第39話
「危ない!」
「うおっと!」
行商人が手綱を引き。牛が止まり、そのお尻に荷台がぶつかって止まりました。
なんとか激突せずに済んだと胸を撫で下ろした瞬間、前の巨大な影が腕を振り下ろし、前を走っていた犬の断末魔が響きました。
チラリと見えたその腕は長い毛に覆われていて、この国にやって来てから何度も見た腕でした。
「イ、イエティか!?」
「そのようですわね。あなたは少し離れていてください。あれはワタクシ達が……」
四次元ポケットから大剣を取り出します。
荷台に乗っていた冒険者も異変には気づいているでしょうが、彼を待っている余裕はありません。
こうなることを想定もしていなくて、なにも打合せしていなかったのが悔やまれます。
御者台を飛び出し、イエティに向かって行きます。
しかしワタクシの腰くらいまで積もっている深い雪。いつもの通りに動けるはずもなく、自分でもわかるほどその動きは鈍いです。
焦って思わず使い慣れた大剣で飛び出してしまいましたが、こうなることは予想できたはずです。この一ヵ月は弓矢で狩りをしていたのですから、ワタクシ自身の浅慮さに腹が立ちます。
せめて冒険者が来るまでの時間は稼がなければなりません。
「ガララララララララ!」
足が竦んでしまうほどの音量で吠えました。
ワタクシの二倍もあれば十分巨大なイエティですが、近くまで行くと四倍くらいはあるのではないでしょうか。
その巨体に似合わぬスピードでワタクシに迫って来ます。
この足場では躱すことは不可能。かと言ってこれほどの体格差があれば、まともに受け止めてどうなるかも想像に難くありません。
イエティはその巨大な手を再び振り上げました。
犬を叩き潰した時のようにワタクシもそうするつもりでしょうか。そしてそれは不可能ではありません。
しかし突進等でなかったのはワタクシにとって幸運でした。
大剣の柄を地面に突き立て、伏せます。
「ガラァァァァァァァァ!」
背中に吹き付ける風圧に背筋が凍るようでした。そしてボタボタと温かい物が垂れ落ちて来ました。
「大丈夫か!?」
冒険者の声が。
それほどの時間がかかったわけではありませんが、ようやく、と思ってしまう程度にはワタクシの心にも余裕はなかったのでしょう。
イエティの手から大剣を抜きます。同時に、冒険者がイエティへ飛び掛かって行きました。
見ると、履いているのは普通の靴ではなく、地面との接地面が広くなっているような靴でした。いわゆるかんじきに似た物です。
特に気にせずブーツを履いていたワタクシが間違いです。どうせ長い期間いるわけではないから、と買い替えるのを先延ばしにしていたツケが回って来たのでしょう。
冒険者の手には剣が握られていて、軽やかにイエティの攻撃を避けながら攻撃を加えています。
「援護しますわ!」
大剣をしまい、代わりに取り出したのは弓矢。
ろくに動けず、魔法も使えないワタクシにできるのは弓矢による援護だけ。それも、これだけ大きな相手だと効果があるのかもわかりません。
反撃をしようとしたイエティの顔に矢を放ち、注意を逸らします。その隙に冒険者が剣で切りつけ、再び注意がそちらへ向いた隙を見計らってワタクシはイエティから離れました。
これだけ巨大なイエティが暴れているのですから、わざわざここに近づこうと思う人間も魔物もいないでしょう。それでも、もしものことを考えて行商人の傍にはいるべきです。離れておけと言いましたが、近くにいると良いのですが。
幸いにも、行商人はそれほど離れていなかったので吹雪の中でもすぐに見つけることができました。しかしイエティの気が少しでも変わればすぐにでも襲われる位置です。
行商人の傍を離れるわけにはいかないでしょう。
「大丈夫ですか?」
「ああ……だがチロとツツリが……」
「残念なことです」
行商人、そして牛が無事だったことだけでも幸運と思わなければなりません。
あのイエティが現れた瞬間を思い出すと、それこそ急に現れたようなものでした。その前にワタクシが影を目撃していなく、その話を出していなかったとしたら反応できなかったでしょう。
そしてイエティの身体能力を思えば後ろから襲われる可能性だってあったのです。
イエティの全身を覆う真っ白い毛は雪の中に良く紛れ、気を付けないと見失ってしまいそうです。冒険者の姿はしっかり見えているので、誤射の心配がないのは良いことです。
しかしそれも、ワタクシとあの冒険者は今日初めて出会って特に会話も交わしていません。
連携も取れない以上、ワタクシからの援護も気を付けなければなりません。
だからと言って援護が少なければ彼の負担が増えるだけです。
再び放った矢はまたイエティの顔へ。
身長差のせいで冒険者が攻撃をできるのは下半身がほとんどです。なのでワタクシが顔を狙えばちょうど良いでしょう。
小さく、動き回るイエティの頭を狙うのは至難の業。しかしワタクシには神様とのポイント交換で手に入れた弓術があります。
目を潰せれば最高。鼻なんかも生物によっては神経が集まっていて弱点と聞いたこともあります。額の辺りに矢が当たれば、流れる血で視界を奪うことも可能かもしれません。
続けて矢を放ち続けますが、たまにしかやって来ない、そしてそれほどのダメージのない矢の攻撃をイエティは気にしないことにしたようです。ワタクシの攻撃で気を逸らすことも難しくなってきました。
しかし塵も積もれば山となる。矢も何本も放てば大砲にも勝る攻撃となります。
赤く染まり始めた顔を拭おうとしたイエティの手を矢で射ます。そこに冒険者が攻撃を畳み掛けます、
ここが正念場でしょう。イエティは冒険者に気を取られ、中途半端に拭った顔ではろくに周囲の様子もわかっていないでしょう。
弓矢をしまい、再び大剣を取り出します。
しかし今度はそのまま突撃することはしません。荷台に上ります。しっかりと踏み締め、荷台が頑丈に作られていることを確認します。
機を窺い、冒険者がイエティから離れ、イエティが追撃を仕掛けようと前のめりになった瞬間、身体強化の魔法を発動させてワタクシは荷台から飛び出しました。文字通り、飛び、出ました。刃をイエティに向け、あたかも矢のように飛んで行きます。
雪が顔に当たり、冷たい空気が肌を切るようです。目が開けられませんが関係ありません。
薄目に見えたのは青い血に染まったイエティの顔と、驚いているような表情。
そこに大剣が突き刺さり、イエティはそのまま背中から倒れていきました。




