第181話 火龍の指先と、海割れの奇跡(後編)
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(――さすがに、ここで本来の火龍の姿に戻るわけにゃいかねえな)
ドレイクは、人間の姿である『人化の殻』を維持したまま、じりじりと前進を続ける自身の身体を内側から観察していた。
ダンジョンの高濃度の魔素を取り込めば、火龍として元の姿に顕現することも可能だ。
しかし『溢れ出し』が起きている現在の新宿ダンジョンの「出来の悪い密造酒の様な魔素」を取り込んで火龍として顕現すれば、ただでさえ歪んだこの空間に、さらなる位相崩壊を起こしかねない。
戦局に手を貸すにしても、手段は人の身でのものに限られた。
だが結羽の器が育ち、ダンジョン内でならアストライアの1/100程度の力を振えようになっていようとも、人の身のままでは、溢れ出た数万の魔獣を相手取るには出力が足りない。
(なら、どうするか)
ドレイクの黄金の龍眼が、不敵に細められた。
(弟子っこたちに垂れ流しちまってる『加護』を、数秒だけ手元に回収する。……それしかねえな)
ドレイクの火龍としての力は、この世界に召喚されてから、並行世界の位相を超えて繋がった富士川の血脈――アストライアの明、療養所の一美、そしてふゆと結羽へと、無意識のうちに分け与えられていた。
それは24時間365日、常時展開される守護結界。
彼ら愛すべき血族たちを、世界中のあらゆる害意から無条件に守るための、ドレイクの不器用な愛の形だった。
◆◆◆
その頃、最前線に飛び込み、如意黒閃を縦横無尽に振るう結羽は、激しい熱に浮かされたような感覚の中にいた。
全身の経絡を熱い仙気の奔流が駆け巡り、身体が信じられないほど軽く、手足の縛仙環(2セット目)の十数トンの超質量すらもほとんど重さを感じない。
(すごい……! 今のわたし、絶対にこれ以上ないくらい絶好調!)
結羽自身は、その異常なほどの高揚感とみなぎる力を、自身の最高の好調さだと信じて疑っていなかった。
だがそれは、度重なる強敵との連戦と、強力な同位同食を重ねたことで、急速に成長した『前山田結羽という魂の器』が、吸収した力に追いつかず、暴れ回っている適応暴走一歩手前の状態であった。
魔獣を打倒して吸収した魂の奔流。
同位同食で取り込んだ力。
師と弟子であり、並行世界の位相を超えた曾祖父と曾孫であり、従魔と召喚者である、ドレイクからの『加護』の力。
それら全てが混ざり合い、器から溢れ出て、器自身を焼き焦がさんばかりになっているのだ。
◆◆◆
縛仙環を結羽に装着させることで、溢れ出る力を仙気に変換して吸収させる。
そうすることで結羽が取り込んだ『力』を制御できるはずだった。
『前山田結羽という魂の器』が危険なく成長できる猶予を取れるはずだった。
だが、結羽を取り巻く状況と、結羽の「前に進む」速度はドレイクの予想を超えてしまっていた。
なによりも、三年間、半ばその存在の死を覚悟していた両親とのコンタクトは、結羽に後退させることも停止させることも、すっかり忘れさせていた。
両親との再会のため、戦って、前進し、前進して、戦う。
師として、並行世界の位相を超えた曾祖父として、従魔として。
明らかに異常なペースで進む結羽を、ドレイクは止めたくなかった。
両親と再会することこそが結羽の最大の望みなのだから。
並行世界の位相を超えた血縁が判明し、自らが結羽とふゆに与えている『火龍の加護』の力が強まっていることも自覚していた。
だが、敢えてそのままにしていた。
自身にも曾孫達にも甘い自覚はあったが、手綱を握れているつもりでいたのだ。
(バカヤロウが。なにが『加護』だ。ただの手前勝手な『過保護』のやりすぎだぜ。竹刀で打たれながら足の運動数千回程度の罰じゃすまねえ。なにごとも過ぎれば毒だって俺自身が学ばなきゃなんねぇ)
今、ドレイクは、その手綱を極限まで細く絞り込んで、自らに力を戻そうとしていた。
――その瞬間。
結羽は、自身の中で暴れ狂っていた圧倒的な『熱』が、一瞬にしてスッと引いていくのを感じた。
「あ……」
結羽の口から、微かな吐息が漏れた。
息苦しさすら心地よい万能感に思えていたあの過剰な熱が引いたことで、逆に視界と脳内が、氷のように静かに澄み渡っていく。
全身の余計な力みが完璧に抜け去り、両手足の縛仙環が放つ十数トンの超重力が、まるで自らの肉体・骨格と完全に一体化した『強固な錨』のようにストンと馴染んだ。
一切のブレも淀みもない、極限まで研ぎ澄まされた静寂が、そこにあった。
