第5話 盗まれた火
そこは、あまりにも静かだった。
外は乾いた風が吹き荒れ、砂埃を立ち上げている。
それなのに、この場所だけは――この宇宙のどこよりも、静かに思えた。
「女……の子……?」
リースは小さな声で呟く。
「これが、反応源か? あれだけ異常な因子に包まれてたから、どんな化け物かと思ったら……」
ロキがそう拍子抜けするのも無理はない。
星を揺らすほどの因子。
その中心にある生命反応など、怪物を警戒されて然るべきである。
だが、その実態は、一人の少女だった。
見た目はカリーナ人とそう変わらない。
しかし、雪のように白く美しいその髪は、それを一切感じさせなかった。
「……どうであれ、濃度指数からもここが中心で間違いないだろう。対象を保護する。それが今回の任務だからな」
「了解」
ロキたちが動き出す中、リースは一拍動きが遅れた。
カプセルは台座に完全に固定されており、簡単には外せそうにない。
「どうだ? リース」
「うーん……。ケーブルだらけで何が何だか……。とりあえず、無理やり外すのは危険そうだ」
リースの機械整備士の目を持ってしても、一筋縄ではいかなそうだった。
しかしそう言いながらも、リースは手を止めなかった。
「あいつ、機械に詳しいのか」
「リースは地方で整備士をやってるんですよ」
「ノーレンス出身じゃないのか」
「ああいや、出身はノーレンスですよ。いろいろあって、今は地方にいるってだけです」
「いろいろ、か……。よく連れてこられたな。たぶらかしでもしたか?」
「いっ!? い、いやいや、そんな……。ちゃーんと、合意の上ですよ……」
ロキは横目でベルスを見る。
ベルスはもう聞いていなかった。
「リース、今の状況は?」
「良いとは言えないです……そもそもこんなオーパーツ、むやみに触っていいのかどうか……」
「……いっそのこと、目覚めさせるか?」
ロキの言葉に、リースは反射的に顔を上げた。
「だ、だめだろ! それでこの子に何かあったら……」
「リースの言うとおりだ」
ベルスが会話を制す。
「彼女は恐らく、かなり長い間眠っていた。医療班の手もなしに目覚めさせるのは悪手だ。カプセルなら、独立機構も備わっているはず。諸々の検査は上に戻ってからだ」
「まあ、そうっすよね……」
ロキは小さく肩をすくめ、引き下がった。
リースも同意するように、深く頷く。
「まあ、とにかく、これを外さないと始まらないか……」
そう呟き、リースはカプセルの基部を覗き込むため身を乗り出した。
その拍子に、足元を這うケーブルに足を取られる。
「うわっ!」
思わず伸ばした手が、カプセルの透明な隔壁に触れた。
そのとき、カプセルから、起動音のような短い音が、静かな空間に響いた。
三人は一斉にカプセルの方向を見る。
「リース、お前何しでかしたんだ」
「な、何もしてない! ただ手をついただけだって!」
リースは慌てて手を離す。
しかし、それより早く、淡い光が透明な隔壁を走った。
光はカプセルの表面を幾何学模様のように巡り、やがて一点へと収束する。
次の瞬間、細い光線となって空中へ投射された。
「……これは……なにかのホロ? 文章みたいなのが書いてあるようだが……」
浮かび上がった光の面には、文字が並んでいた。
いくつかの短い文と、数字の羅列。
ホログラムそれ自体は、今やごく当たり前の存在である。
しかし、リースの顔は、驚きを隠せなかった。
「読める……これ、読めるよ」
「まさか」
リースの驚きを含んだ声に、ロキとベルスもホログラムを凝視した。
そこに記されていたのは、まぎれもない、よく知る言葉だった。
「ほ、本当だ……」
「旧語でもない……完全に今の言語だ」
千五百年前に滅んだ地球。その遥か地下。
幾星霜の間、誰一人にも関わることなく、眠り続けていたはずの施設。
見知った言葉がそこに浮かぶ不自然さは、彼らを身震いさせるには十分すぎた。
混沌とした空間に耐えかねたロキが、沈黙を切り出す。
「リ、リース、どうなってんだ一体。ここ、千五百年前の遺跡だろ? なんで今のカリーナ語が……」
「ぼ、僕に聞かないでよ。この場所がまだ稼働している……とか?」
