第3話 抱えて征く
A.R.Kの機密会議室。
そこは今、静かな混乱に包まれていた。
誰もが言葉を失い、ただホログラムに浮かぶ赤い光点を見つめている。
「ど、どういうことですか? 地球は滅んだんですよね? ずっと昔に!」
ロキが沈黙を切り出した。
「もしかして……幽霊とかじゃ……」
リースがぽつりと呟くと、ロキは大げさに身震いした。
「や、やめろよ。ただでさえ怖えんだから……」
「機器異常の可能性は?」
それまで黙ってホログラムを見つめていたベルスが、声を挟んだ。
「地球は特別封鎖区画だ。通常の人間が入り込める場所じゃない」
ヴェイラは小さくうなずき、手元の端末を操作した。
赤い光点の周囲に、複数の数値と観測記録が展開される。
「この一ヶ月で、同地点に六度の再観測を行いました。座標、波形、因子濃度――いずれも、ほぼ同一です。
機器異常と見るには整いすぎています」
「なら、誰かが立ち入った可能性は?」
「低いでしょう。反応地点は地下二百メートル付近。一般人が入り込める場所ではありません」
ヴェイラは、ホログラムの赤い光点を見据えた。
「ですが、問題はそれだけではありません。同地点からは、サイカー因子に酷似したエネルギー反応も確認されています」
その言葉に、リースは顔を上げた。
「接近した機器には、破損や記録の欠落が確認されています。さらに、影響範囲は拡大の兆候を見せています。このままでは、いずれ地表や周辺宙域にまで影響が及ぶ可能性があります」
「最近、無人機が減っていたのは、そういうわけなんだな?」
ベルスが低く呟いた。
「はい」
「……有人探査は」
その問いに、ヴェイラの肩がわずかに強張った。
「……一度だけ、あります」
「帰還者は……?」
ヴェイラは、何も答えなかった。
重い沈黙が、会議室を満たした。
リースは、ホログラムに浮かぶ赤い光点を見つめる。
「……そのための……僕?」
「……ええ」
ヴェイラは静かに頷いた。
「因子は今も拡大を続けています。このままでは周辺宙域だけでなく、いずれカリーナにも影響が及ぶでしょう」
ヴェイラは、まっすぐにリースを見た。
「ですが、通常の人員では接近すらできません。サイカーであるあなたなら、あるいは――」
リースはすぐには返事をしなかった。
頭ではわかっていても、胸の奥には、兵器として使われた同胞たちの姿がありありと浮かんでいた。
それでも、目の前の赤い光点から目を離すことができなかった。
「まさか、リース一人に行かせる気じゃないですよね」
ロキが疑いの目をヴェイラに向けると、彼女は静かに首を横に振った。
「あなたたちは突入班です。ロキとベルスにはリースさんの援護を行っていただきます」
「待機班は」
「外部に配置します。ですが、因子内部では通信も観測機器も正常に機能する保証がありません」
ヴェイラは、ベルスへ視線を向けた。
「だからこそ、あなたに現場指揮を頼んだのですよ」
「……了解した」
「ロキはリースさんの補佐をお願いします」
「了解」
「作戦開始は二時間後、準備が整い次第出動となります。
リースさん、繰り返すようですが、参加するかどうかはあなたの自由です。もし、力を貸していただけると言うのなら、二時間後、作戦準備区画へ来てください。案内はロキに任せます」
その一言を最後に、会議は終わりを迎えた。
A.R.K本部、外縁テラス。
静かな昼下がりの光が、眼下の中庭を埋め尽くさんばかりに並ぶテントを照らしていた。
「やっぱり、ここにいたか」
背後から聞こえる声に、リースは振り返らなかった。
「なんでわかった」
「わかるさ。俺たちの故郷、だからな」
そういうとロキは、リースの隣に座り込む。
リースとロキは、幼い頃に戦禍の中からここへ連れてこられた。
この場所は、二人にとってただの本部ではない。
確かな故郷であり、傷の始まりでもあった。
リースは柵に手をかけ、眼下に並ぶ白いテントの列を見つめた。
そこには、どこかの星の戦禍に巻き込まれた人々が、今日も変わらず息をしている。
「変わらないな……ここは」
「だな……」
ロキは隣に並び、同じ景色を見下ろした。
「十五年前の傷は、まだ深い。俺たちみたいに戻れたやつもいれば、今もここを離れられないやつもいる。俺もA.R.Kがいなきゃ、後者だったろうさ。
だから俺はここにいる。ここまで育ててくれた恩に報いるために」
「僕は……」
「別にどうしようと好きさ。お前はサイカーだろ?