◆◆◆
ドレイクは、目の前の空間に向けて、スッと右の人差し指を突き出した。
その刹那。
彼の懐から、現実の一秒を無限の思考速度へと引き延ばす、黄龍の風雅な念話が直接脳内へと滑り込んできた。
『――師父。結羽殿たちへの加護を極限まで絞り、魔力を指先一点へ集約されましたな。ですが、お忘れですか。今の師父は結羽殿の使い魔ですぞ』
『打倒した魂の逆流入のことか。俺がこの何万という魔獣の津波を消滅させれば、連中の魂の奔流が契約のパスを通って、主である結羽の魂へ一気に逆流するってか?』
『左様です。結羽殿は神話級との連戦と同位同食で得た『気』に『器』の成長が追いついていない状態。そこへこの数万の魂の津波を流し込めば、器が耐えきれずにその場で自滅しかねません』
『逆だ、黄龍。お前さんも視えてるだろ。結羽の奴、戦いすぎと喰らいすぎで、経絡の巡りが飽和してパンクしかけてんだよ。加護を絞ったのは、あいつの熱を遮断して、強制的に冷却させるためだ』
『まさか……加護の分、空きが出来た器に、魂の津波を流し込んで強引に拡張させる、と……!?』
『そうだ。詰まりかけたパイプに、高圧の水をぶち込んで無理やりこじ開けるような荒療治だ。だが、それでも一時的な緩和にはなる』
『いやはや、なんとも師父らしい強引な強制拡張プロトコルですな。しかし論理的ではあります。おまけに成功率は極めて高い……さて、ならば師父、演算補助は必要ですかな?』
(いらねぇよ……『指一本分』だ)
念話のやり取りは、現実の時間にしてわずかコンマ数秒。
ドレイクの右人差し指の先へと、富士川の血族たちから一時的に回収された『火龍の加護』のエネルギーが、空間をぐにゃりと歪めるほどの圧倒的な超質量となって一点に凝縮されていく。
「彩斗美嬢ちゃん、前衛を退かせてくれ。三秒でいい」
その異常な魔力の波形変化、彼が何かを仕掛けようとしていることを、そのプレッシャーの変質から即座に察知した彩斗美が、前衛に向けて鋭く叫んだ。
「前衛! 三秒退きなさい! 巻き込まれるわよ!!」
その凛としたコマンダーの声に、堂島誠も、葛城我門も、氷室怜華も、そして結羽も一切の迷いなく左右へとパッと分かれて道を空けた。
「消し飛べ」
ドレイクの口から、冷徹な一言が零れ落ちた。
放たれたのは、紅蓮を通り越して青白く、そして目映い光白となった一筋。
1/100に抑え込まれているとはいえ、神話の時代から生き続ける火龍の、極限まで圧縮された『超質量』の、極小にして極燃のブレス光線だった。
ヒュッ、と。
細い光線が、堂島たちが空けた道の中央を真っ直ぐに突き抜け、魔獣の津波のど真ん中へと吸い込まれていく。
直後。
ゴアァアァァァアアァァアァッ!!!!!
新宿ダンジョンの巨大な地下広場全体を、まるで太陽が落ちてきたかのような、圧倒的な熱量と閃光が包み込んだ。
爆風すらも起きない。
それは、純粋な『消滅』の事象だった。
光線に触れた数万の魔獣たちは、悲鳴を上げる間もなく、一瞬にして分子レベルで蒸発し、ガラス化したコンクリートの地面が真っ白な光を放って露出した。
堂島たちが死に物狂いで押し留めていた分厚い魔獣の海が、まるで神話の奇跡のように一直線に『真っ二つに割れた』のだ。
「な……っ!? なんだ、今のは……!?」
葛城のUIゴーグルに真っ赤に表示されていた数万のエネミーカウントが、ブレスの一撃によって、一瞬にして爆発的に激減していく。
エラーコードすら表示を諦めたその圧倒的な数値を前に、葛城は、そして堂島は、ただ呆然と硬直するしかなかった。
ドレイクは、突き出していた指をスッと下ろすと、何事もなかったかのようにポケットからタバコを取り出した。
「よし。結羽、ふゆ、彩斗美嬢ちゃん。道は作った。行くぞ」
「はいッ!!」
熱が引いた後の器に流れ込む、新たな経験値の莫大な奔流を確かな力へと変換した結羽が、如意黒閃を黄金に輝かせながら、その空白の道を弾丸のような速度で一気に駆け抜けた。
その後を、ふゆを肩に担いだドレイクと、彩斗美が並走するようにして、一瞬でボス部屋へと続くゲートへと飛び込んでいく。
突入する瞬間、彩斗美は、防衛線に残って呆然とこちらを見送る本隊を振り返り、中衛指揮官としてメッセージを放った。
「私たちも必ず生還する! あなた達も、プロの誇りに懸けて、必ず生き残りなさい!」
その信頼と絆に満ちた絶対の言葉を残し、よろず屋パーティーの四人は、新宿ダンジョン深層ボス部屋へと、圧倒的な熱量で突入していった。