三人の混乱の中、ホログラムの文字列が切り替わり、聞き慣れた言語の音声が静かな空間に響いた。
『接触因子を確認』
その瞬間、リースは自分の掌に違和感を覚えた。
さっき透明な隔壁に触れた場所が、かすかに熱を持っている。
火傷も、痛みもない。
ただ、皮膚の奥に小さな火種が残ったような、奇妙な熱だった。
「リース?」
「……いや、なんでもない」
リースは首を振り、掌を握り込んだ。
ホログラムの音声は、何事もなかったかのように続く。
『適合者認証』
『保護殻分離手順を表示します』
「適合者……?」
「音声までカリーナ語かよ……」
音声とともに変化した表示は、カプセルの構造図のようなものだった。
台座へ食い込んだ固定具。
生命維持装置へ伸びる配線。
冷却機構と、透明な隔壁を覆う保護殻。
それらが淡い光の線でひとつずつ示されていく。
「これ、もしかして……」
リースは再びカプセルの基部を覗き込む。
「間違いない。これ、外し方だ」
「外し方?」
「正確には、基部にある固定具を外す順番。生命維持を保ちつつ、台座から切り離す手順……それが書いてあるんだ。これなら……」
「できるのか」
ベルスの問いに、リースはカプセルの少女を見る。
その後、深く頷いた。
使われている物質も、経った年月も、何ひとつとしてリースには分からない。
それでも、機械であることに変わりはなかった。
「まずは外部固定を三つ。次に冷却系を補助回路へ切り替え……そのあとで、生命維持を独立駆動に移す。それから……」
「お前……本当に読めてるんだな」
「読めるっていうか、書いてあるだろ?」
「書いてあるから読めるわけじゃねえのさ」
ロキの言葉に返す余裕もなく、リースは作業に打ち込んだ。
ホログラムの構造図と目の前の基部を見比べると、さっきまで意味不明だったケーブルの束が、少しずつ別のものに見えてきた。
固定具を順調に外していくと、カプセルの表面を走る淡い光が、ひとつ、またひとつと消えていった。
しばらく、機械同士が互いに音を鳴らし合っているような時間が続く。
やがて、ホログラムの文字が切り替わった。
『生命維持装置、独立駆動へ移行』
『外部固定、解除完了』
『搬出補助機構を起動します』
「……よし」
リースは小さく息を吐いた。
「できたのか?」
「たぶんね」
そう言ってリースが手を離すと、台座の奥で重い音が響いた。
カプセルを固定していた最後の留め具が外れる。
「これで、台座からは切り離せたはず……」
リースはカプセルの側面に手をかけ、軽く力を込めた。
次の瞬間、カプセルが動いた。
「おお……!」
ベルスの唖然とした感嘆が響く。
少女を包んだカプセルは、どう見ても一人で扱える大きさではない。
永く、この地に固定されていたそれが、リースの手によって、拍子抜けするほど簡単に持ち上がった。
「お、重くないのか?」
「これくらいなら全然ですよ」
「さすがサイカーだな。力仕事に役立つぜ」
「うるさい」
ロキの軽口を咎めながら、リースはカプセルの中に目を向ける。
少女は、未だ目を覚まさない。
白い髪を広げながら、長い眠りの底にいた。
「よし、対象を搬出する。ロキと俺で周囲警戒。リースはカプセルの警護を頼む」
「了解」
そうして、三人は施設を後にした。
帰還中の道は驚くほど静かだった。
行きに感じていた、肌を刺すような圧迫感がない。
ただ、自分の心臓の音に苛まれていただけだったのかもしれない。
しかし確かに、一度通ってきた道とは到底思えないほど別物であった。
得体の知れない感情を抱えながら、三人が歩いていると、ロキの端末が短く震えた。
「……ん?」
ロキが足を止める。
先導していた二人もそれに気づき足を止めた。
「どうした?」
「いや、通信が……さっきまでずっと圏外だったのに……」
「……そういえば、さっきまでの変な感じがない。もしかして、因子が薄くなってる……?」
リースは胸をさすり、気づいたように呟いた。
「……そのようだな。通信の内容は?」
「はい、えーと……」
そう言いながらロキは端末の通信を見ようとする。
しかし、端末の震えはこれだけではなかった。
もう一度、さらにもう一度。
