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レムナント・クロニクル  作者: どーれた
第2章 奪われしもの
7/10

第6話 目覚め

 最初に聞こえたのは、風の音だった。

葉擦れ、水の流れる音、聞いたこともない生き物の声が、耳を掠めた。


湿気を帯びた空気の中で、リースは静かに目を開いた。


「ん……う……」


 灰色の空はなかった。

黒く焼けた大地も、崩れた塔もない。


ぼやけた視界いっぱいに広がっていたのは、濃すぎるほどの緑だった。


「……どこだ? ここ……」


 リースはふらつく身体を支えきれず、その場に腰を下ろした。

湿った土の感触が、掌にじわりと伝わってくる。


「確か……脱出艇で地球(アース)から逃げて……それで、あの子のカプセルが光って……」


 そこから先の記憶は、ひどく曖昧だった。

白く弾けた視界。浮遊感。全身を引き裂かれるような衝撃。


「……気づいたら、ここにいて……」


 記憶を辿りながら、リースはふと周囲を見回した。

誰もいない。


「あ、あれ? ロキ? ベルス隊長?」


 返事はない。


「……あの子も、いない」


 リースは慌てて腕に取り付けられた因子測定機器へ目を落とす。

だが、表示はひび割れた画面の奥で乱れ、意味のある数値を示してはいなかった。


「……壊れてる」


 胸の奥が、嫌な音を立て沈む。

皆は、別のところに落ちたのだろうか。

それとも、飛ばされたのは自分だけで、皆はあの光線に——。


「い、いや、落ち着こう。とにかくみんなを探さないと」


 そう言いながら、リースは立ち上がる。

木々にぶつかったのか、体の節々が悲鳴を上げる。

それでもなんとか立ち上がり、リースは歩き出した。


 しばらく歩いていると、ここが果てしない緑であることに気づく。

見上げても、厚く重なった枝葉が空を隠している。人工物らしき影も、街の明かりも見えない。


「どこかの辺境星、とかなのかな……?」


 リースの呟きに答えるものはない。

ただ、葉の擦れる音だけが、胸の奥の不安を静かに煽っていた。

辺りには、見たこともない植物が並んでいた。


しかし、その中で一つ、見覚えのある光を見つける。


「ん? あの光……もしかして!」


 リースはすぐにその光に駆け寄る。

そこには、あのカプセルがあった。

地球で見た、あのカプセル、そしてあの少女。


「……よかった」


彼女が無事だったこと、それ以上に見知った人がそこにいたことに、リースは安堵した。


 リースが近づいていくと、カプセルの光が、呼応するように強まっていく。

リースは眩しさに目を細める。

それでも足を止めず、やがて、カプセルの側に膝をついた。

光でよく見えないが、彼女がまだ眠っていることはわかった。

しかし、息をしているのかどうかはわからない。


「どこかに状態を示す表示とか、ないかな?」


 そう言いながら淡く光る表面に手を伸ばした。

そのとき、光が水面の波紋のように広がり、ゆっくりと左右によけていく。

光の奥に、少女の顔が現れた。


「な、なんだ……?」


 リースは状況を把握しようとする。

しかし、それを遮るように、カプセルは小さな駆動音を鳴らし、ゆっくりと透明な障壁を開いていく。

雪にも似た純白の髪と、透き通るように白い肌が、見知らぬ空気に晒される。


少女のまぶたが、かすかに震える。

リースは思わず息を止めた。


「っ……!?」


 リースはカプセルの中を覗き込む。

その瞬間、少女の瞳が僅かに開いた。

澄んだ瞳が、リースを照らす。


「……」


 数秒の沈黙。

リースは何を言うべきかわからずたじろぐ。

しかし、沈黙に耐えきれず、リースは意味もなく声を漏らした。


「えっと……」


「……っ!」


 少女ははっとしたような表情を見せる。

次の瞬間、リースの視界の左端で、白い手が跳ねる。


「きゃあっ!」


 避ける間もなく、左頬に衝撃が走った。


「うがっ!」


 衝撃にリースの身体はその場で大きくよろめく。

少女は振りぬいた自分の手を見つめ、我に返る。

すぐさまカプセルから降り、リースの元に駆け寄った。


「ご、ごめんなさい! 大丈夫……?」


「え? あ、ああ、大丈夫、だよ……」


 左頬を必死に押さえながら話すその言葉には、微塵も大丈夫さを感じさせなかった。

すると少女は、おずおずと手を伸ばし、リースの左頬に触れる。


「ちょ、な……!」


「でもここ、腫れてる……」


「え? あ、うん……ちょっとだけ、でも、大丈夫だよ」


「本当に……?」


 少女の顔がさらにリースに近づく。

叩かれた痛みより、近すぎる距離の方がよほど困った。

リースは思わず視線を泳がせる。


「あ、あの……」


