第145話 縛仙環の日常と、ダンジョン脳の追試突破(後編)
信じられないほど柔らかい肉の繊維から、魔獣特有の力強い旨味と肉汁が、甘辛い出汁を吸った卵と絡み合って口の中に溢れ出す。
縛仙環の超重力とダンジョン脳のフル回転で枯渇しきっていた結羽の細胞に、極上の魔獣肉の養気が、まるで干からびた大地に水が染み込むような勢いで吸収されていく。
「美味しいっ! お肉が分厚いのに歯でスッと切れるし、この甘辛いお出汁の味が最高です!」
「へっ。硬ぇ筋は全部包丁で断ち切って、俺の仙気で限界まで柔らかく仕上げてあるからな。しっかり食って、明日の追試ってやつを叩き割ってこい」
「はいッ!!」
極上のダンジョン飯で心身のエネルギーを完全に満たした結羽は、闘志を燃やして再びホログラムの魔獣のパターンへと向き直った。
◆◆◆
翌日。
学園の静まり返った特別教室に、追試の開始を告げるチャイムが鳴り響いた。
教務課の職員が見守る中、机に向かった結羽は、深々と息を吐き出してシャーペンを握り直した。
(来た……ッ! 追試の、始まりだッ!)
結羽の瞳が、特級探索者のそれに切り替わる。
目の前に裏返された問題用紙の束が、暗闇に潜む魔獣の群れに見えた。
結羽は問題用紙を表に返すと、その一問一問を瞬時に『魔力視』のようにスキャンしていく。
(問一、現代文の心情読解。……これは罠だ! 表層の言葉に惑わされず、出題者の意図する深層の『理』を突く!)
カリカリカリッ! と、結羽のシャーペンが迷いなく解答用紙を埋めていく。
(問四、数学の図形問題。これは完全に『ゴーレムの関節構造』の解析パターン! 補助線をここに引けば、一瞬で崩壊する!)
結羽の頭の中では、完全にダンジョンのシミュレーションが展開されていた。
シャーペンはもはや『骨の牛刀』であり、解答欄を埋める作業は、魔獣の急所を的確に突いて解体する作業と完全に同義であった。
見回りをしていた教務課の職員は、結羽の机から発せられる尋常ではない集中力と、不可視の『闘気』のようなプレッシャーに、思わず数歩後ずさった。
(な、なんだこの生徒は……。ただ追試を受けているだけなのに、まるで神話級の魔獣と死闘を繰り広げているかのような、凄まじい気迫……!)
縛仙環の超重力をミリ単位で制御しながら、同時にダンジョン脳をフル回転させて問題を解体し続ける特級探索者。
結羽は制限時間を半分以上残して、すべての解答欄を埋め尽くした。
「ふぅ……ッ。お掃除、完了です!」
結羽はシャーペンを置き、大きく息を吐き出して、誰にも聞こえない声で小さく呟いた。
◆◆◆
数日後。
「やりましたぁぁぁっ!! おやっさん! ふゆ!」
野田のヤサのドアを勢いよく開け放ち、結羽が満面の笑顔で飛び込んできた。
その手には、学園の教務課から渡された成績証明書が握られている。
「すべての追試科目で、八十点以上の高得点クリア! これで留年回避です!」
「おめでとう、お姉ちゃん!」
ふゆが駆け寄り、自分のことのように喜んで結羽に抱きつく。
「カッカッカ! よくやったじゃねえか。紙っぺらの魔獣を見事に解体したようだな」
ドレイクも作業台から振り返り、満足げに牙を剥いて笑った。
「はいッ! ふゆと黄龍先生のヤマ張りと、ダンジョンへの置き換え暗記法のおかげです! これで、いよいよふゆと同じ『スキップ卒業認定試験』を受けることができます!」
結羽が拳を突き上げ、歓喜の声を上げる。
これで面倒な座学から解放され、立派なAランクギルドのマスターとして、おやっさんたちと一緒にアストライアへ向けたダンジョンアタックに専念できる。
そう信じて疑わなかった。
「……うん、そうだね。お姉ちゃん、追試クリア本当におめでとう。……でもね」
ふゆが、抱きついていた腕を離し、少しだけ言いにくそうに結羽を見上げた。
「え? どうしたの、ふゆ?」
「今回の追試は、あくまで一学期の『赤点を回避して進級するためのテスト』だったでしょ?」
「うん。だから、これで留年はないよ!」
「でもね、お姉ちゃんが受けようとしている『スキップ卒業認定試験』は、そうじゃないの」
ふゆは、残酷な現実を告げる死神のように、しかし極めて純粋な笑顔のまま、その言葉を口にした。
「スキップ卒業するための試験範囲は……高校一年生から三年生までの、『全教科・全カリキュラムの総合テスト』なんだよ?」
「――えっ?」
結羽の顔から、歓喜の表情がスッと抜け落ちた。
「だから、一学期の範囲だけヤマを張って暗記したってダメなの。これからは、高校三年間分の膨大な知識を、基礎から全部理解して頭に叩き込まないと、卒業試験は絶対にパスできないよ?」
『左様でございます。先ほどの追試対策のような一夜漬けのダンジョン暗記法では、圧倒的にキャパシティが足りません。本格的な、長期的な座学の修練が必要ですな』
黄龍の合成音声が、ふゆの言葉に冷静な追い打ちをかける。
「高校、三年、間分の……ぜ、ぜん、はんい……?」
結羽の頭の中で、先ほど解体したばかりの「テスト用紙」という名の魔獣が、一匹ではなく、数万匹の群れとなって復活し、こちらに押し寄せてくる幻影が見えた。
「そ、そんなぁぁぁぁぁぁぁッ!?」
歓喜の絶頂から、文字通り突き落とされた特級探索者。
新生よろず屋パーティーの平和な日常の裏側で、前山田結羽の真の『活字地獄』が、いよいよ本格的に幕を開けようとしていた。