サイカーには、サイカーの考え方がある。誘いはしたけど、強制なんかしなかったろ」
幼い二人にとって、A.R.Kにあるものは何もかもが大きかった。
白銀の制服も、空へ伸びる建物も、忙しなく行き交う職員たちも。
戦火の中から拾い上げられた子どもにとって、それは世界そのもののように見えた。
そこに憧れたロキは、A.R.Kへの入隊を目指した。
だが、サイカーであるリースにとって、その場所は、サイカーを兵器として扱ってきた世界の、延長線上にあるものに見えてしまった。
「怖いんだ」
リースの柵を持つ手は、小刻みに震え、かすかな柵との金属音を鳴らしていた。
「この力が……そのために消えていった仲間が……世界が……。
……僕のこの震えも、あの時からなんら変わりやしないんだ」
「リース……」
「わかってる。ここがそんなところじゃないことも、お前のことも……。それでも……」
テラスは、しばしの沈黙に包まれた。
すると、ロキは歩み寄り、リースの肩に手を置いた。
「変わらなくて、いいんじゃないか」
「え?」
ロキは、眼下のテント群を、遠い眼差しで見つめながら続けた。
「俺だって、変わってない。あの日のあの時のまま、あの恐怖を胸に抱えて、ここで生きてる。
あの景色は消えるようなもんじゃない。なら、抱えて生きるしかない」
そう言って、ロキは再びリースの方を向く。
「だから一人で抱え込むな。安心しろって、俺がついてる」
照れ隠しのように胸を張り、ロキは自分の胸を勢いよく叩く。
しかし直後、思ったより痛かったのか、顔をしかめて胸をさする。
「締まらないなぁ」
「うるせえ」
テラスに、二人の笑い声が響く。
リースの胸の奥は、確かに軽くなっていた。
二時間後。
A.R.K本部、作戦準備区画。
白い照明に照らされた区画を、出動を控えた隊員たちが慌ただしく行き交っていた。
壁際には装備ケースが並び、中央の端末には地球周辺宙域と反応地点の立体図が浮かんでいる。
未知の任務を前にざわつく現場を、ベルスが取りまとめていた。
「通信班、全系統を再点検。救助班は撤退経路を洗い直せ。医療班は発着デッキで待機、救助班と後送手順を共有しろ。
相手は未知の因子領域だ。総員、最大級の警戒をもって任務にかかれ」
「「「了解!」」」
A.R.Kきっての名将の指揮に、現場の士気は着実に引き締まっていった。
だが、その熱の中でも、ヴェイラの目は目の前の扉に縫い留められていた。
「来るでしょうか……」
そう呟いていると、一通りの指示が終わったベルスが、ヴェイラの元に近づいてきた。
「各班異常なし。出航予定時刻まであと二十分だ。最終チェックに入る」
だが、その報告すら、ヴェイラの耳には届いていないようだった。
そんな彼女への呆れか、ベルスは小さく息を吐いた。
「おい!」
「!?……は、はい!」
「統括官が扉ばかり見てどうする」
「も、申し訳ありません」
「あいつに選ばせるって言ったのはお前だろう、こちらは、来ない場合も想定して準備を進めている。
お前もそれくらいの覚悟を持て」
「し、失礼しました……現在の状況は」
「各班異常なし、最終チェックに入るところだ」
「承知いたしました。では最終チェックに……」
その時、区画の扉が短い電子音を響かせた。
二人は、反射的にそちらを向く。
そこにいたのは、ロキとリースだった。
その姿を見た瞬間、ヴェイラの肩から力が抜けた。
統括官としての顔を取り戻すまでに、ほんの一拍だけ遅れた。
「……来てくださったのですね、リースさん」
「はあ…はあ…と、統括官。いつもの第四デッキじゃないなら先に言ってくださいよ……。
どんだけ迷ったと思ってるんですか……」
激しく息を切らしながらロキはヴェイラに文句をこぼした。
「そ、それは失礼しました。今回の任務は極秘扱いですので、通常任務で使われる第四発着デッキは使用できなかったのです」
「とんだ案内役だ……」
リースは呆れたようにつぶやく。
「やっと来たか!お前ら無しで飛ぶところだったぞ」
ベルスの明るい声があたりに響く
「俺まで置いてくのは無しですよ隊長……」
「遅い奴は置いてく。それがウチのマナーだろう?」
