第171話 機甲虎人の極上青椒肉絲風と、下層への突入(後編)
ドレイクは巨体を揺らし、重い中華鍋を豪快かつ精密な放物線を描くように片手で振るい始めた。
立ち上る炎が、虎肉に均一に熱を通していく。
「わぁぁ……! おやっさん、すごい! 本職の中華料理人みたい!」
ふゆが目を輝かせてはしゃいでいる。
「カッカッカ! まあ永く生きてりゃこれくらいはできるもんさ。よし、結羽、タケノコとピーマンを入れろ!」
「はいッ!」
結羽は、ドレイクの中華鍋さばきを、まるで命を血肉へと変える厳粛な儀式を見つめるかのように、神妙な眼差しで見つめていた。
ゴクリ、と彼女の喉が鳴る。
厳粛な気持ちでいても、調理されてしまえば胃袋から湧き上がる期待は正直だった。
タケノコとピーマンが投入され、最後に高級オイスターソースと、ドレイク特製のスパイスが回しかけられた。
その瞬間。
醤油の焦げる香ばしい匂いと、オイスターソースの圧倒的に濃厚で、コクのある香りが、結界のドーム内を一瞬にして支配した。
ネズミの生姜焼きの時とは違う、中華の火力による『香りの暴力』が、氷室の鼻腔をダイレクトに貫いた。
(……う、嘘。なによこれ……、あり得ない。機械の虎を炒めているだけなのに、どうしてこんなに頭がおかしくなりそうな良い匂いがするの……!?)
氷室は、自身の双剣を握る手が、別の意味で震え始めるのを感じていた。
すでに彼女の胃袋は、前回の『生姜焼き』によって、ドレイクの料理の味を『正解』として完全に記憶してしまっているのだ。
理性が「食べるな」と拒絶を叫んでも、本能(胃袋)は、この香りがもたらすであろう至高の美味を求めて、すでに降伏の白旗を振っていた。
◆◆◆
「さあ、熱いうちに食え!」
ドレイクが、結羽の持ち込んだ塩むすびが盛られたプレートの上に、出来立ての青椒肉絲をドサッと豪快に乗せて、全員の前に差し出した。
ピーマンは鮮やかな緑色を保ち、タケノコは美しく黄金色に輝いている。
そして、主役である虎肉は、オイスターソースの濃密なタレを纏い、まるで黒い宝石のように艶やかに光り輝いていた。
「いただきます!」
結羽とふゆ、そして彩斗美が、迷いなく箸を伸ばす。
シャキ、ジュワッ、と心地よい食感の音が響き渡る。
「美味しいぃぃっ!! お肉がすっごくプリプリしていて、ピーマンの苦味と、タケノコのシャキシャキ感が、タレと合わさってご飯が止まりません!」
「本当ねえ。この虎肉の弾力、噛むたびにソースのコクと肉の旨味が溢れ出して、お口の中が幸せだわ」
三人は、幸せそうに頬を緩めて箸を動かしていく。
氷室は、プルプルと震える手で箸を持ったまま、取り分けられたプレートを見つめていた。
だが――。
「……抗えない。ドレイクさんのごはんには、もう私の胃袋は抗えないのね……!」
氷室はなかば半泣きになりながら、覚悟を決めて青椒肉絲を豪快に口へ放り込んだ。
「――ッ!?!?」
口内を直撃したのは、野菜のみずみずしい甘みと、スジを完璧に断ち切られて驚くほど柔らかく、しかし噛み応えのある虎肉の、暴力的とも言える旨味の奔流。
そして塩むすびをかじれば、オイスターソースの濃厚な塩気と、ピリッとした生薬の辛みが、米の甘みを無限に引き立てる。
「……美味しい……! 悔しいけれど、本当に、文句のつけようがないくらい、美味しいわ……!」
氷室は涙を流しながら、エリートとしての最後の防壁を自ら粉砕し、箸を激しく動かした。
飲み込んだ瞬間、彼女の身体の奥底から、マグマのような熱い活力が湧き上がってくる。
新宿ダンジョンの溢れ出しに伴う異常魔素の中での戦闘で、彼女の肉体は常に急激な適応を強いられていた。
本来ならば、その反動としてひどい疲労感や眩暈、いわゆる『レベルアップ酔い』のデバフが発生するはずだった。
だが、この同位同食のバフのおかげで、不適合を起こすことなく肉体は完全に最適化され、疲労は一瞬にして完全にリセットされていた。
それどころか、内側から脈打つ『過剰適応の逆バフ』とも呼ぶべき、凄まじい筋力と魔力の底上げを、確かな力として実感していた。
「全身が、内側から燃え上がるみたいに軽い……! 筋肉の痛みが、一瞬で消えていくわ! ド、ドレイクさん……あの、お、おかわりいただけますか……?」
トレイを差し出す氷室の顔には、もはやエリートの強張りはなく、よろず屋の理に完全に心酔した可愛いポンコツ感だけが残されていた。
「カッカッカ! 虎を喰って虎の力を得る。これが『同位同食』の理だ。これで次の下層の『ゲテモノ』どもとも互角以上にやり合える馬鹿力が整うってもんよ」
ドレイクが豪快に笑いながら、氷室の皿に肉を追加していく。
「おやっさん、わたしもおかわり! お肉、山盛りでお願いします!」
結羽もまた、覚悟を決めた瞳で、モリモリと虎肉の青椒肉絲を平らげていた。
本人は万能感に満ち溢れ、自身の異変に全く気づいていない。
「おい、結羽……呼吸を深くしろ。丹田に溜まった仙気を、一度肩から抜いて第三経絡へ回すんだ」
ドレイクは中華鍋を置くと、結羽の元へ歩み寄り、彼女の背中をポンと分厚い掌で叩いた。
スゥッ、とドレイクの掌から清涼な気が流れ込み、結羽の内側で異常に活性化していた熱を一時的に優しく逃がした。
「あ……。はい。なんだか、おやっさんに叩かれたら、すっごく身体がすっきりしました」
結羽は不思議そうに瞬きをしたが、すぐにまた元気よく青椒肉絲を口へ運び始めた。
(取り込むエネルギーが溢れて滞りが出始めてんな……とはいえ食わせなけりゃ、この魔素異常の中で戦うのは難しいと来てやがる。手綱の具合が難しいが、なんとか進むしかねえ。ここの底にゃ結羽とふゆへの仕送りが待っているしな……。まったく、本人が無自覚なのが一番厄介だぜ……)
ドレイクは、愛弟子への懸念を隠すように、新しいタバコに火を点け、ふぅ、と紫煙を細く吐き出した。
「よし、食ったらさらに深ぇとこに進むか。黄龍、この先はどうなってんだ?」
『300mほど先に、さらに下層への通路があります。そこから先は、また様相が異なるようですね』
「魔力視の限界範囲までサーチしたけど、この階層とは全然違うね。古い階層なのかなぁ……カビ臭い空気だよ」
「注意して進まなきゃだね! 氷室さん、左右分担で進行しましょう!」
結羽が元気よく、如意黒閃を背負い直す。
「ええ!」
完全に胃袋を掌握され、よろず屋の理に染まりきった氷室もまた、迷いのない瞳で双剣の柄を握りしめ、力強く頷いた。
絶望の隔離領域で、極上の食事と理不尽なまでの『理』を味方につけた一行は、新宿ダンジョンのさらに深く、さらに不気味な魔素が渦巻くエリアへ向けて、新たな活力を胸に力強い進撃を再開するのだった。




