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愛しのたんぽぽがすみれではなく青葉坂りんごを推し始めて一か月が経過した。春らしく桜が満開になって散り、葉桜になる。蒼次郎は春に浮かれることなく日々を過ごした。
たんぽぽはSNSの投稿ではすみれの動画に言及することなく、新人バーチャル配信者青葉坂りんごを応援するコメントだけ淡々と投稿されている。青葉坂りんごはそんなたんぽぽの反応が嬉しいのか、たんぽぽの投稿に逐一、いいねをつけまくっている。
バーチャル配信者としてその距離感はどうなのかと思わないでもないが、自分は青葉坂りんごと他人なので何もしない。そのうち誰かが忠告するかもしれないし、自分で気づくかもしれない。青葉坂りんごに冷たいと言うより、こちらから関わることが怖かった。相手には蒼次郎の片思い相手に推されているバーチャル配信者だ。嫉妬のあまり青葉坂りんごに余計なことをしそうで怖い。
蒼次郎はゲーミングチェアに座り、パソコンで青葉坂りんごの動画を観ていた。画面からは若い男の声が聞こえる。笑い声が耳障りでないのは、生まれつき与えられし才能だ。
青葉坂りんごの雑談配信のアーカイブは暇な時に観ている。徐々にトークがうまくなってきており、伸びしろはあるのかもしれない。
――素直だし、応援したくなるタイプだな。
リスナーに過度に媚びを売っているわけではないが、なんだか愛らしさがある。そんな青葉坂りんごをたんぽぽが推す理由がなんとなくわかる。青葉坂りんごには見守りたいと思わせる何かがあるのだ。
最新の動画を観終えて、SNSを見始める。ネットの世界では常に誰かが炎上している。
動画配信者界隈では定期的に誰かが燃えるので珍しくないが、つい数日前、同業者で知人である男性配信者が燃えて蒼次郎はなんとも言えない気持ちになった。
同業者が燃えた理由は、元恋人に対しての暴言や暴力をとある配信者に動画で暴露されたからだ。元恋人が残していたチャット内での暴言の証拠画像などがあり、信ぴょう性のあるものだった。どこまで真実かは外部の蒼次郎にはわからないが、擁護はできない内容だった。
――馬鹿だな。自分の職業が人に見られる職業ってきちんとわかっていたら、こんなことしねえだろ。
もともと爽やかイケメン配信者として活動していたため、暴露されたあとはリスナーが相当離れたようだ。SNS上では降りるという文字が散見し、悲しみと怒りがそれぞれの言葉で綴られている。
暴露動画は再生数を稼ぐため、金を生む。人間は怒りに引き寄せられてしまう生き物なのだろう。知人が燃えたきっかけになった暴露動画は再生数がすごいことになっている。
「ほんと馬鹿だなあ……。リスナーのこと考えてたら、こんなことしねえだろ」
俺はたんぽぽに降りられたくない。そう強く思うから、今まで人の道を外れた行いはしないように気を付けてきた。もともと品行方正なタイプではないが、画面の向こう側にいる相手を意識したら正しい道を歩もうと、自分の内側にブレーキがかかる。
蒼次郎はふっと息を吐いた。パソコンに保存されているたんぽぽのSNSでの過去の投稿や、すみれの動画についたコメントを見返す。
「学校に行くのしんどい。でもすみれさんの動画に元気をもらっています」
以前、そうすみれの動画にコメントを残してくれたことがあった。普段たんぽぽは自分の姿が見える発言をしない。よっぽど辛い気持ちなのだろうと思う反面、たんぽぽが自分に辛い気持ちを教えてくれたことが信頼されているようで嬉しかった。
それからしばらくして、たんぽぽはSNSに投稿した。
「無事、卒業しました」
その淡々とした一言が蒼次郎はとてつもなく嬉しかった。
「卒業できてよかった……俺も誰かのためになっているんだ」
