表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
196/203

第196話 日常への帰還と、適応の代償(前編)

 新宿ダンジョンにおける未曾有の大災厄、観測史上最大規模のスタンピードの完全なる鎮圧。


 そして、人類未踏の『超深淵』に送り込まれたアストライアからの物資の回収と、地脈を狂わせていたシステムエラーの完全なる修復。


 それらのすべての偉業を、たったの四人で、それも完全に無傷で成し遂げた『よろず屋パーティー』の凱旋は、関東の探索者業界全体のパワーバランスを根本から揺るがすほどの、凄まじい衝撃を以て地上へと伝えられていた。


 佐修院家の総力を挙げた徹底的な情報統制と、彩斗美と黒田による老獪な根回しによって、ドレイクが単騎で『溢れ出し(スタンピード)』の波の大半を消失させたという事象や、よろず屋が『新宿ダンジョンの深淵のアイテム全てを独占して回収した』という国家が動くほどの極秘事項は、完全に闇へと隠蔽された。


 だが、それでも『白銀の軌跡』と『機巧の番犬』という二大Sランクギルドのトップが、よろず屋の圧倒的な実力を認め、新宿の莫大な開発利権と引き換えに『地上の絶対の蓋』としての防衛任務を引き受けたという事実は、探索者協会の幹部たちを激しく戦慄させるに十分だった。


 名実ともに、日本最強の独立ギルドとしての絶対的な名声を不動のものとした『よろず屋ドレイク』。


 しかし、そんな地上の喧騒や政治的な駆け引きなど、彼らにとっては心底どうでもいい雑音に過ぎなかった。



◆◆◆



 深夜。


 千葉県野田市にある、よろず屋のヤサ――前山田家とドレイクの工房がある、分譲マンションのリビングには、これまでの死闘の緊迫感が嘘のように、賑やかで温かい、いつもの日常の空気が満ち満ちていた。


「すごーい! お姉ちゃん、見て見て! これ、アストライアの『極上の塩』だって! お父さんたちの手書きのラベルが貼ってあるよ! これ、次にお肉を焼くときに振ったら、絶対にお口の中で旨味が大爆発するよ!」


 ふゆが、リビングの絨毯の上に広げられた純白のコンテナの前に座り込み、お宝の山から取り出した小さな木箱を両手で大切そうに掲げながら、ひまわりのように笑った。


「あはは、本当だね、ふゆ! お父さんもお母さんも、あっちの世界で本当に元気に、一生懸命頑張ってるんだね……。……あ、おやっさん! このコンロのバイパス、ちょっと見てください! アストライアの魔術回路が、日本の電気コンセントの電圧に合わせて自動で変換されるようになってます!」


 結羽は、手首と足首に嵌められた『縛仙環(2セット目)』の十数トンの超重力をミリ単位の仙気で完璧に制御しながら、座布団の上にふわりと正座したまま、両親が送ってくれた『温風型魔導コンロ』の配線を覗き込んで、嬉しそうに声を上げた。


「おう、どれどれ……。へっ、あいつら、なかなか気が利くもんを送り届けてきやがったな。大陸の古い規格を、こっちのショボい魔素でも電気を使って動かせるように組み直してやがる。細かくてがめついやり方だが、嫌いじゃねえセンスだ」


 ドレイクは、いつものジャージ姿で、首にタオルを巻いたまま、作業台の上で楽しそうに魔導コンロの基盤を弄りながら、満足げに鼻を鳴らした。


 彼のくわえたタバコの先から、清浄な白い煙が、キッチンの換気扇に向かって細く、ゆったりと吸い込まれていく。


「お姉ちゃん、わたしはこれが一番お気に入り!」


 ふゆが誇らしげに掲げたのは、コンテナの最奥から発掘された、アストライアの希少な魔法金属と世界樹の枝で作られたという、流麗なデザインの短杖だった。


 ふゆの小さな手のひらに、まるで吸い付くようにして馴染むその杖は、彼女の持つ『魔力視』の感応度をさらに数倍に高める、最高峰の魔導具だった。


『ふゆ殿、その短杖の術式は、かつて光華王朝の宮廷魔導師たちが用いていた『導魔の理』に基づいておりますな。……これより、アストライアにおける基礎魔術の概論と、その杖を通じた精密な魔力指向制御についての講義を開始しましょう。……まずは、指先から杖の芯材へと、極小の気を流し込む訓練からですぞ』


