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 タクシーから降り、蒼次郎が住むマンションの一室に入った瞬間、玄関で蒼次郎と直弘は同時に大きく息を吐いた。


「つ、疲れました」

「俺も……」


 顔を見合わせ、なんだか笑ってしまった。二人でいたら、どんなに疲れたことがあっても、なんとかなる気がする。

 リビングに移動し、並んでソファに座る。


「で、詳しい話を聞かせてくれない? まずは今日、何が起きたの?」

「気になりますよね。うまく話せなかったらすみません」


 頭を下げた直弘が話し始める。

 直弘は今日、ハローワークの帰りに、人気のドーナツ店に行った。ドーナツを買って電車に乗り、そこで近くにいた若い男の乗客のバッグから煙が出た。


「気づいたらそのお客さんのバッグを掴んで中身をぶちまけていました。モバイルバッテリーが燃えたと一目見て分かったので、持っていたタオルに、自分のペットボトルのお茶の中身を全部吸わせ、モバイルバッテリ―にかけました」

「あああっあぶねえええっ」


 直弘の行動は消火するためとはいえ、聞いている側としては怖い。

「怪我とか無さそうだけど、怪我してない?」

「してないです。ありがとうございます」


 微笑む直弘を見てほっとした。

 幸いにもモバイルバッテリーから出た火は小さく、濡らしたタオルをモバイルバッテリーにかけ、その上から他の乗客たちが持っていた飲み物をかけて火は消えた。聞いているだけで肝を冷やすので、直弘をはじめ乗客たちはどれだけ怖かっただろうか。


