第7話 ノクシアの鎖
どれくらい走っただろうか。
リースたちは、前を行く女性の声を頼りに、白く濁った視界の中、森を走り抜けていた。
「こっちよ! 止まらないで!」
背後では、いくつもの銃声が森に響いていた。弾が枝葉を裂き、湿った土を跳ね上げるたびに、リースは握ったスピアの手に力を込めた。
「あいつらは……」
リースの声が、不安げに揺れる。
「説明は後、今は走ることに集中しなさい! あともう少しだから!」
迷いのない声に導かれ、二人は足を動かし続けた。
やがて、前を走っていた女性が立ち止まる。
「ふう……着いたわよ。ここまで来れば、ひとまず大丈夫」
そう言われ、二人が顔を上げると、そこは先ほどまでと変わらない森だった。太い木々が絡み合い、湿った苔と茂みが行く手を塞いでいる。
「……ここは?」
リースが息を切らしながら尋ねる。
どう見ても、ただの行き止まりだった。
しかし、女性が周囲を確認しながら腰の端末を操作すると、森の一部が水面のように揺らいだ。
木々の輪郭が歪み、低い駆動音とともに横へずれていく。
そこには、人ひとりが通れるほどの暗い入口が開いていた。
「旧防衛網の避難通路よ。今は、追われる側の隠れ家みたいなものだけどね」
「旧防衛網……?」
聞き慣れない言葉に、リースは眉をひそめる。
「詳しい話は中でするわ。さあ、入って」
そう言うと、女性は入口の奥へ先に足を踏み入れた。
「リース……」
「だ、大丈夫。さっきの奴らとは、たぶん違う」
リースはそう言って女性の後を追った。スピアも小さく頷き、その隣についていく。
濃い緑の向こうからは、まだ微かに男たちの怒号が聞こえていた。
入口をくぐった途端、森の音が途切れた。
代わりに耳へ届いたのは、水の滴る音と、古い機械がかすかに唸る音だった。
壁には錆びた配管が幾重にも走り、天井の照明はところどころ死んでいる。足元に残る非常灯だけが、弱々しい光で床を照らしていた。
「森の中に、こんなところが……」
「ただの古びた隠れ家みたいなものよ」
女性は薄暗い通路を迷いなく進んでいく。
しばらく進むと、遠くに淡い光が見えた。
だが、近づくほどに、それが外の光ではないことが分かる。
空間そのものに薄い膜が張られているようだった。水面のように景色を歪ませ、向こう側の光だけをぼんやりと滲ませている。
女性が壁の端末へ指を走らせた。
短い認証音が鳴ると、膜の表面に波紋が広がる。
「少し眩しいわよ」
次の瞬間、光が割れた。
リースたちは、押し出されるように通路の外へ出る。
そこに広がっていたのは、森ではなかった。
巨大な都市だった。
高い建物が幾重にも並び、空中には細い通路が張り巡らされている。建物の壁には淡い光が走り、遠くでは小型の飛行機械が音もなく行き交っていた。
出口は、その光景を一望できる展望台のような場所だった。
「な……なんだ、これ……!」
「森の中に、こんな都市が……!」
二人の唖然とした顔を、女性はどこか誇らしそうに見つめていた。
リースが後ろを振り返ると、今しがた抜けてきた通路の入口は、森の景色に紛れ、すでに見えなくなっていた。
「もしかして、光学迷彩?」
「鋭いわね」
女性は小さく頷く。
「でも、ただ光を曲げてるだけじゃないわ。音も、通信反応も、街そのものの存在も、外からは捉えられないわ」
「すごい……けど、どうしてそんなことを?」
スピアが問うと、女性の顔が陰った。
「……これが、私たちの闘い方なのよ」
「闘い方……?」
「こういう辛気臭い話をするのにちょうどいい場所があるわ。そこにいきましょう」
女性は足早に階段を降りていく。二人も慌てて後を追った。
降りるにつれ、都市の姿が間近に迫る。
金属の床を踏む音。遠くで誰かが呼び交わす声。
だが、リースたちの姿に気づくと、街の音が止んだ。
恐れと警戒。それらを帯びた目が、一斉に二人へ浴びせられる。
「これも歓迎……なわけないか……」
「ええ……」
スピアが小さく頷く。
居心地の悪い沈黙の中を進んでいると、一人の男が足早に近づいてきた。
