悪役令嬢は寡黙である
かつてのクリームヒルト・グンテルは、冷酷非情そのものだった。他人の命を奪うことに躊躇はなく、必要とあらば笑みすら浮かべず刃を振るう。
傲慢で、高圧的。
誰も彼女に逆らおうとは思わなかった。
――だが。
ジークフリートと出会い、関係性を重ねたことで、その心は少しずつ変わる。今では、最低限の礼節くらいは出来るようになった。
「……グンテル公爵令嬢、ごきげんよう。」
「ああ。」
クラスメイトから挨拶をされれば、無視はしない。
相変わらず仏頂面ではあるものの、きちんと言葉を返す。それだけでも、昔の彼女を知る者なら卒倒しかねない変化だった。
(……ジークフリートに嫌われないように。)
彼と交わした約束。
彼に教えられた"人との接し方"。
それだけは、律儀なまでに守り続けている。
いつか再会した時――
胸を張って「成長した」と言える自分でありたいから。
そんなことを考えていると――
「クリィィィームヒルトさまぁぁぁぁぁっ!! 学食行きましょうよぉぉ!! おれ、腹減ってもう限界っすぅぅ!!」
廊下中に響き渡る絶叫。
クリームヒルトは深々とため息を吐いた。
「……レギン。」
「はい!」
「声量を下げろ。」
「え?」
「ここはギルドでも酒場でもない。もう少し品というものを身につけろ。」
そう諭されると、レギンは肩をすくめる。
「いやいや、クリームヒルト様は分かってないっすよ。」
「何がだ。」
「おれは女である前に冒険者なんす。」
ドヤ顔で胸を張る。
「小綺麗な商人でも、お上品なお貴族様でもない。未知を切り拓いて、未来を掴む。それが、それこそが冒険者なんっす!」
「……。」
「今さら話し方なんて直せるほど、おれは器用じゃないんで!」
「いや。」
クリームヒルトは即座に切り返す。
「冒険者の前に女だろう。」
「ぐはぁっ!」
見えない一撃を受けたようにレギンが胸を押さえて崩れ落ちた。
(やはりこの女を雇ったことは失敗だったかもしれない。)
そんな考えが、今日だけで七回目ほど頭をよぎる。
クリームヒルトは基本的に従者以外とは会話をしない。
必要最低限。
挨拶程度で十分だと考えている。
貴族社会の色が濃いヴァルハラ学園では、公爵令嬢であり七英雄の一角でもある彼女に対し、生徒たちは尊敬と畏怖を抱いていた。
そのため、誰も気軽には近寄らない。
……一人を除いて。
「覇王ちゃん! 今日も相変わらず仏頂面だねぇ!」
軽薄な声が教室に響く。
「せっかくの美人さんが台無しだゾ☆」
「……。」
クリームヒルトはゆっくりと顔を上げた。
そこには緑髪の青年が立っている。今は亡きベルン王国最後の王子。
『剣帝』――ディートリヒ・フォン・ベルン。
目元を隠すほど伸びた緑髪。
ベルン王家の紋章が刻まれた小さな王冠。
そして何より、人を食ったような笑み。
軽薄な態度を取るこの男をどうにも好きになれない。
「……剣帝。」
「ん?」
「何の用だ。」
「用事がないと話し掛けちゃダメなんて校則あったっけ♪」
ニヤニヤ。
「……ないな。」
「じゃあ問題なし☆」
「私はお前が苦手だ。失せろ。」
「うわぁ、今日もストレート!」
ディートリヒは肩をすくめると、ひらひら手を振って自分の席へ戻っていった。
その背中を見送りながら、レギンが小声で尋ねる。
「クリームヒルト様、あいつ……。」
「ああ。」
クリームヒルトは短く頷く。
「気付いている。」
(……殺気が混じっている。)
しかも隠す気がない。
むしろ、自分に悟らせるために漂わせている。
侵略されたベルン王国。
その王子が、侵略国クラキの公爵令嬢と同じ教室にいる。
複雑な感情くらい抱いて当然だろう。
(私には関係のない話だ。)
もし牙を剥くというなら。
その牙を真正面から叩き折るだけだ。
たとえ相手が『剣帝』、七英雄にも匹敵すると謳われる最上級職だとしても。
「……はぁ。」
小さく息を吐く。
そして、誰にも聞こえないほど小さな声で呟いた。
「……会いたいな、ジークフリート。」
その一言だけで、教室の空気が少しだけ寂しくなる。
何をしても楽しくない。
何を見ても心が動かない。
ジークフリートがいない日常は、驚くほど色褪せて見えた。
(お前と出会う前の私は……。)
クラキ国を世界最大の覇権国家へ押し上げる。
そのためなら他国を侵略し、蹂躙し、支配する。
そんな野望を胸に抱いていた。
だが――
今となっては。
世界征服などという野望は、彼と過ごした日々の思い出一つにも及ばない。
(……本当に。)
クリームヒルトは苦笑する。
(私は、お前に変えられてしまったのだな。)
教室の窓から差し込む陽射しを眺めながら、彼女は静かにジークフリートとの再会だけを願い続けるのだった。