短い通知音が、静かな廊下に立て続けに鳴り響く。
「わっ、わわっ!? な、なんだよこれ!?」
「圏外になってから、一時間も経ってないのに……?」
「これは異常か……? ロキ、通信の内容はどうなってる。全部追えなくても、概要くらいは分かるだろう」
「待ってください。数が多すぎて――」
ロキが通信を確認する寸前、施設の外側から低い振動が響いた。
壁がわずかに震え、天井から細かな砂が落ちる。
ベルスの表情が変わった。
「……ロキ、確認は後だ。すぐにここを出るぞ」
「りょ、了解!」
ベルスが先陣を切って走り出す。
ロキもその後を追った。
「あの、僕は……?」
「お前は無理すんな。でかい荷物を抱えてんだから」
「荷物って言うなよ……!」
リースは思わず言い返しながらも、カプセルを抱え直した。
中の少女は、まだ目を覚まさない。
リースがカプセルを抱え、扉を開けると、そこは何もかも違っていた。
ここに入るときにはあったはずの赤黒い因子が、完全に消え去っていた。
しかし、視界は元に戻ったわけではない。
荒れ果てた黒い大地は、白銀の装備をまとった隊員たちによって塗りつぶされていた。
銃口が一斉にこちらを向く。
「な……なんだこれは…?」
リースは唖然とし、カプセルをその場に下ろした。
「下だけじゃないみたいだぞ……」
空を見上げながら先導していたロキが呟く。
視線の先を追うようにして空を見上げると、そこは地上とは対照的な黒さだった。
空そのものの黒さではない。
巨大な何かが、因子の代わりに空を塞いでいた。
「あれは……?」
「作戦艇だ」
ベルスはそれだけ告げた。
「ずいぶんと大層なお出迎えだな。上空待機じゃなかったか?」
「任務は完了した。因子も消えた。もう待機は不要だ」
「任務が完了したかどうかは統括官が決める」
『ええ。確かに完了しましたよ。ベルス』
作戦艇の外部スピーカーから、穏やかな声が降ってきた。
三人の顔は、困惑と驚嘆を示していた。
「この声……」
「……ヴェイラ」
『長い任務、ご苦労様でした』
「通信じゃないな……いつから船にいた」
『上空待機中ですよ。何度かご連絡はしたつもりですが』
「と、統括官。どういうことですか? 彼らは、A.R.Kじゃ……」
ロキは困惑したように尋ねる。
ヴェイラはあの穏やかな声色のまま、話をつづけた。
『あなた方ならやっていただけると信じていましたよ。この任務におけるあなた方の役目はこれで終了。その対象に関してはこちらで引き継ぎいたします』
「これが任務完了の歓迎という気か?」
『任務が終わった今、あなた方は不要です』
「え……?」
ロキは何が起きているのか理解ができなかった。
彼にとって、ヴェイラという存在は柔らかな物腰で、どんな状況でも取り乱さず、必要な言葉を選び、必要な指示を出す人間。
少なくとも、そう見えていた。
だからこそ、今の言葉がうまく呑み込めない。
役割がない。
不要。
それは任務を終えた部下に向ける言葉ではなかった。
「統括官……何を言って……」
「ロキ」
ベルスの制止が入る。
その声でロキは気づいた。
自分が、銃口の視線の雨にさらされていることに。
目の前の同類が、すでに自分と違うことに。
『対象をこちらに引き渡しなさい。それがあなた方の最後の任務です』
「医療班はどうした。そいつらに引き渡すのが先なはずだ」
『その必要はありません。彼らは、不要でしたので』
「不要……?」
ベルスははっとする。
「ロキ、通信の内容は」
「は、はい」
ロキは先ほど山ほど来ていた通信の一つを再生する。
『……ちら……機班………緊…事……答求……』
通信に広がっていたのは、悲痛な声だった。
混沌とした悲鳴を、騒々しいほどのアラートと銃声がかき消している。
ロキも、リースも、ベルスも、何も言えなかった。
同時に、頭上で重い駆動音が響いた。
作戦艇の腹部からせり出した巨大な砲台が、ゆっくりとリースたちへ向けられる。
それは、対人兵装ではなかった。
施設の外壁を焼き抜き、小型艇の装甲すら貫くための主砲だった。
「……どういうつもりだ」
ベルスの声は震えていた。