「アルダ!」
その呼びかけで、リースはようやく女性の名前を知った。
女性――アルダは、リースたちと男の間に立つ。
「そう警戒しないで。奴らじゃないわ」
「でも部外者だろ」
男の視線が、リースの腕で止まった。
壊れた因子測定機器。そのひび割れた外装の端には、かすかにA.R.Kの文字が残っている。
男の表情が一変し、足早に距離を詰めてきた。
リースは反射的に、スピアの前へ出る。
「お前……A.R.Kか?」
その一言は、周囲をざわつかせるのに十分だった。
「A.R.K……?」
「本当に来たのか?」
「てことは、あれが……」
「罠じゃなかったのか」
ざわめきが二人を囲んでいく。
「僕はA.R.Kの人間じゃないです」
「その装備でつく嘘じゃねえぞ」
男は測定機器を指さす。
「ち、違……! これはロ……友人のものです」
「A.R.Kの友人か……後ろの白い髪の女は」
男の言葉に、スピアは身を縮めた。
リースは反射的に一歩前へ出る。
「っ……! スピアは違う!」
「いや、俺は見たぞ。あの白い女、お前らが――」
言いかけた男の頭に、鈍い音が落ちた。
「がっ!」
男は頭を押さえ、その場にうずくまる。
「はい、そこまで」
いつの間にか、アルダが男の背後に立っていた。握った拳を軽く振りながら、呆れたように息を吐く。
「うだうだ言って困らせるんじゃないわよ。怯えてる子を問い詰めて、何が分かるっていうの」
アルダは男を一瞥し、リースたちへ視線を戻した。
「悪かったわね。彼、悪い人じゃないんだけど……」
「僕は大丈夫です。スピアは?」
「私も、大丈夫……」
俯いたまま、スピアは呟いた。
だが、その声は明らかに大丈夫ではなかった。胸元の首飾りを、無意識に強く握りしめている。
「スピア?」
「……平気。いこ、リース」
スピアは顔を上げ、リースに笑顔を見せる。
リースが何か言おうとしたところで、アルダが二人を促した。
「つもる話は後にしましょう。ここで立ち止まってる方がよっぽど目立つわ」
アルダは人々の視線を遮るように前へ出る。
「ついてきなさい。落ち着いて話せる場所に案内する」
「……分かりました」
二人は周囲の視線を背中に受けながら、アルダの後を追った。
たどり着いたのは、都市の外れに建つ小さな倉庫のような建物だった。
アルダが埃にまみれた重い扉を押し開ける。
そこには、古い通信機器と、印の書き込まれた地図が壁際に並んでいた。
棚には金属製の箱が積まれ、その一部には、見覚えのあるA.R.Kの識別が刻まれていた。
「ここが、落ち着ける場所?」
「そう、旧防衛網の管理室。今は物資の倉庫みたいになってるけどね」
「まあ、この星やあいつらへの愚痴をこぼすくらいには使えるわ」
アルダは中央に置かれた古い椅子を顎で示した。
「座って。水くらいなら出せるわ」
リースは警戒を残したまま椅子へ腰を下ろす。スピアもその隣に座った。
アルダは金属製のカップを二つ取り出し、水を注いで二人の前へ置いた。
「毒なんて入ってないわよ」
「そ、そういうつもりじゃ……」
「顔に出てる」
そう言われ、気まずそうに目を逸らすと、アルダは小さく笑う。
水で喉を潤し、リースはようやく冷静さを取り戻した。
「あの、アルダ……さん?」
「あら? 私の名前、知ってるの?」
「さっき、男の人がそう呼んでいたので」
「ああ、そういうことね」
アルダは空いた椅子に腰を下ろす。
「自己紹介が遅れたわ。私はアルダ」
それから、アルダは二人を順に見た。
「あなたたちは?」
「リースです」
「スピアといいます」
スピアは少し遅れて、丁寧に頭を下げた。
「リースに、スピアね」
アルダは名前を確かめるように呟いた。
「早速だけど、あなたたちに聞きたいことがたくさんあるの。そっちも同じみたいだけどね」
机の上に古い端末が置かれる。
その上に、一つの星が映し出された。
「まず、どうしてこのノクシアに?」
「ノクシア? ここ、惑星ノクシアなんですか?」
アルダは目を丸くした。
「知らずに来たの?」
