悪役令嬢は何かに気づく
――何故、見つからない。
お前が死ぬわけがない。
私には分かるんだ。
お前が――ジークが、まだ生きていることくらい。
「クリームヒルト、おはよう」
「……殿下。おはようございます」
声をかけてきたのは、フロールフ・クラキ王太子殿下。
クラキ王国の次期国王にして――私の現許嫁だ。ジークフリートの死の報告を受け、我が父、グンテル公爵は私とフロールフとの婚約を回復させた。
「殿下はよしてくれないか、クリームヒルト。昔みたいにフロールフと呼んでくれると嬉しいんだけど」
「…………失礼しました。クラキ“先輩”」
「はは……いじわるだな、クリームヒルトは」
フロールフは困ったように苦笑する。
こいつとは昔からの馴染みだ。幼少の頃はよく一緒に遊んだし、仲も決して悪くない。むしろ、私にとって数少ない友人の一人と呼べる存在だ。
(…………眩しいな)
昔から、フロールフという男は私には眩しすぎる。誰に対しても分け隔てなく優しく、仁義に厚い。最近では王太子としての風格も備わり始めた。次代の王として、その器が着実に育っている証拠だろう。
もし――。
もしも私が、この男と結ばれていたなら。表をフロールフが治め、影を私が支配する。そうすればクラキ王国を、不動の大国へと押し上げることもできただろう。
いや。
かつての私なら、それだけでは満足しなかった。フロールフを傀儡とし、クラキ王国を足掛かりに大陸統一すら目指していたかもしれない。
――ジークに出会っていなければ。
(…………どうでもいい。)
国も。
権力も。
大陸の覇権も。
今の私には、心底どうでもいい。
私に必要なのは――ジークフリートだけだ。
(あの社交界から始まって……私たちは少しずつ愛を育んできた)
今でも鮮明に覚えている。
声も。
顔も。
手の温もりも。
私に向けて笑った、あの顔も。
(恋しいよ、ジークフリート……)
何故、私の前からいなくなった。
何故、私を置いていった。
侯爵家の者たちからは、死んだと聞かされている。
だが――。
そんなもの、信じられるものか。
いや。
信じたくないのだ。
「クリームヒルト?」
「……なんでしょう」
「今日の昼食、一緒にどうかな?」
「…………ご命令とあらば」
「いや、命令じゃないんだけどな……」
フロールフが困ったように笑った。
――どこにいる、ジーク。
早く戻ってこい。
私は寂しいんだ。
寂しい兎は死んでしまうんだぞ。
構え。
甘えさせろ。
頭を撫でろ。
抱き締めろ。
一人にするな。
…………馬鹿。
「そうか……君はまだ……」
フロールフが小さく呟いた。
だが、今の私にはどうでもいい。
昼食のサンドイッチを一口齧りながら、眼前に広がるウルズの泉へ視線を向ける。
風に揺れる水面を、ぼんやりと眺めていると――。
「ああ、そういえば」
フロールフが何かを思い出したように口を開いた。
「一年生に、ジークって名前の従者がいた気がするけれど――」
――――。
「……すまない。失言だったね」
ジーク。
その名が耳に入った瞬間。
周囲の音が、消えた。
(.........ジークフリート)
そう。
私の人生は、全てジークフリートに捧げる。
そして彼の人生もまた、私に捧げられる。
そうでなければならない。
私たちはそういう関係なのだから。
――待て。
今、殿下は何と言った?
「…………フロールフ」
「え?」
「今、なんと言った?」
フロールフの表情が一瞬で明るくなる。
「やっと名前で呼んで――」
「今、なんと言ったと聞いている」
「…………う、うん」
私の剣幕に押され、フロールフが僅かに身を引いた。
「今年の一年生に、ジークという名前の従者が一人いるんだ」
心臓が――跳ねた。
「……続けろ」
「つい先週だったかな。ベルン王家のご子息に決闘を申し込まれて、それに勝ったって噂を聞いたんだ」
「先週……?」
先週。
決闘。
――闘技場。
脳裏に、あの日の騒ぎが蘇る。
「確か、“聖女”の従者だったはずだよ」
「…………聖女?」
「ああ。彼女は辺境の出身だったかな。平民出身だと聞いているけど、冒険者の従者を連れているんだ」
冒険者。
指先が僅かに震えた。
「僕も入学日前日に会ってね。二人とも随分と愉快な子たちだったよ」
辺境出身の聖女。
その従者。
冒険者。
そして――。
名前は、ジーク。
「…………」
カタンッ!
椅子が勢いよく後ろへ倒れた。
「あ、あれ? どうしたの、クリームヒルト?」
私は立ち上がっていた。
考えるよりも先に、身体が動いていた。
偶然?
そんなはずがない。
知るものか。
確かめればいい。
この目で。
直接。
「殿下」
「う、うん?」
「私はこれで失礼します」
「え?ちょっと、クリームヒルト!?」
返事を待つ必要などない。
踵を返し、その場を後にする。
『a』組。
同じクラスにいる“聖女”――ブリュンヒルデ。
まずは、あの女に会わなければ。
そして確かめる。
その従者が何者なのか。
本当に――。
本当に、私の探している男なのか。
胸が痛い。
心臓がうるさい。
期待するな。
違った時に耐えられなくなる。
そう自分に言い聞かせても、足は止まってくれない。
むしろ、一歩進むごとに速くなっていく。
(ジークフリート……)
死んだと聞かされた。
何度探しても見つからなかった。
それでも私は、お前が生きていると信じていた。
ずっと。
ずっと――。
「…………ジーク、ジークフリート」
震える唇から、愛しい男の名が零れ落ちる。