『必要なのはこの船と、対象です。今すぐ対象をこちらに引き渡すというのならば、あなた方も、そこのサイカーも、必要としてあげましょう』
「そこの……サイカー……」
リースは、その場に膝をつく。
凍った氷柱が心に突き刺さるようだった。
彼女のあの言葉も、あの優しさも、全て幻だった。
使い捨ての兵器として扱うための建前に過ぎなかったという事実に、吐き気すらした。
「ふ、ふざけんな! こいつはリースだ! 『そこのサイカー』なんて名前じゃねえ!」
ロキのその声には、統括官に対する敬意など欠片も残っていなかった。
『名前というのはいいですね。個を個として留める、もっとも簡単な証明です。
サイカーには、贅沢なくらい……』
「こいつ……」
ロキが歯を食いしばる。
その声を、リースは遠くに聞いていた。
ふと、カプセルの中の少女を見る。
彼女はまだ眠っている。
銃口に囲まれていることも、名前ではなく対象として奪われようとしていることも、何も知らないまま。
サイカーに似通う因子の根源が彼女であるなら、彼女もまた、サイカーなのだろうか。
そんな考えが頭をよぎった、そのときだった。
さっき隔壁に触れた手が、再び熱を持つ。
小さな火種のようだった熱は、もう火種ではなかった。
皮膚の奥で燃え上がり、腕を伝い、胸の奥へ流れ込んでくる。
怖い。
それなのに、リースの目は自然と周囲へ向いていた。
銃口に囲まれたロキ。
怒りを押し殺すベルス。
そして、何も知らずに眠り続ける少女。
誰もが、未曾有の危機にさらされている。
守れるかは、わからない。
それでも、守ろうとできるのは、自分しかいない。
そう思うと、膝は思ったよりもずっと軽くなった。
怒るロキの横をリースが通る。
「リース?」
リースは何も言わぬまま、ベルスも抜き、先頭に立った。
『何の用です。サイカーに聞いてなどいませんよ』
リースは瞳を僅かに揺らしながらも、まっすぐに作戦艇を見上げた。
『……なるほど』
周囲の銃口が、視線のようにリースたちへ向けられる。
『では、あなたにもお聞きしましょう。その少女か、あなた方か。
分かっているはずでしょう。サイカーであるあなたならば』
「……わかってる」
リースは一瞬後ろを振り向き、少女を見る。
「だから、渡せない」
ヴェイラは沈黙した。
「この子が何なのか。あんたたちの目的が何なのか。僕にはわかりっこない。
……でも、サイカーを、人を、目的のための駒としか見ていないあんたに――」
リースの胸の奥の熱さは最高潮に達した。
「誰一人、指一本触れさせるか!!」
『……そうですか。残念ですよ』
ヴェイラの吐き捨てた言葉とともに、砲台が鈍いうなりを上げる。
黒い砲口の奥に、白い光が灯る。
空気が震え、地表の砂が細かく跳ねた。
「っ……!下がれリース!」
ベルスの叫びは、リースに届かなかった。
胸の熱が手に戻る。
さらに熱く。さらに強く。
『散りなさい』
ヴェイラのその言葉とともに、砲台から巨大な光線が発射される。
辺りの空気が丸ごと押し上げられる。
すさまじい暴風が轟き、黒い大地が白く弾けた。
リースは考えなかった。
足が黒い大地に食い込む。
胸の奥で爆ぜた熱が、腕へ、指先へと流れ込んだ。
右手が、ひとりでに動く。
身体が前へ出る。
腕が、光へ向かって大きく振り抜かれた。
リースの喉から、自らも驚くほどの咆哮が爆ぜた。
光線の轟音をかき消す。
巨大な光線はリースの手の甲に触れた瞬間、進む先をねじ曲げられたように逸れ、頭上の空へと跳ね上がった。
一瞬の白。その直後、衝撃波があたりを包む。
弾かれた光線は施設の外れに落ち、黒い大地を抉り飛ばした。
爆ぜた光と土砂が、暴風となって周囲を呑み込む。
「ぐっ……!」
ベルスは反射的に腕を上げ、バイザーを庇った。
ロキは咄嗟に身を伏せ、リースの背後にあったカプセルを庇うように手を伸ばした。
白銀の隊列は瞬く間に崩れた。
銃口が大きく逸れ、多くの隊員がよろけた。
「っ……!今だロキ!」
「……は、へ?」
ロキは目の前の出来事の処理に手いっぱいで、ベルスの言葉を聞く余裕などなかった。
「艇に戻るぞ!」
「艇って……脱出艇ですか!? いや、でもリースは――」
