第166話 極上暗渠鼠の厚切り生姜焼きと、エリートの陥落(前編)
深く、暗く、そして不気味な悪臭を放っていた地下暗渠。
そこは今、おぞましい魔獣の死骸と血の匂い、そして氷室怜華が放った極低温の冷気によって、一種の凄惨な静寂に包まれていた。
数十匹にも及んだ『ジャイアント・トレンチラット』の群れは、氷室のデバフ、彩斗美の誘導、ふゆの解析、そして結羽の理不尽極まりない物理の暴力によって、完全に沈黙している。
その血みどろのコンクリートの残骸の上で、『よろず屋ドレイク』の店主にして神話の火龍であるヨシュア・A・ドレイクは、鈍い黒光りを放つ大型剣鉈を手に獰猛な笑みを浮かべた。
「さあて、お待ちかねの食材の調達完了だ。……激戦の後は、極上のダンジョン飯といくぜ」
ドレイクは、巨体を揺らしてネズミの残骸へと歩み寄った。
「え……しょ、食材って……まさか、本当にそれを食べるつもりですか!?」
息を整え、双剣を鞘に納めようとしていた氷室が、信じられないものを見るような目で悲鳴を上げた。
無理もない。
目の前に転がっているのは、悪臭漂う下水道を這い回っていた、ドーベルマンほどもある不気味な巨大ネズミの死骸なのだ。
「汚いネズミを食肉にするなんて……いくらなんでも正気じゃありません! 寄生虫や未知の病原菌の塊ですよ!」
氷室が顔を真っ青にして叫ぶ。
エリート探索者として、システムで管理された無菌の高価なポーションや、徹底的な品質管理をされた最新の栄養食(ブロック食やゼリー)を摂取してきた彼女にとって、下水ネズミを食べるなどという行為は、正気の沙汰とは思えなかった。
「バカ言え。こいつは下水のヘドロを喰って肥大化したんじゃねえ。地脈の良質な魔素の澱みを吸って育った『上質な脂の塊』だぜ」
ドレイクは、氷室の抗議など意に介することなく、鼻で笑い飛ばした。
「俺の仙気で浄化してやれば、そこいらのブランド豚よりよっぽど綺麗で美味い極上の肉に化ける。……結羽、頭を潰した綺麗な個体をこっちへ持ってこい」
「はいッ! おやっさん、この子たち、すっごくお肉が詰まってて美味しそうですよ!」
特級探索者である結羽が、満面の笑みで巨大なネズミの後ろ脚を掴み、ズルズルとドレイクの元へ引きずってくる。
(……嘘でしょ。ドレイクさんも、この子も、どうかしているわ……!)
氷室は、かつての憧れであった元SSランク・コマンダーの彩斗美にすがるような視線を向ける。
だが、彩斗美は16の魔導キューブを優雅に展開させたまま、ふふっ、と艶やかに微笑んで肩をすくめたのだ。
「心配ないわ、氷室さん。……私自身、よろず屋のパーティーに入ってから、すっかり市販のゼリーやブロック食は食べなくなったわねぇ」
「えっ……佐修院先輩まで……?」
「あれはただ効率よくカロリーを摂取するだけで、心も、魂も満たされない、ただの『作業』よ。……ドレイク殿の同位同食の理を通した極上のダンジョン飯に比べれば、最高級のポーションなんて目じゃない、最強のバフになるのよ」
彩斗美が、心底待ち遠しそうにドレイクの解体作業を見つめている。
「ドレイク殿、阿羅漢で結界を張って仮のセーフエリアにしちゃうわね」
「おお、気が利くじゃねえか彩斗美嬢ちゃん。へっ、すっかりうちの色に染まったな」
「ええ、おかげさまでね」
そんな会話をしながら、ドレイクの手元では魔法のような解体ショーが始まっていた。
ズバッ! シュッ!
ドワーフ謹製の剣鉈の刃が、毛皮と肉の境界線を寸分の狂いもなく切り裂き、骨から肉を外していく。
ドレイクは刃に『金の気』を流し込み、硬いスジや骨の結合部を滑るように断ち切って、極上の赤身肉の塊だけを鮮やかに切り出した。
そして、その肉塊に対し、ドレイクは自身の分厚い掌から清浄な仙気をたっぷりと流し込む。
スゥゥゥゥッ……!
肉の細胞に蓄積されていた魔素の毒と、下水特有の生臭い悪臭が、青白い光と共にシューッと音を立てて完全に消えていく。
後に残されたのは、美しいサシが入った、淡い桜色に輝く極上の霜降り肉だった。
「……信じられない。あの汚らしい魔獣が、本当に精肉になるだなんて……」
氷室は、その手品のような光景にただただ目を奪われていた。
◆◆◆
足場の安定したコンクリートの残骸の上に、ドレイク愛用の第三世代魔導コンロと、分厚い黒鋼の鉄板が手際よくセットされる。
「さてと、黒田の親父に頼んで買い出ししておいた一級品の野菜のご登場だ」
ドレイクはマジックバッグから、みずみずしい巨大なキャベツと、ごつごつとした黄金色の生姜をたっぷりと取り出した。
そして、まな板代わりに、と浄化した岩盤の上で、愛用のタングステン鋼の包丁をリズミカルに振るい始める。
トトトトトトトトッ!
目にも留まらぬ速度で、キャベツが美しい千切りへと変わっていく。
「いやいやいや! ちょ、ちょっと待ってください! なんでキャベツの千切りなんて始めてるんですか!? こんなところで呑気に料理している場合じゃないですよ! 早く本隊と合流しないと全滅のリスクだって……!」
氷室が、たまらずツッコミを入れた。
ダンジョンアタックの本隊隔離された未踏破領域、いつまた魔獣の群れが襲ってくるかわからない絶体絶命の状況で、巨漢の男が鼻歌交じりにキャベツを刻んでいる光景は、あまりにもシュールすぎた。
「バカヤロウ。生姜焼きには、タレと脂を吸わせる山盛りのキャベツが必須だろうが。魔獣の気配はねえし、彩斗美嬢ちゃんが結界も張ってる。全滅の心配より、自分の胃袋の心配をしてな」
ドレイクは氷室のツッコミを完全に無視し、すりおろした大量の生姜と特製醤油、みりん、酒を混ぜ合わせたタレをボウルに用意した。
そこに、厚切りにしたトレンチラットの霜降り肉を投入し、しっかりと揉み込んでいく。
熱された鉄板の上に、ドレイク特製の魔獣脂が引かれた。
ジワァァァァッ……!!
「よぉし、一気に焼き上げるぜ!」
タレをたっぷりと吸い込んだ厚切りのネズミ肉が、鉄板の上に豪快に並べられる。