「あ、えーと……」
脱出艇が偶然墜落した場所であり、正規の航路も入域手続きも通っていないなど、リースには言えるはずもなかった。
「……まあ、いいわ。墜落していた時点で、まともな来訪じゃないことくらい分かってる」
リースが答えられずにいると、スピアが首を傾げた。
「ノクシアって?」
「この星の名前だよ。五十年くらい前までは、『サリア』って呼ばれてた」
「サリア……?」
「うん。昔は有数の中枢星だったらしい。資源もあって、交通の要所でもあって……でも、今は――」
「ラフロッド領ノクシア」
遮るようなアルダの声に、リースは口を止めた。
「この星は資源がありすぎたのよ。いくつもの星に狙われて……今は、ラフロッドなしじゃ生きられなくなってしまった」
握られた拳に、わずかに力がこもる。
「表向きは対等なパートナーシップ。でもその実態は、良いように搾取し、管理し、全てを我が物顔で掻っ攫う。可愛い言い方をすれば、従順な下僕ね」
刺すような声が、部屋の空気を重くした。
「ラフロッド……」
その沈黙の中で、スピアがぽつりと呟いた。
「それって、ラフロッド帝国?」
「あなた、ラフロッドは知ってるのね……」
アルダは自嘲するように目を伏せた。
「もう、そんな辺境の蛮族になってしまったのかしら……私たち」
「い、いえ、そんなつもりじゃ……!」
スピアは慌てて首を振る。
「ただ、ラフロッド帝国は知っている名前だっただけで……」
「それって、同じ意味じゃ……」
リースが思わず呟くと、スピアはますます肩を縮めた。
「あ……ご、ごめん。責めたわけじゃないよ」
「ううん……」
スピアは小さく首を振る。
「……まあ、いいわ。これもこの星が招いた一つの結果ね」
アルダは端末に映る星へ視線を戻す。
「ここは……腐り切っているわ。戦力も、物資も、何もかもラフロッドの手の上。この巻きつけられた鎖を断ち切るため、私たちはいる」
「鎖……」
「ええ。私たちはラフロッドに抗い、このノクシアを――かつてのサリアを取り戻すための組織。サリア解放戦線よ」
サリア解放戦線。
その名には、失われたものを取り戻そうとする強い意志が込められていた。
「本当なら、もっと詳しく話すべきなんでしょうけど」
アルダは星を見つめたまま、息を吐く。
「今ここで全部を話したところで、あなたたちには重すぎるでしょうね。ノクシアが何に縛られているのか。私たちが何と戦っているのか。それは、言葉だけで分かるものじゃない」
「……」
「実際に見た方が早いわ」
アルダは端末の表示を落とした。部屋が少し暗くなる。
「さて、少し話が長すぎたわね。今度はあなたたちの番よ」
「僕たちの……」
「ええ。どうしてこの星に来たのか。なぜ番犬どもに追われていたのか。そして、あなたたちが探している仲間について」
「番犬?」
「正確には、ラフロッド直営のノクシア軍。表向きは、この星の治安維持部隊よ」
アルダの声に、かすかな皮肉が混じる。
「ラフロッドに首輪をつけられて、都合よく使われている無様な奴らよ。その様があまりに忠実だから、私たちは番犬って呼んでる」
そこには、単なる軽蔑ではない、根深い感情が滲んでいた。
「まあ、そんなことはどうだっていいわ。今はあなたたち」
リースはスピアと顔を見合わせた。
地球のこと。スピアのこと。A.R.Kのこと。脱出艇のこと。
どこまで話していいのか迷った末、慎重に言葉を選ぶ。
「僕たちは……あるところからやってきたんです」
アルダは黙って耳を傾ける。
「別の場所で、A.R.Kの任務に巻き込まれて……その途中で船に乗りました。でも、途中で制御がきかなくなって、この星に墜ちて」
「それで、そのA.R.Kの測定機器を?」
アルダは、リースの腕の機器を見つめる。
「これは、友人のもので……。彼と、もう一人いました。二人はA.R.Kの隊員で、一緒に船に乗ったんです。でも、僕が目覚めた時には、スピアしかいなくて……」
アルダは何か考え込むように顔を伏せた。
「その二人は今どこに?」