 少女は首を傾げた。


「ちょ、ちょっと、近い……かも」


 リースがそう言うと、少女ははっとして、すぐに手を引っ込めた。


「あ……ごめんなさい」


「謝らなくてもいいって」


 リースは内心驚いていた。

彼女は、永い時を眠っていたはずだ。

滅びた星で、誰にも見つかることなく。


だから、遠い存在なのかと、リースは自然に想像していた。

触れてはいけないもののような。

言葉の届かないもののような。


だが、目の前にいるのは、普通の少女だった。

自分たちと何ら変わりのない、少女だった。


その事実に、リースはひどく安堵していた。


「……ねえ、君の名前は?」


「私の名前?」


「うん、あるでしょ?」


「名前……」


 少女はさっきまで自分が眠っていたカプセルを見つめる。


「……スピア」


「スピア……それが君の名前?」


「……たぶん」


 リースは、何も返さなかった。

あの含みを帯びた顔が何を意味するのかは、リースには見当もつかなかった。

それでも、彼女自身も分かっていないのだということだけは、なんとなく伝わった。


「そっか」


 短く答え、リースは立ち上がり、少女の前に手を伸ばした。


「僕はリース。よろしく、スピア」


「よろしく……」


 スピアはその言葉を確かめるように繰り返した。

それから、ぱっと表情を明るくする。


「うん! よろしく、リース」


 さっきまでの不安げな顔は、すっかり消えていた。

目の前には、自分とそう変わらない年頃の少女が、無垢な笑顔を浮かべている。


 スピアはそこでようやく、周囲の景色に目を向けた。

濃い緑。絡み合う木々。湿った空気。

見覚えのない景色に、スピアの顔から再び笑顔が消える。


「ねえ、リース、ここってどこ?」


「どこって……君がここまで飛ばしたんだろ?」


「……そうなの?」


 リースは、小さくため息を吐いた。


「……とにかく、こうしちゃいられない。ロキとベルスさんを探さないと」


「ロキ? ベルスさんって?」


「君を地球(アース)で、襲ってきた連中から助けた人。僕と一緒にね」


「助けた……」


 スピアはその言葉を、確かめるようにつぶやく。


「なら、探さないとね」


「……! そ、そうだね!」


 リースは少しだけ目を見開いた。

自分のことすら分からないはずなのに、スピアは迷わずそう言った。

その真っ直ぐさに、リースは背中を押された気がした。


 リースは頷き、辺りを見渡す。

辺りには緑が生い茂るばかりだった。

ここに燃える脱出艇が堕ちてきたなど、信じられない。

しかし二人がここにいる以上、探すしかない。


「とりあえず、脱出艇を探そう。そこに二人がいるかもしれない」


「脱出艇……」


 リースは周囲を見回した。

どこまでも続く濃い緑。空すら見えないほど重なった枝葉。方角を示すものは何一つない。


その中から、墜ちた脱出艇を探す。

口にしてから、リースはようやくその無茶さに気づいた。


「……にしても、ここ、広すぎるな……どこまで続いてるんだろう?」


 そう言いながらリースは周囲を見渡し、ふと後ろを振り向く。

すると、スピアがカプセルの前に腰を下ろしていた。


「スピア?」


 リースが呼びかけながら近づいていくと、突然カプセルが淡い光を帯びる。

リースが目をくらませた隙に、カプセルの輪郭がどんどんと崩れ、光の中へと溶けていった。


光はやがてスピアの手のひらに収束し、収まった。


そこにあったのは、少女一人を収納できるほどのカプセルではない。

小さな首飾りのようなものだった。


「そ、それは?」


「私のカプセル」


「カ、カプセルだって……?」


 リースにはにわかには信じられなかった。

スピアの手の上にあるのは、間違いなく首飾りだった。


ついさっきまで少女一人を収めていたはずのカプセルが、掌に収まるほどの小さな装飾品になっている。

どう考えても、質量が合わない。


「ど、どうなってんの……それ……」


「これはただの容器じゃないの。いろんな機能があるんだよ。その一つがこれ」


 そう言いながらスピアは、さっきまで巨大なカプセルだった首飾りを首にかける。

リースは目の前の光景に唖然とし足を動かせない。


「さ、行きましょ。 その二人を探すんでしょ?」


 スピアの声に、リースは我に返る。


「あ、うん……でも、どうやってこんな広大な地で脱出艇を見つければ……。

端末も壊れちゃったし……」


「大丈夫。さっき、いろんな機能があるって言ったでしょ。この機械にはサーチ機能もついてるの」


「サーチ機能?」


「うん。周囲にある金属反応を探れるの。中枢星じゃ反応が多すぎて役に立たないけど……こんなジャングルなら、金属なんてそう多くないでしょ?」


「す、すごいね……」

 