「だから戻るんだ!あいつが作ってくれた隙を無駄にするな!」
その言葉で、ロキの目にようやく焦点が戻る。
ベルスはロキの襟を掴み、強引に走らせた。
「リース!すぐ戻るからな!」
リースは、自分の手のひらを見つめることしかできなかった。
自分のものとは思えない因子の流れに、ただ唖然としていた。
砂塵の向こうでは、白銀の隊列が立て直されようとしていた。
作戦艇の砲台も、弾かれた衝撃から再び角度を戻し始めている。
作戦艇の操舵室では、いくつもの警告表示が赤く瞬いていた。
「何が起きたんです!?」
「高濃度エーテル因子を確認! 発生源は……あの少年です!」
オペレーターの声に、ヴェイラはモニターを見つめた。
砂塵の中、右腕を押さえながら立つリース。
その周囲に、観測値が異常な速度で跳ね上がっていく。
「こ、これが一人のサイカーの因子濃度……?」
操舵室は混乱に包まれる。
ヴェイラは中央モニターでリースを見下ろしていた。
「……余計な火が」
ヴェイラは小さくそう呟いた。
直後、その場を離れるベルスとロキを捉える。
「仕方のない方たちですね……」
『制圧班、何をしているのです。おめおめとあの二人を逃がすつもりですか』
ヴェイラの声があたりに響く。
制圧班はすぐさま態勢を整え、二人を追う。
すぐさまロキがそれに気づく。
「あ、あいつら追ってきましたよ!」
「やはりな……」
「へ?」
「奴らは俺たちの降下後に乗り込んできたんだ。リースもいるのにわざわざこっちに来るのを見るに、艇を制圧していない……そもそも知らないのかもしれん」
「かも…って、あてもなく走ったんですか!?」
「あてなんてあってやってられるか!」
二人の背中を銃口が追い、すぐさま銃弾の雨を放つ。
「させるかっ!!」
砂塵の先でリースが叫ぶ。
手を制圧隊へ向け、力を込める。
その瞬間、制圧隊はまるで見えない壁に押されたように、前方へ弾かれた。
何人かは膝をつき、何人かは黒い大地を転がる。
放たれた弾丸の軌道もまた、壁にぶつかったかのように弾け飛んだ。
だが、すべては防ぎきれない。
一発の弾丸が、ベルスのヘルメットを掠める。
バイザーの端に、白い傷が刻まれた。
それでも、二人は止まらなかった。
「……役立たずですね」
吐き捨てるようにヴェイラは呟く。
ヴェイラの視線が、中央モニターのリースへ戻る。
「あのサイカーを先に黙らせなさい。主砲、発射用意」
「またはじき返されるのでは?」
「二度も三度もはじき返せる代物ではありません。濃度も減少しているようですしね」
「了解」
作戦艇の砲台がリースへ向き、再びうなりを上げ、白い光線の発射が迫る。
「くっ……!」
リースは右手を握りしめる。
胸の奥にあった熱は、先ほどよりも明らかに弱まっていた。
それでも、もう一度右手を突き出そうとした。
しかし、砲口が白く膨れ上がるより早く、横合いから轟音が迫った。
「九時の方向に飛行物体を確認!こちらに向かってきます!」
「何……?」
ヴェイラがモニターへ視線を移す。
砂塵を裂いて迫る影。
それは、脱出艇だった。
「突っ込むぞーっ!!!」
「死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ――ッ!!」
ベルスの叫びとロキの悲鳴を乗せて、脱出艇は一直線に砲台へ突進する。
「迎撃しなさい! 早く!」
ヴェイラの声が、初めて鋭く跳ねた。
「照準、間に合いません!」
次の瞬間、脱出艇の機首が砲台を横から叩きつけた。
金属同士の鈍い音が、空気を震わせる。
砲台の基部がひしゃげ、黒い砲身が根元からへし折れるように跳ね上がった。
砲台は、そのまま光を放つ。
狙いを失った白い光線が、リースの頭上を斜めに裂く。
崩れ去った都市の残骸を抉り、灰色の空へ轟音を撒き散らしながら消えていった。
リースが光線の方向を唖然として見ていると、見知った声が後ろから響いた。
「乗れ、リース!」
怒鳴るような声が、砂塵を裂いて響いた。
リースははっとして振り返る。
灰色の空を裂きながら、黒い脱出艇が急降下してくる。
片側の推進器から火花を散らし、機体を激しく揺らしながら、それでも強引に高度を落としていた。