たんぽぽの言葉が嬉しくて仕方がなかったのは、たんぽぽが「動画をお守りにして学校へ行っている」と動画のコメントで教えてくれて知っていたからだ。たんぽぽにとって学校に通うことは辛いことだろうに、たんぽぽは逃げずに学校へ通い、卒業した。そのことに少しでも自分が助けることができて本当に嬉しかった。
このことをきっかけにたんぽぽを見守りたいと思うようになった。その気持ちだけで終わればよかったのだ。なのに画面越しで少しずつたんぽぽを知っていったら、情報が少しずつ積み重なるのと同時に気持ちが積み重なって、思いは執着へと姿を変えた。
たんぽぽは配信者すみれが有名でなくとも応援してくれる、自分を推してくれる大切なリスナーだった。すみれが有名になってもたんぽぽの応援の気持ちは変わることなく淡々とSNSに綴られ、その温度感を削ぎ落したSNSの内容がとても気になった。
SNSから知ることができない温度を知りたいと、あの頃から思い続けていたのかもしれない。
たんぽぽがブラインドグッズを手にした写真を見てから自身の恋を自覚したのだが、その前から前兆はあった。
ある日、蒼次郎がまだ無名で駆け出しの配信者だったころ、蒼次郎はいつも投稿しているサイトではない、動画配信をメインに据えている動画投稿サイトで配信を行った。
駆け出しなので配信を観てくれた人は少なく、すぐにたんぽぽを見つけることができた。その配信は青葉坂りんごを笑えないくらい酷い雑談配信だったのだが、たんぽぽは投げ銭をしてくれた。少額だがそれが嬉しく、いつもならそんなことをしないのに、両手でハートを何回も作った覚えがある。
雑談配信をするたび、たんぽぽは配信を観に来てくれ、少額の投げ銭をし、動画も見てコメントをくれる。それが嬉しかった。
徐々に有名になり、ほかのリスナーからも投げ銭をもらえるようになって、気づいた。
ほかのリスナーからの投げ銭は使えるのに、たんぽぽからの投げ銭は使えなかった。
――たんぽぽは、俺の中で特別なんだ。
そう気づいて、驚いた。今まで友人や恋人に対して深い感情を抱かなかった自分が、姿も本当の名前も知らない相手を特別だと思えたことが意外で、驚いた。
いま思えば、あれは恋の前兆だった。
蒼次郎はネットに投稿されたたんぽぽの言葉たちを見返す。何度も何度も見てきた。日付と共に覚えている言葉だってある。
「もっと知りたいのに……どうあがいても会うこと、できないもんな」
蒼次郎とたんぽぽは推しとリスナーだ。画面越しでしか関われない二人の関係が変わることはないだろう。
頬杖をつき、パソコン画面を眺める。
俺はこの恋を、どうやって諦めればいいのだろう。
蒼次郎はカフェでミルクティーを飲んだ。
紅茶の味が薄く、牛乳も少ないためか味がぼやけている。そんな味なのに、都内の一等地にあるお洒落カフェなので店内は若い客で賑わっている。蒼次郎もそんな若い客の一人だが、冷めた気分で大きな窓から外を見る。
いつのまにかゴールデンウィークが終わった。それでもターミナル駅付近はいつだって人が多く賑やかだ。
テーブルの上にはスマートホンを置かず、代わりに外した腕時計を置く。鞄から本を取り出し読むが、全く集中できない。
内心、あーあ、と思った。数ページだけ読んだ本を鞄にしまう。ネットから離れたくて散歩にきたのに、全く気分転換にならない。
家にいたらスマートホンかパソコンに向き合って時間が過ぎていく。電子機器を触りネットに関わるのは配信者という職業柄仕方ないのだが、動画制作以外の時間にネットと関わりたくなかった。SNSで常にたんぽぽの投稿をチェックし、俺以外をなんで推すの、なんでなんでと嫉妬が渦を巻く。そんな自分に嫌気がさした。
――どうやったら失恋できんの? たんぽぽに直接振ってもらうとか?
