表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
198/207

第198話 エコノミー地獄と、禁煙ボヤき念話(前編)

 成田国際空港を離陸し、深夜の太平洋を越えてアジア大陸の西端へと向かう大型旅客機のキャビンは、微かなエンジンの重低音と、高度一万メートルを飛ぶ航空機特有の、キィィィンという気圧のノイズに支配されていた。


 遮光カーテンがすべて閉め切られた、薄暗い一般商業便の機内。


 そのエコノミークラスの最後尾に近い座席の一角に、周囲の乗客たちから完全に奇異と畏怖の眼差しを向けられながら、彫像のように凝固している巨漢の男がいた。


 ヨシュア・A・ドレイクである。


 身長185センチを超え、丸太のように太い四肢と、ヘビー級の格闘家かプロレスラーを思わせる尋常ではない骨格を持つ彼の肉体は、現代の航空工学が極限のコスト削減のために設計した『エコノミークラス』の狭い座席という名の檻に、完全にギチギチに押し込められていた。


 幅わずか数十センチのシート。


 ドレイクが少しでも肩を動かせば、安物のジャージの肩口が左右の肘掛けを強引に圧迫し、ミシミシとプラスチックのパーツが悲鳴を上げる。


 さらに、前の座席の背もたれには、彼の頑強な膝が常にめり込んでおり、前の座席に座っている外国人乗客が、ドレイクが呼吸を合わせて少し身をよじるたびに、シート越しに伝わる尋常ではない大質量のプレッシャーに怯え、何度も引きつった顔で後ろを振り返っていた。


(……チッ。なんだってこんなに狭ぇんだ。アストライアの鉱山用奴隷檻の方が、まだ手足を伸ばす余地があるってもんだぜ)


 ドレイクは、ジャージの首に巻いた使い古しのタオルを無造作に握りしめ、自身の脳内で盛大なボヤきを炸裂させていた。


 前の座席の背もたれにある液晶画面には、彼らの乗った飛行機が、現在ドバイを経由してブラジルのマナウスへと向かう、果てしなく長い中東ルートの半分にも達していないことを示す、青い航路図が冷酷に表示されている。


 アメリカ経由での厳格な入国審査(ESTA)の手続きや、そこからの不必要な個人情報の漏洩を避けるため、佐修院家のロジスティクスが提示した最短にして最安全のルート。


 だが、その結果として、ドレイクに与えられたのは、特別チャーター便が即座に確保できなかったことによる、一般商業便の、それも最後尾に近いエコノミークラスという『地獄のフライト』だった。


 ドレイクのジャージの右ポケット。


 そこには、光華王朝の超高度人工知能を宿した『黄龍』の宝珠本体が、周囲の乗客に気づかれないよう、極限までその魔力を遮断して収められていた。


『やれやれ。師父。随分と不機嫌そうですな。……まるで、今にも機体を物理的にへし折って、炎金の翼で自ら太平洋を飛び越えかねないほどですが、くれぐれも自重なさってくださいね』


 脳内に直接響く、黄龍の風雅で、けれどどこか楽しげな、トゲのある念話。


(当たり前だ、バカヤロウ。それにしても肩が凝るなんてレベルじゃねえぞこりゃあ。彩斗美嬢ちゃんに数十万も支払ってもらって、こんな座席とはな。大昔の巡業バスだってもっと楽だったぜ)


『前世のお話ですな。巡業バスで日本中を巡り、スーツケース一つに試合用のコスチュームを詰めて世界中を巡ったという。その際にも飛行機には乗ったこともあるでしょうに』


(そこそこ売れっ子だったからな。海外遠征はファーストクラスとまではいかねえが、行きも帰りもビジネスクラスでゆったり移動よ。エコノミーってのは初めての経験だぜ)


 ドレイクは、不機嫌そうに鼻からフンと太い息を吐き出した。


 それだけで、彼の周囲の大気がわずかに熱を帯びて陽炎を描きそうになり、慌てて仙気で熱量を相殺する。


(それ以上に、だ。……タバコが吸えねえ。こいつは拷問だぜ。ヤニ切れの問題だけじゃねえ。お前に話すにゃ今更だがヤニの煙で魔素をコントロールをしているからな。集中力が切れて息が詰まりそうだぜ)


『師父、それは諦めてください。現代地球の商業フライトにおけるルールは絶対です。もしジャージのポケットから携帯灰皿を取り出して、そのタバコに一本でも火を点けた瞬間に、天井の電子煙感知器が作動し、次の経由地であるドバイの警察署に直行することになりますよ。善良な一般市民としての戸籍を作ったのですから、どうか大人しくお眠りなさい』


(……ふう。焦ったところでしょうがねえのはわかっちゃいるが、とてもじゃねえが眠れる心境じゃねえぜ)


 ドレイクは、忌々しげに首の骨をゴキリと鳴らし、長い溜息を吐き出した。


 彼の脳裏に去来するのは、今回の遠征を強行せざるを得なかった、あまりにも切実で、あまりにも残酷な『世界のルール(理)』だった。


 千葉県野田市の佐修院本邸にある隔離療養部屋。


 そこに、全身を「耳なし芳一」の如き光華文字と魔術回路の封印呪で埋め尽くされ、激しい息を荒くして寝たきりになっている、最愛の弟子にして、並行世界のひ孫である前山田結羽の姿。


 新宿ダンジョン深層での、あの機甲化された鵺や摩天楼ゴーレムとの死闘の果て。


 結羽の身体に起きた適応暴走。


 それは、彼女が『同位同食』を繰り返し、生命の()を急激に上昇させたことによる、肉体の過剰適応。


 だが、それ以上に彼女の器を焼き切らんばかりにオーバーヒートさせていたのは、他でもない、自らが結羽に無意識のうちに流れ込ませ続けていた、あまりにも強大で過保護すぎる『火龍の加護』だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ツギクルバナー
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