地表すれすれで逆噴射が唸り、黒い砂塵を巻き上げる。
そのまま滑るようにしてリースの近くへ突っ込み、側面ハッチが勢いよく開いた。
その奥では、操縦席に座ったままのベルスの怒鳴り声が、外部スピーカー越しに響いている。
「カプセルごとだ! 急げ!」
ベルスの怒声に、リースはカプセルを抱え直し、脱出艇の元へ走り出した。
「逃がすな!」
背後で制圧隊の声が飛ぶ。
ベルスが操縦席から身を乗り出し、手を伸ばす。
推進器が唸りを上げ、巻き上がった砂塵が視界を白く染める。
その中を、制圧隊の銃弾が何本もの光線となって突き抜けた。
銃弾が足元を弾けさせ、砕けた石片がヘルメットを叩いた。
「っ……!」
身体が揺れる。
それでもリースはカプセルを抱え直し、最後の力で脱出艇へ飛び込んだ。
ベルスがリースの腕を掴み、強引に引き寄せる。
直後、ハッチが閉じた。
その外側を、弾丸が叩いた。
金属音が連続して響き、脱出艇の内壁に赤い警告灯が走る。
「む、無茶ですよ……」
床に転がったまま、ロキが呻く。
さっきの特攻の衝撃で、まだまともに身体を起こせないらしい。
「ただの脱出艇で逃げ切れるんですか……?」
リースは不安を隠せない声で言った。
「今はこれしかない! 飛べるだけマシだ!」
ベルスは怒鳴り返し、そのままハンドルを大きく引いた。
脱出艇が大きく傾く。
砲台へ突っ込んだ衝撃で機体は悲鳴を上げていた。
外装は歪み、推進器の片側が不規則な火を噴いている。
それでも、脱出艇はなんとか地表を離れた。
「……逃がすか」
ヴェイラは怨念に満ちたように言い放った。
作戦艇の腹部で、装甲板が左右へ展開していく。
その奥から現れたのは、先ほど破壊された主砲とは別の、予備砲台だった。
鈍い金属音と共に砲身がせり出し、ゆっくりと脱出艇へ向けられる。
「まだあんなのが……!」
ロキの声が引きつる。
巨大な砲身の先端に、白い光が収束していく。
空気そのものが震え、灰色の空が明滅した。
「撃ってくる!」
「回避する!」
ベルスが操縦桿を引く。
だが、損傷した脱出艇は思うように反応しない。
警告音が激しく鳴り響く。
「っ――くそっ!!」
「間に合わ――」
その瞬間だった。
カプセルが、淡い光を出し始めた。
中の少女は未だ眠っている。
しかし、透明な隔壁の表面へ幾何学模様のような光が浮かび上がっていく。
施設で見たものと同じ光だった。
「な、なんだ……?」
リースは息を呑む。
カプセルの光が強くなり、青白い光は、瞬く間に脱出艇を丸ごと飲み込んだ。
それと同時、予備砲台が閃いた。
白い奔流が、脱出艇へ向かって放たれる。
一直線に迫る光に、回避は間に合わない。
「来るぞ!」
ベルスが叫ぶ。
砲撃が脱出艇へ到達する、その直前――
世界が裏返った。
音が消える。
重さが消える。
床も、壁も、空も、大地も、すべてが引き延ばされていく。
三人が気づく間もなく。
そして――脱出艇は、地球の空から消えた。
直後、作戦艇の砲撃が空間を貫く。
灰色の空を切り裂き、地上を広大な星明かりに晒した。
「因子反応……消失しました!」
「何……!?」
操舵室に、混乱が広がる。
ヴェイラは何も言わなかった。
ただ、脱出艇が消えた空間を映すモニターを見つめていた。
「……眠りながら、因果を曲げましたか」
小さな声だった。
ヴェイラはゆっくりと目を伏せる。
「やはり、あれは災厄の種……」
そして、すぐに顔を上げた。
その目に、迷いはなかった。
「ドローンの記録を出しなさい」
「記録、ですか?」
「砲撃を弾いた少年。対象を奪取したベルスとロキ。作戦艇への攻撃、脱走した瞬間。そのすべてです」
中央モニターに、映像が並ぶ。
右手で光線を弾く少年。
砲台へ突撃する脱出艇。
カプセルを抱え、ハッチへ飛び込む少年。
そして、消失する脱出艇。
ヴェイラはそれらを静かに見つめた。
「帰投しましょう」
「よいのですか?」
「彼らは、もはや保護対象ではありません」
ヴェイラは、最後にもう一度だけ、消えた脱出艇の映像を見た。
「あの火……取り戻さねば……」
そう言い残し、作戦艇はそのまま地球を後にした。