自分からたんぽぽのアカウントにメッセージを送り、たんぽぽに会いに行く。そして「好きでした。振ってください」と言う。
そこまで想像して蒼次郎は項垂れた。
――動画の企画ですかと言われそう……。
人を試すようなことが嫌いなので蒼次郎はどっきり動画を撮影したことがないが「配信者ならやりそう」と思われるだろう。自分の気持ちを「動画のためですよね」などとたんぽぽに言われたら、しばらくゲーミングチェアに沈んで何もできなくなる。
蒼次郎はミルクティーを飲んだ。ぬるい。これならもういいやと思い、一気飲みした。さっさとテーブルの上をきれいにし、レジで会計を済ませて店を出る。
ぶらぶらと夕方の街を歩く。自営業ゆえに曜日があやふやになってしまい忘れていたが、今日は土曜日だ。ターミナル駅付近と言うこともあって、いつもより人が多い。
春とも夏ともいえない緩んだ空気のなか、目的地もなく歩いて、藍色の空に溶ける夕日を見た。きれいだと思い、スマートホンで写真を撮る。配信者すみれがSNSに投稿するにはやや乙女チックで、すみれという姿から外れる。でも、蒼次郎が撮りたい写真だった。
帰宅したが、一人で家にいてもやることがない。さっとシャワーを浴びて、仕事部屋のゲーミングチェアに座る。
今日撮影した夕日の写真を眺める。たんぽぽが隣にいたら、と想像する自分が情けない。それでも姿を思い描いてしまう。たんぽぽは、この写真を見てなんと言ってくれるだろうか。
「今日行ったお洒落カフェのミルクティーがまずかったとか、夕日がきれいだったとか、些細なことを話したいよ、たんぽぽ」
誰にも届かない言葉を口にして、たんぽぽのことを考えれば心が湿っていく。そんな自分が嫌だ。それなのに指が勝手に動いてたんぽぽのSNSアカウントを確認してしまう。
たんぽぽは三十分ほど前に投稿していた。
「青葉坂りんごさんのお悩み相談動画にゲストとして出させていただきました。配信者でもないのに出ていいのか、と戸惑いながらも楽しくお話させていただきました」
そして動画のURLが貼り付けてあった。
「――は?」
自分でも驚くような大声の「は?」だった。
――ゲストとして動画に出たということは。
「それじゃたんぽぽの声が聞けんの? ただで? 課金しないでいいの?」
自分の大声が仕事部屋いっぱいに響き渡る。そこそこ家賃が高いマンションの部屋でよかった。防音の部屋でなければご近所トラブルに発展しかねない大声だった。
たんぽぽの声が聞けるという事実に驚きと嬉しさが一緒くたになってぐるぐる回る。
「動画を観る人たちに、青葉坂りんごという配信者を知ってもらう時期に、動画を観ている人からしたらいきなり知らん人を動画のゲストに呼ぶのは悪手としか言えない、言えないが……そんなことは置いといて! たんぽぽの声が聞ける!」
蒼次郎はゲーミングチェアの背もたれに体を押し付け、足をばたばたと動かす。
「ああ~っああ~っ」
あまりの衝撃で言葉にならない。思考がまとまらないまま足をばたつかせ、しばらく経ってからようやく落ち着いた。仕事部屋の段ボールからお茶のペットボトルを取り出して飲む。蒼次郎はふっと息を吐いた。水分を摂ったおかげか、なんとか考えられそうだ。
動画投稿サイトの青葉坂りんごのアカウントに飛ぶと、つい一時間前にくだんの動画が投稿されたばかりだった。すぐにお悩み相談動画を再生する。動画が始まると軽快な音楽と青葉坂りんごの挨拶が聞こえた。




