い奔流となって経絡を焼き切らんばかりに暴れ回っていた。
通り道を焼き尽くし、魂の器そのものを焦がし尽くそうとする、絶対的な熱。
ドレイクが残した、水龍の気を持つネックレスの青い冷気が、そのマグマの表面に薄い氷の膜を張るようにしてかろうじて抑え込んでいるが、それも、いつ内側からの爆圧で弾け飛んでもおかしくないほどの限界状態だった。
(……ひどい。こんなに、こんなに熱い奔流が、お姉ちゃんの体を内側から焼き尽くそうとしてる……)
ふゆは、お姉ちゃんがどれほどの激痛と苦しみに耐えながら、自分に向かって「平気だよ」と笑って見せていたのかを知り、胸が引き裂かれるほどの痛みに襲われた。
三年前。
自分が霊穴塞ぎで寝たきりだったあの日。
お姉ちゃんは、自らの骨が折れるのも構わず、傷だらけになりながら、自分のためにミノタウロスを狩り、特効薬を持ち帰ってくれた。
今度は、自分が助ける番だ。
「お姉ちゃん……手を、貸して」
「ふゆ……?」
ふゆは、結羽の布団から覗く、熱を帯びた右手を、自らの小さな両手でぎゅっと包み込んだ。
そして、静かに目を閉じる。
(わたしにも、回復の真似事くらい……わたしの魔力を流して、少しでもお姉ちゃんの熱を散らすことくらいなら……っ!)
ふゆは、自らの魔力を指先に集中させ、結羽の経絡へと少しでも穏やかな気を流し込もうとした。
だが。
ジュッ、シューーーーッ!!!
「――っ!?」
次の瞬間、ふゆの指先から、激しい水蒸気のような音を立てて仙気が散逸した。
ふゆが結羽の経絡へと流し込もうとした仙気は、結羽の内側で荒れ狂う火龍の圧倒的なプレッシャーの前に、触れた瞬間に激しく弾き飛ばされてしまったのだ。
あまりの熱量差。
野田ダンジョンの深淵で、結羽の背中越しに『巡気』による回復を施したときとは状況が明らかに違った。
まだ十歳のふゆの未熟な器では、干渉することすら許されない領域。
反発の衝撃がふゆの腕を伝い、彼女の小さな身体をベッドサイドから弾き飛ばしそうになる。
たたらを踏み、なんとか指先を庇いながら、ふゆは自分の両手を見つめた。
掌は低度の火傷のように赤くなり、皮膚の表面から微かに陽炎が立ち上っている。
自分の全力が、姉に届かないどころか、巡気することもできず弾き飛ばされた。
その決定的な実力差と、己の無力さ。
ふゆの大きな瞳から、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちた。
「お姉ちゃん……。ごめん。わたし、わたしの力じゃ、お姉ちゃんの熱を……全然、冷ませない……っ!」
お姉ちゃんを救いたい。
ただお家で待っているだけの、守られるだけの子供になりたくない。
そう誓って、一生懸命に頑張ってきたはずなのに。
結局、自分はまだ、お姉ちゃんが苦しんでいる時に何もしてあげられない、無力な子供のままだった。
ふゆは、悔しさと、姉を喪ってしまうかもしれないという恐怖に、小さな肩を震わせて泣きじゃくった。
結羽は、ベッドの上から、そんな妹の姿をじっと見つめていた。
手足に嵌められた縛仙環はなくとも、今の彼女は、自分の意思一つで世界を滅ぼしかねない強大な暴力の塊だ。
だから、妹を抱きしめてあげることも、その涙を自分の手で拭ってあげることすら、今の自分には許されない。
その過酷な世界のルールに、結羽もまた、胸を締め付けられるような思いで奥歯を噛み締めていた。
だが、前山田の女たちの血脈に宿る『ド根性』は、この程度の挫折で完全に折れるほどヤワではなかった。
ふゆは、袖口で乱暴に涙を拭うと、真っ赤な目で、けれど最高に強い光を宿した瞳で結羽を見上げた。
「泣いていたって、お姉ちゃんは治らない……。わたし、絶対にお姉ちゃんを助ける方法を見つけるから! おやっさんが帰ってくるまで、お姉ちゃんの身体は、わたしが守る!」
ふゆは、小さな拳を強く、強く握りしめた。
その堂々たる宣言。
ただ守られるだけだった少女から、姉の命を背負って立つ『癒やし手』へと覚醒を遂げようとする、前山田の女としての、不退転の覚悟の証明だった。
部屋の隅で、ふゆのスマートフォンから放たれる黄龍の光が、その小さな背中を祝福するように、一段と明るく、そして温かく明滅した。
師が地球の裏側で戦う中。
留守番を任された少女の、姉を救うための、もう一つの戦いが、今ここから、静かに幕を開けようとしていた。




