第149話 終わらない活字地獄と、火龍へのクリティカルヒット(後編)
「カッカッカッカ!!」
だが、その張り詰めた空気を読まないドレイクの大爆笑が響いた。
「ついに知恵熱で頭がショートしちまったか! 傑作だぜ、ダンジョンのバケモンを身一つで殴り殺す特級サマが、五つも下の妹に抱きついて泣きべそかいてやがる! ほれ結羽、甘えてねえでさっさとペンを握れ。留年して妹と同級生になりてえのか? それとも、諦めて俺たちに一生養ってもらうか?」
そのからかいの言葉が、泣きじゃくっていた結羽の耳に届いた。
結羽は涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を上げ、充血した瞳でドレイクをギロリと睨みつけた。
そして、ふゆに抱きついたまま、心の底からの怒りと悲しみを含んだ致命的な一言を放った。
「おやっさんのばか……! いっしょうけんめいおべんきょうしてるのに、からかうなんて……ひいおじいちゃん、きらいッ! いじわるいうッ!!」
――ピタリ、と。
リビングの時間が、完全に停止した。
アストライアの門番として君臨し、いかなる軍勢の集中砲火を浴びても傷一つ負うことのなかった神話級の火龍の巨大な胸のど真ん中に、目に見えない大剣がズブブブブッ!! と突き刺さる。
「あ……えっ?」
ドレイクの手からビールの空き缶がポロリと滑り落ち、床に転がった。
その屈強な顔面から血の気が引き、土気色を通り越して真っ白な灰へと変わっていく。
『おやおや。警告です。師父の生命反応が著しく低下していますね。生命力の波が完全に平坦に……。これほどの痛撃はなかなかありません』
黄龍の宝珠が激しい赤色で明滅し、皮肉な言葉を発しながらも緊急事態のアラートを鳴らす。
「ちょ、ちょっとドレイク殿!? 息をしていないわ! しっかりして!」
彩斗美が慌てて駆け寄るが、ドレイクは虚空を見つめたまま完全に硬直していた。
「あーあ。おやっさん、お姉ちゃんがいちばん頑張ってるの知ってるくせに。……意地悪言うなんて、最低だね」
ふゆが結羽の頭を撫でながら、ジト目でドレイクを冷たく見下ろす。
『ふゆ殿の仰る通りです、師父。これだけ身を粉にして努力している結羽殿に対して、その揶揄いはあまりにも残忍が過ぎます。曾祖父として師としての品格を疑わざるを得ません』
黄龍までが容赦のない追い打ちをかける。
位相を超えた並行世界の――とはいえ、血の繋がったひ孫からの純粋な『拒絶』の言葉。
ハッと我に返ったドレイクは、這いつくばるような勢いで結羽の足元にすがりついた。
「わ、悪かった! 俺が悪かった、結羽! からかい過ぎた! だから頼む、嫌いなんて言わないでくれ! ひいじいちゃんが悪かったから!」
涙目で必死に謝罪する巨大な火龍。
そのあまりの惨めな姿に、結羽も思わずキョトンと泣き止んでしまった。
「今から野田ダンジョンの深層に潜って、一番活きのいい特上のミノタウロスを狩ってきてやるから! すき焼きでも極厚ステーキでも作ってやる!」
「……」
無言で首を横に振る結羽に、ドレイクはさらに焦って提案を重ねる。
「あ、いや、牛っころはもう飽きたか!? だったら埼玉の湿地だ! あそこで極上の巨大亀を狩って、ぷるっぷるのコラーゲンたっぷりのすっぽん鍋を作ってやる! 年代物の土鍋で、最高の出汁を引いてやるから!」
「……ううっ」
どんな極上のダンジョン飯を提示されても、限界を迎えた結羽は首を横に振るだけで、一向に機嫌を直そうとしない。
今の彼女が求めているのは栄養補給ではなく、この終わりの見えない活字地獄からの解放だった。
「こりゃ限界だな……肉体と違って、精神の摩耗ってのは仙気じゃどうにもならねえ。……よし、結羽。息抜きも必要だ。明日の勉強は休みだ」
「え……?」
結羽が、ふゆの背中からひょっこりと顔を出した。
ドレイクはニヤリと、いつもの獰猛な、けれどこれ以上なく頼もしい笑みを浮かべた。
「黒田に頼んで、車出してもらうぞ。明日は群馬の赤城山ダンジョンに行こうや。あそこの深淵のアストライアのガラクタどもを、全部ひっくるめて『大掃除(息抜き)』してこようぜ」
「本当!? お勉強しなくていいの!? バケモン、全力で殴っていいのね!?」
結羽の虚ろだった瞳に、カッ! と眩いばかりのハイライトが戻る。
「そうだ。それに、深淵のコンソールを掌握して『位相のゲート』を開けば、あっちの情報ももっと深く手繰れるはずだ。先日送ったボトルレター。母ちゃんたちから、返事が来ているかもしれねえからな」
『左様ですな。あの場所のコンソールを用いれば、アストライアのメインサーバーへのより直接的な干渉が可能になるはずです。通信が確立する可能性は、極めて高いと推測します』
活字地獄からの解放。
思う存分に暴れられる大掃除(物理)。
そして何より、異世界にいる両親からの返信という最高の希望。
「――行くッ!! わたし、行きます!!」
結羽は先ほどまでの幼児退行と涙が嘘のように弾かれたように立ち上がり、両手足を拘束する縛仙環の超重力を微塵も感じさせない身軽さで、ガッツポーズを決めた。
「よーし、そうと決まったら今日はもう寝ます! ふゆ、黄龍さん、勉強は明後日からまた頑張るね! おやっさん、明日は朝イチで出発ですよ!」
あまりにも現金すぎる大復活劇。
ドレイクは嵐のように自室へと駆け込んでいく弟子の逞しい背中を見送って、やれやれと首の後ろを掻いた。
「やれやれ……。万能の戦士に育て上げたつもりが、とんだ脳筋になっちまったな……。勉強よりバケモンと殴り合う方がいいとは恐れ入るぜ」
『師父の教育の賜物ですよ。最も効率よくストレスを解消する手段が「物理による破壊」であると、彼女の身体の髄まで教え込んだのは他でもない貴方なのですから』
「カッカッカ! 違いねえ! まぁ、機嫌が直ったならそれでよしだ」
黄龍の冷静なツッコミに、ドレイクは腹の底から愉快そうに笑い飛ばした。
「……呆れたわね。完全にダンジョンの理に染まり切っているわ」
彩斗美が、やれやれと肩をすくめながらも楽しげに微笑む。
「わたしも赤城山、行くからね! お母さんたちからの通信、絶対にわたしが受信してみせるんだから!」
ふゆもまた、天才オペレーターとしての顔つきになり、小さな拳を握りしめた。
かくして、特級探索者・前山田結羽の果てしない補習地獄は一時休戦となり。
新生よろず屋パーティーは、最高の「息抜き」と「希望」を求めて、かつて死闘を繰り広げた因縁の地――群馬県・赤城山ダンジョンへと再びその足を踏み入れることになったのである。




