第184話 鵺の完全解体と、極上三味一体焼肉(前編)
ドーム状の巨大な地下空間に、静寂がゆっくりと満ちていく。
先ほどまで耳を劈いていた神話級亜種『鵺』の凶暴な咆哮は完全に途絶え、床にはその巨大な異形が沈黙したまま横たわっていた。
結羽は如意黒閃を床に立て、肩を大きく上下させながら、自身の内側に意識を向けた。
ドレイクによる『火龍の加護』の一時的な絞り込みと、彼が指一本分のブレスで『溢れ出し』の波を文字通り「割った」ことによる、魂の奔流のフィードバック。
詰まりかけた水道管に高圧洗浄をかけるような『魂の器』の強制拡張を行われたおかげで、身体を内側から焼き焦がさんばかりだったあの過剰な熱は、綺麗に消え去っている。
全身の余計な力みが完璧に抜け、縛仙環の十数トンの超質量が、まるで己の肉体と完全に一体化したかのようにすとんと馴染んでいた。
どこか不快だった息苦しさは消え失せ、代わりに、どこまでも澄み切った静寂と、心地よい空腹感が胃袋からせり上がってくる。
「ふぅ……。やっつけたら、もっとお腹が空いてきちゃいました!」
結羽がへへっと照れくさそうに笑いながら、ぺこぺこのお腹をぽんぽんと叩いた。
「カッカッカ! それでいい。鵺を倒してさらに器が広がった分、ガス欠になりかけてんだ。正常な反応だぜ」
ドレイクは満足げに肩を揺らし、ジャージのポケットから携帯灰皿を取り出すと、咥えていたタバコをねじ込む。
そして、のっそりと鵺の巨骸へと歩み寄ると、肉質を確認するかのようにパンパンと叩いた。
「さて、こいつはただのキメラってだけじゃねえ。機甲のパーツと余計な魔導パイプは邪魔だが、肉質自体は同位同食で取り込むにゃあ、最高峰のモンが混ざり合ってやがる」
ドレイクは、空間収納袋から、黒光りする『黒鋼』の大型剣鉈を抜き放った。
「いいか、結羽、ふゆ、彩斗美嬢ちゃん。こいつは一頭で三度美味しい、究極のハイブリッド食材だぜ」
ドレイクが剣鉈の刃先で、鵺のそれぞれの部位を指し示す。
「この機甲化された虎の脚からは、機械を外しゃあ美しくサシの入った極上の『カルビ』が獲れる。これは牛肉の王様みてぇな濃厚な旨味がある。それに、故事にも虎を倒したければ虎を喰らえってあるくらいには、極上の同位同食の食材だ。上でやりあったワータイガーの肉とも違う、器の強化に最適な素材だぜ」
「カルビ……!」
結羽の瞳が、ごちそうの言葉にパァッと輝いた。
「そんで、この狸の極厚の胴体からは、脂身が甘くて柔らけぇ最高級の『バラ肉』。これは最高の豚肉にも勝る味だ。同位同食の効果としちゃあ仙気の回復と底上げを得られるだろうよ」
「バラ肉……!」
ふゆもUIゴーグルを額に跳ね上げ、じゅるりと涎をすする。
「最後に、結羽がすっぱり切り落とした、この大蛇の尾だ。毒腺に気をつけて開いて骨を取り除けば、最高に旨味がのったヘルシーな『ササミ』と『ハラミ』が獲れる。こいつは鶏肉とホルモンの良いとこ取りだな。筋肉をしなやかにしてくれる上に毒耐性のオマケまでついてくるぜ」
「ササミと、ハラミ……!」
彩斗美もまた、16個の魔導キューブ『阿羅漢』を周囲に優雅に浮遊させながら、上品に喉を鳴らした。
「猿の頭部はまるごと廃棄だな。これだけのキメラ体だ。身体と動きを一つにまとめる為に相当いじくられちまっている。機械オイルと冷却液と呪殺の澱みが詰まってて食えたもんじゃねえ。……よし、結羽、いつもの解体用ナイフじゃ埒が明かねぇ。牛刀を抜け。始めるぞ」
「はいッ! おやっさん!」
結羽は右腰のホルダーから、純白に輝く『骨の牛刀』を抜き放った。
かつて野田ダンジョンの深層で仕留めた、因縁のミノタウロスの大腿骨から削り出された、最高の刃だ。
ドレイクと結羽は、巨大な鵺の死骸の前に並び立ち、一切の迷いなく刃を滑らせ始めた。
バサァッ、と。
ドレイクの黒鋼の剣鉈が、生体と機械の境界線を、まるで薄い紙を切り裂くように滑らかに切り裂いていく。
「力で骨を断とうとするなよ、結羽。どんなに強固なキメラ骨格だろうが、生体パーツと機械シリンダーの間には、必ず『関節』と『軟骨』、そして肉の繊維の繋ぎ目がある」
「はい! 皮一枚、スジ一本の境界線を見極めます!」
結羽は、これまで実践を繰り返して学んできた『解体の理』を、その指先へと完璧に再現していた。
骨の牛刀の刃先が、硬質な虎の機械装甲と、生身の肉が複雑に融合した隙間へと、ミリ単位の精度で滑り込んでいく。
スッ、スッ、と。
抵抗なく皮膚と靭帯が切り離され、ボルトや油圧シリンダーが、肉を一切傷つけることなくボロリと床へと剥がれ落ちていく。
それは、解体というよりも、極めて精密な『外科手術』あるいは『機械の分解・整備』の所作であった。
「ふゆ、お前さんは魔力視で肉の奥の『澱み』を監視しろ。彩斗美嬢ちゃん、匂いと煙が漏れねえように結界を頼むぜ。念のため、な」
「了解だよ、おやっさん! 魔力視、最大出力! 機甲オイルの臭いとミアズマの残滓、ここにあるよ! お姉ちゃん、そこそれ以上刃を入れちゃうと毒腺に触れちゃうかも!」
「ええ、任せてちょうだい。……『阿羅漢』、展開なさい」
彩斗美が美しく指を弾くと、16個の銀色の魔導キューブが一斉に射出された。
ドーム状の空間に青白い光の防壁が張り巡らされ、外周の広場で堂島たちが死守している防衛線へと、肉の焦げる匂いや煙が漏れ出すのを完璧に遮断する。
さらに彩斗美は、結界の頂点に小さな気流の渦を作り出し、簡易的な『換気システム』を構築して見せた。
「……よしよし。一番厄介な、潤滑油の臭いと、キメラ合成時の澱みが溜まった部位やら毒腺やら骨やらも、全部切り離した。……仕上げだぜ、結羽」
ドレイクは、切り出された数百キロに及ぶ極上の肉の山に向かって、自らの分厚い掌をかざした。
結羽もまた、ドレイクの横で、同じように右手を肉の山へと差し出した。
「「『浄化の仙気』」」
二人の手のひらから、澄み切った水面のように静かで、一切の淀みがない青白い『仙気』が静かに放たれた。




