剣帝は王子様に弟子入りする
「やったあああああああ!!げぇぇぇむせっとぉぉぉぉぉぉ!!!」
静まり返っていた闘技場に、場違いなほど能天気な絶叫が響き渡った。
「…………」
ジークが無言で観客席を見上げる。
そこではブリュンヒルデが満面の笑みを浮かべ、両腕をぶんぶんと振り回していた。
「ジークの勝ちぃぃぃぃ!! いええええええい!!」
「…………元気なやつだ。」
先ほどまで白熱とした戦いが繰り広げられていたというのに、緊張感も何もあったものではない。
だが――
「…………強くなりたい」
背後から聞こえた声に、ジークの表情が変わった。
「…………」
振り返る。
そこにはディートリッヒが立っていた。
背中に刻まれた傷は決して浅くない。
呼吸も荒い。
足取りも覚束ない。
それでも彼は剣を杖代わりにすることすらせず、自らの足でジークのもとへ歩いてくる。
一歩。
また一歩。
そして。
「強く……なりたいんだ」
その声には、先ほどまでの傲慢さはなかった。
*
――ベルンは、小さな国だった。
豊かな土地があるわけでもない。
強大な軍事力があるわけでもない。
大国に囲まれた小国が生き残るには、常に誰かの顔色を窺わなければならなかった。
そして――いつしか限界が訪れた。
『選べ』
クラキ国より遣わされた使者は、玉座の前で淡々と告げた。
『我が国の一部となり、庇護のもとで栄えるか――』
男の口元が僅かに吊り上がる。
『それとも、我々と争うか』
選択肢など、最初から存在しなかった。
戦えば滅びる。
ただ、それだけ。
やがてベルン王は王冠を外した。
「本日をもって、私はベルン国王ではなくなる」
幼いディートリッヒは、父の背中を見つめていた。
「これよりベルンはクラキ国へ併合され、私はベルン領を治める領主となる」
国を守るためだった。
民を守るためだった。
それでも――
父の背中が、酷く小さく見えた。
「…………すまない、息子よ」
「父上?」
「お前には……あまりにも酷な話をしなければならない」
クラキ国が最も恐れていたもの。
それは、旧ベルン王家を旗印とした反乱だった。
故に――
元王子であるディートリッヒの身柄を差し出すよう要求してきた。
名目上は――《使者》。
だが、六歳の子供に使者など務まるはずもない。
(人質だ)
幼い自分にだって、それくらいは理解できた。
*
クラキ国で与えられたのは、最低限の食事。
最低限の衣服。
そして――最低限の自由。
何処へ行くにも監視がついた。
誰かと話せば内容を確認された。
許可なく城外へ出ることもできない。
元王子だった少年は、まるで罪人のように扱われた。
(…………憎い)
何度そう思っただろう。
クラキ国が憎い。
自分たちを見捨てた世界が憎い。
けれど――
(違う)
ディートリッヒは幼心に理解していた。
(弱かったんだ)
クラキ国が悪いのではない。
奪われるだけの弱さしか持たなかった。
ベルンが――弱かった。
(力さえあれば)
何度も思った。
(力さえあれば――何も奪われなかった)
そして。
運命の日が訪れた。
十歳。
職種適性の選定。
天より告げられた、その職業適性は――
《剣帝》。
「…………え?」
最初は意味が分からなかった。
だが、周囲の大人たちが騒然となったことで理解した。
七英雄にも比肩し得る、最高峰の職種適性。
剣を極めるために生まれた者。
――剣帝。
「…………は」
身体が震えた。
「あは……」
笑いが込み上げる。
「はは…………」
ずっと欲しかったもの。
国を奪われたあの日から。
六歳で人質となったあの日から。
ずっと、ずっと欲しかったもの。
「はははははははは!!」
――力。
「これで……取り戻せる!」
誰にも奪われないための力。
「取り戻せるぞ!」
ベルンを。
父の王冠を。
失った全てを。
「やった……! やったぞ!!」
ディートリッヒは剣を握った。
師はいない。
故に、独学で剣を振るった。
一日。
十日。
百日。
誰よりも剣を振った。
だが――
「…………なんでだ」
期待していたものとは違った。
身体能力は明らかに向上している。
速度。
筋力。
反射神経。
どれも常人とは比較にならない。
しかし――それだけ。
「なんで思うように《剣帝》の力を引き出せないんだッ!」
剣技そのものが、突然与えられるわけではなかった。
焦った。
このままでは国を取り戻せない。
――そのはずだった。
『ま、参った……!』
「…………え?」
初めて参加した試合。
圧勝だった。
次も。
『降参だ!』
その次も。
『ひぃっ! 許してくれぇ!!』
負けない。
誰と戦っても。
何人と戦っても。
圧倒的な身体能力だけで――勝ててしまった。
「あ…………」
ディートリッヒの口元が歪む。
「あは……」
何を悩んでいたのだろう。
「あははははは!!」
剣帝の真価など引き出せなくてもいい。
勝てるのだから。
(自分は強い!)
