第1話 世界の残滓
遥かな昔、この世界には、神がいたらしい。
すべてを破壊し、滅ぼす絶対なる神が――。
王都ノーレンスへ向かう軌道列車の窓を眺めながら、リースはふと、そんなことを考えていた。
車窓の向こうには、復興の途上にある街並みが流れていく。
真新しい建材で補われた建物群の中心には、巨大な黒い石碑がそびえていた。
十五年前に発生したノーレンス攻防戦。
その傷跡は復興の手が加わった今も、記録として、記憶として、慰霊碑とともに残り続けている。
わずか三歳という幼さでその戦禍に見舞われたリースにとってその光景は、よりいっそう重くのしかかるものがあった。
神という存在。
それは共通の敵として、ばらばらだった世界の手を取りまとめ、一つにした。
そうして手に入れた平和と秩序。
その果てである現在、人々は繋げられたはずの手を離し、再び炎を燃え上がらせている。
「――神は、今の世界を見て、何を思うのだろうか。」
リースは、考えずにはいられなかった。
――そうして思考に沈んでいるうちに、時間は瞬く間に過ぎ去り、リースの意識は、王都ノーレンス到着を告げるベルに引き戻された。
「ドアが閉まります。ご注意ください」
「!? ちょっ、ちょっと待っ――」
間一髪。
ドアをすり抜けるように駆け抜け、リースはなんとか列車から降りることができた。
王都ノーレンス。
惑星カリーナの首都であり、星内最大の都市。
改札を出たリースは、急かされるように軌道エレベーターに乗り、ノーレンスの都市部を目指す。
中枢星の都市部には上空五万メートルにも達する巨大な軌道タワーがそびえている。
その下層、上空千五百メートル付近を、塔同士を結ぶ軌道列車が滑るように走っていた。
駅もまた遥か上空にあるため、都市部へ向かうにはエレベーターで下る必要があった。
エレベーターが静かに降下を始める。
すると、ガラス状の壁越しに、地平の果てまで広がるノーレンスの都市が眼下に広がる。
物心つく頃から辺境の地に生きたリースにとって、その光景は何度見ても息をのむものがある。
しかし、リースの心は沈んでいた。
ノーレンスの主要都市部は地上八百メートル付近に存在する。地震対策や自然保護の理念が、この街を空へと押し上げたのだろう。
そして都市へと入る前に、リースの気分を沈ませるものが姿を現す。
生体検査ゲートだ。
名目上は感染症や違法物の確認だとされている。
だがその本質が、"特異なる存在"の炙り出しであることは火を見るより明らかであった。
「憂鬱だな……」
リースの呟きをよそに、ゲートへの列は次々と進んでいく。
やがて、彼の番が回ってきた。
ゲートをくぐると、足元から青い光がせり上がり、リースの身体をなぞっていく。
数秒の沈黙が続く。
やがて――短い電子音が二度鳴る。
「――サイカー因子反応、確認。
能力反応、基準値内。
通行を許可します。」
機械音声がそう告げると、周りの人々が一瞬、リースの方向を向いた。
神の残滓、「サイカー」。
神にも劣らぬその強大な力は、共存しているとはいえ、長い間、人類の畏れの対象だった。
現代では、サイカーは人類との交配を経て、それらをほぼ消失するに至っている。
――その個体数を犠牲にして。
今や、老いた世代の象徴となったサイカーの血。
それがリースのような若者に流れているとなれば、その珍しさは言うまでもないだろう。
もっとも、リースにとっては、慣れたものだった。
視線が向けられ、そしてすぐ逸らされる。
「サイカー」と呼ばれる存在にとってそれは日常であり、日々に紛れ込む小さな棘の一つに過ぎない。
――それでも、数多の人々から、決して温かくはない視線を向けられるのは、気分のいいものではないだろう。
サイカーとは、そういう存在である。
そうして憂鬱な気分となりながら、リースはノーレンスの都市に入っていく。
目的地を探していると、リースは違和感を覚える。
彼が王都へとやってきたのは、カリーナ調査局から、定期検査の通知を受けたためだった。
惑星カリーナという星は、人とサイカーの共存を高く掲げる星である。
サイカーであるというだけで立ち入りを禁じられる星や都市もある中で、首都への入域さえ比較的容易なカリーナの在り方は、かなり珍しい。
とはいえ、能力反応の定期検査だけは例外ではない。
サイカーの因子を持つ者は、年齢や立場にかかわらず、一定期間ごとに通知を受け、検査を受けることになっている。
リース自身、それに異を唱えるつもりはなかった。
当事者である手前、サイカーという存在が、血が薄まった現代も危険な存在であること、
かつて戦争で用いられた「兵器」であることは、誰よりも知っている。
――しかし、何かが違う。
定期検査は王都のみで行われる。故にこの時だけは、普段より多くのサイカーが集まっていて然るべきだった。
