第130話 天狗狒々の群れと、大質量の旋風撃(前編)
狂乱の虜囚となっていた北関東のAランクギルド『赤銅の牙』の面々を、安全な地上へと引き渡し、背後の憂いを完全に断ち切った新生『よろず屋パーティー』。
彼らは再び、猛毒の硫化水素と幻術の魔素が吹き荒れる『殺生石ダンジョン』の奥深くへと歩みを進めていた。
ふゆが放つ『防毒・幻術中和のシリンジ魔弾』の結界に守られながら、一行は赤茶けた岩肌が剥き出しになった迷宮を、中層から深層へと向けて着実に下っていく。
道中、妲己システムの幻術によって凶暴化した猪や鹿、熊といった山系生態系の強力な魔獣たちが幾度となく襲い掛かってきたが、今のよろず屋パーティーの歩みを止めるには至らない。
彩斗美が蛇腹剣で変幻自在の軌道を描いて魔獣の動きを封じ、結羽が縛仙環の重力を推進力に変えた一撃で的確に急所を粉砕していく。
「……よし。これでこの階層の魔獣の反応はゼロよ。次へ進みましょう」
彩斗美が蛇腹剣をカチャリと鞘に納め、額の汗を軽く拭った。
「はいっ! なんだか、京都で美味しいものをたくさん食べたおかげか、身体がすっごく軽く感じます!」
結羽は鈍い銀光を放つ『如意棍棒』を肩に担ぎ、ニコッと笑う。
両手首と両足首には相変わらず数トンもの質量を持つ黒鋼の『縛仙環』がガッチリと嵌められているが、彼女の足取りは驚くほど軽やかだった。
(豆腐を崩さないように箸を使うのに比べたら、ただ魔獣を殴り飛ばす方が何倍もシンプルでやりやすい!)
そんな極限の修行の成果が、彼女の戦闘能力を無意識のうちに底上げしていたのである。
「カッカッカ! 頼もしいこった。だが、気を抜くんじゃねえぞ。ここから先は、いよいよ深淵層に繋がる関所だ。……お出ましだぜ」
ドレイクがタバコの煙を細く吐き出し、前方へと顎をしゃくった。
一行が辿り着いたのは、硫黄のガスがひときわ濃く立ち込める、広大な地下空洞だった。
空間の奥には、苔生した巨大な鳥居がそびえ立ち、その向こう側に『深淵層』へと続くであろう重厚な石の扉が閉ざされている。
そして、その鳥居を守護するように、十数体の異様な魔獣の群れが陣取っていた。
「お姉ちゃん、前方に敵影! ……サルの魔獣だよ! でも、ただのサルじゃない!」
ふゆの『魔力視』を通した警告が飛ぶ。
結羽の視界に映ったのは、人間の大人よりも遥かに巨大で、筋骨隆々としたサル型の魔獣『狒々』の群れだった。
だが、彼らはただの野生の獣ではない。
それぞれがボロボロになった修験者のような装束を身に纏い、その中心に立つひときわ巨大な個体――ボスと思われる狒々は、赤い天狗の面を被り、手には未知の合金で作られた禍々しい錫杖を握りしめていた。
「天狗装束の狒々……。ただの魔獣じゃないわ、完全に群れとして統率されているわね」
彩斗美が目を細め、蛇腹剣の柄に手をかける。
「グルルルル……ッ!!」
ボス個体である天狗狒々が錫杖を高く掲げ、空気を震わせるような咆哮を上げた。
それを合図に、周囲の狒々の群れが一斉に動いた。
「キィィッ!!」
「来るわよ! 結羽、気をつけて!」
「はいッ!」
結羽は如意棍棒を構え、迫り来る群れを迎え撃とうとした。
だが、その直後、結羽は彼らの異常な動きに目を見張ることになる。
彼らは前傾姿勢の四足歩行――ナックルウォークで岩場を滑るように這い回り、凄まじい速度で結羽たちに肉薄してきた。
そして、間合いに入った瞬間、バネ仕掛けのように跳躍し、空中で一気に二足歩行の姿勢へと切り替わったのだ。
「なっ……!?」
人間の身体性能を軽く超越した身体能力。
跳躍した狒々たちは、鋭い爪を振りかざし、一直線に結羽の『目』や『喉』といった急所だけを的確に狙って襲い掛かってきた。
ガキィィンッ!!
結羽は咄嗟に如意棍棒を横に構え、迫り来る爪を弾き飛ばす。
だが、弾かれた狒々は空中で見事な受け身を取り、すぐに別の個体が死角からナックルウォークで足元へと滑り込み、アキレス腱を狙って爪を振るう。
「くっ……! こいつら、戦い方が……!」
結羽は後方へ跳躍して距離を取るが、群れは執拗に、そして有機的な連携で追撃を仕掛けてくる。
野田ダンジョンで遭遇したような、システムにプログラムされた単調な軍隊の動きではない。
野生の獰猛さと、知能を持った群れとしての戦術。
そのハイブリッドとも言える厄介な動きだった。
「チッ……ちょこまかと鬱陶しいわね!」
彩斗美が蛇腹剣を解放し、鞭のようにしなる刃で狒々の群れを牽制する。
だが、狒々たちは錫杖を持ったボス個体の短い鳴き声に呼応して、一斉に散開し、刃の軌道を読んで躱していく。
「彩斗美先輩! あいつら、ボスの指示で完全に連携してます!」
「ええ。野性の勘と、統率された知能……少し、骨が折れそうね」
人間を超える身体能力で立体的に機動し、急所だけを的確に狙ってくる集団戦。
よろず屋パーティーは、その変幻自在な猛攻の前に、足止めを余儀なくされていた。
そんな混戦の中、最後尾でUIゴーグルにデータを走らせていたふゆが、鋭い声を上げた。
『お姉ちゃん! あのボスが持ってる錫杖……あれ、ただの武器じゃないよ! あそこから、妲己の洗脳波と同じ波長の霊波が出てる!』
「霊波……?」
『うんっ! あの錫杖が『中域アンテナ』になって、群れ全体に指示と強化のシグナルを送ってるんだ! だからあんなに完璧な連携が取れるの!』
ふゆの『魔力視』と黄龍の解析が、敵の厄介なカラクリを完璧に看破した。
「カッカッカ! なるほどな。群れの頭を張ってるだけあって、便利なリモコンを持たされてるってわけだ」
ドレイクがタバコの灰を落としながら、楽しそうに笑う。
「おやっさん、笑い事じゃないですよ! ……でも、原因がわかればこっちのものです!」
結羽は如意棍棒を両手で握り直し、鋭い視線を天狗狒々の錫杖へと定めた。




