表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
197/204

第197話 日常への帰還と、適応の代償(後編)

「しょ、承知いたしました!」


 黒田が血相を変えてスマートフォンを取り出そうとする。


 だが。


「……待て。医者なんぞ呼んだって、どうにもならねえ」


 地響きのような、重く、そしてすべてを諦めたかのような嗄れた重低音。


 ドレイクはいつの間にか、結羽の傍らに膝をついていた。


 彼の保護者として師匠としての、いつもの飄々とした余裕は、その顔から一欠片も残らず消え失せていた。


 ドレイクは、自らのゴツゴツとした大きな掌を、倒れ伏す結羽の胸元へとそっと、壊れ物を扱うように重ね合わせた。


 手のひらから伝わってくるのは、尋常ではない熱量。


 結羽の体内で、彼女がこれまでに喰らってきた『同位同食』の莫大な生命力の残滓、そして新宿で打倒した数万の魔獣たちの魂の奔流が、彼女の未熟な『器』のキャパシティを遥かに超えて、暴風雨のように荒れ狂っていた。


「……適応暴走だ。ダンジョンの深層じゃあ、外側の高濃度な魔素の圧力が蓋になってバランスが保てていたが……。この魔素の薄い平穏な地上に帰ってきて、さらに緊張の糸が切れたことで、結羽の内側で膨張しきっていた魔獣どもの魂が反発し合って決壊しやがった。いわば、魔力的な減圧症だ」


 ポトリ、と。


 ドレイクの大きな手から、火をつける前のタバコが床へと落ちた。


「それに……こいつぁ、俺の責任だ」


 ドレイクは、ギリ、と奥歯が砕けるほどの力で噛み鳴らした。


「並行世界の曾孫だってわかってから……俺が、無意識のうちにコイツに流れ込ませちまってた『火龍の加護』の熱量が、結羽の未熟な器の奥底で暴発しやがった。……俺が力を与えすぎちまった。俺のバカみてえな過保護が、結羽を内側から焼き焦がそうとしてやがる……!」


 それは、数千年の時を生きる古龍が、その人生において一度も見せたことのない、激しい後悔と己への絶対的な怒りに満ちた独白だった。


「お、おやっさん……! ねえ、おやっさん、助けてよ……! おやっさんなら、なんでもできるんでしょ……っ!」


 ふゆが、結羽の真っ赤に火照った小さな手を握りしめ、ボロボロと大粒の涙を流しながらドレイクにすがるようにして叫んだ。


 ドレイクは無言のまま、己の指先に濃密な仙気を集めると、その指先で結羽の衣服の上から、高速で複雑怪奇な『光華文字』と『魔術回路の封印呪』を直接描き込み始めた。


 黄金に発光する呪印が、結羽の全身をまるで「耳なし芳一」のようにびっしりと覆い尽くしていく。


「……チッ、ダメだ。一時的に魔術回路に重しを乗せて封じ込めたが、これでも熱と怪力は漏れ出す。俺の火の気じゃあ、この『過保護の火』を消し止めることはできねえ。コイツを救うには、内側から燃え盛る火龍の火を、物理的に、そして絶対的に中和して鎮める、極上の『冷気』――水龍の力が必要だ」


 ドレイクは、焦燥に血走った龍眼を見開いたまま、空間収納袋(マジックバッグ)に強引に手を突っ込むと、中から一本の、青白い結晶の輝きを放つ不格好な『ネックレス』をひったくるようにして取り出した。


「黄龍! こいつと霊波パターンが同一か、あるいは類似の『気』を今すぐ辿れ! 火龍の俺がこの地球に召喚されてんだ、地上の歴史上に水龍の加護を持つもんがいたっておかしかねえ! 衛星でも何でもハッキングして、必ず見つけ出してくれ!」