 ふゆのスマートフォンから、黄龍の風雅で知的な合成音声が響き、宝珠の明滅と共に、ふゆのUIゴーグルへと高度な魔術方程式のホログラムが投影された。


「うん、黄龍先生! よろしくお願いします!」


 ふゆが目をキラキラと輝かせながら、小さな手で短杖を構え、熱心に黄龍の講義に耳を傾け始める。


 その賑やかで、どこまでも温かい家族の光景。


 リビングのソファに腰を下ろし、黒田が特別に手配したキンキンに冷えた最高級のビールグラスを傾けていた彩斗美は、その様子を、まるで自身の事のように嬉しそうに細めた瞳で見つめていた。


「ふふっ。よろず屋の新しい門出に、……そして、ご両親の無事と、最高の仕送りに、乾杯ね」


 彩斗美が、グラスを優雅に掲げて微笑む。


「乾杯です、彩斗美先輩! おやっさんも、ビール飲んでください!」


「おう、もらうぜ。……ぷはぁーッ! やっぱり、激戦の後のこの冷えた麦酒に勝るもんはねえな! アストライアの生ぬるいエールじゃ、この喉越しは味わえねえからよ!」


 ドレイクが缶ビールを喉を鳴らして一気に煽り、満足げにゲップを噛み殺しながら、豪快に笑った。


 新宿ダンジョンでの完璧な勝利。


 行方不明だった両親が異世界で元気に大商会を立ち上げて無双しているという、確かな生存の確信。


 アストライアから送られてきた物資は、これまでのダンジョン探索の在り方を覆すようなものばかり。


 なによりも、ダンジョン禍に巻き込まれて姿を消した――アストライアに転移させられてしまった人々が、逞しく生き延びているという証の無数の『ビデオレター』の魔導具。


 そして、かけがえのない最高の仲間たちと共に、この野田のヤサで飯を食う、温かい日常。


 すべてが、これ以上ないほど完璧な、最高のハッピーエンドへと向かっている。


 誰もが、そう信じて疑わなかった。


 その、まさに幸福の極致にあった、一瞬の静寂の中だった。


 パサッ……。


 奇妙なほどに、軽い音がした。


 結羽の手から、先ほどまで大切そうに抱えられていた内容量拡大式の新型マジックバッグが、滑り落ちるようにして畳の上へと転がった。


「……結羽、さん?」


 最初に異変に気づいたのは、最も彼女の近くに座っていた彩斗美だった。


 彩斗美がハッとして結羽の顔を覗き込んだその瞬間、彼女の美しい黒髪が、驚愕に大きく揺れた。


 結羽の顔は、まるで沸騰したヤカンのように、見たこともないほど禍々しい赤色に染まりきっていた。


 それだけではない。


 彼女の全身の毛穴という毛穴から、ゆらゆらと、陽炎のように狂おしく波打つ、超高温の『熱気――黄金の仙気』が、爆発的な勢いで立ち上り始めていたのだ。


「あ……れ? おやっさん……。なんだか、からだが……すごく、熱くて……」


 結羽は、自身の両手を不思議そうに見つめようとしたが、その瞳の焦点は完全に狂っていた。


 ドサッ……!!


「結羽さん!!!」


 結羽は力なく床へと膝をつき、そのまま糸が切れた操り人形のように、意識を失って畳の上へと倒れ込んだ。


「お姉ちゃん!!! お姉ちゃん、どうしたの!? ねえ、目を開けてよ!」


 ふゆが短杖を取り落とし、悲鳴のような声を上げて結羽の元へと駆け寄り、その小さな身体を必死に揺さぶった。


「黒田! すぐに医療チームを呼びなさい! 当家の魔導ドクターを、今すぐにここへ!」


 彩斗美がソファから弾かれたように立ち上がり、かつての戦場を支配したコマンダーとしての鋭い悲痛な声を張り上げた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ツギクルバナー
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