それなのに、サイカーらしき力の揺らぎは、彼以外、一切感じられなかった。
「おかしいな…」
リースは思わず言葉を漏らす。
通知に記載されている検査場所を改めて確認していると、背後から、自分を呼ぶ声が聞こえた。
「よう」
「っ――ロキ!?」
聞き覚えのある声に振り返ったリースは、途端に目を丸くした。
そこには、白と銀を基調とした制服を身にまとう男が一人、立っていた。
リースの幼馴染であり、親友であるロキである。
「久しぶりだな、リース」
「久しぶり……って、そうじゃなくて。A.R.Kの調査員になったんじゃないのか」
「なったさ――だから、お前と会ってるんだよ」
予想外の返答に、リースは一瞬戸惑う。
「…答えになってないんだけど」
「ここじゃ目立つ。場所を変えるぞ」
「? 何言って…」
リースの動揺をよそに、ロキは強引にリースの腕を引っ張る。
抵抗する間もなく、リースはそのまま近場の路地裏へと引きずり込まれた。
「ここなら誰にも聞かれないだろ」
カリーナ調査局、ノーレンス中央検査棟。その路地裏に二人はいた。
ここは、サイカーの定期検査の会場である。
「…で、何をするんだよ。こんなとこまで連れてきて…。
僕は早くここに行きたいんだよ」
そう言って、リースは表にそびえる棟を指さす。
「それなんだが……」
ロキが一段声のトーンを落とす。
並々ならぬ雰囲気が立ち込め、リースの表情がわずかに強張る。
「それが……?」
「それは、調査局が出したものじゃない」
「……だと思った」
「気づいてたのか?」
「ここら一帯、サイカーらしき流れがこれっぽっちも感じられない。
定期検査だってのに…」
リースの感覚の鋭さに、ロキは少し感心したようだった。
だが、リースの関心は、そこにはない。
「でも、それじゃあこの通知は…」
リースは手首の端末をかざし、空中に通知を展開した。
半透明の表示板には、カリーナ調査局の紋章と検査番号が確かに刻まれている。
ロキは一瞬、気まずそうに目を逸らした。
「……そいつを送ったのは、俺だ」
「………は?」
一瞬、あたりの喧騒が遠のいた。
リースは、言葉を失った。
定期検査というのは、星によって執り行われる。
故に、検査通知は立派な公的書類である。
いくら国際組織に属しているとはいえ、ただの一隊員が扱える権限を優に超えている。
「お前……これ、立派な犯罪だぞ」
リースは静かに怒り、その勢いのまま続けた。
「お前、自分が何をしたのか分かってる?
ただ書類をでっち上げただけじゃない。僕がノーレンスに来るのを嫌がってるって、知ってたのに!」
「わ、悪かった! 悪かったよ……。お前をここに呼ぶには、これしかなかったんだ」
「だからって、検査通知を使うなんてさ……」
正論を突きつけられ、ロキは言い返す言葉を失った。
額には、薄く汗がにじんでいる。
しばらくの沈黙の後、ロキは重い口を開いた。
「A.R.Kが、サイカーを必要としてる」
「……戦争か」
リースの声が、低く沈んだ。
「違う。A.R.Kは中立組織だ。戦争なんて野暮なことしない」
「嘘までつくようになったのか。
あそこはそこらの支援組織とは訳が違う。星間紛争への介入も、武力行使だって認められてる組織だ。
そんなところが、僕を無理やり呼び出して、サイカーが必要だって……戦争じゃなきゃ、なんなんだよ」
サイカーが必要。
その言葉だけで、リースの胸は冷え込む。
かつて、同じような言葉で戦場へ送られたサイカーたちがいた。
力があるから。
必要だから。
星を守るためだから。
そう言われて、兵器のように扱われた者たちがいた。
そして、その多くは帰ってこなかった。
「否定はできない……。――けど」
ロキはそういうと、一歩リースに近づき、彼の目を見た。
「これだけは信じてくれ!お前を戦争には絶対に使わない!絶対にだ!」
こんな偽の通知で、こんなところに呼び出しておいて、いまさら何を信じろというのか。
そう思いつつも、リースの目には、親友のよく知るあのまっすぐな眼差しが突き刺さる。
ロキが約束を破るような不誠実な人間ではないことは、リース自身、よく知っていた。
「……約束するんだな」
リースの言葉に、ロキは大きくうなずく。
「……わかった。騙されてやる」
「リース!」
ロキの表情が、一気に明るくなる。
「勘違いするなよ。許したわけじゃない」
「わ、わかってるって」
「でも、なんでサイカーが必要なんだ」
リースは間を置かず、質問を重ねる。
「それは道すがら説明するさ」
「……A.R.Kの……?」
リースは低く呟いた。
「そこ以外ないだろ?」
ロキはいつものようなあっけらかんとした表情で答える。
呆れか、諦めか、どちらにも転ばない感情を押し殺し、リースは何も言わずロキの横を通り過ぎた。