周囲が弱すぎる。
(自分は――最強なんだ!)
勝利を重ねるたび、その思いは確信へと変わっていった。
この力があれば誰にだって勝てる。
七英雄にだって。
そしていつの日か――
ベルンすら取り戻せる。
そう、信じていた。
――いや。
そう、錯覚していた。
『――速い。パワーもある』
一人の冒険者と戦うまでは。
『七英雄に並ぶポテンシャルがある。それは認めるよ』
ジーク。
職種適性――《冒険家》。
剣帝でもなければ、七英雄でもない。
なのに――
勝てなかった。
何度未来を見ても。
何度剣を振るっても。
その男には届かなかった。
(…………そうか)
地面に倒れながら、ようやく理解した。
(自分は……弱い)
《剣帝》とは何か。
それは単純に、剣を握れば最強になれる職業ではない。
剣の極致。
技の極致。
積み重ねた鍛錬の果てにこそ真価を発揮する、究極の剣士。
だというのに――
(自分には、その『技』がない)
なんという皮肉だろう。
最強の剣士になるための才能を与えられながら。
自分は――剣士として未熟だった。
父より授かった二振りの宝剣。
《エッケザックス》。
《ナーゲルリング》。
(…………父上)
申し訳ない。
こんな体たらくでは。
国の再興など――夢のまた夢だ。
だから。
*
「…………教えてくれ」
ジークは何も言わない。
ディートリッヒは拳を握り締めた。
悔しい。
惨めだ。
今まで格下だと思っていた男に教えを請うなど、少し前の自分なら死んでも御免だっただろう。
それでも。
――強くなりたい。
その想いだけは、本物だった。
ディートリッヒは深く頭を下げる。
「教えてくれ――――ジーク」
プライドなど。
今は要らない。
「君みたいに――強くなる方法を」
静寂。
返事がない。
やはり虫が良すぎただろうか。
そう思った、その時。
「――ああ」
「…………!」
顔を上げる。
ジークは兜の下で笑っていた。
「構わないよ」
そして右手を差し出す。
「本当か……!?」
「ああ。ただし――」
ジークの表情が、妙に真剣になる。
「条件が一つだけある」
「…………条件?」
ディートリッヒは差し出された手を強く握った。
「何でも言ってくれ」
国を取り戻すためなら。
強くなれるのなら。
どんな過酷な条件でも受け入れる。
地獄のような修行だろうと。
命懸けの戦いだろうと。
「自分にできることなら――何だってする」
「そうか」
ジークは安堵したように頷いた。
そして――
「ブリュンヒルデとのピクニックデート――」
「…………うん?」
「君が代わりに行ってくれ」
「…………」
ディートリッヒの思考が停止した。
「………………は?」
「頼む」
「いや待って!」
「頼む」
「国を取り戻すとか剣帝とか、そういう流れだったよね!?」
その瞬間――
「ジィィィィィィィクゥゥゥゥゥゥン!!」
観客席から、聞き覚えのある絶叫が響き渡った。
二人が恐る恐る振り返る。
そこには――
満面の笑みを浮かべたブリュンヒルデがいた。
「ピクニック!! 楽しみだねぇぇぇぇぇぇぇ!!!」
「…………」
ジークフリートが無言でディートリッヒの肩を掴んだ。
そして。
「…………頼んだぞ、弟子くん。」
「え、えぇ!!?」
ディートリッヒ・フォン・ベルン。
後に世界へその名を轟かせる《剣帝》。
彼がこの日初めて知ったのは――
敗北の悔しさでも。
己の未熟さでもない。
世の中には、剣より恐ろしいものがあるということだった。




