第199話 エコノミー地獄と、禁煙ボヤき念話(後編)
火の気を持つ自分が、曾孫のそばにいればいるほど、自らの放つぬくもりそのものが、結羽のなかの火を共鳴させ、彼女の魂の器を内側から焼き尽くしていく。
自分が愛弟子のそばにいること自体が、最大の凶器となって彼女を殺しかけているという、避けることのできない不条理。
(……俺の、責任だ。俺が、あいつを曾孫だと知って、無意識のうちに力を流し込みすぎちまった。……ひいじいちゃんとしての、安い過保護が、あの子を殺しかけてる)
ドレイクは、ジャージの襟首を、爪が食い込むほどの力でグッと握りしめた。
かつてアストライアの大分断の地獄を彷徨い、親友の死を見送ったあの夜の、胸を引き裂くような暗い焦燥が、再び彼の胸の奥底でマグマのようにふつふつと沸き立っていた。
結羽の内なる炎を鎮め、彼女の戦士としての器を完成させるためには、火龍の自分には逆立ちしても作れない、絶対零度の冷気を宿した特効薬――『水龍の雫』、その原液が必要だ。
黄龍の広域スキャンが、水龍の霊波パターンを地球上を総ざらいしての『砂時計のくびれ』の特異点として検知した、南米アマゾンの奥地。
そこに、かつてアストライアで口喧嘩を繰り返していた、あの神話級古代龍『水龍』の加護が色濃く漏れ出している。
自分が結羽から物理的な距離を置き、その間に、地球の裏側から水龍の雫を毟り取って帰ってくる。
それしか、愛する曾孫を救う手立ては残されていなかった。
『師父。……そこまでご自身を責める必要はありませんよ。結羽殿の器は、師父の想像以上に頑丈に、そしてしなやかに鍛え上げられています。それに、日本にはあの気高きコマンダーの彩斗美殿と、手当ての理を学びつつあるふゆ殿、そして私の分体アプリが残っています。彼らが結羽殿の命を、師父が雫を持ち帰るその瞬間まで、確実に繋ぎ止めてみせます。……だから、焦る必要はありません』
黄龍の、いつになく優しく、そして深い知性に満ちた念話が、ドレイクの張り詰めていた心をわずかに和らげた。
(……ああ。わかっておるよ。あいつらは、俺の想像以上に強い戦士に育ちやがった。……だがな、黄龍)
ドレイクは、フッと、いつもの彼としての、不敵で、どこか人間臭い笑みを浮かべてみせた。
(曾じいちゃんって生き物はな、どれだけ相手が強くなろうが、心配で心配で夜も眠れなくなるように作られてんだよ。前世じゃ、娘を早くに亡くしちまった俺にゃ、尚更な。……だから、一秒でも早く、水龍の雫を毟り取って帰らなきゃならねえんだよ)
『ほっほっほ……なるほど。かつて光華の宮廷で「黒椅子の賢者」などと呼ばわれていた師父が、ただの過保護なおじいちゃんになってしまいましたね。……李皓月が生きていれば、きっと極上の酒を片手に、腹を抱えて大爆笑していたことでしょう』
(うるせえよ。お、ようやく配給の時間か)
ドレイクの視線の先。
機内前方のカーテンが開き、良い匂いと共に、キャビンアテンダントが機内食のカートを押して通路を進んできた。
ドバイ経由便ならではの、中東風のスパイシーな香りが、機内を満たしていく。
カートがドレイクの座席の横に到着した。
キャビンアテンダントの女性が、ジャージ姿に首タオル、プロレスラーのような巨体で、いかつい強面をしたドレイクの姿を見て、一瞬だけ身体をこわばらせた。
「……ビーフ、オア、チキン?」
彼女は、引きつった営業スマイルを浮かべながら、おそるおそるドレイクへと英語で問いかけた。
「びーふ。それと、ビールだ。あるだけ持ってきてくれ」
ドレイクが、嗄れた、地響きのような重低音の英語で無造作に答える。
キャビンアテンダントは、そのガラの悪いおやじのプレッシャーに怯え、弾かれたようにアルミホイルに包まれた熱々のビーフカレーと、キンキンに冷えた缶ビールを三缶、プラスチックのトレイに乗せて差し出した。
「さんきゅー」
『やれやれ。師父、キャビンアテンダントの彼女、あなたの気迫に怯えて、ビールを多めに置いていきましたよ。ただでさえ畏怖を与える外見なのですから、なんの罪もない乗務員を怯えさせるのは感心しませんぞ』
アルミホイルを剥がすと、スパイスの効いたビーフカレーと、サフランライスが湯気を立てている。
ドレイクは、プラスチックの頼りないフォークとスプーンを大きな指で窮屈そうに摘みながら、一口、それを口に運んだ。
(……ふむ。ピリッとした辛味は悪くねぇが、やっぱり肉が少なすぎるな。これじゃあ、ジャイアント・ボアのスペアリブの千分の一の養気にもなりゃしねえ)
文句をブツブツと脳内で垂らしながらも、ドレイクは、昭和の生まれらしく「出された飯は残さねえ」の精神で、実に見事な手際でカレーをスルスルと完食していった。
そして、プシュッ、と缶ビールのプルタブを親指一つで軽々と弾き飛ばす。
ゴクッ、ゴクッ、ゴクッ……。
「ぷはぁーッッ!!」
ドレイクは、飛行機の狭いシートの中で、極上の喉越しを噛みしめるように、ビールを一気に胃の腑へと流し込んだ。
冷えた炭酸が、渇ききった彼の喉を心地よく刺激し、張り詰めていた身体の緊張が、すっと解けていく。
(やっぱり、このキンキンに冷えたビールだけは、アストライアのどんなエールよりも最高だぜ。……よし、燃料補給は完了だぜ。あとは瞑想でもしながらのんびり着陸を待つとするか)
ドレイクは、空になったビールの缶を握り潰してトレイに戻すと、再び目を閉じ、曾孫を救うための絶対の覚悟をその胸の奥底で静かに、しかし熱く練り上げ始めた。
飛行機は、夜の闇を切り裂き、中東のオアシス・ドバイへと向けて、着実にその翼を進めていくのだった。




