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蒼次郎は寝室から出、寝ぼけ眼でリビングのソファに沈んだ。眠い。連日動画制作の作業をしていたので頭が重い。
寝たのに疲れているのは、連日の作業だけが原因ではない。スマートホンを操作し、SNSを見る。たんぽぽのアカウントを見るためだけに作った鍵垢にログインしてたんぽぽの投稿を見るが、一日一回投稿されていた投稿はこの一週間、途絶えていた。
「なあんで生存報告してくれないんだよおおおお……」
蒼次郎はぎゅっと心臓の上をTシャツ越しに掴む。
ガラスが道路に降ったあの事故から十日が経った。事故から三日間は投稿があったが、ふっつりと切れて、この一週間、たんぽぽのSNSのアカウントは沈黙したままだ。
たんぽぽのことを思いながらたんぽぽのSNSのアカウントを見続けて四年、こんなに不安になったことは初めてだ。
今までも、理由はわからないがたんぽぽが投稿しなかった時期は数度ある。それなのにいま、とても不安なのは、けがをしたと知ったからだ。
たんぽぽは最後の投稿で「元気です」と書いていたが、実際はそんなに元気ではないのだろうか。腹の奥で泥が溜まっていくみたいに、自分の胸の裡に不安が溜まっていく。
蒼次郎は自分の頭の中の不安を振り払うように、台所へ向かった。コーヒーを淹れ、カウンターで飲む。一人暮らしなのに台所にカウンターがある部屋。贅沢だが、この部屋に呼びたいと思う相手はいない。
「いや、たんぽぽがいるか……。この部屋に来てくれたらなんでもしてあげるのに」
コーヒーを飲みながら、たんぽぽが自分の隣に座る想像をする。たんぽぽはコーヒーと紅茶、どちらが好きなのだろう。たんぽぽと夜明けのコーヒーを飲んだら楽しそうだ。
そんなとりとめのない空想が広がっていく。
たんぽぽともし現実で会えて付き合えたら。そんな道端で百万円を拾うくらいの夢物語の空想を広げてしまうのは、この恋が拗れている証拠なのだろうか。
しばし空想に浸り、虚しさを感じながらコーヒーを飲んで空想を切り上げ、立ち上がる。ソファの上にあるスマートホンを手にしてまたたんぽぽのアカウントを確認したところで蒼次郎は硬直した。
「は……はあ?」
一週間ぶりに投稿された文章は、すみれのことではなかった。
「最近、青葉坂りんごちゃんの動画を観ています。頑張ってください、りんごちゃん」
その文章の後にURLが記載されていた。その先はきっと、すみれの動画ではない。
頑張ってください、りんごちゃん。その一文が蒼次郎の頭の中をぐるぐると回る。りんごちゃん。……りんごちゃん?
大きく呼吸し、蒼次郎は言う。
「おっお前誰だよ! こっ、この泥棒猫!」
まさか自分の口から泥棒猫という言葉が飛び出すとは思わなかった。突然現れたりんごちゃんなる人物に心が大きく乱される。
自分の心臓の上を掴む。心臓がどきどきして、息が苦しい。たんぽぽの生存確認ができたのに、一気に走った時のような苦しさを味わうなんて思いもしなかった。
「お、俺はお前に会いたいくらい、好きだよ。なのに、お前は推し変するなよ……」
そう言い、あまりにも自分勝手な言葉に目眩がした。
動画配信者をしていたら、リスナーが自分を応援しなくなる、いわゆる「降りる」ことは多々ある。自分以外の誰かを応援する「推し変」だってよくあることだ。一々リスナーの言動を気にしていたら動画配信などできなくなってしまう。
だが、いま自分は、たんぽぽの自分以外の誰かを応援している姿に苦しさと、たんぽぽが応援している相手に強い嫉妬を覚えている。
足から力が抜け、ソファに沈んだ。体がふにゃふにゃのくらげになったみたいに、力が入らない。
蒼次郎はたんぽぽの投稿を見続け、はっと気づいて時刻を確認した。驚き、目を見開く。
「は、はあっ? もう一時間近く経ってる!」
いきなり時間が流れたのだろうか。そう思うくらい、現実味がない。たんぽぽが推し変したかもしれない投稿を見て呆然とし、一時間が過ぎてしまったことが恐ろしい。こんなにもたんぽぽへの気持ちが膨らんでいたとは思わなかったし、自分がここまで酷く動揺するとは思わなかった。
たんぽぽのことが好きだ。だからといって、たんぽぽへの恋心に振り回されたくない。
自分が抱えている恋心に振り回されるのは、自分で自分を振り回しているということだ。蒼次郎は両手を顔の前に持っていき、じっと見つめ、自分の両頬を叩いた。
じん、と頬が痛み、その痛みで目を覚ます。
「よしっ」
