第159話 前線基地の混沌と、特例Dランクの提示(前編)
日本最大にして最悪の魔境、『新宿ダンジョン』。
かつては世界有数の乗降客数を誇った巨大ターミナル駅とその周辺の地下街は、今や完全に異界の構造物へと侵食され、巨大なゲートとして地上に口を開けていた。
その地上エントランス周辺は現在、厳戒態勢が敷かれ、完全な封鎖状態にあった。
灰色の雲が垂れ込める上空には無数の報道ヘリが旋回し、けたたましいローター音を響かせている。
周囲の主要道路には、自衛隊の装甲人員輸送車や高機動車が幾重にも並べられ、重武装の隊員たちが血走った目でゲートの奥を睨みつけていた。
ダンジョンからいつ溢れ出しが起きてもおかしくないという未曾有の緊急事態に、日本中の視線がこの場所に釘付けになっていた。
だが、パニックを未然に防ぐためか、あるいは通信インフラがすでに死んでいるのか、ダンジョン内部からの公式配信は一切行われておらず、完全な情報統制下にある。
人々が現状を知る術は、遠く離れた高層ビルからエントランス周辺を映し出し続ける、画質の粗い定点カメラの映像のみであった。
当然、ネットの巨大掲示板や動画配信サイトのコメント欄は、かつてないほどの熱狂と恐怖で沸き返っていた。
◆◆◆
名無しの探索者:ID:aB3x9Q2p
おいおいおい、マジで新宿終わるんじゃないのこれ?
ゲート前、自衛隊の装甲人員輸送車とか物資の輸送車両まで展開されてるじゃん……。
名無しの探索者:ID:kL8m5V1c
白銀の軌跡とか機巧の番犬とか、関東のトップS級ギルドが総動員されてるらしいぞ。
でも中の状況は全然報道されないし、通信も妨害されてるって噂だ。
名無しの探索者:ID:rY2t6N4w
装甲車まで出てきてるし、マジで逃げた方がいいかも……。
都心から離れる高速道路、すでに大渋滞で完全に機能停止してるってニュースでやってた。
東京終わるぞこれ。
名無しの探索者:ID:pP9q1E5s
おい、今の定点カメラの映像見たか!?
あの物々しい自衛隊のバリケードを堂々と抜けてった黒塗りの大型トラック!
名無しの探索者:ID:wJ4h8G7u
カメラ遠すぎて画質荒いから人が降りたのしか分からんが……。
あの車体に入ってる金色のマーク、見覚えあるぞ。
間違いない、佐修院家の家紋だ!
名無しの探索者:ID:mN5c3X2z
佐修院って、あの引退した元SSランクの佐修院彩斗美の!?
名無しの探索者:ID:bV1f9T4k
マジかよ! 『黄金の虎』が前線に復帰したってことか!?
三年前の横浜スタンピードを一人で押し留めたっていう、あの生ける伝説が!?
名無しの探索者:ID:yH7d2M6a
うおおおおッ! 迷宮第一世代の英雄だぞ!
知らないヤツはニワカすぎだろ!
すげぇ、マジでテンション上がってきた!
名無しの探索者:ID:xZ3s5C8v
でも、なんで今さら引退したトップが……。
まさか、英雄を引っ張り出さないといけないほど、中の事態はそこまで絶望的なのか?
◆◆◆
定点カメラの遠景では捉えきれなかったが、物々しい警戒線を易々と抜けた漆黒のトラックから降り立ったのは、四人の男女だった。
世紀末のような外野の喧騒や、防衛線に立つ探索者たちの悲壮なまでの恐怖の憶測をよそに、新生『よろず屋パーティー』の四人は、周囲の重苦しい空気を意に介することなく、堂々とした足取りで前線基地へと向かって歩みを進めていた。
先頭を歩く彩斗美は、かつての栄光を取り戻したかのような圧倒的なプレッシャーを放ち、その後ろでは結羽とふゆが、まるで週末の遠足にでも来たかのように目を輝かせている。
そして最後尾では、ドレイクがジャージ姿で「面倒くせえ」とばかりに首をボキボキと鳴らしながら、悠然と紫煙をくゆらせていた。
新宿ダンジョンの浅層エリア、旧地下広場に急造された、巨大な前線基地の司令用テント。
そこには、関東トップのS級ギルド『白銀の軌跡』のギルドマスター・堂島誠や、神奈川のS級ギルド『機巧の番犬』のリーダー・葛城我門をはじめとする、日本最高峰の探索者たちが険しい顔で集まっていた。
日頃は余裕の笑みを浮かべてメディアに露出する彼らの表情には、明らかな疲労と焦燥の色が濃く滲んでいる。
「状況はどうなっている、葛城」
堂島が、ひび割れや深い爪痕が刻まれた、自身の背丈ほどもある特大の魔導大盾を傍らに置きながら、血走った目で問う。
「ダメです。……最下層からの魔力波長が、すでに当ギルドの観測計器の上限を振り切り、観測不能レベルにまで膨れ上がっています。おまけに、深層からの異常な瘴気のせいで、一般の通信機器は完全にダウン。私の最新鋭の魔導デバイスでさえ、先ほどから意味不明なエラーコードを吐き出し続けている状況です」
葛城が、頭部に装着した無骨な魔導UIゴーグルを乱暴に操作しながら、冷徹に、しかし隠しきれない焦りと苛立ちを滲ませて答える。
彼は兵装マニアであり、最新鋭のシステムと合理的な戦術を重んじる男だ。
自身のギルドメンバーにも、常に高価なダンジョンデバイスや装着式タブレットを揃え、システムの恩恵によって幾度ものダンジョンアタックを成功に導いていた。
だが、今ばかりはその彼が最も信頼を置く最新のシステムが、未知の事象の前で完全に敗北し、赤いエラーコードという名の白旗を揚げ続けていることに、奥歯を噛み締めるしかなかった。
「このままでは、あと数時間もすれば……協会が張った結界が限界を迎え、観測史上最大規模の大規模スタンピードが起きます。……下手をすれば東京が、終わりますよ」
その言葉に、テント内に絶望の沈黙が落ちた。
「そんな……私たちS級ギルドが総力を挙げても、どうにもならないっていうんですか!?」
『機巧の番犬』のサブリーダーである氷室怜華が、葛城の傍らで双剣の柄を白くなるほど握りしめながら、悲痛な声を上げる。
その重苦しく、窒息しそうな空気を切り裂くように、テントの入り口のフラップが静かに跳ね上げられた。
「会議以来ね、堂島」
凛とした、氷のように冷たくも優雅な声。
そこに立っていたのは、佐修院彩斗美だった。
彼女は、体にフィットした実戦用のバトルスーツの上に、魔物素材から作られた対物理防御服でもある漆黒のコートを優雅に羽織っている。
その背中にはドレイクの魔改造を受けた大剣を背負い、腰には凶悪な破壊力を秘めた蛇腹剣。
そして何より周囲の目を引いたのは、彼女の周囲で主を護るように浮遊している、16個の銀色の魔導キューブ――『阿羅漢』だった。
それは微かな青白い光を帯びながら、まるで自立した意思を持つ生き物のように幾何学的な軌道を描き、テント内のS級探索者たちを圧倒するほどの強烈な魔力と威圧感を放っていた。