「わかりません……。でも、その番犬たちは僕たちを見て、『彼らの仲間』って……」
リースの拳に力が入る。
「だから、もしかしたら、ロキも、ベルスさんも、あいつらに捕まって……!」
「落ち着いて」
取り乱すリースを、穏やかなアルダの声が制した。
「す、すみません」
椅子へ座り直す背中を、スピアがそっとさする。
「……ありがとう、スピア。おかげで、なんとか落ち着いたよ」
リースが顔を上げると、柔らかな笑顔が返ってきた。
そのまま背中をさすりながら、スピアはアルダに問いかける。
「つまり、その二人は、彼らに捕まった可能性が高い……ということですか?」
「残念だけど、その認識で間違いはないわ」
「どこに連れていかれたんですか」
その問いに、アルダは小さく首を横に振った。
「断定はできないわ。けれど、番犬どもが外から来た人間を見つけたなら、まず間違いなく拘束する。正規の入域手続きもしていないし、墜落船の生存者となれば、保護を大義名分にすることだってできるしね」
彼女が端末を操作すると、ノクシアの地図にいくつもの赤い印が灯った。
「身元不明者、外部からの漂着者、反ラフロッド容疑者。そう判断された人間を一時的に収容する施設が、いくつかある」
「そのどこかに、ロキたちが……」
「可能性はあるわ」
アルダは地図の一点を指した。
「特に怪しいのは、第三区画。ここには番犬どもの管理施設がある。森からも比較的近い。墜落地点で拾われたなら、まずそこへ運ばれるでしょうね」
「じゃあ、そこに行けば」
「無理よ」
アルダは即座に言い放った。
「あそこはノクシア軍の管理区域。外から近づくだけでも目立つわ。まして、中に入って人を連れ出すなんて、勢いだけでどうにかなる場所じゃない」
「でも、このままじゃ!」
リースが椅子から立ち上がろうとする。
「力任せに飛び込むつもり?」
アルダの言葉に、その動きが止まった。
「仮にあなたたちが施設へ入り込めたとしても、それで終わりじゃないわ」
アルダは、その視線を机上の地図に落とす。
「騒ぎを起こせば、番犬どもは真っ先に捕らえた人間を移す。侵入者が何を目的にしているか分かれば、その二人を人質に使うことだってできる」
「人質……」
スピアの顔が曇る。
「あなたたちが無事に進めるかどうかは問題じゃないの」
アルダはリースをまっすぐ見つめる。
「強引に動いたとき、危険に晒されるのはあなたたちじゃない。捕まっている二人よ」
「……じゃあ、どうすれば」
「まずは二人の居場所を確かめる。施設の構造も、警備も、移送経路も調べる。それからよ」
アルダは端末の表示を消し、立ち上がる。
「こちらでも情報を集めるわ。その間、あなたたちは街を見てきなさい」
「街を……?」
「案内人はこちらで用意するわ。待っているのも暇だろうしね」
「わかりました」
リースが頷くと、アルダは扉の脇にある端末へ手を伸ばした。
低い駆動音とともに扉が開く。
その先には、先ほどアルダに殴られていた男が、壁にもたれながら待っていた。
「……俺かよ」
「あなたが余計なことを言った罰よ」
アルダが平然と返すと、男は面倒そうに頭を掻いた。
「この二人に街を見せてあげて。妙な場所には近づけないように」
「はいはい」
男は不満げに答え、リースとスピアへ視線を向ける。
「ついてこい。置いてくぞ」
リースは椅子から立ち上がった。
「行こう、スピア」
「うん」
二人が部屋を出ると、アルダはその背中を見送った。
扉が閉まり、足音が遠ざかっていく。
薄暗い室内を、一つの端末の光が照らした。
「こちらアルダ」
先ほどまでの柔らかな声とは違う、低く抑えた声だった。
「どうやら、先を越されたみたい」
端末に映る赤い印が、ゆっくりと明滅する。
「第三区画の動きも調べて。番犬どもが、どこまで掴んでいるのか知りたい」
通信を切る直前、アルダはもう一度だけ扉を見る。
「これが、最後の闘いよ。失敗は……許されないわ」
端末の光が消える。
薄暗い部屋には、もう誰の声も残っていなかった。