深呼吸し、立ち上がる。たんぽぽが違う誰かを推し始めたからといって、自分から降りたとは限らない。蒼次郎は仕事部屋に行き、ゲーミングチェアに座った。パソコンのキーボードに手を置き、早速SNSで青葉坂りんごという人物を調べる。
長年培ってきたネット検索スキルで調べようとし、肩透かしを食らった。青葉坂りんご本人のアカウントはすぐにSNS上で見つかった。黒髪ロングヘアの二次元美少女のアイコン。イラストは自分で描いたのだろうか。
青葉坂りんごのアカウントの投稿をざっと読み、なるほど、と呟いた。
青葉坂りんごはバーチャル配信者らしい。といっても最近動画投稿を始めた初心者で、動画投稿サイトの青葉坂りんごの動画一覧を見れば、動画数は多くない。
青葉坂りんごが投稿した動画を再生すれば、すぐに画面の中の美少女がまばたきをする。地雷系の服に包んだ体がわずかに揺れた。
「はじめまして、青葉坂りんごです」
「は?」
声を聞いて驚き、思わずそう口にした。
黒髪ロングヘア二次元美少女姿で自己紹介する青葉坂りんごの声は、若い男の声だった。蒼次郎は同じ場所を再生し、聞く。二回聞いても男の声だ。見た目はかわいい女の子なのに、男の声。違和感が強く「ええ」と蒼次郎の口から漏れる。
青葉坂りんごが初めて投稿した動画を観終え、その次に投稿した動画を観た。動画を四つ観たところで、蒼次郎はゲーミングチェアに沈み、天を仰ぐ。
独り言すら口から出ない。
蒼次郎が最後に観た動画は青葉坂りんごが雑談配信をしていたときの配信を動画として残していたもので、画面の中では青葉坂りんごがたどたどしく雑談配信していた。
話し方がぎこちなく、戸惑っている様子しか伝わらない。蒼次郎は俯き、肺の奥から息を吐き出した。
「お、男の声~! 外が二次元美少女なのに声がガチの男って何っ?」
蒼次郎は顔を上げて吠える。
「こんなよくわかんねーのに俺は自分の男を盗られたのか! いや、たんぽぽは俺の男じゃないけど……!」
悔しさとも言えない、形容しがたい感情がぐるぐると自分の腹の中を回っていく。
青葉坂りんごは描くのが大変そうな地雷系の衣装を着ており、表情のバリエーションも多い。バーチャル配信者のモデルを外注しているならかかった金額も大きいはずだ。自分で描いているなら、苦労したに違いない。
見た目の良さを台無しにしているのがぐだぐだの話術だ。見た目がかわいい女の子なのに若い男の声で違和感が強く、そのうえ雑談に起承転結がなくて笑うところがない。活舌の良さしかいいところが見つからない。
青葉坂りんごの動画はお粗末としか言えないものだった。自分の動画の見せ方もわかっていない、雑談配信をしている割には話の引き出しもない。やる気だけはあるものの空回りしている姿に、こちらが一方的に気まずい気持ちになってくる。
――知人が五十メートル走を自信満々に走ってビリで終わったような気持ちになる……。
そんなことをつらつら思いつつ、結局、蒼次郎は青葉坂りんごが投稿している動画を全部観てしまった。敵情視察というより、怖いもの見たさに近い。
蒼次郎はなんとも言えない気分になりながら、動画投稿サイトを閉じた。
たんぽぽが青葉坂りんごを推す理由がわからない。自分ではない、たんぽぽの違う推しが無名のバーチャル配信者であることの衝撃で気力が無くなっていく。
蒼次郎は小さく息を吐いた。
自分は推される側であって、推す側が推し変や降りるのは自由だし、自分がとやかく言える立場ではない。
動画配信者をしていれば、リスナーに降りられること、飽きられて去られていくことは多々あった。そんなリスナーに対して何も思わないようにしていた。配信者に限らず、自分だって追いかけていたコンテンツに興味を無くしたり、違うコンテンツにはまることがあったから、自分というコンテンツから離れるのはお互い様だと思っているし、降りるのはその人の自由だ。
だから、たんぽぽがすみれから青葉坂りんごに推し変することはたんぽぽの自由だ。自分は黙ってそれを受け入れるだけ。
「そう思ってるのに……ああ、マジでこんな自分、いやだあ……」
独り言は泣き言へと変わっていった。自分の口からたんぽぽへの未練がだらだらと落ちていく。ひとしきり自分の内側を言葉にして、蒼次郎は顔を上げた。
たんぽぽが自分から降りるのも、推し変するのも自由。自分は何も言えない。ただ、離れていくのをわかった、と見送るだけ。そうすることしかできない。
――だって、俺はたんぽぽと友達ですらないから。
画面越しの相手に恋をするのはこんなに寂しいことなのか。蒼次郎は胸を押さえた。しばらくは、きっと心が痛いままだ。




