第173話 下層分断エリアの罠と、妖魅タッグ(後編)
女王蜘蛛の不可視の麻痺ワイヤーで獲物の機動力を完全に奪い、動けなくなったところを、大王蝦蟇が安全な死角から強酸の粘液と伸縮自在の舌で狙撃する。
それは完璧な殺戮フォーメーションだった。
動けばワイヤーでスライスされ、留まれば強酸の弾丸で溶かされる。
氷室が恐怖に顔を引き攣らせた、その時だった。
「お姉ちゃん、あのでっかい蜘蛛見て! 足がすっごく太くて長いの! あの中、絶対美味しいカニ肉が詰まってるよ!」
ふゆが、ドレイクの肩の上から身を乗り出し、UIゴーグル越しによだれを垂らさんばかりの勢いで敵を分析して叫んだ。
「本当だ! それに、あのカエルも太ももがすっごく立派! おやっさん、あれ、お肉取れますか!?」
結羽が、如意黒閃を構えながら、目をキラキラと輝かせて振り返る。
強酸を吐く巨大なカエルと、麻痺糸を放つおぞましい女王蜘蛛。
Aランクパーティーでも全滅を覚悟する最悪のタッグを前にして、この姉妹には完全に『カエル=鶏肉』『蜘蛛=カニ』という、極上の食材としてしか認識されていないのだ。
「ははは……見るからにおぞましいモンスターも、『よろず屋』の前では食材に見えちゃうんですね……なんだかもう、あんまり驚かなくなってきちゃいましたよ……」
氷室が、呆れたように、けれどどこか吹っ切れたような笑みを浮かべて双剣を構え直した。
「カッカッカ! 違いねえ! 蛙の肉は究極の鶏肉、蜘蛛の足は極上のカニ肉だ!」
ドレイクが豪快に笑い、空間収納袋から、大型剣鉈を抜き放った。
「酸袋と毒腺さえ綺麗に潰せば、極上の海鮮と鶏肉のフルコースが待ってやがるぜ。いいか結羽、蜘蛛の脚は絶対に折るんじゃねえぞ! 殻に傷がつくと、焼いた時に極上の身が縮んじまうからな!」
「はいッ!! 脚の関節単位で完璧にバラします!」
結羽の気合の入った返事と共に、よろず屋の理不尽極まりない『食材調達』が幕を開けた。
◆◆◆
「ふゆ! 蝦蟇の酸袋の位置と、蜘蛛の糸の射出タイミングを解析して!」
彩斗美の冷徹な指揮が、暗闇に響き渡る。
「了解、彩斗美さん! 黄龍先生、魔力視フルオープン! ……蝦蟇の酸袋は喉の奥、膨らむ瞬間に魔力が集中するよ! 蜘蛛の追加の糸は、腹部の模様が赤く光った直後に射出!」
ふゆが『魔力視』で得た情報を、コンマ一秒の遅れもなくインカムを通じて共有する。
「怜華! 冷気で蜘蛛の糸を凍結! そうすれば視認できる! そのまま蜘蛛の動きを冷気で遅延させなさい! 糸の射出と強酸の弾丸は私が防ぐわ!」
「はいッ! 『氷河の理』、展開ッ!」
氷室は、先ほど食べた虎肉のバフを実感しながら、驚異的なアジリティで踏み込んだ。
シュンッ! と空間を裂き、女王蜘蛛が放ってきた粘着性の麻痺糸の弾丸を、冷気の双剣の一閃で鮮やかに切り払う。
さらに体を軸に回転し、周囲に双剣の冷気を爆散させた。
接触した瞬間に糸が凍りつき、パラパラと氷の破片となって床に砕け落ちる。
(……動ける! 身体が信じられないほど軽い! これなら、システムのサポートなしでも戦える!)
氷室の華麗な自衛と連携に、彩斗美が満足げに目を細めた。
ギャァァァッ!!
