第152話 深淵の処理層と、愚行の記憶(前編)
「お掃除完了ですーっ!!」
活字地獄のストレスを、防衛システムとして差し向けられた魔獣たちへの物理的な暴力で完全に発散しきった結羽は、満面の笑みで『如意黒閃』を肩に担いでいた。
彼女の両手首と両足首には、ドレイクによって出力が引き上げられた極悪な黒鋼の枷『縛仙環(2セット目)』が装着されている。
常に10トン以上の超重力で装着者を押し潰そうとするその負荷を、結羽は丹田から練り上げる仙気の反発力で完全に相殺し、さらには前方への爆発的な推進力へと変換して魔獣を蹂躙してみせた。
だが、今の結羽はその地獄のような重圧を、丹田の奥底から引き上げた『内功の仙気』によって完璧に制御し、相殺していた。
単に力任せに抗うのではなく、四肢の縛仙環が引き起こす下向きの圧倒的な重力ベクトルに対し、自身の経絡に流す仙気の反発力をミリ単位で噛み合わせる。
そして、その余剰エネルギーを前方への爆発的な推進力へと反転させ、空間を滑るように疾走する『面』の歩法へと昇華させていた。
仙気と黒鋼が完璧なシンクロを果たすたびに、如意黒閃の表面に刻まれた光華文字の言霊が呼吸するように黄金色に輝く。
それは、ステータスボードというシステムのサポート――『VIT』や『STR』といったチープな数字の檻を完全に超越した、武の『理』の体現そのものだった。
もはや彼女にとって、黒鋼の超質量はただの足枷ではなく、自らの手足の延長として振るう『凶器』そのものへと昇華されていた。
「おう、スッキリしたようだな」
ドレイクは、短くなったタバコの灰を落とすと、携帯灰皿の蓋を静かに閉じた。
その隣から、最後尾でUIゴーグルを展開していたふゆも「お姉ちゃん、すごいスピードだったよ!」と満面の笑顔で拍手をして駆け寄ってくる。
彼らが到達したのは、かつて神話級魔獣ヒュドラが陣取っていた『兵装修修復の工房』の最奥。
そこには、鈍い銀光を放つ未知の合金で作られた重厚な隔壁と、その傍らに設置された端末が静かに青白い光を明滅させていた。
「さて、お遊びはここまでだ。ここから先は、俺が前にロックをかけておいた『本当の深淵』だ」
ドレイクの言葉に、結羽もふゆも表情を引き締め、小さく頷いた。
ふゆが自身のスマートフォンを傍らのポートへと物理的に接続する。
「黄龍先生、深淵層へのロックの解除と、おやっさんのマスター権限でこの先のガーディアンの無効化もできるかな?」
『承知いたしました、ふゆ殿。ロックの解除はもちろん、マスター権限などあってもなくても、この程度のローカルセキュリティのコントロールなど造作もありません』
黄龍の宝珠が淡い金色の光を放ち、コンソールの画面にアストライアの光華文字と現代のプログラミングコードが滝のように流れる。
だがその瞬間、コンソールの奥深くから、かつての大戦期に稼働していた残存防御システムが、不気味な警告赤光を瞬かせた。
大陸公用語による「警告。未登録のデバイスによるアクセスを検知。排除プロセスを開始します」という、ノイズ交じりのシステム音声。
コンソールの画面に、真っ赤な文字の文面が表示され、アストライアの古代コードが、黄龍のハッキングに対して激しい反発と魔力の逆流を引き起こそうとする。
『ほう? マスター登録とは別のセキュリティが走っているようですな。これは興味深い。この先には、よっぽど"見られて困るもの"が眠っているといったところですかな。邪魔です、お退きなさい』
黄龍がふゆの持つスマートフォンから風雅な合成音声でそう言い放つと、自身の演算コードを一気に流し込み、警告画面を清浄な青色へと上書きしていった。
ガゴォォォォンッ……!
地響きのような重低音と共に、強固な金属の隔壁がゆっくりと左右に開き始める。
『内部の防衛機構、および迎撃ガーディアンたちの強制シャットダウンを確認。……安全に進行可能です』
「よっしゃ、行くぞ」
ドレイクを先頭に、よろず屋パーティーの三人は暗い通路の奥へと足を踏み入れた。
歩を進めるにつれて、空気が無機質で重苦しいものへと変わり、兵器工場特有の油と錆びた金属の匂いに、培養液のような生々しい薬品の臭気が混ざり合って漂い始める。
やがて通路を抜けた先。
結羽は、眼下に広がるその異様な光景に、思わず息を呑んで立ち尽くした。
「これって……野田ダンジョンの奥にあったのと同じ……巨大な処理場?」
そこは、果てしなく広がる巨大な『すり鉢状(逆円錐状)』の超巨大地下空間だった。
まるで、世界を丸ごと飲み込むために作られた巨大な砂時計の下半分。
壁面に沿って延々と螺旋状の足場が作られており、幾何学的な魔力回路と、高層ビルほどもある超巨大な搬入パイプの残骸が、すべて『一番底』に向けて集束するように伸びている。
さらに、そのすり鉢の壁面には、破損した巨大なシリンダーがいくつも埋め込まれ、その中にはすっかり乾ききった巨大な骨格などが時折姿を見せる。
それがヒュドラのストックなのか、他の巨大生態兵器のストックなのかは定かではないが、この施設とそれらの存在が見捨てられてから相当な時間が経っていることだけは見て取ることができた。
だがそれと同時に、彼女の全身に、文字通り身体を地面へと叩きつけようとする凄まじい『重圧』がのしかかった。
それは、通常のダンジョンの重力とは全く異なる、不気味でねっとりとした『魔素重量の歪み』。
サイロの底に堆積した、アストライアの大量破壊兵器の超質量が、周囲の空間を物理的に引き歪めているのだ。
「くっ……!?」
結羽は突然の重力異常に、思わずたたらを踏みそうになった。
隣にいたふゆも、突然押し寄せてきた強烈なプレッシャーに、うっと顔をしかめて胸元を押さえる。
『おや、おや。この空間の歪み、アストライアの古い重力トラップがバグを起こして残留しているようですな』
黄龍の宝珠がチカチカと不快そうに点滅する。
「へっ、ろくでもねえガラクタばっかり詰め込んでるから空間が悲鳴を上げてやがんだよ。……ほれ、結羽、ふゆ。こんな重力ごときに足を取られてるんじゃねえぞ」
ドレイクは何事もないように姉妹のそばに立つと、結羽たちの肩を優しく叩いた。
その言葉とドレイクの掌から流し込まれた温かな仙気を受け、ふゆは安堵したように息を吐き、結羽は再び丹田に仙気を巡らせ、足裏の気の膜をさらに強固に張り直した。
しかし。
「うっ……」
結羽は、視界に飛び込んできたあまりにも冒涜的な光景に口元を押さえた。