 ドレイクの尋常ではない怒声。


 そのただならぬ様子に、彩斗美がハッとしてネックレスを見つめた。


「ドレイク殿、そのネックレスは……?」


「こいつはあっちの世界で、水龍の鱗を素材にして作られた魔導具だ! 火の気を避けて、微弱な回復効果があるが……それがどうかしたか!?」


「……それ、結羽さんの症状には使えないの?」


「――あ?」


 彩斗美のあまりにも静かな、しかし確信に満ちた問いかけに、ドレイクは一瞬、呆けたようにその動きを止めた。


「水龍の鱗がベースなら、結羽さんの体を内側から冷やすための、一番の応急処置になるはずでしょう?」


「……ッ! ……あ、頭に血が上りやがった……! 一定の、いや、それなりの効果はある……! なんで、なんで最初にそんな簡単なことに気づかなかったんだ……ッ!」


 ドレイクが激しく己の頭を拳で殴りつける。


 そんな彼の無骨な肩に、彩斗美はそっと、優しく自身の細い手を置いた。


「落ち着きなさい、ドレイク殿。あなた、今本当に動揺しているのよ。……いつもの、飄々とした貴方はどこへ行ったの?」


「彩斗美嬢ちゃん……」


「大丈夫よ。結羽さんは、私たちが絶対に死なせない。だから、深呼吸をして」


「……ちっ、面目ねえ」


 ドレイクは、肺が引き裂けんばかりの深い息を一度吐き出し、強引に脳を冷却した。


 すぐさま結羽の細い首元へ、その『水龍の鱗のネックレス』をかける。


 その瞬間、結羽の全身を包んでいた禍々しい陽炎がスッと収まり、激しい呼吸が、穏やかな寝息のようなものへと変化した。


『――師父、お待たせいたしました。いくつかの人工衛星を経由し、水龍の霊子パターンのスキャンを完了。……いくつか国内にも反応はありましたが、極めて微弱。ですが……一箇所だけ、桁外れの気を発している座標があります。地球の裏側、南米――アマゾンの奥地です。アストライアの水龍の気が漏れ出している特異点を検知しました。その最深部に『水龍の加護』の強い反応があります。特効薬となる『水龍の雫』を得られる可能性は高いと見積もって良いでしょう』


 スマートフォンの画面が淡く明滅し、黄龍が厳かで、知性に満ちた合成音声を響かせた。


「アマゾンか。……真っ直ぐ東に飛んでから南下すりゃあいいんだな。まぁ、俺が本来(火龍)の姿に戻ってひとっ飛びすりゃあ、数時間で着くだろ。留守頼んだぜ。いくぞ黄龍」


 ドレイクがぎらついた龍眼を窓の外の夜空へと向け、その背に黄金の翼の幻影を立ち上らせる。


「ちょっと待ちなさいドレイク殿! あなた本当に冷静さを失いすぎよ!」


 彩斗美がすかさず、ドレイクのジャージの襟元をグイと引っ張って怒鳴りつけた。


「あのドラゴンの姿で太平洋を渡ってごらんなさい! 各国のレーダーが探知して、それこそ軍が、超弩級の迎撃態勢を敷いて世界大戦が始まるわよ! 戸籍は黄龍殿が完璧にいじってくれているのでしょう? 佐修院家が働きかけて、旅券も、旅費も、特別便の飛行機も今から数時間以内にすべて手配するわ。だから、大人しく飛行機で行ってちょうだい!」


「……あ、ああ。……そう、だったな。ここは、あの面倒くせえ日本なんだったな……」


 ドレイクは、己の大きな額を大きな掌で覆い、自嘲気味に、しかしようやくいつもの調子を取り戻したかのように、フッと獰猛な笑みを浮かべてみせた。


「へっ……何から何まで頼もしいこった。じゃあ、全部甘えさせてもらうぜ、彩斗美嬢ちゃん」


「ええ、任せて。……ふゆさんの身柄も、結羽さんの身体も、このヤサも、私と佐修院家の総力を挙げて、命に懸けて死守することを約束するわ。だから、必ずその『水龍の雫』とやらを毟り取って、無事に戻ってきなさい!」


「おう」


 ――やがて、全ての手配が終えられると、黒田が深夜の空港へと向かう佐修院家の高級SUVをマンション前に乗り付けた。


 ドレイクは、着替えさせられ、縛仙環も外された結羽の首元で静かに青い光を放つネックレスと愛弟子の寝顔を一度だけその目に焼き付けるように見つめると、静かに、しかし絶対の怒りと覚悟をその背中に漲らせて、ヤサの扉を静かに押し開けた。


 夜の帳が下りた、野田の静かな街並み。


 その夜の闇の奥、地球の裏側に眠る、次なる深淵へ向けて。


 ヨシュア・A・ドレイクは、迷いのない足取りで、進んで行くのだった。




(第8章 新宿スタンピード編 完/第9章 水龍の雫編へ続く)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ツギクルバナー
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