女王蜘蛛が苛立ちと共に、氷室めがけて極太の麻痺糸を放射状に追加射出した。
同時に、大王蝦蟇が喉を大きく膨らませ、ドロドロに溶けた強酸の粘液を弾丸のように連続で吐き出してくる。
「させないわ……『阿羅漢』散開ッ!!」
彩斗美が優雅に指を弾くと、彼女の周囲を旋回していた16個の魔導キューブが一斉に青白い光を帯びて射出された。
キューブはレーザーの軌跡を描いて空を切り裂き、飛来する麻痺糸の網を空中で寸分違わず幾何学的に焼き切っていく。
さらに残りのキューブが強固な光の盾を形成し、大王蝦蟇の強酸の弾丸をすべて弾き返した。
「今ですッ!!」
彩斗美が作り出した完璧な防御の隙を突き、結羽が動いた。
彼女は、空間に張り巡らされた残りのワイヤートラップを避けるため、丹田から練り上げた黄金の仙気を足裏に集中させた。
両手足の『縛仙環』が放つ十数トンの超重力ベクトルを、一瞬だけ『反発力』へと変換する。
シュンッ!!!
結羽の身体が、摩擦を完全にゼロにした『点と面の歩法』の応用により、目に見えないワイヤーのわずかな「隙間」を縫うようにして、空中を三次元的にスライド移動していく。
「ゲコォォォッ!!」
結羽のアクロバティックな接近に焦った大王蝦蟇が、至近距離から再び強酸の粘液を吐き出そうと、喉の奥の酸袋を極限まで膨らませた。
「お姉ちゃん! 喉が膨らんだよ! 中和剤、シュート!」
後方のドレイクの肩の上から、ふゆが魔導シリンジガンの引き金を引いた。
放たれたのは、ふゆが即席で調合した『アルカリ性のデバフ魔弾』。
淡い緑色の弾頭が、大王蝦蟇の開いた口の中――酸袋のど真ん中へと正確に吸い込まれる。
ボシュゥゥゥゥッ!!!
強酸と強アルカリが体内で激しい中和反応を起こし、大王蝦蟇の口から大量の白い煙が噴き出した。
自らの酸袋を内部から破壊され、大王蝦蟇が白目を剥いて硬直する。
「もらったぁぁッ!!」
結羽が如意黒閃を上段に構え、落下エネルギーと仙気のすべてを乗せた究極の打撃を振り下ろした。
バガァァァァァァンッ!!!
大王蝦蟇の醜悪な頭部が、如意黒閃の圧倒的な質量によって、ひしゃげるように完全に粉砕される。
「キシャァァァァッ!?」
相方を瞬殺され、パニックに陥った女王蜘蛛が、八本の脚をバタつかせて天井へ逃げようとする。
だが、結羽は着地の反動を利用して再び跳躍し、空中で身体を捻った。
如意黒閃の先端を、鋭利な『槍の穂先』へと換装し、縦横無尽にその切っ先を振るう。
ガガガガガッ!!
硬質な金属音が連続し、女王蜘蛛の極太の八本の脚が、肉や外殻を一切傷つけられることなく、関節の継ぎ目をミリ単位で断ち切られて四方へと転がり落ちた。
武器であり極上の食材である脚を切り離され、空中でダルマとなった女王蜘蛛。
結羽はとどめとばかりに、その腹部――毒腺が集中している急所めがけて、黄金に輝く槍の穂先を一直線に突き立てた。
ドスゥゥゥンッ!!!
女王蜘蛛の巨体がビクンと跳ね、そのまま力なく糸から外れてコンクリートの床へと叩きつけられる。
断末魔の悲鳴を上げる間もない、完全なる即死だった。
「ふぅ……! おやっさん、極上の海鮮と鶏肉、脚も傷つけずに綺麗に仕留めました!」
結羽が如意黒閃を肩に担ぎ、額の汗を拭いながら満面の笑みで振り返る。
「カッカッカ! 見事な槍捌きだ! 完璧な仕事だぜ、結羽! これなら最高のフルコースが作れるってもんだ!」
ドレイクが嬉々として大型剣鉈を構え、食材の解体へと歩み寄る。
「……信じられない。あの最悪のタッグボスを、鱧の骨切りの理で、完全に食材の解体手順として処理してしまうなんて……」
氷室は、双剣を下ろしたまま、完全に常識を破壊された顔でその光景を眺めていた。
だが、その驚愕の表情の裏で、彼女の胃袋はすでに「次のごちそう」を求めて期待の悲鳴を上げ始めているのだった。




