第182話 深淵の門番の降臨と、姉妹の総力戦(前編)
ドゴォォォォンッ!!!!!
結羽たちが滑り込むようにして駆け抜けた直後、新宿ダンジョン深層の最奥、ボス部屋を仕切る濁った銀色の分厚い金属扉が、背後で重々しい音を立てて完全に閉ざされた。
堂島たち本隊が死守する広場の喧騒と、未だ残る数千の魔獣の、耳を劈く咆哮が、隔壁によって一瞬にして遮断される。
訪れたのは、張り詰めるような、しんとした静寂。
そこは、現実の新宿のコンクリートの残骸と、異世界アストライアの機械化ドックの壁面が、まるで悪夢のパッチワークのように複雑に融着した、人類未踏の広大なドーム空間だった。
ドレイクは、肩に担いでいたふゆをゆっくりと床に下ろすと、ジャージのポケットからタバコを取り出した。
だが、指先で火花を散らす前に、ドレイクは炎金に輝く龍眼を細め、如意黒閃を杖代わりにして立っている結羽の様子をじっと注視した。
「……おい、結羽。調子はどうだ。熱は引いたか?」
ドレイクの低い、どこか不器用な師としての気遣いをにじませた嗄れた声が、静かな室内に響く。
結羽は、自らの両手を何度も握ったり開いたりしながら、自身の身体の内側を確かめるようにして顔を上げた。
さっきまでの、肺が押し潰されるような息苦しい万能感はどこにもない。
全身の余計な力みが完璧に抜け去り、両手足の縛仙環が放つ十数トンの超重力が、まるで自らの肉体・骨格と完全に一体化した『強固な錨』のようにすとんと馴染んでいる。
「はい。……おやっさん。さっきまで体の中で暴れていた熱が、冷たい水が流れたみたいに、スーッと引いていきました」
「そうか。……どこか、痛むところはねえか?」
なおも心配そうに覗き込む強面の師匠に向かって、結羽は、へへっと照れくさそうに笑い、自らのお腹をぽんぽんと叩いてみせた。
「いえ、どこも痛くないです。ただ……その、わたし、なんか急にすごくお腹が空いちゃいました!」
「……カッカッカ!」
ドレイクの心配を余所にした、結羽のあまりにも現金で健康的な言葉に、ドレイクは肩を揺らし、腹の底から愉快そうに豪快な笑い声を上げた。
「腹が減るってなぁ、器が大きくなって、中身が空っぽになった証拠だ! 上等じゃねえか、結羽!」
「ふふっ。本当に現金な胃袋ね。でも、前衛の体調が万全なのは、コマンダーとしてこれほど心強いことはないわ」
彩斗美が、16個の魔導キューブ『阿羅漢』を周囲に静かに浮遊させながら、優雅に微笑んだ。
「お姉ちゃん、お腹空いたなら、あそこにすっごく大きくて美味しそうな『お肉の山』がいるよ!」
ふゆがUIゴーグルを被り直し、すり鉢状の空間の中心、地脈の魔流が最も激しく渦巻く場所をビシッと指差した。
そこには、周囲の魔素を、まるで業務用の掃除機のように強引に吸い込みながら、巨大な異形がゆっくりと受肉しつつあった。
「――グルォォォォォォォッッ!!!!!」
地下ドーム全体を物理的に激しく揺らし、耳を破壊するような咆哮。
そこに顕現したのは、これまでのいかなる階層の魔獣とも異なる、圧倒的な異形。
アストライアからの過剰な魔力転送エネルギーを吸い込んで異常進化した、新宿ダンジョンの深淵の門番――神話級亜種『鵺』だった。
猿の凶暴な顔、不気味に発光する機甲化された虎の爪を持つ手足、狸の極厚の剛毛に覆われた胴体、そして意志を持って鎌首をもたげる大蛇の尾。
「よし、お前ら! お待ちかねのディナーの調達だぜ! 虎からは極上のカルビ、狸からは最高級のロース、蛇からは引き締まったササミが同時に獲れる、一粒で三度美味い最強の食材だ! 結羽の胃袋を満たすためにも、とっととスクラップにしてやるぞ!」
「はいッ!!!」
新生よろず屋パーティーの四人は、それぞれの得物を構え、神話級の門番へと一斉に牙を剥いた。
◆◆◆
「キィィィッ!! ガガガガガッ!!!」
鵺の猿の頭部が甲高い金属音のような詠唱を紡ぐと同時に、機甲化された虎の脚のシリンダーが爆発的に駆動した。
初速からいきなり最高速度に達する、音を置き去りにした超速の突進。
同時に、大蛇の尾が死角である真上から、致死の猛毒が滴る牙を剥いて結羽の首筋を刈り取ろうと射出される。
多重意思による、死角なき同時攻撃。
普通の前衛であれば、そのあまりの手数の多さと軌道の複雑さに、一瞬で肉体をバラバラに引き裂かれていただろう。
「『阿羅漢・防壁の陣』、第一セクターから第三セクターまで展開ッ!」
彩斗美の鋭い号令と共に、四つの魔導キューブが空中で青白い幾何学的な結界の防壁を形成し、大蛇の尾の突進をミリ単位で完璧に防ぎ止めた。
キィィィンッ! という耳障りな金属音が響き、蛇の牙が光の盾に阻まれて火花を散らす。
「結羽、そのまま斜め左へスライド! 虎の右前脚の爪撃が来るわ!」
「了解ッ!」
結羽は足裏の気の膜を極限まで薄くし、縛仙環の十数トンの超重力を一瞬だけ前方のスプリングへと反転させ、滑るように空間を滑走した。
空を裂く、虎の機甲爪の鋭い風切り音。
すれ違いざま、結羽は如意黒閃の腹を滑らせるようにして敵の爪をいなしたが、虎のシリンダーが強引に逆噴射をかけ、その場で凄まじい旋回蹴りを放ってきた。
「くっ……! それぞれの部位が勝手に動いてるみたいに、連携が速すぎる!」
結羽は如意黒閃を盾にして防いだが、敵の自重と駆動シリンダーの暴力的なまでのパワーに抗いきれず、アスファルトの床を長靴で削りながら数メートル後退させられた。
狸の胴体が結羽の打撃の余波をすべて吸収し、何事もなかったかのように再び四肢をバネにして襲いかかってくる。
死角が存在しない、完璧なマルチスレッド戦闘。
この空間のすべてを支配するかのような鵺の猛攻に、防戦を余儀なくされる結羽と彩斗美。
「ふゆ! 敵の駆動バルブの魔力波長を解析して! 供給ラインを叩かないと、あの突進力は衰えないわ!」
彩斗美が魔導キューブを操作しながら叫ぶ。
「うん! ……黄龍先生、鵺の魔力の流れ、絶え間なくぐるぐる変わってて、普通の魔力視じゃ焦点が定まらないよ!」
ふゆはUIゴーグルを被り直し、シリンジガンを抱えながら、もどかしそうに地団駄を踏んだ。
鵺のキメラ核は、それぞれの部位に魔力を高速で循環させており、狙撃すべき『魔力バイパスの節(急所)』がコンマ数秒単位で移動し続けているのだ。
『ふゆ殿。彩斗美殿の『阿羅漢』のセンサーと同調するのです。……あちらの16個の眼を同調させれば、多角的観測による超並列演算が可能になりますぞ』
スマートフォンの画面が明滅し、黄龍が最高の解決策を提示した。
「彩斗美さん! 阿羅漢の『眼』を借ります! 黄龍先生、並列同期!!」
ふゆがスマートフォンを自身のUIゴーグルへと直接接続し、魔力を限界まで練り上げた。
那須ダンジョンで九尾の狐を同位同食したことで、彼女の魂の器は、情報の送受信と並列処理の能力を飛躍的に向上させていた。
「逃がさない! 16個の阿羅漢の『眼』とわたしの魔力視! 九尾を食べて得た情報の送受信能力! 全部合わせて並列処理で完全に捕らえてみせる!」
ふゆの瞳が、オパールのようなまばゆい虹色の光を放ち、UIゴーグルの画面が青白いデータで埋め尽くされた。