ベルスの言葉にため息をつくロキを見て、リースは小さく笑った。
その様子を見届け、ヴェイラは表情を引き締める。
「……本当に、よろしいのですか? 怖さは……」
「ありますよ」
あまりにもあっけない返答に、ヴェイラはわずかに目を見開いた。
「だから来たんです」
リースは、静かに続けた。
「確かに怖い。でも、この怖さは僕一人のものじゃない。だったら、抱えたままでも、一緒に抱えて、前に進めばいい」
そう言って、リースは隣のロキをちらりと見た。
「……そうですか」
静かに言う彼女の顔はかすかに微笑んでいた。
「行くぞ、あと十五分で出航だ。とっとと準備しろ」
ベルスの号令で、三人は作戦準備区画の奥へ向かった。
通信機、生体モニター、因子値監視端末。
必要な装備の確認は、驚くほど手早く進んでいく。
「通信、問題なし。生体モニターも接続完了」
ロキは、リースの肩口に取り付けられた端末を軽く叩いた。
「因子値も基準内。とりあえず異常なしだな」
「……いちいち見られてるみたいで落ち着かないなぁ」
「検査ゲートよりはマシだろ」
「……それと比べるか……」
リースは小さく息を吐いた。
けれど、文句を言いながらも端末を外そうとはしなかった。
震えは、まだ完全には止まっていない。
怖さも、胸の奥に残っている。
それでも、一人で抱えている時よりは、少しだけ息がしやすかった。
やがて、作戦準備区画の奥にある隔壁が低い駆動音を立てて開いた。
隔壁の先に広がっていたのは、極秘任務用の特務発着デッキだった。
白銀の床を青い誘導灯が走り、必要最低限の隊員たちだけが静かに出航準備を進めている。
その中央に、一隻の作戦艇が待機していた。
全長は百メートル近くあるだろう。低く唸る推進器が、青白い光を床に滲ませている。
「……こ、これに乗るのか……。こんな巨大な船に……」
恐怖も忘れ、整備士としての目が船体を追っていた。
外装の継ぎ目、推進器の配置、機体側面を走る冷却ライン。
見慣れた民間艇とは、何もかもが違う。
「これでも小型船だぞ。」
「こ、これで小型……」
「宇宙基準だな」
「……便利な言葉だね、それ」
リースはそう返しながらも、視線を作戦艇から離せなかった。
推進器の配置も、装甲の継ぎ目も、見慣れた民間艇とはまるで違う。
無駄がない。けれど、ただ小さくまとめただけの機体でもない。
危険地帯へ入り、乗員を生かして帰すための造りだった。
「整備士の血が騒いだか?」
ロキが茶化す。
「そんな大げさなものじゃないって。ただ……すごいなって」
「お前ら、観光に来たんじゃないんだぞ」
ベルスの低い声が飛ぶ。
「出航まで時間がない。乗るぞ」
「了解」
ロキがすぐに応じる。
リースも名残惜しそうに作戦艇を見上げてから、その後に続いた。
作戦艇のハッチが開く。
艦内は広いというより、機能ごとに無駄なく区切られていた。
白い通路の両側には、管制室、医療区画、装備保管室といった表示が並んでいる。
リースは歩きながら船内を見回した。
壁に固定された予備酸素タンク、緊急用の医療キット。
船尾側には、非常用脱出艇へ続く小さな隔壁も見える。
三人が通されたのは、突入班用の待機室だった。
固定席と装備ラックが並び、天井には配線と補助照明が整然と走っている。
リースたちは壁際の席に腰を下ろし、固定ベルトを締めた。
硬いシートが背中に当たる。
「座り心地は?」
隣に腰を下ろしたロキが聞く。
「よくはない……かも」
「正直でよろしい」
「こちら突入班。搭乗完了。出航準備は」
『特務発着デッキ、出航シークエンス待機中。航路異常なし』
管制の声が船内に響いた。
「了解。総員、出航準備」
ベルスの言葉の直後、低い駆動音が、船体全体に広がっていく。
低い振動が、船体を通してリースの背中に伝わってくる。
窓の外で、A.R.K本部の光が少しずつ遠ざかっていった。
怖さは、まだ胸の奥に残っている。
それでも、もう一人で抱えているわけではなかった。
作戦艇は特務発着デッキを離れ、静かに上昇していく。
目指す先は、地球。
死んだはずの星に残された、たった一つの生命反応だった。




