第170話 機甲虎人の極上青椒肉絲風と、下層への突入(前編)
新宿ダンジョンの中層、アストライアからの異常な魔力干渉によって歪に再現された歓楽街――『不夜城エリア』。
けばけばしいネオンサインが不気味に明滅するアスファルトの上で、先ほどまで圧倒的な暴力と殺意を振り撒いていた巨大な『機甲虎人』は、完全に沈黙したスクラップと肉の塊へと成り果てていた。
結羽の放った、如意黒閃による『関節破砕の理』によって右腕の駆動部を内側から爆砕され、さらに超質量の踏み込みから繰り出された脳天への一撃で、もはや元の原型を留めていない。
ドレイクが黒鋼の大型剣鉈を手に、その獲物へと歩み寄ろうとする中、結羽はその場に足を止めていた。
その瞳には、かつて暗渠鼠を倒した時に見せたような無邪気な食欲ではなく、静かで深い思索の色が浮かんでいる。
彼女は、縛仙環の嵌められた自身の両手を見つめ、それから静かに口を開いた。
「……おやっさん。わたし、以前野田の深淵層で、武術を使う魔獣――あの武装ワーウルフを食べるのをためらったこと、ありましたよね」
ドレイクは足を止め、タバコをくわえたまま、黄金の龍眼を細めて弟子の横顔を見つめた。
「ああ。アストライアのゴミ箱で獲れた兵士もどきなんぞ、無理して食う必要はねえって言ったな」
「はい。あの時は、人間に近い動きをするものを解体して食べることに、どうしても抵抗がありました。……でも」
結羽の瞳に、決して揺るぐことのない、特級探索者としての強固な『理』の光が宿る。
「ただ効率よくステータスを上げるための作業として、無機質なゼリーを啜ってカロリーを補給するだけじゃ、心も魂も強くならない。……命を喰らって、その力に敬意を払い、自分を最適化させていく『同位同食』があったからこそ、わたしはここまで来られた」
結羽は、自らの手首に嵌められた、十数トンの超重力を放つ『縛仙環(2セット目)』を見つめた。
「機械が埋め込まれていようが、人の形をしていようが、敵としてわたしたちの前に立ち塞がり、命を懸けて牙を剥いてきた以上、それは『命』です。だから、残さず解体して血肉に変え、この先へ進む力にする。……それが『いただきます』の礼儀であり、よろず屋の理ですよね」
迷いのない結羽の言葉。
不器用だが真っ直ぐな、命を喰らうことへの厳粛な覚悟。
それを受け、ドレイクは獰猛な牙を剥き出しにして、心底嬉しそうに笑った。
「カッカッカ! 上等だ。てめぇのその覚悟、俺が最高の料理にして細胞の隅々まで染み渡らせてやる!」
師と弟子の、命に対する厳粛でありながらも、常人からすれば狂気を孕んだやり取り。
あまりに温度差のある会話を間近で聞いていた氷室怜華は、ついにその理性のタガが外れ、絶叫した。
「いや、覚悟とか礼儀とかそういう問題じゃなくて! 何感動的な雰囲気出してるんですか!? 相手、機械が埋め込まれた人型の虎ですよ!? ゲテモノなんてレベルを遥かに超越した、冒涜的なキメラ兵器ですよ!?」
氷室の悲痛な叫びは、けばけばしいネオンの明滅の中に、虚しく吸い込まれていった。
◆◆◆
「さあ、お掃除の時間よ。……『阿羅漢』、展開なさい」
日常モードへとスッと気持ちを切り替えた佐修院彩斗美が、優雅に指を弾いた。
彼女の周囲を浮遊していた16個の銀色の魔導キューブが、ドレイクと機甲虎人の残骸を取り囲むように、幾何学的な軌道を描いて散開する。
青白い光の軌跡が空中で美しい防壁のドームを形成し、周囲の汚染された魔素や不夜城の澱んだ空気を完全に遮断した。
さらに彩斗美は、上部のキューブを精密に操作し、結界の頂点に小さな気流の穴を開け、即席の『換気ダクト』のような空気の流れを構築してみせた。
「ちょ、ちょっと! さっきもそうでしたけど佐修院先輩まで、なんで当然のように結界を張ってお手伝いしているんですか!?」
氷室が、目眩を覚えたように頭を抱え、彩斗美を指差す。
「分断されたダンジョン内で調理に食事にって、さすがにおかしいとは思わないんですか!?」
これに対し、彩斗美は漆黒のコートを優雅に翻し、涼しい顔で微笑んだ。
「あら、氷室さん。結界内の気圧と換気をコントロールするのは、コマンダーとしての立派な戦術と調理補助よ? 煙が充満して別の魔獣に見つかったら、せっかくの美味しい時間が台無しになってしまうもの」
「そういう問題じゃありません!!」
氷室が半泣きで頭痛に耐えている間にも、結界の内部では、ドレイクの神業的な解体ショーが始まっていた。
だが、今回の解体は、前回の『暗渠鼠の生姜焼き』の時とは異なるプロセスで行われていた。
ズバッ! ガキンッ!
ドワーフ謹製の黒鋼の大型剣鉈が、生体と機械の境界線を寸分の狂いもなく滑り込んでいく。
さらに魔力チューブや油圧ケーブルから漏れ出そうとする濁った作動液を、仙気で瞬時に凝固・吸着させて排除する。
そして、肉体に埋め込まれた魔法金属の接合部からミリ単位の膜を残して肉を切り落としていった。
それは、解体というよりも、極めて精密な『機械の分解・整備』の所作であった。
(……信じられない。あの複雑に絡み合った機械部品と肉を、まるで最初から設計図が頭に入っているみたいに、完璧に仕分けていくなんて……)
氷室は、あまりにも美しく、無駄のないドレイクの動きに、エリートとしてのプライドとツッコミを忘れて目を奪われていた。
仕上げとばかりに、ドレイクは切り出した肉や、切り落としたスライス肉の細胞に対し、分厚い掌から清浄な仙気をたっぷりと流し込んだ。
スゥゥゥゥッ……!
肉の細胞の奥底に染み込んでいた、魔法金属の臭気や魔獣の毒素が昇華され、蒸発していく。
後に残されたのは、美しいルビー色に輝き、汚れ一つない、純粋な生命力に満ちた虎のロース肉であった。
◆◆◆
「さてと。さっきはちょっと重てぇ生姜焼きだったからな。今回は野菜もたっぷりとって、バランスよく仕上げるぞ」
ドレイクは空間収納袋から、今度は鉄板ではなく、黒光りする巨大な『中華鍋』を取り出した。
さらに、黒田に買い出しを頼んでおいた一級品のピーマンと水煮タケノコを取り出し、虎肉と共に目にも留まらぬ包丁捌きで細切りにしていく。
「今日のメインディッシュは、『機甲虎人の極上青椒肉絲風』だ。激戦の疲労には、オイスターソースのコクと野菜のビタミンが一番効くぜ」
ドレイクは、第三世代魔導コンロの火力を最大まで高めた。
中華鍋から激しい熱気が立ち上る。
熱された黒い鍋に、特製の油が引かれ、細切りにされた虎肉が投入された。
ジュワァァァァッ!!!という、空気を引き裂くような激しい爆ぜる音が、結界内に響き渡る。