 そのあとは青葉坂りんごが調べたとおり、車内にいた乗客が緊急停止ボタンを押し、電車は止まった。その後、鉄道会社の職員の誘導に従い、乗客たちは線路の上を歩いた。

 直弘は線路の上を歩いている時に蒼次郎に連絡を取ろうとして、そこでスマートホンの充電切れに気づいた。


「連絡できなくて、心配かけてすみません」

 そう謝るから、別に気にしなくていいよと笑った。いま会えていることが大事だ。

 だが、直弘は不運すぎないかと思う。今年で二回も怖い思いを偶然にもしている。


「ガラスが降ってきたり、電車でほかの乗客のモバイルバッテリーから出火したり、酷い目にあってるよな。お祓い行こうか」

 お祓い、と呟いた直弘が苦笑する。


「行ったほうがいいかもしれません。その帰りに海辺で散歩でもしましょうか」

 重くとらえていないらしい直弘に笑ってしまう。そこに強さとしなやかさを感じた。

「お祓いと言う名のデートですけど」


 直弘の言葉に二人でくすくす笑い、落ち着いたところで、直弘が自身のトートバッグの中からビニール袋を取り出した。中には紙袋が入っている。

 蒼次郎が何かと尋ねる前に直弘が言う。


「これはくしゃくしゃになったドーナツです」

 ああ~、と声が蒼次郎の口から出る。慌てて火を消し止めたので、潰れても仕方ない。


「食べよっか、それ」

「え、形がすごいことになってますよ。俺一人で食べようと思っていました」

「二人で食べよ。美味しいんだからさ」


 直弘が買ったドーナツは、蒼次郎が以前買って二人で食べた店のものだった。覚えていてくれたことが、とても嬉しい。


「はい、あとで食べましょう」

 二人で笑いあう。和やかな雰囲気だが、このままでは終われない。


「――で、直弘くん。聞きたいことあるんだけど、なんで白い羊ちゃんにGPSの位置情報確認方法を書いた紙が入って、黒い羊ちゃんにGPSを入れて持ち歩いてたの?」


 直弘が言葉を無くし、すうっと息を吸う。

「蒼次郎さんが不安にならない方法って考えて、あの方法にしました。蒼次郎さん、自分のことネットストーカーって言ったから、そこから着想を得て……」

「俺の言葉から着想を得るなんて直弘頭いーい! じゃねえんだよ」


 前半は明るく言い、最後は低い声ですごむと、直弘がしおしおと頭を下げた。

「すみません……。あれが俺にとって最善の策といいますか」

「ネットストーカーを後押ししてどうすんだ」


 直弘が頭を上げる。

「蒼次郎さんの気持ちが落ち着くなら、なんでもよかったんです。でもごめんなさい。やりすぎたし、俺の気持ちの押し付けでした」

 申し訳なさそうに言う直弘の髪を手で梳く。


「俺を思って行動してくれたこと、嬉しいよ。でも、俺のために直弘が自分を犠牲にするなんて嫌だ。そう思うのはなんでかわかる?」

 わかりません、と首を横に振る直弘に言う。


「直弘が俺のことを思ってくれるのと同じくらい、俺は直弘のことが好きで、大切。だから直弘を傷つけたくないんだよ。直弘自身が直弘を傷つけることもすごく嫌だ」


 直弘の髪を手で梳けば、直弘が微笑んだ。直弘の目が潤み、それをごまかすようにぱちぱちとまばたきをする。

「蒼次郎さんのこと、好きだなって強く思います。ずっと好きだった。でも画面越しではないあなたがもっともっと好きになる。幻滅する暇がない」


 直弘が腕を伸ばし、するりと蒼次郎を抱きしめた。直弘の体温が心地よくて、蒼次郎は笑う。愛おしさが腹の奥からどんどん溢れる。

 蒼次郎さん、と直弘が名を呼ぶ。


「話したいことがあるので聞いてくれますか」

「うん。直弘の話ならなんだって聞きたいよ」

 直弘が蒼次郎の背を撫でる。優しく温かいてのひら。


「俺が高校生の時、友達がいなかったのは話しましたよね。俺、中学生の時に自分の恋愛対象が男だと気づいたんです。それから自分は男が好きってバレたくないあまり、恋愛の話を避けていたときに、あることがあって」


 頷いて続きを促すと、直弘が続ける。

「中学二年生の時にとてもきれいな女の子が転校してきて、俺の周りはその女の子の話で持ち切りでした。恋愛というより会えるアイドルみたいな感覚だったと思うんですが、俺はその話に乗れませんでした。恋愛として女の子に興味が無かったし、同級生の女の子の話を本人がいないところで沢山話すことがなんだか嫌で、女の子の話が始まると黙ることしかできませんでした」


 それで、と続ける声が沈んでいた。

「付き合いの悪いやつだと友人だと思っていた人たちから言われ、うまく付き合えなくなって、気づけば一人で過ごすようになりました。結局、一人でいすぎて高校のときも友達がいなくて。……今でも後悔しています」

「なにを?」


「はっきり言わなかったことをです。周囲に言えばよかったんです。アイドルではない同級生の女の子にはしゃぐのは本人に失礼だと思う、もっと他の話をしよう。そう本心を言うべきでした。そうすれば、たとえ一人になったとしてもここまで引きずることは無かったんじゃないかと思います」


 直弘の背中に腕を回す。直弘が以前「言えばよかったと後悔したくない」と言っていた理由が恋愛ではなく、友人関係だということが、意外だった。

 だがそのことがきっかけで高校生の時もうまく人と付き合えなかったようだし、直弘は人と関わることが怖く、恋愛する余裕もなかったのかもしれない。


 蒼次郎は考え、言う。

「直弘は本心を言えばよかったと言ったけど、直弘は優しかったから言えなかったんだと思う。身近なアイドルにはしゃぐ友達の気持ちを、否定したくなかったんじゃないの」


「俺はそこまできれいな気持ちではなかったと思いますけど」

「直弘にとってはそうかもね。でも俺は、優しかったから言えなかったんだと思うよ。な、そう思うことにしようよ。自分を責めすぎるのはよくない」


 直弘が頬を緩めた。

「そう言ってくれる蒼次郎さんも優しい。蒼次郎さんにいつも励まされてきました。覚えていないでしょうが、俺、少額だけどあなたに投げ銭したことがあるんですよ」


「知ってるし、覚えてる」

 えっ、と直弘が体を軽くのけ反らせた。そうなんですか、と言い、続ける。


「投げ銭したとき、蒼次郎さん、ありがとうって言って両手でハートを作ってくれました。それが嬉しかった。俺、中学生の時のことがあって、誰かを推すことに申し訳なさがあったんです。それでも蒼次郎さんを推すことをやめられなくて。そんなとき、投げ銭したらとても喜んでくれて、嬉しかった」

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