「でしょ?」


 スピアは少しだけ得意げに胸元の首飾りへ触れた。

すると、雫のような結晶の内側に淡い光が灯る。


光は一度だけ瞬き、細い線となって森の奥を指し示した。


「こっちみたい」


 いわれるがまま、二人は歩き出す。

その道中、スピアはおもむろに、リースに質問をする。


「ねえリース」


「何?」


「その、アースって……もしかして地球?」


 聞き慣れない響きに、リースは首を傾げた。


「……チキュウ? チキュウって?」


 スピアは何かを言いかけた。

けれど、その言葉は喉の奥で止まる。


「……ううん。なんでもない」


「なんでもないって……」


「今は、ロキって人たちを探すのが先でしょ?」


「う、うん」


 スピアはそのまま歩いていく。

一瞬見えた横顔は、何かの憂いを帯びていた。




 スピアの首飾りが示す道筋を、二人はなぞるように歩いていく。

道中の会話で、分かったことがある。

一つは、彼女が本当に、等身大の一人の少女であり、人間であることだった。

分からないことがあれば首を傾げ、悪いと思えば素直に謝り、少し笑えば、表情が驚くほど明るくなる。


もう一つは、彼女に感じたと思っていたサイカーの因子が、首飾りから感じていたということだった。

リースは、少し混乱しつつも、その事実をすぐには口にできなかった。

あの時感じた因子は、カプセルのものだったのか。

スピアは一体何者なのか。

いつからああして眠っていたのか。


そうした疑問は、スピアの掛け声にかき消された。


「見て。反応がもうすぐそこだよ」


 スピアの指さす先で、首飾りの反応が大きく瞬いていた。

二人は木々の合間を縫うように進んで行く。


やがて、その向こうに、銀色の板のようなものが突き刺さっていた。

衝撃にひしゃげ、焼け焦げている。

自然の物では明らかになかった。


リースがしゃがみ泥を払うと、見覚えのある文字が現れた。


「A.R.K……間違いない。脱出艇の外壁だ」


「てことは、この近くに二人も?」


「……かもしれない」


 リースは立ち上がり、板の先へ目を向けた。


 そこには、森が途切れたような空間が広がっていた。

木々は根元からなぎ倒され、地面は深く抉れている。

焼け焦げた草と、黒くめくれた土。

何か巨大なものが、森を裂きながら滑り落ちた跡だった。


「こっちに落ちたみたいだ」


 リースは足早に痕跡を追った。

スピアも黙って後に続く。


だが、しばらく進んでも、脱出艇本体は見えてこなかった。

リースの声が、かすかに震える。

そのとき、焼け焦げた土の上に落ちているものが目に入った。


腕に装着する、小型の端末。

画面は割れ、固定ベルトは千切れている。


リースは息を呑み、それを拾い上げた。


「これ……ロキの……」


「ロキの?」


「ロキの端末だ」


 喉の奥が詰まる。

ロキがこれを外すはずがない。

少なくとも、普通の状況なら。


リースは端末を握りしめ、前へと歩いていく。


「ロ、ロキ! ベルスさん!」


 返事はない。

代わりに、森の奥で枝が折れる音がした。


「……そんな」


「リース……」


背後で、スピアが不安げに彼の名を呼ぶ。

その直後だった。


「動くな」


 低い声が、湿った空気を裂いた。


リースは反射的にスピアを背にかばう。

木々の影から、灰色の外套をまとった人影がいくつも現れた。


A.R.Kではない。

少なくとも、リースの知る装備ではなかった。


「っ……誰だ!」


 木々の影から、灰色の外套をまとった人影が現れる。

 手には、見慣れない形の銃が握られていた。


「おとなしくついてきてもらおう」


「ついてこい……って」


 人影の男は、リースの手元へ視線を落とした。

それから、防護ジャケットに残るA.R.Kの識別を見て、わずかに目を細める。


「その端末……A.R.Kのか。ということは、彼らの仲間か」


「彼ら……まさか!」


 リースは背中に冷たいものが流れるのを感じた。


「もしかして……それがリースの言ってた二人?」


「……たぶん」


 リースは震える声で呟く。


「ここにいた二人をどこへやった!」


「我々についてくればおのずとわかる」


 そう言いながら男たちは、リースたちに近づいてくる。

リースはとっさに手を上げ構えを取る。


リースはわかっていた。

自分がサイカーであること。

銃口を逸らし、腕を折り、相手が引き金を引く前に地面へ叩き伏せることもできる。


しかしリースには、それ以上に、戦いが恐ろしかった。

誰かを傷つけるためにこの力が使われるのが嫌だった


 それでも、男たちは近づいてくる。

背後には、スピアがいる。


リースは奥歯を噛みしめた。


 そのときだった。

背後の森から、小さな金属音が転がった。


「伏せて!」


 聞き覚えのない声が飛ぶ。


「え――」


 二人が振り向くより早く、足元に転がった筒状の何かが白く弾けた。

視界が、真昼よりも白く染まる。


「っ……!」


 リースは反射的にスピアを抱き寄せ、地面に伏せた。

耳を裂くような高音が森の中を震わせる。


「くそっ! 閃光弾か!」


 誰かが叫ぶ。

男たちの怒号と、足音と、銃を構える音が入り乱れた。

真っ白な視界の中で、誰かの手がリースの肩を掴む。


「動ける?」


「だ、誰……!」


「今は黙って私についてきなさい。その子と一緒にね」


 リースは考えるより先に、スピアの腕を引いた。

自分の身体を盾にするように、彼女を抱え込む。


誰に追われているのか。

誰に助けられたのか。

ロキとベルスがどこへ連れていかれたのか。


何一つ分からないまま、リースはスピアの手を引いた。


三人は、白く霞む森の奥へと消えていった。

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